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10年以上も前に訪城しました。実は、家族たちを連れて、何度も行っていますが。墨俣一夜城も石垣山一夜城も、一夜ではできませんでした(当然)誇張表現ですね。ただ、ここの墨俣一夜城跡に関して、川と川の間にあり、流れもあるので、作業は大変だったと思います。掘っ立て小屋のような砦だったように記憶しています。馬防柵で囲まれていたようです。今、建っている天守は、展示館と思っていただければよいかと思います。↓私のブログに、当時の築城状況の資料を撮影したものがあります。だいたい1週間は、かかっ
再建天守だけど、日本三大水城ということで行ってみた。愛媛三城目だわー。広大なお堀と高い石垣の今治城!ただの城好き、詳細わからないので~💦スタンプラリーしながら楽しく⁈回った。鉄御門鏡石(勘兵衛石)藤堂高虎像と模擬天守今治城から今治港・来島海峡を望む一周~🚶🚶犬走り🐕広大な水堀と高い石垣!青空と海(お堀)で、写真映えする今治城だった。🏯明治5年から城内に鎮座する吹揚神社。
15年振りに運転する主人と淡路島へ行き、スタバに寄ったりしました。『レンタカーで淡路島へ〜淡路SAのスタバ&パン(26.1.28)』先月末にレンタカーを借りてお出掛けしてきました。主人が運転をするのは何と15年振り何度かレンタカーで出掛けようかと言う話になったけれど先延ばしにしていて。でも…ameblo.jpSAを後にし向かったのは洲本城。季節のお花を観に行ったり、淡路島にあるテーマパークに行ったりとはではなく、渋~いお出掛けです兵庫県洲本市にある洲本城は続日本100名城に選ば
2026・1プチ旅ブログ61月18日(日)⑤ライトアップされた大根やぐらは🈁『ライトアップされた大根やぐら』2026・1プチ旅ブログ51月17日(土)④御崎馬☆都井岬は🈁『御崎馬に癒された日☆都井岬』2026・1プチ旅ブログ41月17日(土)③ヨゴセ島は🈁『キ…ameblo.jp宮崎県都城市高城郷土資料館月山日和城(がっさんひわじょう)月山日和城(がっさんひわじょう)月山日和城は南北朝時代の武将肝付兼重により築城、都城盆地を平定した北郷家8代忠相(ほんごうただすけ)が晩年
先週、墳友と月輪陵と桃山陵へ行きました。月輪陵墓管区事務所は泉涌寺のそばにあり、月輪陵は泉涌寺の中にあります。管区事務所は年末年始は休みでしたが、それ以外の日は日曜日でも宿直の方がいるようで、インターホンを押したら開けてくれて、御陵印を押せます。こちらではこれだけの印が押せます。御陵印帳があれば良いのですが、無いのでこの前作った和帳に押しました。いよいよ陵墓へ。多くの天皇が眠っておられます。修学院離宮を造られた後水尾天皇に感謝です。400年前に上皇が作られた離宮は、当時は身分社会なので
こんばんは、白黒茶々です。リアルの世界は、お正月休みが終わって平常モードに戻ったのですけど、波狛日記ではここからしばらくの間、現実逃避というか、昨秋に私が波と狛を伴って行ってきた旅の話をさせていただきます。🙇♂️昨年にあったことはその年のうちに………とは思っていたのですけど、話すとあまりに長くなってしまい、残りのコマに収まりきらなくて、だからといって途中で切るのもナンだったので、年をまたいでからまとめてということにしました。😅………ということで、話は昨年の11月の下旬にまで遡ります。🚀
日本一の高さ57.8mもある、姫路城天守に似せた模擬天守の博物館です2025年09月17日
1543年神保長職築城1582年織田氏旧臣佐々成政入城1582年本能寺の変→清洲会議→柴田勝家・三男織田信孝VS羽柴秀吉・嫡孫織田秀信→1583年賤ヶ岳の戦い(次男信雄VS三男)→(福井市)北ノ庄城の戦い(勝家とお市の方自害→三男自害)1584年小牧・長久手の戦い(徳川家康・次男VS秀吉→和議)1585年秀吉が富山城を破却→成政降伏1605年加賀藩初代藩主前田利長(利家長男)隠居時大規模改修1609年火事焼失→高岡城築城1639年富山藩初代藩主前田利次1873年廃城
中津城中津市二ノ丁創設年代・・・・天正十六年(1588)創設者・・・・・黒田孝高形態・・・・・・平城遺構・・・・・・石垣・堀・郭・門跡・模擬天守・模擬櫓ポイント城は山国川の三角州上に築かれ、河口に扇を広げたような形状をしている。天守は無く、数基の隅櫓をあげ、強固な石垣で固めていた。現在も九州最古の石垣が残っている。そして山国川の豊富な水量を利して堀を巡らし、更に内堀に引き入れて河口に建つ平城。満潮時にはさながら海に浮かぶようにも見え、高松城と共に
