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大僧正天海(185)【家光上洛②】「(寛永十一年六月)十日松平式部少輔忠次先達て上洛するにより、御馬をたまふ。この日、秋山修理亮正重、宮城甚右衛門和甫、道途のこと沙汰すべしとて、御先まかる。」(「大猷院殿御實紀」)家光上洛の先達として出立したのは、榊原(松平)忠次である。しかし、忠次は「式部大輔」であり、「式部少輔」ではない。ただ他に該当する人物が見当たらないので、ここは榊原忠次で間違いないであろう。榊原家は、徳川四天王の一人・榊原康政の家系で
百十(天正十四年)六月八日付小平田宛自筆黒印状六月八日関白様於御城に床虚堂墨蹟同左四十石大壺右時香さゝ御釜せめひほ小杓に一つかうらい茶椀まで子御仁同九日朝於山里に床茄子内あか盆に入珠徳サウケノ茶杓大納言様小平田宗易御茶ニてほうろく釜小杓に一ツ細クサリニテ釣コミテ白天目かずノ臺水さしいもかしら薄茶井戸茶碗タコつほノ水こぼし一関白様御手前ニテ御茶立
期間:2026/1/23〜01/27天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額射)三条の方:西方の一美人射)立花誾千代:雷神の継嗣射)榊原康政:十万石の傑物射)松永久秀:忠奸無道の乱射)森蘭丸:魔王の嬖臣射)鈴木佐大夫:雑賀惣国の魁射)水心:魚水の契り射)穂井田元清:第四の矢©コーエーテクモゲームス
徳川に関するお話しを、もう一つ。NHK大河ドラマ『どうする家康』を見ていた時に思ったことなのですが、天下分け目の関ヶ原に、家康の嫡男、秀忠が、遅参したのは、計画だったのでは?ということです。知能派の本多正信だけでなく、榊原康政までつけるという不自然な扱い。それなのに、遅参して、家康に、激怒された。と、言われ続けてきましたが、ずっと、違和感を感じてきました。関ケ原の合戦は、当時の戦の常識では、
薬)生駒吉乃:淑徳の賢母射)柿崎景家:七郡の分別者薬)阿菊御料人:質素の徳操射)甘粕景持:軍神彷彿の武射)霧隠才蔵:隠顕自在薬)おつやの方:順応の智射)立花誾千代:雷神の継嗣薬)阿茶局:雲外暁光射)榊原康政:十万石の傑物薬)徳姫:理非曲直の訴©コーエーテクモゲームス
『月1DD音楽館』を目標に掲げてきたのに、『10thアニバーサリー』を過ぎてから一度も運ばずに12月になってしまいました(;^_^A『♡10thAnniversary『ダークダックス館林音楽館⑩』♡』タイトルでネタバレですが、昨日、『ダークダックス館林音楽館』へ行ってきました(^o^)/~~『月1DD音楽館』を今年の目標に掲げた私でしたが、それは早い段階で…ameblo.jp『♡続・10thAnniversary『ダークダックス館林音楽館⑩』♡』前のブログ、投稿失敗の危険を回
【問題】榊原康政の長男は、次のうちどの家に養子に入ったか?【選択肢】板倉家植村家大須賀家米津家【正解】大須賀家【解説】榊原康政の長男(国千代)は、同じ徳川家臣・大須賀康高に嗣子がなかったことから、その養子となって同家を継いだ。後に家康から松平姓を与えられている。
前回、吉宗の御三卿の陰謀についてお話ししたので、もう一つ、徳川の疑惑について、遂に、お話ししたいと思います。それは、大河ドラマ『どうする家康』でも出てきましたが、関ケ原の合戦に、嫡男、秀忠が遅れて参戦出来なかったことです。私は、このドラマを見た頃から、わざと、参戦しなかったのだと、疑っています。それは、本多正信と榊原康政という当時の2大知恵者が、従って行ったのに、現在の長野の上田城で、真田昌幸親子と戦
大東流合気柔術練心館https://daitoryuaiki.web.fc2.com/HMD飛翔塾元和道場https://hishoujyuku.wordpress.com/村松整骨院http://muramatsu-seikotsuin.com/Sundaylifecoffeehttps://www.instagram.com/sunday_life_coffee/拳槙流空手道拳槙会http://kenshinryu-karatedo.wixsit
このガチャはこちらにて吟味済み。『【信長の野望20XX噺】真・射術の極・参おまとめリンクと所属』このガチャはこちら『【信長の野望20XX噺】真・射術の極・参(1)』さて、今回も見ていこう。例によって数が多いので分割する。先ずは星5射撃手松永久秀さん吟味済…ameblo.jpであるが、驚いたことに、星5榊原康政さんの数値が長らく不明のままで未吟味であった。ということで、今回は康政さんの吟味がメインとなる。では、改めて……星5射撃手榊原康政さん・生命最多敵1体無ダメ0.90無ダメ
