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鷺池2026.2.8この日は数年ぶりにしっかり雪が積もりました。それとばかりに、朝イチで撮影に飛び出しました。奈良公園散策の定番ルートの浮見堂に行くと、浮見堂がある鷺池では水が抜かれていました。池干し・浚渫(底に堆積した汚泥の撤去)が実施されているようです。この工事が終わると池の水が綺麗になるのでしょうね。※※※今日のもう1枚これは古い樋門だそうです。樋門は、河川堤防の内部を暗渠を通して水を排出させたり、水位が上がってきた場合には門を閉
岡山訪問記録の蛇足の上塗り回です。送水口ナイトが始まるまでの時間、主に総合グラウンドの東側を南に行ったり北に行ったりとうろうろしました。おばあさんが川で洗濯をするような水路の雁木色付きのお地蔵さん雁木からの階段つながりで螺旋階段水準点の頭のような謎の膨らみ。新橋下流側の親柱はなぜかずれていました。神社の門代わりに再利用されたのでしょうか?石造りの水門の枠のようなものがありました。「さあどうぞここはごくらくやすみいし」座ったらそのまま安らかに眠れそうです。型板ガラス
10月14/15日は【富士川】を遡上してきました四番目は山梨県南部町福士で富士川と合流する【福士川】場所↓Yahoo!マップ-航空写真・地図検索・郵便番号検索・乗換検索ならYahoo!マップ雨雲レーダー機能も搭載!Yahoo!マップは日本最大級のポータルサイト「Yahoo!JAPAN」が提供する地図サービス。ルート検索・路線の乗り換えも。スマートフォン版やアプリ版もサクサクで便利。日本地図ならYahoo!マップで。yahoo.jp南部町本庁舎に無断pし合流地点を目指す
酢の物■今日のたぬき食堂■毎日朝6:30更新『たぬき食堂「ハンバーグ」』たぬき食堂で出している一品料理「ハンバーグ」だよ~★彡【使用カメラ】OLYMPUSOM-DE-M5MarkII【使用レンズ】OL…ameblo.jp■今日のねぼすけうさぎ■毎日昼14:00更新『季節の回文イラスト「11月24日進化の日」』「進化の日」は生物学者チャールズ・ダーウィンの主著『種の起源』
■石造り「樋門(ひもん)」と樋門の横の「余水吐(よすいばき・よすいばけ)」「樋門」は川の水を用水路(田んぼなどへ水を送る水路)へ流し込む役割「余水吐」は水を取り込みすぎたり、雨で水路の水が増え樋門から溢れたりしたとき、水路が溢れないように余った水(余水)を川へ戻す役割■建造時期石造りの樋門や石桁橋は石工の技術が発達している地方では江戸時代後期から建造されている。しかし了意川では柏原船が寛永13年(1636年)に始まり明治時代初期頃まで運航していたまた昭和時
小雨くらいなら傘を差してあまり遠くまでは行きませんが大雨になればタクシーで帰れる範囲の散歩でも御用水路跡街園は屋根のある休憩場所が少なくて爺婆が座っての雨宿り中お元気なのか暇なのか行って帰る時にもすぁってられました僕ならじっと座っているのは無理ですので夫婦橋側に移動されたお地蔵様の小屋に寄ってお参りをする方が向いてますねカラスウリの花これがキカラスウリの実ですテニスボールくらいかなボ
北海道・白老町の川上へと分け入り、今日は樋門の点検作業。静寂に包まれた森の中、水の音だけが自分を包み込み、「これぞ北海道」としみじみ感じるひとときです。樋門とは、洪水時などに川の水を調節するための重要な設備。どんな最新技術よりも、地元の安全を守るには人の目と手が欠かせません。草木をかき分けながら、錆や損傷を見逃さないように一点集中――まるで草むらの中の宝探し。🐻熊が出るか、Amazonミュージックが出るか点検中、頭の片隅には常に「熊注意」の文字が点滅中。なので最近はスピーカーでA