横手城🏯(秋田県横手市)『よこてじょう』と読む横手城🏯は、1554年に朝倉山に築城された山城のようであり、別名を『朝倉城』『阿櫻城』『韮城』『龍ヶ崎城』『衝城』ともいい、1871年に廃城となったようです現在の天守は、1965年に郷土資料館と展望台を兼ねて二の丸跡に建設された複合式望楼型3重4階の模擬天守なんだって▼横手城入口付近▼▲説明板▲▼大手門跡▼▲道標▲▼本丸広場周辺▼▲遊歩道▲▼石坂洋次郎文学記念碑▼▲四阿からの眺望▲▼参道石段▼▲▼秋
あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしていきたいと思います。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。「塀」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在し
唐津城(別称:舞鶴城)唐津市東城内創設年代・・・・慶長十三年(1608)創設者・・・・・寺沢広高形態・・・・・・平山城遺構・・・・・・復興天守、櫓・城門・石垣・堀・井戸ほか50数年ぶりの登城。なかったはずの天守が建てられていたが、山頂から曲輪が伸びる見事な連郭式平山城だった。ポイント城は満島山の山頂を本丸とし、二の丸、三の丸、外曲輪へと低くのびる連郭式平山城である。それまで満島山の西側を流れていた松浦川を波多川と合流させ、東に切り替えて陸続きで
洲本城(上の城)は、大永6年(1526)に淡路水軍を率いた安宅(あたぎ)氏によって築かれたと伝わります。その後、天正13年(1585)に入城した脇坂安治によって、今に残る総石垣の城に改修されました。脇坂氏が伊予大洲に移った慶長14年(1609)、事実上の廃城となりますが、その威容は、今なお保ち続けられています。壮大な総石垣、大石段、全国で数例しかない登り石垣などがあります。その他、天守台には1928年に鉄筋コンクリートで建設された日本最古となる模擬天守閣があります。洲本市街のみならず大阪
いつも「カッキーは全国を旅するブログ」をご覧くださいましてありがとうございます。今回より10月中旬に、山形旅にお出かけした様子を紹介します。初回は1年越しに訪問を実現したお城を紹介します。🏯雨の上山城を登城雨の中、東北道を北上中。お泊り旅で天気を選べないのは仕方ないことです。朝食で頂いた「メンチカツパン」PAのコンビニで温めて貰って、美味しく頂けました。道路工事のため車線規制中でしたが、渋滞はあまり起きなくて良かったよ。予定よりも早めに目的に着くことが出
中村城(別称:為松城)四万十市丸之内創設年代・・・・戦国期創設者・・・・・為松氏形態・・・・・・平山城遺構・・・・・・曲輪・土塁・石垣・模擬天守ポイント中村城は四万十川を西に、背後に山並みを控え、東に後川を持ち、中村平野を一望できる丘陵の上に築城されている。そして東西に通じる陸路の要点を押さえ、南北と西部に至る二つの川によって攻防いずれにも備えることのできる天然の要害の城である。城は一条氏・長宗我部氏・山内氏時代の拡張により、御城・為松城・中ノ森・今城
府内城址のやぐらが、オレンジ色にライトアップされています。9月30日まで。9月のアルツハイマー月間に合わせた措置。オレンジは普及啓発のシンボルカラー。「手助けします」という意味を持つそうです。ちなみに府内城址には天守閣は現存していませんが、少し前、鉄パイプで模擬天守が作られ、しばらく展示されていました。
天女伝説残る伯耆・羽衣石城(後編)この図によると主郭前後に二段づつ腰曲輪を配備しておられます。ほんで、南(正確には南西)の腰曲輪から主郭を囲むように帯曲輪を巡らせていらっしゃいますね。これより下に見える天女ちゃんの羽衣石より南西部の腰曲輪に突入します。主郭より二段下の南西部にある腰曲輪。そこからの眺望。日本海の海岸線は鳥取砂丘じゃなくて北条砂丘という農地があり、風力発電のプロペラがようさん並んどるのが見える。右へ視線を移すと温水が湧く東郷池が望める。
