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い尓(に)しへのならの都の八重桜けふ九重尓(に)匂ひぬる可(か)那(な)思(おも)ふ尓(に)添(そは)でおもハぬ尓(に)おもハるゝ身の九重(ここのへ)可(が)勤(つと)めの憂(うき)ハの可(が)れても又(また)眠(ねむ)ら連(れ)ぬ現責(うつつぜめ)となり花車(くわしや)可(が)小刀針(こがたなばり)尓(に)替(かは)る矢田平(やだへい)可(が)破竹(わりだけ)あり実(げ)尓(に)や苦界(くがい)を去(さり)て苦界(くがい)尓(に)入(いる)とやいハん柳下亭種員筆記九重太夫矢田平
京都にある南禅寺をレポートするシリーズの2回目です。今回は、三門を中心にレポートします。三門は、法堂の前方に堂々と聳えています。開創当時のものは永仁3年(1295)西園寺実兼の寄進によって創立され、ついで応安年間に新三門へと改築されましたが文安四年の火災で焼失しました。現在の三門は寛永5年(1628)藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものです。禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が、三門の持つ力強さを示しています。三門の構造は五間三戸二階二重門、入
二日目はまず南禅寺へ。山門に登ると吉右衛門の台詞がよみがえって来るような気がします。山門楼上の宝冠釈迦坐像は、この景色をずってご覧になっているのかな。たぶん高い所、好きそう。(笑)山門の階段、思っていた以上に急でした。高所恐怖症なので「絶景かな~」と欄干から身をのり出す余裕はなかったかな。(笑)法堂では、ご法要が執り行われておりお経をしばらく聞いていました。僧侶の方々、頭には細長いお帽子、足には赤い靴(色合いが🎅のような靴)床は石だから寒いのだろうな。次の目的地へ向かう小道脇の水路のせせ
まにまにでお世話になっている小林鈴純さんが出演されるコンサートを聴きに、京都へ行ってきました天Qのライブや、京都市芸大の演奏でちょこちょこ京都には行っていましたが、演奏関係なく、というのは久しぶり会場が京都市国際交流会館というところで、南禅寺のすぐ前でしたちらっと有名な山門を見つつ…歌舞伎の「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」という演目で、この山門の屋上に立った石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな〜」という有名な科白をいう場面がありますコンサートは、初めて聴く曲もあり、とっても勉強になり
「犬山焼店を営むペーパークイリング講師のブログ」へお越し頂きありがとうございます。南禅寺編大谷祖廟へ行って参りました。前回の記事でご紹介しましたランチで湯豆腐を頂き、お会計の時に「南禅寺へ行きたいので車を少しの間だけ駐車していていいですか?」と伺いましたらしぶしぶ?「14時半までならば大丈夫です。」との事で助かりました。ありがとうございましたm(__)m南禅寺へ出発南禅寺へ向かい途中にこちらのお店がありました。ブルーボトルコーヒー有
2月21日にプロレスラーの武藤敬司選手(60歳)が東京ドームで内藤哲也選手と戦い、39年間の現役生活に別れを告げました武藤選手は、蝶野正洋選手、橋本真也選手とともに闘魂三銃士としてプロレス界を引っ張り、僕を含めて大勢のプロレスファンを楽しませてくれました両膝には人工関節を入れ、1月には両足のハムストリングの肉離れを起こすなど、体は既にボロボロながら、最後まで恰好いい姿を見せてくれました「レスラーというのは、ヒーローでないと、スーパーマンでなきゃいけない」との武藤選手の思い
『京都の旅ー2』松本清張・樋口清之●南禅寺✪石川五右衛門と言えば、誰でも知っている大どろぼう。どろぼうの代名詞である。この男が、南禅寺楼門(山門、三門)の上から京の街を眺めて、「絶景かな、絶景かな。」と、毎日澄まして暮らしていたというのが、歌舞伎狂言「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の話である。しかし、五右衛門の時代には残念ながら、この門はできていなかった。寛永5年(1628年)三重県”津”の藩主、藤堂高虎によって作られたものだから。五右衛門のほうは、その34年前の文禄3年(15
