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楫取素彦の五言絶句の書幅を入手した。群馬県令の楫取が群馬県中学校(現、前橋高校)を視察した時、自分の気持ちを詩に詠じたものである。日本の近代教育史的にも非常に貴重な詩幅と言えよう。一部翻字不明のところがあったが、畑野孝雄氏にご教示をいただいた。校庠新卜地校庠新たに地を卜し牗戸向陽明牖戸陽明に向かふ負笈来学者笈を負ひ来りて学ぶ者所期在晩成期す所は晩成に在り*下平八庚抵小暮村視中学校書意哲(小暮村に抵(いた)りて中学校を
防府天満宮(山口県)で梅まつりが始まりました。梅がちょうど見頃を迎えていてとても美しかったので写真をいっぱい撮ってきました。雲がひとつもない青空に桃色と白の梅の花が映えます。風が吹くと梅の花びらがちらちらと空中へ舞っていました。ほぼ満開ってことか~。私はこちらの神様にはいつもすごくお世話になっていますが境内社にはずっと参拝してきませんでした。でも昨年
おはようございます。久々にを覗きに行きました。なんかアングル(水平)が以前と違う。やや東を向いている気がします。前橋市街地が、より多く写っています。以前は写っていなかった臨江閣も観えます。徳川の時代が終わって長州(毛利)の時代が明治以降※ですから、長州出身の楫取素彦が初代群馬県令になったことは、後の時代になっても群馬県にとっては産業、経済、交通、政治の各方面で有利に働いていますよね。江戸時代の群馬は天領が多かったので、その地を長州出身者が抑えることが重要だったのでしょう。昭和から平成
見えてきた!!!!!!何だこの素敵建物と庭園は開館中入っていいの???受付とかないの???実はここの見学は無料なのです太っ腹すぎません???臨江閣(りんこうかく)県令楫取素彦の提言により下村善太郎(初代前橋市長)を始めとする地元有志や銀行等の企業の寄付で建設された迎賓館。※国指定重要文化財・群馬県指定重要文化財それでは靴を脱いで中へ入りますボランティアの方(?)がパンフレットを渡してくれました巡る順番とかとくになさそうなので、自由に歩き回りま
赤城県道を北上し、時沢の信号の先を左に折れて進んだ先に安楽寺はあります。この安楽寺にある不動堂は、子どものころ「お不動様」と呼んでいて、よく遊びに来ていた場所です。この不動堂は、富士見かるたに「縁起は古し不動堂」と詠まれ、創建年代は不詳とありますが多宝塔は南北朝時代の1336年から1392年のものと推定されるそうです。不動堂の由来は山門前に説明書きがあります。「昔、不動堂が兵火にあって焼失し、その灰を川へ棄てました。その川の橋を馬に乗って通ると落馬したり、また、橋の下から光
前橋の次は富岡製糸場社会科で習って行きたいと思っていました群馬県令の楫取素彦氏や渋沢栄一らが、関わっていたのですねフランスから技術者を招いて進めていました建物のレンガ🧱はフランス式の組み方ですね世界遺産登録が決まった直後に行きました上毛電鉄を利用
おはようございます(*--)(*__)ペコリ休職中に下松市にてリハビリをした事を書いていきますね~.+:。ヾ(◎´∀`◎)ノ。:+.この日は愛妻様💖が映画を観たいとの事でしたので映画館からリハビリウォーキング開始です(≧∇≦)b平田川を下り(人´з`*)♪まだこの時は曼珠沙華が綺麗でした(人´∀`).☆.。.:*・゚そのまま川を下って行くとこのような石碑がありました(*´∀`*)「義勇奉公」軍隊の匂いがしますね(´ε`;)ウーン…明治三十三年に建立されたこの石碑は日清戦
前回はこちら前橋城跡の後、前橋公園に行きました。前橋公園の入口です。前橋公園の案内図です。楫取素彦の銅像です。楫取素彦の足跡の説明板です。楫取素彦氏功徳碑の説明板です。楫取素彦氏功徳碑です。宮崎有敬翁紀功の碑です。宮崎有敬翁紀功の碑の説明板です。県治紀念碑です。ししおどしです。営築稲荷神社の鳥居です。営築稲荷神社です。営築稲荷神社の説明板です。厩橋護国神社です。厩橋護国神社の説明板です。彰忠碑です。傷痍の碑です。さちの池です。続きはこちら
おはようございます(*--)(*__)ペコリ遥拝所の前にまだ新しい銅像がありました(*´∀`*)楫取素彦夫妻の銅像です(*^ー^)ノ大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となるはずだった防府市…………………………🤔視聴率が低く色んな要素を入れまくり、防府編はボツになったと噂されましたね(;つД`)大河ドラマの主役にするなら出世する話の方が面白いと思うので百姓から最年少総理大臣になった伊藤博文さんなんて面白いと思うのですけどねo(*゚∀゚*)oワクワクおっと!散策からズレてしまいましたね(
おはようございます(*--)(*__)ペコリ今朝もお墓参りネタですいません(´▽`;)ゞ今回お参りしたお墓は大河ドラマで大ゴケした「花燃ゆ」の主人公「文」さんと「楫取素彦」さんのお墓です(‐人‐)ナムナム入口に説明板があるのですぐにわかります(*^ー^)ノ説明板の表側です(///∇///)こちらには楫取素彦さんの事が詳しく書いてありましたよ(人´з`*)♪ではアップで(≧∀≦)ノその裏側です(¬_¬)さらに楫取素彦さんがかかわった防府市内の石碑です(≧∀≦)ノあ!