期間:2025/09/19〜09/26天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額射)三条の方:西方の一美人射)立花誾千代:雷神の継室射)榊原康政:十万石の傑物射)松永久秀:忠奸無道の乱射)森蘭丸:魔王の嬖臣射)鈴木佐大夫:雑賀惣国の魁射)水心:魚水の契り射)穂井田元清:第四の矢©コーエーテクモゲームス
偉人敗北からの教訓第106回榊原康政「自己主張を貫くことも大事なことですが、もう少し俯瞰した視点で全体を広く見渡せば、新しい道が拓けてくるかもしれません」大事なこと。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
偉人敗北からの教訓第106回榊原康政「能力がある人はプライドも高くなります。激しい感情をコントロールする為にも、無の精神を追求すべし」同感。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
偉人敗北からの教訓第106回榊原康政榊原康政宛上杉謙信書状上杉謙信も達筆↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
偉人敗北からの教訓第106回榊原康政榊神社には榊原康政の鎧が保管されている。兜の鉢お腹のところそれは自分の立場に囚われないと、言うこと。勉強になります。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
今回は『べらぼう』から離れて『どうする家康』へ。杉野遥亮さんが演じた榊原康政です。不思議な魅力のあった榊原流の処世術とは?期待しすぎなければ楽に生きられる~榊原康政の潔さに学べること(陽菜ひよ子)-エキスパート-Yahoo!ニュース戦国時代のような過酷な世を生き抜いた武将の人生には、現代人のキャリアにおいても学べる点があるのではないか。そのような考えからビジネスメディアで連載していた「武将に学ぶキャリア」シリーズ。連載本体はややnews.yahoo.co.jp
昨日は土曜日なのに17時以降カスタマーは2人体制、17時前に形だけ30分休憩を取り、あとは気合いと勢いで、ラストまで店内を駆けずり回りましたε=(ノ・∀・)ツ不幸中の幸い、22時以降新規の来店はなくテイクアウト2件だけだったので、最終的には普段よりも早く、定時の26:30に上がることが出来ました(*^-^*)だったら、今まで通り、24時閉店でいいやんけ(っ`Д´)っ・:∴前のブログの続きです(^o^)/~~どしゃ降りの日に行くような場所ではないけれど、GW中唯一のお休みだし、せっか
期間:2025/05/03〜05/04天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額射)三条の方:西方一の美人射)立花誾千代:雷神の継嗣射)榊原康政:十万石の傑物※一部倍率不明の為、判明次第反映射)松永久秀:忠奸無道の乱射)森蘭丸:魔王の嬖臣射)鈴木佐大夫:雑賀惣国の魁射)水心:魚水の契り射)穂井田元清:第四の矢©コーエーテクモゲームス
4/6。岡崎、家康行列の日、武将隊の演武などを見たことは書きました。演武を見終わったころ、家康行列が市内の行列を終えて、河川敷へぞくぞくと入ってきました。姫様隊ですね!素敵~!ひっめひめ!そのあと、入ってきたのは、榊原康政隊ですね。かっこいい~!女性の方が演じていたんですね。そのあとに最強武将!本多忠勝隊ですね。かっこいい~!そのあとも、ぞくぞくと入ってきました。しばらくして、でかい金色の
※姫路市指定史跡榊原政邦夫妻墓所・・・向かって左が政邦、右が政邦夫人墓所です巨大な石扉、たくさんの石燈篭が立ち並んでいます墓参りの際、墓所の階段に登れるのは藩主と一門、重臣のみで、家臣は階段の下で土下座していたそうです榊原政邦公の墓江戸大名墓シリーズ「江戸時代」は、徳川家康が朝廷から「征夷大将軍」に任命され、江戸に幕府を開いた慶長8年(1603)から明治天皇の「一世一元の詔」が発布された慶応4年/明治元年(1868)ま
南光坊天海(103)「基次人となり躯幹壮大にして、相貌堂々、膂力衆を超え、打物執っては萬夫の勇あるが上に気宇闊達にして、自ら将帥の器量を具へて居たので、大志の孝高は愛すること甚しく、心を盡して教養されただけ、基次も亦孝高を父の如く敬ひ慕ひ、若年の頃から各処の戦闘に従ひ、毎戦殊勲を建てて来た。此間に在っても、彼の気象を見る可き一事がある。」(「大坂城の七将星」)後藤基次(又兵衛)は播磨の人で両親が早くに死んだため、憐れんだ黒田孝高(如水)によって育てられた。戦国乱