今回は雀右衛門襲名に賑わう歌舞伎座に続いて帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。大正7年1月帝国劇場演目:一、楼門五三桐二、お江戸日本ばし三、土蜘四、扇屋五、乗合船恵方万歳前回紹介した11月の九代目市川團十郎十五年祭追善公演を成功させた帝国劇場は12月を松竹との相互出演協定に基づいて左團次、仁左衛門、源之助による引越公演を開き無事大入りを記録しました。そして年を開けて再び専属役者による本公演となりました。雀右衛門襲名という初春に相応しいネタがあった歌舞伎座や正月
名古屋のシンゾウですワクチン接種、ドキドキで打ってきました。翌日の早朝5時ですが、腕が少し痛い程度で、これといった症状は出ていません。逆に言えば、効きが悪いとも言えます。結果論ですが、ファイザー(1回目)、ファイザー(2回目)、モデルナ(3回目)、恐れることは無いと思います。今年の上半期、漢字検定1級の勉強を始めることに決めました。1級参考書を2冊購入しました。これで、嫌でも暫くは勉強をしなければなりません(←自身を叱咤激励)。受験予定は2024年、合格は2025年を目指します。当然
皆さん、大変ご無沙汰しておりました、竜雲です12月は繁忙期だとは転職する前から聞いていたんですが…本当に半端なく忙しくてですね、凄まじくてびっくり(笑)自分の時間がない日も多くて何にもクリスマスもしないで働いていて終わってしまいましたそんな中でしたが、どうしても描きたい絵があって時間を少しずつ見つけては描いていましたたった今、完成したので見てください中村吉右衛門さんの石川五右衛門@「楼門五三桐」ですこのモチーフは実はずっと前から描きたくて、途中になっていたんです。それを、この度一
こんばんは。中村吉右衛門さんの訃報を聞いてから、今日で2週間経ちました。ゆっくり静養され、お元氣になられると信じていたので、ショックでした実は3月、吉右衛門さんが救急搬送された日のお舞台を拝見していました。以来ずっと回復をお祈りしてましたが…祈りが届かず、本当に残念です『中村吉右衛門さんのご回復をお祈りしております〜三月大歌舞伎〜』こんにちは。息子の受験が無事終わるまでは、ずっと我慢していた歌舞伎鑑賞。おかげ様で合格し💮やっと観に行けることに大河ドラマでの演技に感動した息子が「玉三郎さ…
『京都の旅ー2』-松本清張・樋口清之●南禅寺✪石川五右衛門と言えば、誰でも知っている大どろぼう。どろぼうの代名詞である。この男が、南禅寺楼門(山門、三門)の上から京の街を眺めて、「絶景かな、絶景かな。」と、毎日澄まして暮らしていたというのが、歌舞伎狂言「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の話である。しかし、五右衛門の時代には残念ながら、この門はできていなかった。寛永5年(1628年)三重県''津''の藩主、藤堂高虎によって作られたものだから。五右衛門のほうは、その34年前の文禄
「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ・・」歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で石川五右衛門が発する名台詞。春の桜を愛でながら大盗賊が見得を切る、その舞台が、ここ南禅寺の「三門」の楼上。別名「天下龍門」とも呼ばれる南禅寺の三門は、五鳳楼と呼ばれる楼が美しく、日本三大門の1つに数えられている。この話で南禅寺が思い浮かぶのは年配の証拠?😅今は人気のフォトジェニック「紅葉」や「水路閣」が南禅寺の顔かな?…日本最初の勅願禅寺である南禅寺は、日本の禅寺の中では最も格
