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こんばんは、mmm(まーママ)です。9月17日(火)熊本県八代市、最後の観光も、石工が活躍した樋門の見学です。八代平野の3分の2は江戸時代から行われてきた干拓によって生まれた土地です。干拓事業でも石工たちが活躍しました。樋門(ひもん)の役割雨水や水田の水などを川や水路に流れ込ませ、洪水などの際に川の水位が高くなった場合に逆流を防ぎます。1ヶ所めナビで樋門の近くまで来ると、通行止めの標示板が設置され近づくことが出来ません。仕方なく遠回りして樋門のある道
鉄と木と“ゆる~い時間”の流れを感じた6月上旬静岡県西部“timeline”移動前
平野区加美の住宅街を北上しています。久しぶりに出会った、飛び出し坊や。(つくりは良くないです。)スマホの地図に、平野川に掛かる小さな橋を見つけました。その橋を渡ると新家天満宮なのですが、こんな小路を抜けたところにある橋です。どんな橋なのか不安だったけど、そこそこ幅はあります。橋から眺めた新家天満宮。通称、川べり天神。鎮座地:大阪市平野区加美南5-3-25昭和四十九年七月に奉納された狛犬。
今日は天気予報では雨。1週間前には「強い雨」かもと予報されていたので、心配していましたけど、幸いに強い雨にはならなかった。それでも予報どおり小雨が降る中、5月に完成した直轄樋門の竣工式典が小学校体育館で行われました。国・県・市議会議員、地元住民、工事関係者、そして国県市職員らが集まり、竣工を祝いました。毎回思いますが、国交省、式典にかけるパワーが凄すぎる。リハも入念に行っていたようで、全くトラブルなしに無事終了。竣工式の後は、河川整備期成同盟会主催の「もちまき」と「祝賀会」が行われまし
もう、四半世紀近く前の話になりますが「第十堰(だいじゅうせき)」を可動化させる計画があり徳島県内で反対運動が繰り広げられ、設置予定場所の徳島市で住民投票を実施。(2000年1月23日)結果、可動堰化は白紙化されたという経緯があります。この事案は当時、全国ニュースでも話題となりました。ってことは関係ありませんが『第十堰』という名前は「第何番目」のというのではなく「第十村」という地名に由来していると聞いたことがあります。これも余談ですネ。下は左岸(北岸)から見た第十堰です
2/6(火)大鞘川(おざやがわ)を旅する。大鞘樋門群まで歩き、そこから文政側の土手を歩いてみよう。大鞘樋門群(県指定)/文化情報発信サイトTOP/八代市(yatsushiro.lg.jp)なぜ、大鞘川を歩こうと思ったのかについては、ここ文政は自分が生まれ育った地だからである。以前は、八代郡鏡町であったが、現在は八代市鏡町。かつては文政村と呼ばれていた。通っていたのが文政小学校であり、文政中学校。文政小学校は今もあるけれど、文政中学校は鏡中学校と統合し、今はない
「港区樋門」と聞いて、「あ、あそこね」とすぐにその場所を思い浮かべる人はいないだろう。しかし、「しらぬいのがね」ブログを見てくれる人の中に数人いる。それは同じ時代に同じ経験をしたことがある文政小中学校の同級生。小学生の頃、学校行事としてこの港区の海で潮干狩りが行われていた。八代海(不知火海)は干満の差が大きい。ブログにアップしている写真で見ると、満潮。これが干潮になると、海水が引いて干潟が現われる。その干潟にいるアサリ貝、しゃくなどを獲る。学校行事の潮干狩りといっても、学校の
道の駅坂本を走り出して、まずは昨日も周辺を走り回った葉木橋を渡って右岸の線路沿いへ。こちらは橋を渡ってすぐにある葉木駅。駅の時刻表やそのほかの看板は、付け替えられてそれほど立っていないように見えます。しばらく走ると、レンガ隧道が見えてきました。この日最初の橋ですから、せっかくなので覗いてみましょう。葉木駅付近はそれほど雑草もありませんでしたが、もしかすると、地元の方が手を入れていたのかもしれません。ですが、この辺りではすっかり放置された状態です
八代を出発して、この日に目指すのは人吉ですが、正直、寄り道しながらだと、人吉までたどり着ける気はしません。ですが、2年前の熊本豪雨災害を覚えているでしょうか?あの災害では、人吉から八代へと流れる谷あいの球磨川が大規模な氾濫を起こし、その被害はまだ復旧できていません。つまり、単に走るだけなら、簡単な観光をしながらでも半日で走れる距離だけれど、それなりに観光しながらでは、途中で日が暮れるのは確実なのだけれど、宿泊施設は人吉盆地に抜けるまではほぼ皆無です。さりとて、そ
