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今日の散歩おじさん地域は、雨の心配をするほどでは無かったものの午前中は全天が雲に覆われ、午後には雲間からの日差しもありましたが、「晴れ」と呼べるほどには青空が広がりませんでした!さて今日の記事はJR千葉駅から京成線の千葉寺駅を目指した「ぶらり」です!4月の初旬に京成電鉄の「京成さわやかウォーク」を歩いた際、機会があれば再訪して見てみたいと思った物がありまして、今回はそれを目当てに出かけました!・・・ということでJRの千葉駅の東口からスタート~(^.^)千葉駅ってモノレールが乗り入れている
名古屋市内から電車で移動して、次に向かったのは清洲城。鉄道から見える模擬天守は、旅の前からずっと気になっていた存在だった。---清洲城は“信長の城”だけど、天守はなかった現在の清洲城は、信長の時代の天守を再現したものではなく、模擬天守として建てられた博物館。実際には、信長が清洲城を本拠にしていた頃、天守閣は存在しなかったと言われている。それでも、川沿いに建つ赤い橋と模擬天守の組み合わせは美しく、「信長の城に来たんだ」という実感を与えてくれる。---**駅から思
3月20日、上山市にある「上山城」へ行きました。1535(天文4)年に築城され、かつて「羽州の名城」と称えられたそうです。しかし、1692(元禄5)年、江戸幕府の命令で取り壊されたそうです。現在の上山城は、1982(昭和57)年に二の丸跡に建てられた模擬天守です。沢庵和尚の教えを記す「上中下三字説」石碑があります。紫衣事件で上山に流された沢庵和尚が政りごとの要諦を説いたものです。天守内部は、3つの展示室を中心とした郷土資料館になって
今日の散歩おじさん地域は午前中は雲が多いながらも日差しが有りましたが、昼ごろから雲の部分が増えてきて、午後には全天が雲に覆われてしまいました!気象庁のデータを見ると最高気温は昨日と同じ19.1℃となっていますが、特に午後は日差しの温もりを感じられなかった分、昨日の方があたたかかったように感じられました!さて記事の方は「京成電鉄さわやかウォーク」の続きです!「千葉公園」を後にして、マップに従いJR総武本線の「東千葉駅」の上を陸橋で通過して進むと、対面4車線に加えて右折レーンがあるので交差点で
いつも「カッキーは全国を旅するブログ」をご覧くださいましてありがとうございます。前回に続き3年ぶりに埼玉県のお城を登城した「2026春・日帰り埼玉お城めぐり」の様子を紹介。今回はシリーズ初回記事で紹介した「花園城」ほか、付近の山城をめぐった様子を紹介します。花園城は花園のお城!?最初の山城として「花園城」を登城します。皆さんは「花園城」と聞くとこんなお城の情景を想像されるでしょうか。今回訪問した「花園城」はこんな感じでした。「おおっふもとに桜が咲いている
夫が釣りに行くと言うので久々付いていくことに。先日大分に行ったので「別の所が良い」と言うと「唐津(佐賀)やと(大分市より)まだ近い」ってことで了承。その日は朝から濃霧が凄くて(「山に登ったら多分雲海みたいに見えるよ!」ってずっと言ってた)、唐津に着いても霧・・・。一日そんな天気でした。天気自体は良いんだけど、春霞って感じでもないような。虹の松原めっちゃ凪霧で白いこの時(昨年3月)を思い出しましたこの日も霧が凄くて(この日は雨だったんだけど
Tetsu龍でございます。明けて翌早朝に丸亀出発。朝一の目的地は、そのまんま朝日山城。丸亀から17㎞位、30分で着きます。妖しい城も大好きな僕……久々や~。山頂に1988年建造の模擬天守、朝日山資料館があります。一応城跡なので、城はあったんやろね。別名は麻口城になってるがあまり詳細わかんないぞ。今は森林公園になっていて、妖しげなものが色々。香川県三豊市高瀬町下麻3829−141早朝なので誰もいませんでした。20分くらいで終了つづく
起きて、家事を軽く済ませ、駅へ行き穂積へ🚃まずは爽やかウォーキングへ🤔墨俣城の模擬天守は混んでいたので、スルー墨俣城は、桜が綺麗でした🥹スマホゲームのイベントも、クリア🥹ウォーキングを終えて、岐阜へNHK講座を受講🤔岐阜の繊維街と柳ヶ瀬商店街を散策。これも楽しかった😆今日は充実してました🥹😆
登城ネタが続きます。香川県から一回徳島に戻り橋を渡って、兵庫県の淡路島に向かいました。距離的にはそれほど遠くなく1時間しないで到着。車である程度の高さまでいけるのも楽でした。中には入れない模擬天守が異彩を放っていました。