今回はライバルの劇場たちが乾坤一擲の勝負を仕掛ける中、遂に切り札を切った歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。大正6年4月歌舞伎座演目:一、楼門五三桐二、経島娘生贄三、土屋主税四、高時五、心中天網島六、桜時廓粟餅市村座の筋書で触れましたが、この月は帝国劇場が助六と桐一葉、市村座も助六の上演に加えて男女蔵襲名、次回投稿する演芸画報で詳しく触れますが浅草では松竹の役者を引き抜いて新たな劇場である公園劇場の杮落とし公演が行われる等、地方からの花見客目当てで各劇場が出し惜
正観さんによると…。●水が腐り始める炊き立てのお米は90%が水、果物や野菜は98%が水ですから、食べ物に対して、「体に悪い」「まずい」と否定的な感想を言いながら食べていると、ほんとうにそのように方向づけられてしまいます。水が腐り始める。(イラストはネット画像です)📚私の読書📚469冊目「私が見た未来完全版」たつき諒飛鳥新社その1予知夢1976年の11月に大好きだったクイーンのフレディが死んだ夢を見た。そして本当の死。調べた
南座新装開場二十年記念當る辰歳吉例顔見世興行東西合同大歌舞伎夜の部第一.楼門五三桐(さんもんごさんのきり)平成二十三年十二月三日、夜の部を鑑賞した。拙ブログでは何度も記している事柄であるが、南座新装開場二十年と聞くと、「光陰矢のごとし」を痛感する。平成元年十二月顔見世興行で、旧南座における歌舞伎興行はひとまず終わり、翌年に改築工事が行われた。「旧南座最後の大歌舞伎」ということもあり、十三代目片岡仁左衛門・片岡孝夫(後に十五代目片岡仁左衛門)
いつも当ブログにお運びいただきありがとうございます。中仙道酒楽でございます。6月8日(火)の21:00~21:30の流星ステーションは、またまた私酒楽の新企画、「BGMin落語!!」をお届けいたします!!コロナ明けを狙って新ネタの稽古をしておったのですが、菅爺さんと緑のタヌキおばさんがオリンピック利権に目の眩んだ輩達にそそのかされて、緊急事態宣言を再々延長しやがったので、急遽ラジオ落語に変更いたしました。演目は「お血脈」です。本来、「善光寺の由来」の後半部分として演じら
今回は市村座の筋書を紹介したいと思います。大正5年1月市村座絵本筋書演目:一、壽大羽子板二、楼門五三桐三、棒しばり四、江戸誉出世双六五、明烏花濡衣大正3年から怒濤の快進撃を続ける市村座は前年も歌舞伎座、帝国劇場の双方に引越公演を行うなど人気、実力共にピークを迎えていました。そんな彼らの初春公演と言うと2年前も、1年前も大胆な通し上演で話題を浚いましたが今回も通し上演と新作の2本立てで攻めの姿勢であるのが分かります。主な配役一覧配役を見てみるといつもの専
今日で連休も終わり連休中は配信やDVDや読書をじっくりと😌今日はこれ⬇大笑い😂でしたおもだか屋の皆さんって本当に仲がいいなぁ😊そして今更ながらの3月28日(日)第三部「楼門五三桐」通常よりちょっと縮小⁉歌昇さんと種之助さんの出番があっという間もっと観たかった幸四郎さんの真柴久吉すっきりとしていい😊吉右衛門さんの石川五右衛門前半に観た時にらしくない感じで大丈夫かな⁉と心配になってしまったのですがこの日はその時以上に台詞がはっきりと聞き取れず欄干に足をかけてのあ
2001年・平成13年22才2月全国巡業二十一世紀歌舞伎組公演義太夫「団子売」お臼3月11日朝日生命ホール第八回翔の会昼清元「鞍馬獅子」卿の君4・5月新橋演舞場スーパー歌舞伎「新・三国志Ⅱ孔明篇」蜀軍兵・劉禅6月名古屋中日劇場スーパー歌舞伎「新・三国志Ⅱ孔明篇」蜀軍兵・劉禅7月歌舞伎座市川猿之助大歌舞伎昼「続篇華果西遊記」
「絶景かな、絶景かな~!!!」歌舞伎「楼門五三桐」。二段目返し、「南禅寺三門の場」にて、大泥棒である石川五右衛門(生年不詳-1594)が楼門上にあらわれ、満開の桜の景色を見下ろします。舞台での三門は、錦絵のように色鮮やかな装飾です。三門西側正面の楼上南側より。宝冠釈迦如来座像、十六羅漢像などを安置。楼上より見下ろした西側参道。三門西側正面の楼上北側より。三門北側側面の楼
今年の桜も、いよいよ見納め。蹴上から南禅寺を経て、黒谷さんまで歩いてみます。まずは、疎水公園へ。満開の桜です。こころをほぐして、青空を見ていましょう。西側を、見下ろした様子です。ここから、インクラインを歩いていきます。はるか北の方に、鞍馬の山々。西側には、蹴上浄水場。去年は中止だった、ツツジ園の公開を、5月には見たいものです。反対側には、東山。爽やかな空気が、吹き抜けます。インクラインの突き当りです。東側には、琵琶湖疎水記念館が。