皆様、如何お過ごしでしょうか、当ブログへお越し頂き、また、暖かいメッセージも頂戴し、心より感謝申し上げます。かける時に書く!と言うポリシーの中、完全不定期で更新しておりますが、昨日は午後から都内へ向かう為、今の内に書いてしまおう!と…思いつつ書きたい事柄が多すぎ問題、結局、翌日に持ち越ししてしまいました。😅💦💦💦そんな訳で…どんな訳だい!今回のネタも少し刻みながらお送りさせて頂きたいと思います。さて、前回の続き、久能山東照宮を後にし、一路、静岡市内を通り抜け、国道
群馬県館林市にある「終南山見松院善導寺」に参拝してきました。浄土宗関東十八檀林の一寺になります。群馬県館林市のアピタ館林店の隣にお寺はありました。駐車場は、道路沿いにありました。10台位は停められそうです。他にも駐車場はあるかもしれません。お寺の由緒は、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。「群馬県館林市本町にある浄土宗の寺院。終南山見松院と号し、浄土宗関東十八檀林の一つ。寺伝によると、行基ゆかりの草庵を頓阿見性が再興、のち、建治二年(1276)寂恵良暁が開
※国指定重要文化財随願寺榊原忠次公廟所門・・・榊原忠次は、徳川四天王榊原康政の孫になります榊原忠次の廟所は寛文5年(1665)、次男で姫路藩2代藩主榊原政房によって造営されました廟所唐門は享保16年(1731)、忠次の曾孫にあたる姫路藩(再封)初代藩主榊原政邦によって建立されました廟所建築として貴重なことから、国重要文化財に指定されています榊原忠次公の墓江戸大名墓シリーズ「江戸時代」は、徳川家康が朝廷から「征夷大将軍」に任命
これまでの話(55)家康は、関ケ原の戦いに遅参した秀忠に激怒し、会おうとはしなかった。若い秀忠は追い詰められ、絶望していたのである。すると榊原康政は独り家康の陣を訪れた。激怒している家康に諫言すれば、自らの首も飛ぶかもしれなかった。それでも若い秀忠との対面を訴えたのである。康政の必死の説得に、ついに家康が折れ、秀忠は伏見城で無事対面を果たすことができた。秀忠にとって、人生最大の危機を救ったのが康政であった。感激した秀忠は「子々孫々、徳川家が続く限り、この度の忠義忘れ
仕事で人生初岡崎新幹線で名古屋まで行き、名鉄に乗り換えていざ、岡崎やっぱりあるねぇ、家康像足元は四天王かなふいに電話がかかってきて、応対してる間に時間が経ったので長居できず、未確認ながら手前の槍持ってる風なのは本多平八郎忠勝かなそういや、確か名鉄も人生初目的地の最寄り駅が名鉄の「東岡崎」だったので、新幹線改札からてくてく歩いて名鉄名古屋駅へ快速特急とかいう、快速やら特急やらどっちやねん的な車両を待った鉄道会社ごとに急行列車の呼び名はいろいろさて、名鉄「東岡崎」駅前で徳川家康の像
これまでの話㊽慶長9年(1604年)閏8月に江戸に戻った家康は、年末年始を江戸城で過ごした。天海は唐突に家康に呼びだされた。天海が登城すると、奥の狭い書院に通されたのである。二人の小姓が侍るばかりで、正信も正純もいなかった。家康は難しい顔をしていたが、機嫌は悪くないようである。「なぁ、天海。オレは将軍をやめようと思うのだが、どう思う。」と尋ねた。慶長8年(1603年)に秀忠は右近衛大将になっている。この右近衛大将とは源頼朝が征夷大将軍になる前の官職である。ま
これまでの話㊳根負けしたのか、家康は、島津家に薩摩国・大隅国・日向国諸県郡の所領安堵と忠恒が後継者となること、さらに、義弘についても赦免するという驚くべき満額回答を出してきた。ところが、これでも義久は上洛を渋ったので、忠恒はついに自ら上洛することを決意したのである。8月1日、ついに忠恒は薩摩を発った。途中立ち寄った、富隈城で養父・義久から猛烈な反対にあうが、忠恒はもう負けない。「これはお家存続のためだ。正しいか、正しくないかは、天命に従うまでだ。」と言い放ったのであ
期間:2025/01/17〜01/21天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額射)三条の方:西方の一美人射)立花誾千代:雷神の継嗣射)榊原康政:十万石の傑物※一部倍率不明の為、判明次第反映射)松永久秀:忠奸無道の乱射)森蘭丸:魔王の嬖臣射)鈴木佐大夫:雑賀惣国の魁射)水心:魚水の契り射)穂井田元清:第四の矢©コーエーテクモゲームス