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2014年3月6日今日から淡路島の城跡と仏塔巡りに出かけます。東京駅からひかり号で新神戸駅に向かいます。三島駅を過ぎたころ車窓から富士山を撮影しました。10時前に新神戸駅に着きました。新神戸駅から路線バスで淡路島に渡ります。明石海峡大橋洲本市に着いて、最初に訪れたのが洲本城跡です。洲本城は三熊山山頂の「上の城」の本丸と山麓の御殿のある「下の城」から成っています。堀のある現在地は「下の城」です。御殿跡には洲本市立淡路文化資料館が建
4月9日17:47·プライバシー設定:公開今治城模擬天守でのミニサイズの完成#今治城#お城#ジオラマ本来なら本丸中央にあった層塔式の天守で作るのですが、今回はオリジナルバージョンとして模擬天守を使っての今治城を作ってみました。4件以上すべてのリアクション:42石原茂、杉山正訓、他40人
<なぜ「地図にない城」と言われたのか>記事をアップすることを忘れていたが、先々月、Xで「地図に載っていない“謎の城”」のポストがバズっていたことを思い出した。とは言え、この大野城(愛媛県四国中央市)は’20年、「ナニコレ珍百景」でも紹介されたから、四国の模擬天守ファンの間ではある程度知られている。「地図にない城」とは言え、今ではグーグルマップに図示されているから、現地へは誰でも行くことができる。当方が探訪時もユーチューバーが来ていた。但し、入城はしなかった様子。なぜ「地図にない城」と言
トップページ都道府県別索引へ新潟県の索引へ勝山城もしくは滝谷城は、刈羽村の北端、柏崎市との境界に伸びる尾根上にある。すぐ北には海岸沿いと内陸を結ぶ県道73号が通る。1988年に遊歩道が整備されて南側を通る林道から主郭まで簡単に登ることができるようになった。平安時代末の文治年間(1185〜1190年)に野呂氏が築き、後に城氏の手に渡ったと伝わっているらしい。ただ野呂一伯が戦国時代の越後上杉氏麾下の人物との見方もあるとのこと。今残る遺構からは戦国時代の城で、斎藤下野守の居城赤田城の支城
涌谷城跡🏯(宮城県遠田郡涌谷町)『わくやじょうあと』と読む涌谷城🏯は、築城年代不明、亘理氏(涌谷伊達家)の居城として知られる江合川左岸の低丘陵に築かれた平山城であり、別名を『涌谷要害』というようです現在、涌谷城跡は、城山公園⛲️として整備されており、模擬天守(涌谷町立史料館)が建てられていました▼城山公園入口▼▲白壁と桜▲▼模擬天守▼▲看板▲▼模擬天守▼▲城山公園と桜碑▲▲▼模擬天守と桜▲▼▼道標碑▼▼遊歩道▼▲詰之門石垣▲
2025年1月25日ファブとあもは名古屋へその前に小牧山城に登城しました虎口模擬天守あらファブとあも眺望抜群大手道素晴らしい北駐車場まで戻ってきました軽く1万歩歩きましたよ
洲本城(Ⅱ)兵庫県洲本市小路谷いよいよ本丸へ本丸方面八王子木戸参道に並ぶ鳥居本丸下の中務母義郭の石垣同崩れた石垣同同から見る東の丸石垣本丸腰郭同腰郭の石垣本丸への虎口本丸下の中務母義郭本丸高石垣同石垣中務母義郭石垣本丸大石段本丸南虎口同本丸本丸本丸石垣本丸本丸
今回は、現在の愛媛県今治(いまばり)市にあった城、今治城(別名・吹揚城)です。吹揚城という別名は、今治城が築かれた場所が、砂が吹き揚げられて出来た砂浜だったことからついたのだそうです。今治城跡は現在、吹揚公園となっていて、今治駅から瀬戸内バスに乗って今治城跡バス停で下車すると徒歩3分、今治桟橋バス停で下車すると徒歩10分ほどで行くことができます。今治駅。JR四国の予讃線が乗り入れています。今治市の中心駅で、立派な高架駅です。今治市は2005年(平成17年)に越智郡朝倉村、玉川町、波方
その2.では主に模擬天守と、天守台からの絶景を紹介する。↓武者走り石垣本丸はおおむね石垣でグルリ囲まれている。この上には、瓦の検出量からして多門櫓があった可能性が高い。↓武者走り傍からの天守見えたぞ天守・・・というか模擬天守、というか天守風展望台↓天守_南面天守台の上に竜宮門のような石垣を積んで、さらにその上にコンパクトな三層の模擬天守を載せている、オモローな形状。↓天守と紅葉コントラスト上げ杉た。。↓洲本城案内マップなんちゃってな天守に目を奪われがちだが、西日本最大級の規
洲本城に天守があったと言う資料はないようです😳ただ2024年の発掘調査で鬼瓦などが見つかり天守があった可能性が出てきました🤗江戸時代には小天守と連結された天守があったようですが実際はどうだったのかは分かりません😅本丸大石段を登り本丸虎口を通って見えて来た天守は「竜宮城」⁉️と口があんぐり、、、、😳しかしこの模擬天守は1928年に鉄筋コンクリートで建てられた「日本最古の模擬天守」なんです😊2011年に天守の側面にひび割れが見つかり2013年に改修工事が行われましたが展望台
