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歌手・市川由紀乃さん零時少し前。シェラトンホテル・ウオーカーヒルの最上階のスイートルームに、一人戻った望月零一(れいいち)。改めて室内を見渡すと。そこには広々とした洒落た空間と。今の自分にとって、全く必要ないキングサイズのダブルベッド。シャワーを浴びて出掛けたのに。衣服や髪の毛は、タバコやキムチや焼き肉の煙の匂いが。冷蔵庫からOBビールを取り出し、クローゼットを開くと。そこに、日本から運んだジュラルミンのスーツケースがあった。
日本は太平洋戦争(大東亜戦争と呼ぶべきと言う人もいます)に敗戦するとアメリカ軍(GHQ)に占領されました。占領軍として進駐してきたアメリカ軍には民主党左派(アメリカ共産党)に近い人達が多く含まれていました。そのため、GHQは刑務所にいた共産党員を釈放しましたが、その活動を非合法とはしませんでした。そのため、戦後日本の共産主義運動の高まりに危機感を持ち、GHQは赤狩り(レッドパージ)を行いましたが、あまり上手く行きませんでした。楯の会1960年代に入るとアメリカがベトナム戦争の長期化で疲弊する
今日1月14日は三島由紀夫の誕生日、1925年(大正14年)午後9時頃に平岡公威が、父・平岡梓、母・倭文重の長男として2,438グラムで生誕した。出生地:東京都四谷区永住町2番地【現在の新宿区四谷4-22】本籍地:兵庫県印南都志方村上富木119番地公威(きみたけ)の名前は祖父の定太郎が、同郷の恩人、当時の男爵で土木工学の権威であった工学博士・古市公威から名前を頂いた由。そして、3月上旬、祖母の夏子(なつ)が、2階の両親の部屋で育てるのは危険だと主張し、強引
中国の独裁者キンペイやプーチン、金正恩らのやりたい放題が続く中で、令和7年も終わる、其処で56年前(1969年)、三島由紀夫最期の年末はどうだったのか。以前にも当ブログで触れた事があるが、三島の言動からは勿論表面的には1年後の自決を感じさせるものは殆ど無かった。【剣道五段練士の三島由紀夫は、自刃一年前の1969年に居合道二段に合格した】1969年(昭和44年):12月8日作家野坂昭如(1930-2015)と、雑誌「宝石」の主催で”剣か花か”
今年は三島由紀夫の自刃から55年、そして生誕100年ということで様々な記念のイベントが開催されている。そこで以前触れた事があるが、若者向け週刊誌「平凡パンチ」が1968年に、実施したジャンル無関係の『世界ナンバーワン男性』のアンケートを実施した其の結果が、👉1位ド・ゴール大統領(仏大統領)、2位三島由紀夫、3位ホー・チミン大統領(ベトナム初代主席)、4位松下幸之助(松下電器創業者)、5位バーナード博士(世界初心臓移植手術)、6位ジョン・レノン(ビートルズ)、7位石
ひとつ前の当ブログの最後のところで、「コンプレックス」をキーワードに三島由紀夫さんと仲代達矢さんについて書きました。このお二人は映画で共演されています。勝新太郎さん主演の『人斬り』(1969五社英雄監督)です。勝新太郎さんが扮したのは、幕末に「人斬り以蔵」の異名をとった、土佐の岡田以蔵です。(大河ドラマ『勝海舟』では萩原健一さんが演じましたね)その人斬り以蔵を操るのが仲代達矢さん演じる武市半平太で、無学で単純、人のいい以蔵を演じる勝新太郎さん、以蔵を利用する冷酷な切れ者役の仲代達矢さん、い
今日午後2時から永田町の青陵会館で、恒例の憂国忌が開催され、三島没後55年、生誕100年であり当方も行ってきた。先ず、乃木神社神職による鎮魂祭の後、前鎌倉文学館館長の富岡さんの開会の辞、そして三島由紀夫と交流のあった女優、村松英子さん、そのお嬢さんの村松えりさん等の座談形式で三島の戯曲「鹿鳴館」や「薔薇と海賊」の演出など含めた思い出話があった。【今日の憂国忌パンフレット、そして会場に設置された祭壇】そして異色だったのは、石平参院議員(維新)のスピー