熊本の宇土で一泊した翌日、目指す八代方面に急ぎたいところですが、宇土にも見ておきたいものがいろいろとありまして。なお、地名を見ると、ターレットが回る酸性雨の町を思い浮かべるかもしれませんが、濁らずに「ウト」です。宇土でまず見ておかなければならないのが、船場橋と船着き場跡の雁木の風景でしょう。雁木は最近の補修の手が入ったものも多いのですが、この辺りはそのままの自然な感じが素敵ですね。なお、石アーチの船場橋に代わって架けられた現在の橋は、これ
玉名市横島町横島に所在する国指定重要文化財の旧玉名干拓施設です。説明板によると、明治20年代から40年代にかけて築造された、末広開潮受堤防、末広開樋門、明丑開潮受堤防、明豊開潮受堤防、大豊開潮受堤防が、国の重要文化財指定を受けています。明治時代に起源をもつ干拓関係の施設が、総延長約5.2kmにわたって良好に残存しているのは全国的にも稀です。各部分で石の積み方が異なる状況から、潮害のたびに改修されながら使用されてきたことが分かります。
八代市郡築三番町に所在する国指定重要文化財の旧郡築新地甲号樋門です。八代市HPによると、明治時代に当時の八代郡が行った干拓事業である「郡築新地」に設けられた樋門で、「甲」、「乙」、「丙」の3ヶ所が明治33(1900)年に建設されました。現在は、乙号、丙号樋門は現存せず、三番町にあるこの甲号樋門のみが当初の姿を残しています。この樋門は、当時、熊本県技師で後年第五高等学校教授になった川口虎雄氏の設計によるもので、基本的な構造は石造ですが、アーチ部には赤レンガが用いられており、特に1
4月11日御用水跡街園堀川(黒川)きつねはし誰もいないの一人でキツネダンスを踊ろうと思いましたが上流に向かいスタートソメイヨシノは葉桜に八重桜が満開ズームハトのペアカメラを向けても逃げないのは、パンの耳を与える人が来るのをおとなしく待っている地面を見ると嘴が黄色のムクドリ?「クチバシが黄色小鳥」で検索ペア?群れでいる事が多く、地面を歩いて食べ物を探したり、木の上で芽を突いていたりします。ヒナが巣立てば、より大きな群れになって、秋には街路樹に巨大な群れで訪れて騒音問題
氷川町網道に所在する町指定有形文化財の沖塘(おきども)樋門群です。干拓地内にある、ひろぎ遊水池に所在します。氷川町HPによると、沖塘樋門群は、嘉永5年(1852年)に砂川尻新地の一部である網道新地の干拓に伴って造られた施設です。樋門は干潮時にたまった水を海へ排出する役割だけではなく、かんがい用水を確保する役割もありました。現在5枚戸の樋門が2ヶ所、3枚戸の樋門が4ヶ所あり、一部コンクリート造りに変わっているものの当時の石積がよく残っています。なお、6ヶ所のうち、北側の4ヶ所が町指定
積雪深さ4時現在:29cmこの工事は予定通り終了昨年の工事が始まる前の姿ゲートが撤去されました新たに設置された制御盤と思われる筐体
八代市鏡町両出に所在する国指定史跡の大鞘(おざや)樋門群(八代海干拓遺跡)です。大鞘川の右岸の所在します。元々、県指定史跡「大鞘樋門群」でしたが、令和4年3月に「八代海干拓遺跡」が国指定史跡となり、大鞘樋門群はその構成文化財となりました。説明板によると、当初樋門は5ヶ所に設けられていましたが、現在は北から殻樋、二番樋、江中樋の3基が残っています。これらの樋門は惣庄屋であった鹿子木量平の指導の下、文政2年(1819年)に潮留めが完成した四百町新地の干拓に伴い造られました。殻
八代市郡築一番町に所在する国登録有形文化財の郡築二番町樋門です。八代干拓の海に近い場所に所在します。八代市HPによると、郡築二番町樋門がある郡築地区は、明治時代に当時の八代郡が行った干拓事業により造成された土地です。昭和11年の高潮により堤防決壊の被害を受けたため、昭和12年から補強工事が行われました。郡築二番町樋門は、同13年に新設されたもので、石造3連アーチ式の樋門です。上部の壁体は石造の布積みとなっており、石造の多連アーチ式樋門としては、八代平野に2ヶ所残るうちの一つであ
こんばんは肥薩おれんじ鉄道のくまモンラッピング列車を見つけましたナベヅル鉄マナヅル鉄くまモンラッピング列車とナベヅルおまけ何と読むでしょうか?そうです『みずほいび』ごめんなさい読めなかったです排水樋門です菜の花が咲いていましたありがとうございます❗
先週から重機が入っていたので❓。施設機能向上の為ですか期待しましょう
「永府門樋」埼玉県吉見町江綱にある永府門樋昨年10月後半に訪ねました明治34年建造吉見町指定建造物箱型二連樋管煉瓦造の樋門等が河川流域に分布しているのは埼玉県だけの特徴深谷の日本煉瓦製造株式会社設立が関連綺麗な造形ですね