川之江城(別称:仏殿城・土肥城)四国中央市川之江町創設年代・・・・暦応元年(1338)創設者・・・・・河野通政形態・・・・・・平山城遺構・・・・・・郭・石垣・模擬天守・模擬櫓ポイント川之江は伊予の東玄関口。鷲尾山は金生川の河口に位置する。金生川を遡れば、阿波・土佐に通じ、余木海岸を経て讃岐に通じる等水陸交通の要であった。城郭は本丸・二の丸・三の丸で構成されているが、これは戦国期のものであろう。城山の周囲は急峻である。遠望・模擬天
今日も晴れて良い天気でしたが、毎日暑いです最低気温が25℃で最高気温は35℃でした数日前に、高梁市有漢町有漢のうかん常山公園へ行ってみましたこの日も天気が良く、散策したのですがとても暑かったです有漢常山城模擬天守↑海抜265mの山頂部にある山城で、鎌倉時代の地頭秋庭氏の居館・正尺屋敷の南正面にあることから、本貫地を守衛する番手城とみられているそうです模擬天守への階段です↑
七月二十一日、月曜日です。【問題。】上の写真は、尼崎城の模擬天守であるが、これが建っているのはかつての尼崎城のどの曲輪か。①本丸②二之丸③西三之丸④東三之丸実はかつての天守と現在の天守は違う位置に建っているんですよね。【答え。】③西三之丸現在、尼崎城の模擬天守が建っているのは「西三之丸」という尼崎城の西端部分です。本丸はここから徒歩五分ほどの場所に位置します。以城。
中津駅の斜行エレベーター今日だけの中津止まりソニック3号で中津にやってきました。さっそく改札口へ…と思ってエレベーターを見てみたら…これ、なんだか変?全国的にも珍しい斜行エレベーターだそうです。乗ってみると中も面白くてボタンが↙さがる、あがる↗と斜めの矢印。ドアが閉まるとスロープを降りていきます。まるでケーブルカーに乗っているかのような気分、面白い体験でした。改札口を出ると駅メモの885系モチーフキャラ、福分おとはちゃんのパネルに出迎えられました。旅
【問題。】伊賀上野城の模擬天守は何年に建てられたものか。①明治十年(一八七七)②大正十年(一九二一)③昭和十年(一九三五)④平成十年(一九九八)三重県伊賀市にある城ですね。日本100名城の一つです。ちなみに、天守は木造なんですよね。【答え。】③昭和十年(一九三五)伊賀上野城の天守は、昭和十年(一九三五)に衆議院議員の川崎克氏によって建てられました。今年で九十周年なんですね。長い歴史を持つ模擬天守です。以城。
【問題。】次のうち、天守が国の登録有形文化財となっているのはどれか。①岸和田城②広島城③墨俣一夜城④富山城ちなみに、僕は上記の四つの城全てに攻めたことがあります。懐かしいなあ。答えは、④富山城です。富山城に建つ模擬天守は昭和二十九年(一九五四)に建てられたもので、平成十六年(二〇〇四)七月二十三日に登録されています。建てられてちょうど五十年後の登録だったんですね。写真は、岸和田城。写真は、墨俣一夜城。写真は、富山城。以城。
トップページ都道府県別索引へ岐阜県の索引へ猿啄城ないし勝山城は国道21号坂祝バイパスが鵜沼から美濃加茂の方へ抜けてゆく途中、鵜沼・坂祝トンネルのほぼ真上にある。標高265メートルの城山の山頂にあって登山コースと展望台が整備され、訪れるハイカーが多い。麓の木曽川沿いを東山道が通っていて、街道を押さえる城として重要だったらしい。築城は応永年間、西村豊前守善政の手によるとのこと。その後は戦国時代まで何度か攻め込まれて城主が替わった。最後は永禄八年(1565年)に当時の城主多治見修理が織田信
伏見区の木幡山(こはたやま)に13年ぶりに上ってみました◆伏見桃山城運動公園(散策自由P30分100円)1964年(昭和39年)に開園し2003年(平成15年)に閉園した伏見桃山城キャッスルランドその遊園地の閉園時に取り壊す予定だった模擬大手門と模擬天守を地域の要望により残す形で整備された山上の公園ですかつての伏見城本丸跡は明治天皇陵になっているので…こちらの模擬天守は山上の違う場所に建てられています耐震基準の問題で天守内部には
【城名】墨俣城【所在地】岐阜県大垣市【城の形態】砦【天守の形態】なし【築城年】1566年(永禄9年)?【築城者】木下藤吉郎【文化財指定区分】なし【遺構】市指定史跡【別称】一夜城墨俣一夜城の概要墨俣一夜城は永禄9年(1566)、織田信長の命により稲葉山城(現岐阜城)攻略の繋ぎの城として、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)により一夜にして築かれたとされる城です。実際の墨俣城は砦のような作りであり、現在のような天守型建物は建てられておりません。ちなみに天守は大垣城(同大垣市)を模してい