三島由紀夫と森田必勝の死から55年が経過した。まだ18歳であった僕は、古希を過ぎて老いぼれてしまった。あまりにも情けない現実である。日本国憲法は未だに改正されずに、「交戦権」を奪われたままの日本は、未曽有の危機に直面しているのである。三島が市ヶ谷駐屯地の総監室のバルコニーで叫んだ光景は、今も目に焼き付いている。そして、三島が訴えたかったことは、日本人が覚醒することだったと思う。三島は昭和43年8月22日付の毎日新聞に「『わが自主防衛』体験からの出発」を寄稿し、「(日本人)魂を振起するに
三島由紀夫の衝撃の自決から今日で55年となった、彼の自刃に就いては無数の論評がある、1958年3月号の雑誌「婦人公論」に三島は『心中論』という一文を寄せている。其処には自決の一つの理由になっていると思われる箇所がある。【山中湖村にある三島由紀夫文学館】三島由紀夫は、敢えて放言として曰く『若い同士の心中はいいもので、太宰治などの中年者の心中の不潔さはない。自殺でも心中でも若いうちに限るので、それが美男美女なら一層結構なのである。同じ腹切りでも
新浜松駅前で毎月第3日曜日12時から開催されている、社会の不条理を糾す会静岡演説会に参加してきました。弁士が代わり代わりに、◎車を運転する際、所謂交通弱者(歩行者・自転車)に配慮するのは当然のことだが、歩行者や自転車乗りが「優先意識」を持っていると、「安全を人任せ」になってしまうという危険がある。自分は悪く(落ち度が)なくても信号無視、ながら運転などの被害に遭うかもしれない。路上はもちろん日常生活でも、用心と気配りで自身の安全を確保しよう。◎高市総理は北朝鮮による拉致事件の解決を目指すこと
先日の、ミーティング安寧実現プログラム【第4期】グループミーティングもめちゃ楽しかった~絶好調で4期も進行中です!しおちゃんのゆるむ~調う【33日間実践ジャーナリングプログラム】kakushio.hp.peraichi.comさて、たまに三島由紀夫さんに似てるねと言われる…シオヤタカハルでございます。今から55年前の1970年11月25日に三島由紀夫さんは、連載中の4部作『豊饒(ほうじょう)の海』最終回の原稿
昨11月16日、憂國忌の25日には少々早いですが、三島由紀夫先生の御霊をお慰めし、烈士の志を偲ぶことを目的として、先生の本籍地である加古川市志方町・玉の緒地蔵尊の境内に建つ慰霊碑前に於いて、「ご生誕100年記念慰霊祭」を挙行致しました。私どもがこの地にて、忘れ去られようとしてゐた慰霊碑周辺清掃を始めて、すでに30年を過ぎました。このまま行つたら日本はなくなつて、その代はりに、無機質な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るので
たまたま吉田武利先生のご著書『今日が一番好い日』(日本教文社、平成八年)を読んでいました。【著書プロフィール】吉田武利大正12年、新潟県長岡市に生まれる。京都帝国大学卒業。東京、愛知、神奈川、兵庫教化部長を始め、生長の家本部教務局長、本部理事長、社会事業団理事長、本部練成道場総務を歴任。谷口雅春著『詳説神想観』『人間苦の解放宣言』の編纂に当たる。著書に『今ここ道場』『今日がいちばん好い日』がある。平成9年9月18日、74歳にて逝去。吉田武利|日本教文社みんなに幸せをもたらす出
-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com↑クリックすると視聴いただけます生誕100周年(令和7年)✨三島由紀夫✨に寄せて~永遠の回想~Passacagliaパッサカリア/ヘンデル生命より魂を尊重した三島由紀夫は生きている【100歳のお誕生日おめでとうございます】の巻『三島由紀夫生誕100周年記念講演会』に