2013年11月27日勝山ニューホテルの近くを朝食前に散策しました。ホテルの前清大寺の五重塔と大仏殿が見えました。靄がかかっています。五重塔清大寺とは反対方向に道を進むと勝山城博物館が見えてきます。別の角度から撮影すると、この模擬天守閣は歴史上の勝山城とは位置・形式とも関係のない建造物です。勝山城跡については後で、少しだけ触れます。朝食後、ホテルから約2km離れた清大寺に向かいます。五重塔が高いので道々見ながら近づいて行けます。今日
2013年11月1日最教寺の三重塔を撮った後、平戸城に向かいました。亀岡公園の駐車場でタクシーを下車して、北虎口門に向かいました。北虎口門現存する遺構です。ここで入場料を払います。もう一つの現存遺構は狸櫓です。地蔵坂櫓は昭和37年に再建された櫓です。本丸櫓門を通って、天守閣へ天守閣平戸城の説明板平戸は平安時代末期から水軍として名をはせた松浦氏の本拠地でした。松浦一族は、鎌倉時代の元寇では水軍勢力を発揮して元軍と戦い、鎌
2013年10月31日羽田空港から福岡空港へ。途中に富士山が見えます。今日は曇りのようです。福岡空港に着きました。福岡空港駅に移動しました。地下鉄で、博多駅まで乗車し、博多バスターミナルから昭和バスのからつ号で唐津の大手口まで乗車しました。近くに唐津城の模擬天守が見えます。城内橋を渡って二の丸へ。模擬天守をアップして撮影唐津城の説明板唐津城の築城は文禄4年(1595)の豊臣秀吉の重臣であった寺沢広高によるものです。当時
2013年10月21日大阪4日目は御堂筋線難波駅から始発の電車に乗り、梅田で下車し、阪急電鉄梅田駅に移動しました。ホームの様子宝塚行きの電車は5:40発です。川西能勢口駅間で乗車しました。ここで伊勢電鉄妙見線に乗り換えて、一の鳥居駅近くでお城のような建物が見えました。気になったので、帰りに一の鳥居駅で下車することにしました。終点は妙見口駅です。乗ってきた電車は折り返し川西能勢口行になります。妙見口駅から阪急バスに乗り、約20分強
2013年10月18日南海貝塚駅から、難波行の電車で、隣の蛸地蔵駅まで乗車しました。駅から、徒歩約4分程で岸和田城が見える場所に来ます。堀の周りを移動して、色々な角度から撮影しました。左側に本丸虎口があります。15分圏内の観光地の案内板二の丸に入ります。平成4年に竣工した二の丸多聞櫓河野繁子の歌碑がありました。岸和田城縄張り図二の丸より内堀を隔てて、本丸側を見ると、本丸側の隅櫓本丸へ
今日は、中津城に行きました\(^o^)/復興二重櫓模擬天守石垣に継ぎ目が継ぎ目の説明右が黒田官兵衛時代の石垣です左が細川忠興時代の石垣ですbyXperia1Ⅵ
郡上市でランチを食べ、郡上踊りの実演見学&体験をしました。『郡上市の歴まちカード&マンホールカード(C)〜郡上踊り見学(24.11.12)』岐阜旅行の記事に戻ります。美濃市の街並みを散策し、郡上八幡へ向かいました。『「美濃和紙とうだつの上がる町並み」美濃市〜郡上八幡駅(24.11.12)』長良川…ameblo.jp今日はランチと踊りの実演見学の間に行った、郡上八幡城の様子をアップします。バスを降りた城下町プラザの近くは大手門があった辺りだそう。明治維新まで立派な門が建っていたん
入野松原で日の出を見た後、四万十市の中心の中村市街地を進み、中村城跡に行ってみると、狭い一車線の上り坂になり駐車場の先に模擬天守があり四万十市立郷土資料館になっています。土塁がありますが展望はなく、レストランの前の広場に出ると街が見渡せました。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%9F%8E_(%E5%9C%9F%E4%BD%90%E5%9B%BD)中村城(土佐国)-Wikipediaja.m.wikipedia
池田城創設年代・・・・室町時代前期創設者・・・・・池田氏形態・・・・・・丘城遺構・・・・・・櫓台・石垣・堀・模擬天守・井戸・虎口模擬天守・石垣・漆喰塀同西門主郭・模擬天守主郭・庭園同模擬天守空堀・土塁南門・石垣遠望城下の旧家略史室町時代初期、在地領主の池田教依が築城。その後次第に勢力を拡げ、室町中期の充正の時代には攝津守細川氏の有力代官として