☆別府川上流治水工事長年続いた治水対策工事が完了しました・加古川水位が上昇の場合内陸への流れ防止の為樋門を閉じた後の対策・曇川から別府川への流路が新たに整備されました他に、ポンプ整備も含めJR日岡駅近辺での、内水氾濫の対策です
5月31日の早朝散歩は佐保川土手を下流側に歩きました。これが佐保川です。黄色い花が見えていたので、拡大してみたら、オオキンケイギクでした。左側が佐保川、右側が地蔵院川です。土手の上に青い線が引かれているのは、京奈和自転車道になっているからです。自転車を使うと、北側は京都の嵐山、南側は和歌山県の和歌山港まで、全長180kmも走れます。佐保川の左岸を歩きながら、道々、気の付いたものを撮りました。これはルリシジミ。それにモンシロチョウ。これ
朝の体重69.3kg。体重が増えました。何ヶ月ぶりかの69kg越え。食べすぎかなあ。ネットニュースを見ていたらプロ野球阪神などで活躍した小山正明さんがお亡くなりになったと知りました。私は小山さんの現役時代は見ていませんが、針の穴を通すような投球で制球力抜群の投手だったと父が言っていました。その方の名前をもらって私に着けたと聞いています。そのため名前だけは知っていました。12年前に亡くなった父のことも思い出しました。ご冥福をお祈りいたします。夜明け前に土星と金星と月を撮影しました。雲があ
国道30号線、倉敷川の近くに「片崎樋門」というものがあります。こちらが、その説明版。この説明版を読むと、この「片崎樋門」は、明治32年から38年にかけて行われた児島湾干拓の第一期工事第一区分の際に建造された三つの樋門の一つ。この「樋門」とは、「水門」と似ていますが、大きな違いは、河川などに水を排出する水路が、土手、堤防に埋め込まれていること。普段は、水路から河川に水が流れていますが、大雨などの洪水時には、樋門が閉じられ、河川からの水の逆流を防ぐ。ちなみに、この「片崎樋門」は。田植え時
こんばんは、mmm(まーママ)です。9月17日(火)熊本県八代市、最後の観光も、石工が活躍した樋門の見学です。八代平野の3分の2は江戸時代から行われてきた干拓によって生まれた土地です。干拓事業でも石工たちが活躍しました。樋門(ひもん)の役割雨水や水田の水などを川や水路に流れ込ませ、洪水などの際に川の水位が高くなった場合に逆流を防ぎます。1ヶ所めナビで樋門の近くまで来ると、通行止めの標示板が設置され近づくことが出来ません。仕方なく遠回りして樋門のある道
鉄と木と“ゆる~い時間”の流れを感じた6月上旬静岡県西部“timeline”移動前
平野区加美の住宅街を北上しています。久しぶりに出会った、飛び出し坊や。(つくりは良くないです。)スマホの地図に、平野川に掛かる小さな橋を見つけました。その橋を渡ると新家天満宮なのですが、こんな小路を抜けたところにある橋です。どんな橋なのか不安だったけど、そこそこ幅はあります。橋から眺めた新家天満宮。通称、川べり天神。鎮座地:大阪市平野区加美南5-3-25昭和四十九年七月に奉納された狛犬。
今日は天気予報では雨。1週間前には「強い雨」かもと予報されていたので、心配していましたけど、幸いに強い雨にはならなかった。それでも予報どおり小雨が降る中、5月に完成した直轄樋門の竣工式典が小学校体育館で行われました。国・県・市議会議員、地元住民、工事関係者、そして国県市職員らが集まり、竣工を祝いました。毎回思いますが、国交省、式典にかけるパワーが凄すぎる。リハも入念に行っていたようで、全くトラブルなしに無事終了。竣工式の後は、河川整備期成同盟会主催の「もちまき」と「祝賀会」が行われまし