三島由紀夫が愛したお酒コニャックの「ヘネシーV.Sスリースター」割腹自殺を遂げる三島事件のその前夜にも飲んだことで知られるお酒です。Hennessy(ヘネシー)V.S箱入り[ブランデー700ml]AmazonヘネシーVS(ヘネシーVS)40度正規700ml包装不可楽天【SS期間中全品P2倍】【並行品】ヘネシーVS40度700ml化粧箱無し_[リカーズベスト]_[全品ヤマト宅急便配送]楽天「ヘネシーV.Sスリースター」は、作家・三島由紀夫が愛した
2025年1月14日は、三島由紀夫生誕100年の日日本近代文学館に行ってきました剣道着に袴、ビーサンで胸を開け胸毛を見せている「三島由紀夫生誕100年祭」のポスターこの写真を選んだことに、この企画展の狙いが見えます「ミシマニア(三島愛)」「ビブリオマニア(書物愛)」「ヤポノマニア(日本愛)」と三つのコーナーで構成されています(会場は撮影禁止のため、参考写真は関連するネット画像を借用しました会場の展示とは異なります)まずは、曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本「椿説弓張月」を歌舞伎化した三
後ほどきちんと形にしますが、三島由紀夫は森田必勝や、その他2人の楯の会会員を巻き込まずに1人で決起を立案し、1人で切り込み行動を完結させるべきであったと思う。三島文学は「個」が主体となり、『剣』の国分次郎の様に1人で考え、カタストロフまで終結させる潔さがあった。三島由紀夫の年齢を超えて49歳になろうとしているが、45歳になり私が実感したのは、この年齢になると若い、血気盛んな人物の行動を諌める立場になるという社会的立場である。社会的立場という言葉は凡人が使う言葉だが、三島由紀夫個人で死まで完結すれ
本日も引き続き、生成型人工知能のchatGPTとの会話結果を、掲示していきます。本日は、三島由紀夫に関して2題です。ちなみに本年は昭和100年であると同時に、三島由紀夫(本名:平岡公威)生誕100年目です。各地で記念行事が予定されているようです。本日第1の話題は、三島由紀夫の文学についてです。三島由紀夫の文学はあえて一言でいうと、「滅びの美学」だ。だが欧米人を始め外国人はこの感情をおよそ理解できない。彼らにとって滅びとは即ち敗北であり、およそ美とつながらないからだ。そこでここは数
三島由紀夫・最後の演説(昭和45年11月25日)私が、忘れられない昭和の三大事件は、浅間山荘事件、JAL123便墜落事故、三島由紀夫割腹自殺事件です。子どもだったので、三島事件の意味が理解できませんでした。11月25日は三島由紀夫の命日にあたります。過去記事から転載しながら、三島氏のご冥福を祈りたいと思います~蘇る三島由紀夫の「憂国の魂」(2)(2016/11/25)昭和45年(1970)11月25日午後0時過ぎ、三島由紀夫は、市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地・東部方面総監部2階
11月25日、今日は【楯の会事件(1970)】があった日です。著名な作家三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件です。う~~ん、今日ね、例の手術なんだけど・・三島由紀夫が割腹自殺した日に、開胸手術する事になるとはw文学史上に残る名作もこちら『読書感想駄文【金閣寺】三島由紀夫』「きみたち日本人は腹が立たないのか」とチェ・ゲバラが広島で憤ったという記事を書きました。『チェ・ゲバラは、広島の原爆資料館で憤った』「きみたち日本人
1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。バルコニーで自衛隊員にクーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた。人斬りBlu-rayAmazon(アマゾン)