吉右衛門丈が、体調不良のため、三月大歌舞伎の千秋楽を休演したという。救急搬送されたらしいが、1月につづいての休演。昨年の俊寛も、動きが極端に少なかったし(これは、私はとてもよかったと思う)、相当心配である。5月には復帰できるのだろうか代役は、久吉→五右衛門幸四郎久吉鴈治郎ということだ。
歌舞伎座の三月大歌舞伎は、第二部に続いて第三部も拝見しました。満開の桜の中での、様式美と色彩美。短いながら豪華な、「楼門五三桐」です。それだけに、五右衛門の貫目が求められますが、そこは何度と演じてきた吉右衛門。実際に南禅寺の楼門に上がったとかで、建物は有形でも、無形の歌舞伎を後世に残していきたいとのこと。うん、いいお言葉。まずは浅葱幕前で、大薩摩節。豪壮な三味線と、朗々たる唄いが聴きどころ。あれれ、声が小さくてかすれ気味。三味線も、何回かミスタッチ。まあ、こんな日
楼門五三桐、幕開きとともに始まる演奏。速弾きのところで機械的に拍手が起こるアレ。これは大薩摩という節で解説文はこちら。またYoutubeでも解説と演奏。こちらの動画、冗談を交えても簡潔で分かり易い。(と昨日の国立劇場の嫌味を言うのはよそう。)長唄大薩摩唄方と三味線方荒々しい撥さばきと絶妙な間「長唄の会」で上演された「大薩摩」迫力ある演奏をお楽しみ下さい長唄はどれもステキです。長唄を楽しんで、もっともっと好きになってもらいたいのです。松永鉄九郎http://www.t
楼門五三桐やはり播磨屋の衰えは激しい。気力を振り絞って発声しているため、壮絶さが増して五右衛門のおおらかさが消えている。役者の生き様として見る分には見応えがある。雪明暗と白、簡潔美。素晴らしい。鐘ヶ岬玉サマの動きに伴い、地面に積もった桜に円が描かれる。これも美しい。二・三階席のみのご褒美だ。玉サマ(清姫)に吸い込まれ、溶け込んでいくような心地。珍しく全階満席。Bプロは公演日数も少ないし、土曜ということもあってかな?なんちゃら宣言が開けるから?客席も華
玉三郎で見てみたいと思っていた演目がつぎつぎと上演されています。先月の「土手のお六」、今月は「隅田川」、来月はなんと「桜姫」だそうです。楽しみです。「隅田川」は歌右衛門と鴈治郎(2代目)、志寿太夫あるいは、歌右衛門、勘三郎(17代目)、志寿太夫の舞台が有名で、歌右衛門以外ではなかなか上演されずにきました。私は、かろうじて1990年の歌右衛門と羽左衛門を見ています。清元は志寿太夫でした。その後は、坂田藤十郎で見ています。藤十郎のときの清元は志佐雄太夫だったと思います。玉三郎は、2005年に
本日もご訪問いただきありがとうございます。今日は私たちの元学生と一緒に、気分転換に大人の修学旅行へ!着いたところは大本山南禅寺。以下、南禅寺の説明です。そうだ京都行こう観光ガイドhttps://souda-kyoto.jp/blog/00755.htmlより「南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山。“日本最初の勅願禅寺”として鎌倉時代に創建されました。室町時代には京都・鎌倉の禅刹「五山」の最上位、別格として「五山之上」に位置づけられ、今も正式名称を「五山之上瑞龍山(ずいりゅうざん)太平興国南禅
前回に続き今回も帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。明治44年6月帝国劇場演目:一、楼門五三桐二、振武軍三、鬼一法眼三略巻四、三上山タイトルにある様に超クレーマー明治歌舞伎を代表する名優の1人、七代目市川團蔵の最後の舞台の筋書です。彼については明治39年の角座と明治41年の歌舞伎座の時に大まかに説明しましたが、今回は彼の最晩年のトラブル動向をまず説明したいと思います。明治41年4月公演が大成功に終
🏯重要文化財でなんとなくお散歩🚶あの上に登ろうかと🏯南禅寺の三門は天下竜門と別名があり上層の楼(遠方を眺める建物)を五鳳楼と言い日本三大門の一つです🏯この階段って天守閣と同じですね🏯スカートで来たのは間違いと気づきました💦こちらのお写真は横に回転してご覧下さい📸この絶景はいつも見慣れた景色のような。*†*。Meru。*†*