もう、四半世紀近く前の話になりますが「第十堰(だいじゅうせき)」を可動化させる計画があり徳島県内で反対運動が繰り広げられ、設置予定場所の徳島市で住民投票を実施。(2000年1月23日)結果、可動堰化は白紙化されたという経緯があります。この事案は当時、全国ニュースでも話題となりました。ってことは関係ありませんが『第十堰』という名前は「第何番目」のというのではなく「第十村」という地名に由来していると聞いたことがあります。これも余談ですネ。下は左岸(北岸)から見た第十堰です
2/6(火)大鞘川(おざやがわ)を旅する。大鞘樋門群まで歩き、そこから文政側の土手を歩いてみよう。大鞘樋門群(県指定)/文化情報発信サイトTOP/八代市(yatsushiro.lg.jp)なぜ、大鞘川を歩こうと思ったのかについては、ここ文政は自分が生まれ育った地だからである。以前は、八代郡鏡町であったが、現在は八代市鏡町。かつては文政村と呼ばれていた。通っていたのが文政小学校であり、文政中学校。文政小学校は今もあるけれど、文政中学校は鏡中学校と統合し、今はない
「港区樋門」と聞いて、「あ、あそこね」とすぐにその場所を思い浮かべる人はいないだろう。しかし、「しらぬいのがね」ブログを見てくれる人の中に数人いる。それは同じ時代に同じ経験をしたことがある文政小中学校の同級生。小学生の頃、学校行事としてこの港区の海で潮干狩りが行われていた。八代海(不知火海)は干満の差が大きい。ブログにアップしている写真で見ると、満潮。これが干潮になると、海水が引いて干潟が現われる。その干潟にいるアサリ貝、しゃくなどを獲る。学校行事の潮干狩りといっても、学校の
道の駅坂本を走り出して、まずは昨日も周辺を走り回った葉木橋を渡って右岸の線路沿いへ。こちらは橋を渡ってすぐにある葉木駅。駅の時刻表やそのほかの看板は、付け替えられてそれほど立っていないように見えます。しばらく走ると、レンガ隧道が見えてきました。この日最初の橋ですから、せっかくなので覗いてみましょう。葉木駅付近はそれほど雑草もありませんでしたが、もしかすると、地元の方が手を入れていたのかもしれません。ですが、この辺りではすっかり放置された状態です
八代を出発して、この日に目指すのは人吉ですが、正直、寄り道しながらだと、人吉までたどり着ける気はしません。ですが、2年前の熊本豪雨災害を覚えているでしょうか?あの災害では、人吉から八代へと流れる谷あいの球磨川が大規模な氾濫を起こし、その被害はまだ復旧できていません。つまり、単に走るだけなら、簡単な観光をしながらでも半日で走れる距離だけれど、それなりに観光しながらでは、途中で日が暮れるのは確実なのだけれど、宿泊施設は人吉盆地に抜けるまではほぼ皆無です。さりとて、そ
熊本の宇土で一泊した翌日、目指す八代方面に急ぎたいところですが、宇土にも見ておきたいものがいろいろとありまして。なお、地名を見ると、ターレットが回る酸性雨の町を思い浮かべるかもしれませんが、濁らずに「ウト」です。宇土でまず見ておかなければならないのが、船場橋と船着き場跡の雁木の風景でしょう。雁木は最近の補修の手が入ったものも多いのですが、この辺りはそのままの自然な感じが素敵ですね。なお、石アーチの船場橋に代わって架けられた現在の橋は、これ