(本文は2014年に掲載した「城をやる」に加筆修正しています)かっこいいんだかかっこわるいんだかよくわからない天守の写真はずっと以前から見たことがあって、中学時代の四国旅行でも計画に織り込みたかったのですが、列車の都合でどうしても訪ねられず、2013年の秋が初の訪城となりました。この土佐中村の主であった土佐一条家は関白の座につくほどの名族で、戦国時代までよく荘園領主としての地位を保ち続けたのですが、長宗我部元親の圧力を受け、土佐を追い出されてしまいます。相手が悪かったか。。。し
姫路城、明石城、赤穂城と兵庫のお城を巡っていて、そういえば、神戸市内にもお城らしきものがあったなぁと思いました。それはJR神戸線に乗っていると、元町駅付近北側で見られる石垣らしきもので、花隈公園です。何度も前は通ったことがありましたが、一度ちゃんと見に行こうと思い立ち、阪急花隈駅に降り立ちました。花隈公園は花隈城の石垣を模した公園でした。石垣の上には模擬天守台と碑が立っていました。花隈公園に行ったあと、兵庫津ミュージアムに行き、花隈城の歴史を知
岸和田城(別称:岸ノ和田城・ちぎり城・蟄亀利城)創設年代・・・・応永年間(1394頃)創設者・・・・・信濃泰義形態・・・・・・平城・海城遺構・・・・・・本丸・二の丸・内堀・外堀・防潮石垣模擬天守・本丸石垣・内堀二の丸隅櫓・石垣隅櫓・石垣隅櫓・石垣隅櫓風?本丸櫓門・隅櫓本丸櫓門模擬天守本丸の八陣の石庭本丸隅櫓・石垣同隅櫓・石垣石垣・内堀天守
千歳御門から模擬天守の博物館に向かって行き、その後で鉄御門に向かい6枚の鏡石を見に行きました権力の象徴とも言える巨石は確かに城を訪れる人に威圧感を与えますね😅😅😅
以前、三重県伊賀市にある伊賀上野城を訪れた時に撮った写真をもとに描いたスケッチ。伊賀上野城は徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したもので、現在の天守は昭和初期の模擬天守である。木造三層の大天守と二層の小天守が天に向かって寄り添うように誇張して描いてみた。ワーグマン水彩紙厚口F6中目
こんにちは、philosophiaです攻城ロングTRGの続編です。「山崎の戦い」での光秀本陣跡を攻城した後は、大山崎ICから名神高速道路/西宮線と新名神高速道路と山陽自動車道経由で播但連絡道の花田ICで降り、<御着城跡公園>に到着御着城は赤松氏の一族である小寺政隆によって築かれた城です。駐車場の後ろは、模擬天守の姫路市役所東出張所でもあります!<案内板>グランドになっている<二ノ丸跡>残存する二ノ丸石垣公園内には<天川橋>が移設保存さ
9月14日・三連休の初日に浜松城へ行ってきました浜松城の前身は、今川氏の配下飯尾氏の治める引馬城(曳馬城)という平山城でした。引馬城は浜松城の北東に位置する東照宮のあたりに築かれていたといいます。永禄11年(1568年)、三河から遠江へ侵攻した徳川家康は引馬城へ入城。元亀元年(1570年)には本拠地を岡崎から浜松へ移しました。このとき家康は引馬城を大改修し、浜松城と改めています。そのわずか2年後、満を持して武田信玄が遠江へ侵攻してきます。快進撃を続ける武田軍と浜松城から出
諏訪湖のビジホに泊まり(天然温泉掛け流し)次は城巡り諏訪湖を見ながら、朽ち果てたD51そのまま高島城へ、あまり期待してなかったがなかなかの名城、模擬天守だが堂々としている。春はかなり良いらしい。松本城は月見櫓が改装中、また春にゆっくり来よう、春は暇になってるしな。時間を気にしない旅行がしたいですね。
最後の温泉♨️を終えて帰りにつきます。私は直ぐですが、友達はめちゃくちゃ遠いです。が、この世の中、日本人も昔のような優しさがなくなってしまい、いろんなトラップがあります。はい、友達がさっそく、まだ朝だというのにいきなりトラップにかかりました。友達、腕だけ出演しています🤣「あそこへ行こう❗️」いや、あなた、今日の20時までに高速を降りたいのでしょう?おいおい、車で登れるとはいえ、本当に来ちゃったよ🤣復興天守だか模擬天守だったと思います。とりあえずこの資料館を建てるために遺構がか
おはようございます、海人三面相です。私のクリニックは午後から夏休みに入り、早速高速を使って少し遠出しました。インター近くなると山頂に城が見えてきます。そうなんです、ここは「郡上おどり」で有名な郡上八幡です。鮎釣りで有名な吉田川と郡上八幡城がなんとも絵になりますね。(余談ですが郡上八幡城は模擬天守ですが、日本最古の木造模擬天守だったような…)夕方、明かりが灯るとさらに風情があります。川辺りの明かりは本物のろうそくの火です。私、学生時代から何十回と来ている郡上八幡です