伏見桃山城に行って来ました。最寄駅の桃山駅から、20分歩きました。内部は、立ち入り禁止でした。伏見桃山城キャッスルランドという遊園地に建てられた模擬天守となっています。遊園地は閉園し、伏見桃山城運動公園となっています。実際の伏見桃山城は、豊臣秀吉が造り、徳川家康が建て直したお城です。
10年以上も前に訪城しました。実は、家族たちを連れて、何度も行っていますが。墨俣一夜城も石垣山一夜城も、一夜ではできませんでした(当然)誇張表現ですね。ただ、ここの墨俣一夜城跡に関して、川と川の間にあり、流れもあるので、作業は大変だったと思います。掘っ立て小屋のような砦だったように記憶しています。馬防柵で囲まれていたようです。今、建っている天守は、展示館と思っていただければよいかと思います。↓私のブログに、当時の築城状況の資料を撮影したものがあります。だいたい1週間は、かかっ
再建天守だけど、日本三大水城ということで行ってみた。愛媛三城目だわー。広大なお堀と高い石垣の今治城!ただの城好き、詳細わからないので~💦スタンプラリーしながら楽しく⁈回った。鉄御門鏡石(勘兵衛石)藤堂高虎像と模擬天守今治城から今治港・来島海峡を望む一周~🚶🚶犬走り🐕広大な水堀と高い石垣!青空と海(お堀)で、写真映えする今治城だった。🏯明治5年から城内に鎮座する吹揚神社。
15年振りに運転する主人と淡路島へ行き、スタバに寄ったりしました。『レンタカーで淡路島へ〜淡路SAのスタバ&パン(26.1.28)』先月末にレンタカーを借りてお出掛けしてきました。主人が運転をするのは何と15年振り何度かレンタカーで出掛けようかと言う話になったけれど先延ばしにしていて。でも…ameblo.jpSAを後にし向かったのは洲本城。季節のお花を観に行ったり、淡路島にあるテーマパークに行ったりとはではなく、渋~いお出掛けです兵庫県洲本市にある洲本城は続日本100名城に選ば
2026・1プチ旅ブログ61月18日(日)⑤ライトアップされた大根やぐらは🈁『ライトアップされた大根やぐら』2026・1プチ旅ブログ51月17日(土)④御崎馬☆都井岬は🈁『御崎馬に癒された日☆都井岬』2026・1プチ旅ブログ41月17日(土)③ヨゴセ島は🈁『キ…ameblo.jp宮崎県都城市高城郷土資料館月山日和城(がっさんひわじょう)月山日和城(がっさんひわじょう)月山日和城は南北朝時代の武将肝付兼重により築城、都城盆地を平定した北郷家8代忠相(ほんごうただすけ)が晩年
先週、墳友と月輪陵と桃山陵へ行きました。月輪陵墓管区事務所は泉涌寺のそばにあり、月輪陵は泉涌寺の中にあります。管区事務所は年末年始は休みでしたが、それ以外の日は日曜日でも宿直の方がいるようで、インターホンを押したら開けてくれて、御陵印を押せます。こちらではこれだけの印が押せます。御陵印帳があれば良いのですが、無いのでこの前作った和帳に押しました。いよいよ陵墓へ。多くの天皇が眠っておられます。修学院離宮を造られた後水尾天皇に感謝です。400年前に上皇が作られた離宮は、当時は身分社会なので
こんばんは、白黒茶々です。リアルの世界は、お正月休みが終わって平常モードに戻ったのですけど、波狛日記ではここからしばらくの間、現実逃避というか、昨秋に私が波と狛を伴って行ってきた旅の話をさせていただきます。🙇♂️昨年にあったことはその年のうちに………とは思っていたのですけど、話すとあまりに長くなってしまい、残りのコマに収まりきらなくて、だからといって途中で切るのもナンだったので、年をまたいでからまとめてということにしました。😅………ということで、話は昨年の11月の下旬にまで遡ります。🚀
日本一の高さ57.8mもある、姫路城天守に似せた模擬天守の博物館です2025年09月17日2025年09月17日
1543年神保長職築城1582年織田氏旧臣佐々成政入城1582年本能寺の変→清洲会議→柴田勝家・三男織田信孝VS羽柴秀吉・嫡孫織田秀信→1583年賤ヶ岳の戦い(次男信雄VS三男)→(福井市)北ノ庄城の戦い(勝家とお市の方自害→三男自害)1584年小牧・長久手の戦い(徳川家康・次男VS秀吉→和議)1585年秀吉が富山城を破却→成政降伏1605年加賀藩初代藩主前田利長(利家長男)隠居時大規模改修1609年火事焼失→高岡城築城1639年富山藩初代藩主前田利次1873年廃城
中津城中津市二ノ丁創設年代・・・・天正十六年(1588)創設者・・・・・黒田孝高形態・・・・・・平城遺構・・・・・・石垣・堀・郭・門跡・模擬天守・模擬櫓ポイント城は山国川の三角州上に築かれ、河口に扇を広げたような形状をしている。天守は無く、数基の隅櫓をあげ、強固な石垣で固めていた。現在も九州最古の石垣が残っている。そして山国川の豊富な水量を利して堀を巡らし、更に内堀に引き入れて河口に建つ平城。満潮時にはさながら海に浮かぶようにも見え、高松城と共に