玉名市横島町横島に所在する国指定重要文化財の旧玉名干拓施設です。説明板によると、明治20年代から40年代にかけて築造された、末広開潮受堤防、末広開樋門、明丑開潮受堤防、明豊開潮受堤防、大豊開潮受堤防が、国の重要文化財指定を受けています。明治時代に起源をもつ干拓関係の施設が、総延長約5.2kmにわたって良好に残存しているのは全国的にも稀です。各部分で石の積み方が異なる状況から、潮害のたびに改修されながら使用されてきたことが分かります。
八代市郡築三番町に所在する国指定重要文化財の旧郡築新地甲号樋門です。八代市HPによると、明治時代に当時の八代郡が行った干拓事業である「郡築新地」に設けられた樋門で、「甲」、「乙」、「丙」の3ヶ所が明治33(1900)年に建設されました。現在は、乙号、丙号樋門は現存せず、三番町にあるこの甲号樋門のみが当初の姿を残しています。この樋門は、当時、熊本県技師で後年第五高等学校教授になった川口虎雄氏の設計によるもので、基本的な構造は石造ですが、アーチ部には赤レンガが用いられており、特に1
4月11日御用水跡街園堀川(黒川)きつねはし誰もいないの一人でキツネダンスを踊ろうと思いましたが上流に向かいスタートソメイヨシノは葉桜に八重桜が満開ズームハトのペアカメラを向けても逃げないのは、パンの耳を与える人が来るのをおとなしく待っている地面を見ると嘴が黄色のムクドリ?「クチバシが黄色小鳥」で検索ペア?群れでいる事が多く、地面を歩いて食べ物を探したり、木の上で芽を突いていたりします。ヒナが巣立てば、より大きな群れになって、秋には街路樹に巨大な群れで訪れて騒音問題
氷川町網道に所在する町指定有形文化財の沖塘(おきども)樋門群です。干拓地内にある、ひろぎ遊水池に所在します。氷川町HPによると、沖塘樋門群は、嘉永5年(1852年)に砂川尻新地の一部である網道新地の干拓に伴って造られた施設です。樋門は干潮時にたまった水を海へ排出する役割だけではなく、かんがい用水を確保する役割もありました。現在5枚戸の樋門が2ヶ所、3枚戸の樋門が4ヶ所あり、一部コンクリート造りに変わっているものの当時の石積がよく残っています。なお、6ヶ所のうち、北側の4ヶ所が町指定
積雪深さ4時現在:29cmこの工事は予定通り終了昨年の工事が始まる前の姿ゲートが撤去されました新たに設置された制御盤と思われる筐体
八代市鏡町両出に所在する国指定史跡の大鞘(おざや)樋門群(八代海干拓遺跡)です。大鞘川の右岸の所在します。元々、県指定史跡「大鞘樋門群」でしたが、令和4年3月に「八代海干拓遺跡」が国指定史跡となり、大鞘樋門群はその構成文化財となりました。説明板によると、当初樋門は5ヶ所に設けられていましたが、現在は北から殻樋、二番樋、江中樋の3基が残っています。これらの樋門は惣庄屋であった鹿子木量平の指導の下、文政2年(1819年)に潮留めが完成した四百町新地の干拓に伴い造られました。殻
八代市郡築一番町に所在する国登録有形文化財の郡築二番町樋門です。八代干拓の海に近い場所に所在します。八代市HPによると、郡築二番町樋門がある郡築地区は、明治時代に当時の八代郡が行った干拓事業により造成された土地です。昭和11年の高潮により堤防決壊の被害を受けたため、昭和12年から補強工事が行われました。郡築二番町樋門は、同13年に新設されたもので、石造3連アーチ式の樋門です。上部の壁体は石造の布積みとなっており、石造の多連アーチ式樋門としては、八代平野に2ヶ所残るうちの一つであ
こんばんは肥薩おれんじ鉄道のくまモンラッピング列車を見つけましたナベヅル鉄マナヅル鉄くまモンラッピング列車とナベヅルおまけ何と読むでしょうか?そうです『みずほいび』ごめんなさい読めなかったです排水樋門です菜の花が咲いていましたありがとうございます❗
先週から重機が入っていたので❓。施設機能向上の為ですか期待しましょう