今日の時事通信ニュースで、岐阜県の指定暴力団幹部が自分で小指を詰めたにも拘らず過失による負傷として、都内の病院で国民健康保険を使って窓口負担分を除く約4万円の支払いを免れた詐欺容疑で、逮捕された。県警によるとこの種の事案での逮捕は全国初の由。こういう事をヤクザ言葉では「ちんけ」と云う由。因みにヤクザの語源は、広辞苑によると、「三枚カルタ」の博奕で、八、九、三の目が最悪の手で、役に立たない事から、八九三(ヤクザ)と云う様になった。一方、ホンモノのヤクザは”任侠道”に生きると
今日のことば三島由紀夫さんの言葉昔の人は本の中を自分の足で歩いたのです。(小説家・政治活動家・劇作家)
1位ド・ゴール大統領(仏大統領)/2位三島由紀夫/3位ホー・チミン大統領(ベトナム初代主席)【1位ド・ゴール大統領、2位三島由紀夫と7位石原慎太郎、そして3位ホー・チミン】これは、1968年、当時の若者向け週刊誌「平凡パンチ」が実施したジャンル無関係の『世界ナンバーワン男性』のアンケート結果が発表されたが3位以下が此れだ、【1964年4月28日、マガジンハウスの前身の平凡出版から創刊された】4位松下幸之助(松下電器創業者
今回紹介する記事は2024年6月6日付けの「毎日新聞」の記事です。【伊藤さんと鈴木さん】というタイトルで、オピニオン編集部吉井理記氏が、立場を超え、顔を突き合せて議論する場こそ大切にしたいことについて、紹介しています。いつもどおり、「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。(4つの視点についてはこちらをご覧ください)☆新聞記事の紹介について(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)★始めに読んでほしいブログについて(1)内容の要約仕事が
『三島由紀夫語録』ー秋津建●「反革命宣言」について✪れわれわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最期の保持者であり、最終の代表者であり、且つその精華であることを以て自ら任ずる。✪「『反革命宣言』は青年たちの要望に応えて、「楯の会」の母胎をなした雑誌『論争ジャーナル』に発表したものである。」(『文化防衛論』あとがき)とあるように、三島氏のもとに集まった青年達及び三島氏という複数の人間で成り立っている集団(すなわち楯の会)の主宰者として、書かれた文章であるから、主語がわれわれ
三島由紀夫(1925~1970)はエッセイ「女ぎらひの弁」(「新潮」昭和29年/1954年8月)で女性一般の傾向として、「構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次の現実主義」と簡潔に「女ぎらひ」の理由をまとめていますが、その当否はともかくとして当時29歳・独身・作家歴12年の三島の才気はこうした端的な言語化能力の冴えにあるでしょう。昭和29年8月には、三島はすでに第一長篇小説『盗賊』(昭和23年/1948年11月刊)、第二長篇小説『仮面の告白』(昭和24年/1949年7月刊
三島由紀夫に就いての評論は、生前から国内外で多くの文学者や文芸評論家等が様々に書いている。当方も様々な評論集を読んできた中で秀逸なのは西尾幹二氏(88)の著作ではないかと思っている。西尾氏はドイツ文学者であり評論家で、特にニーチェの研究では第一人者だ。彼は雑誌や対談などでも三島由紀夫に就いて多く語っているが、集大成としての評論に「三島由紀夫の死と私」(2008.12.9発刊)がある。三島の親友でもあった仏文学者の澁澤龍彦氏(1928-1987)は、
三島由紀夫が自刃する3年前の1967年に出稿した“葉隠入門”に、『戦争中に読みだして以来、座右の書とした山本常朝の”葉隠”こそ私の文学の母胎である』と書いている、そして更に、『初めて”葉隠”が私の中ではっきり固まり、以後は”葉隠”を生き、”葉隠”を実践する事に情熱を注ぎだした』と葉隠精神を賞賛している。【右は1967年9月、光文社から刊行の「葉隠入門」と全集版】”葉隠”は1700年代初頭、佐賀県鍋島藩藩士、山本常朝が語るところを、若い藩士の田代陣