横手城🏯(秋田県横手市)『よこてじょう』と読む横手城🏯は、1554年に朝倉山に築城された山城のようであり、別名を『朝倉城』『阿櫻城』『韮城』『龍ヶ崎城』『衝城』ともいい、1871年に廃城となったようです現在の天守は、1965年に郷土資料館と展望台を兼ねて二の丸跡に建設された複合式望楼型3重4階の模擬天守なんだって▼横手城入口付近▼▲説明板▲▼大手門跡▼▲道標▲▼本丸広場周辺▼▲遊歩道▲▼石坂洋次郎文学記念碑▼▲四阿からの眺望▲▼参道石段▼▲▼秋
あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしていきたいと思います。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。「塀」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在し
唐津城(別称:舞鶴城)唐津市東城内創設年代・・・・慶長十三年(1608)創設者・・・・・寺沢広高形態・・・・・・平山城遺構・・・・・・復興天守、櫓・城門・石垣・堀・井戸ほか50数年ぶりの登城。なかったはずの天守が建てられていたが、山頂から曲輪が伸びる見事な連郭式平山城だった。ポイント城は満島山の山頂を本丸とし、二の丸、三の丸、外曲輪へと低くのびる連郭式平山城である。それまで満島山の西側を流れていた松浦川を波多川と合流させ、東に切り替えて陸続きで
洲本城(上の城)は、大永6年(1526)に淡路水軍を率いた安宅(あたぎ)氏によって築かれたと伝わります。その後、天正13年(1585)に入城した脇坂安治によって、今に残る総石垣の城に改修されました。脇坂氏が伊予大洲に移った慶長14年(1609)、事実上の廃城となりますが、その威容は、今なお保ち続けられています。壮大な総石垣、大石段、全国で数例しかない登り石垣などがあります。その他、天守台には1928年に鉄筋コンクリートで建設された日本最古となる模擬天守閣があります。洲本市街のみならず大阪
いつも「カッキーは全国を旅するブログ」をご覧くださいましてありがとうございます。今回より10月中旬に、山形旅にお出かけした様子を紹介します。初回は1年越しに訪問を実現したお城を紹介します。🏯雨の上山城を登城雨の中、東北道を北上中。お泊り旅で天気を選べないのは仕方ないことです。朝食で頂いた「メンチカツパン」PAのコンビニで温めて貰って、美味しく頂けました。道路工事のため車線規制中でしたが、渋滞はあまり起きなくて良かったよ。予定よりも早めに目的に着くことが出
中村城(別称:為松城)四万十市丸之内創設年代・・・・戦国期創設者・・・・・為松氏形態・・・・・・平山城遺構・・・・・・曲輪・土塁・石垣・模擬天守ポイント中村城は四万十川を西に、背後に山並みを控え、東に後川を持ち、中村平野を一望できる丘陵の上に築城されている。そして東西に通じる陸路の要点を押さえ、南北と西部に至る二つの川によって攻防いずれにも備えることのできる天然の要害の城である。城は一条氏・長宗我部氏・山内氏時代の拡張により、御城・為松城・中ノ森・今城
府内城址のやぐらが、オレンジ色にライトアップされています。9月30日まで。9月のアルツハイマー月間に合わせた措置。オレンジは普及啓発のシンボルカラー。「手助けします」という意味を持つそうです。ちなみに府内城址には天守閣は現存していませんが、少し前、鉄パイプで模擬天守が作られ、しばらく展示されていました。
天女伝説残る伯耆・羽衣石城(後編)この図によると主郭前後に二段づつ腰曲輪を配備しておられます。ほんで、南(正確には南西)の腰曲輪から主郭を囲むように帯曲輪を巡らせていらっしゃいますね。これより下に見える天女ちゃんの羽衣石より南西部の腰曲輪に突入します。主郭より二段下の南西部にある腰曲輪。そこからの眺望。日本海の海岸線は鳥取砂丘じゃなくて北条砂丘という農地があり、風力発電のプロペラがようさん並んどるのが見える。右へ視線を移すと温水が湧く東郷池が望める。
川之江城(別称:仏殿城・土肥城)四国中央市川之江町創設年代・・・・暦応元年(1338)創設者・・・・・河野通政形態・・・・・・平山城遺構・・・・・・郭・石垣・模擬天守・模擬櫓ポイント川之江は伊予の東玄関口。鷲尾山は金生川の河口に位置する。金生川を遡れば、阿波・土佐に通じ、余木海岸を経て讃岐に通じる等水陸交通の要であった。城郭は本丸・二の丸・三の丸で構成されているが、これは戦国期のものであろう。城山の周囲は急峻である。遠望・模擬天