甲佐町豊内に所在する町指定有形文化財の簗(やな)の樋門です。アユ料理が楽しめる「甲佐町やな場」のすぐ上流にある樋門です。文化14年(1817年)~天保3年(1832年)頃に造られたといわれていて、緑川から引き込んだ灌漑用水の水量を調節するために設けられたものです。アユ料理が楽しめる「やな場」です。現在では加藤清正の頃には川狩りの茶屋として存在したといわれています。写真を撮った時は新型コロナ等の影響により営業を休止していましたが、今年度から再開されています。簗の樋門があるのは「やな
『2022/6/21奈井江お散歩写真その13(奈井江の西側その1)』何か最近4,5日置く事に何も罪悪感感じなくなってもうた^p^『2022/6/17奈井江お散歩写真その12(奈井江町社会教育センター)』『2022/5/2…ameblo.jpこの奈井江日記の続きですん……さて、前回日記で高島神社に着きますたが、基本的に以前撮影してるんですよね^p^『2021/9/04月形辺りその1(奈井江高島あたりから宮島沼まで)』姉の仕事が18時で終わるのに14時頃から迎
河川の堤防沿いにおもちゃのような小さな建物があるのご覧になった方も多いと思います。樋門(ひもん)と言ってザックリ言えば堤防内外の水位を調節する設備なのですがそれぞれ色も形も違っていて見た目はとても可愛いのです。車で少し走ったところに樋門が2つ並んで見える堤防があってあの風景を描いてみようと思いました(*'▽')。(448)樋門のある風景堤防道路脇は無数のハルジオンの花とチガヤの穂が白く風になびいていました(*'▽')❤❤❤。
4月16日土曜日♪夜勤明け♪🏥ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ脱出した空が青かったから、(≧∀≦*;)ゞコンビニでおにぎりとビール買い込んで🎵🏪~(*≧∀≦)自転車で南下♪さぁ♪ココはいったいドコでしょうか(σ*≧∀≦)σ(((^^;)・・・国道1号線から出て宇治川沿い走ってて…たまたま見つけた景色が良くて人がいぃひん🈳マッタリできる…そんな、優良物件(*≧∀≦)ノぐる~~~~っと、右手に見渡して…宇治川と、新緑の木々♪ソノ向こうに、
いらっしゃいませ~はぴちょろかふぇへようこそ皆さん水門満喫してますか!?え?水門足りてない???じゃぁ今回伝右川樋門を差し入れして差し上げます。(日本語要練習)ここは毛長川伝右川綾瀬川の合流する地点です。なかなか興味深い場所なんですがゆっくり見ることができたので動画も作りました。是非ご覧下さい。毛長川はそんなに長くない川ですがちょうどこの樋門のある東京都足立区花畑で綾瀬川と合流して終点となります。この樋門がある川
7時20分起床妖怪大布団と1時間格闘後に何とか勝利して9時に出発して岡山市まで行ってきました。晴天だったので出発したら大阪市内ですでに曇り・・・一瞬帰ろうかと思いましたが京橋PAで朝食食べながら天気予報みたら雨は振らなさそうだったので、岡山のブロ友さんが紹介してた百間川の永忠堤に来ました。到着したのは12時前でしたがかなり寒かった・・・江戸時代の石垣を補強して復元しています。江戸時代の石垣なのに加工技術が凄い。ここから次は水道記念館に来ましたが、門
2296轟泉水道樋管橋(ごうせんすいどうひかんきょう)熊本県宇土市宮庄町轟水源に架かる石橋橋長:-m橋幅:-m径間:-m拱矢:-m架橋:不明石工:不明型式:単径間桁橋轟泉水道2013年土木學會推奨土木遺産指定宇土市のうな専でお昼した後、轟水源を教えて貰いました。今でも水を求めて多くの方が訪れているようで、この日も数組が水汲みに来られていました。手前の地名が石橋町という事なので、興味本位で予定外ですが周辺を歩いてみました
0294再訪緒方下井路取水口橋(おがたしもいろしゅすいこうばし)大分県豊後大野市緒方町原尻井路の取水口に架かる石橋橋長:2.90m橋幅:0.60m径間:1.20m拱矢:0.30m架設年:1919年(大正8年)石工:不明型式:2連アーチ橋原尻の滝と駐車場の間にある水路に架かる水門石橋です。2014年6月以来の再訪ですが、原尻の滝には良く来るので、あまり久々感は無いですね。訪問日:2021年11月26日(金曜日)緒方下井路取水口橋緒方
場所移動して歩く度に草🌿わらからブヨが大量に出て来たタマランここも浅いダメダァ😭又、樋門を攻める❗️反応が無い😓❗️顔の周りにブヨが飛び回る😫落ち着ねぇ~😖未だ気温が8℃ぐらいなのにここのブヨは強いわ😫草🌿の無い場所に行って見よう~❗️
こう言った広い樋門には入ってないベか🤔❓️小さいベイト🐟️が居るからなぁ~❗️小さい波紋があちらこちらに有る❗️ン手前にス~と泳いで行ったなぁ~❗️対岸に行った感じだなぁ~❗️延べ竿じゃあキツイなぁ~😓❗️届かない❗️濁りの中浅いなぁ~😩💨❗️う~ん居ないなぁ~😩💧❗️場所変えだなぁ❗️