臨江閣・・・群馬県前橋市にある迎賓施設。近代和風の木造建築で、全体は本館・別館・茶室から成り、国の重要文化財に指定されている。本館は、当時の群馬県令・楫取素彦や市内の有志らの協力と募金により迎賓館として明治17年(1884年)9月に竣工。茶室は明治17年11月に完成。別館は明治43年(1910年)一府十四県連合共進会の貴賓館として建てられた。10月末の土曜日、群馬へ日帰り旅行してきましたが、そのお話の続きです。前回や前々回の前橋公園、前橋東照宮の北側にある臨
.おはようございます🌞【臨江閣】臨江閣は近代和風木造建築の国指定重要文化財です。前橋市の中央にあるんです🥰NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台ともなり、そこで登場する県令・楫取素彦(かとりもとひこ)や市内の有志らの協力と募金により迎賓館として建てられました。明治時代から天皇のご滞在場所ともなっていたようで、きらびやかというわけではありませんが、丁寧に作られた和風建築は心落ち着きます。庭園も手入れが行き届き、素晴らしいです。ぜひ行ってみてください💕🥰今日も笑顔で過
楫取素彦・・・旧萩藩士、藩医・松島瑞蟠の二男。天保11年(1840年)儒者・小田村家の養子となる。藩校・明倫館に学んだ後、江戸に出て安積良斎に師事、帰藩後に明倫館助教となる。幕末の志士としてもいろいろと活動している。吉田松陰とは関係が深く、松陰の次妹の寿と結婚、寿に先立たれた後は明治16年(1883年)に久坂玄瑞の未亡人であった松陰の末妹の美和子と再婚している。慶応3年(1867年)9月に藩命により、楫取素彦と改名。維新後は足利県参事、熊谷県令、群馬県令、元老院議官、宮中顧問官、貴
前回はこちら防飛二期生の碑です。ああ予科練の石碑です。ああ予科練の説明板です。神農の碑です。防府天満宮の説明板です。参集殿(社務所)の説明板です。至誠のざくろです。至誠のざくろの説明板です。紫雲石です。紫雲石の説明板です。貞宮遥拝所です。貞宮遥拝所の説明板です。楫取素彦・美和子(文)銅像です。楫取素彦・美和子(文)銅像の説明板です。続きはこちら
「総社神社」、「徳蔵寺」を拝観して「群馬総社」の散策はここまでです。14時30分頃になっていました。「総社神社」の近くの、明神東公園牛池川「新前橋駅」まで歩きます。「新前橋駅」から「前橋駅」にひと駅戻りました。前橋に戻ってきましたが、まだ時間があったので、ちょっと町中散策。宿
り子です。(だいぶ責め子抜けて来たかもよ~)昨日ね、防府市におでかけしてきたよ。大河ドラマの「花燃ゆ」見てた?吉田松陰さんの妹、文ちゃんのお話だったのもう何年か前だったよね、放映。井上真央ちゃんが文ちゃん役で~♡で、後に文ちゃんは楫取素彦さんて吉田松陰の盟友と結婚して、この防府にお墓があるの。お墓や邸宅跡など、めぐってきたの。歴史はあんまりね~っていう方も最後まで見てってね。またまたにゃんこが遊んでくれた&お墓の水先案内を買って出
おはようございます。(*--)(*__)ペコリ昨日の続きです。(*´∀`*)長い石段を登り続け(-。-)=3やっと境内にたどり着来ましたよ~へ(×_×;)へ綺麗にされていますね~*。・+(人*´∀`)+・。*まずは参拝から(‐人‐)パンパン変わった石燈籠ですね~(*´ー`*)建立時期は文化五年(1808年)です(゜∇^d)!!歌碑やら読めない石碑等ありましたo(*゚∀゚*)oワクワクその中でも目を引いたのが社殿脇にあったこちらの石碑です(*^ー^)ノ「凱旋記念
前橋公園の北側にある、日本庭園とセットになったこちら、『臨江閣』という建物。前回のブログでも出てきた県令・楫取素彦の提言により、地元有志や銀行などの寄付で1884(明治17)年に建てられた迎賓館です。本館・別館・茶室まである立派な近代和風木造建築です。奥の茶室です。こちらは県庁職員の寄付で建てられたとか。本館の入口見学は別館から入りますNHK大河ドラマ歴史ハンドブック花燃ゆ(NHKシリーズ)1,045円Amazonまずは渡り廊下を渡って本館へ本館は妙義山・浅間山などを
寒の戻りというのでしょうか冷たい北風が強く吹いて昨日今日と寒いです~パソコンは何とか使えるまでに復帰しましたが、新しい画像がSDカードを選り好みして中々取り込めない・・・まだまだ不自由しています=旅の続きです=明治17年群馬県迎賓館として竣工された臨江閣★当時の群馬県令、今でいう県知事の楫取素彦(かとりもとひこ)の提言により群馬県の迎賓館として建てられました因みに2015年NHK大河
当時の県令楫取素彦の提言により下村善太郎(初代前橋市長)を始めとする地元有志や銀行等の企業の寄付で建設された迎賓館です。利根川の流れに面し、妙義、浅間の各山々を遠望する敷地のほぼ中央に建設されました。明治26年の明治天皇の行幸の際に、行在所として使われたのを始め、明治35年と明治41年には大正天皇(当時は皇太子)が御滞在されるなど、多くの皇族方が御滞在されています。昭和20年から同29年までは市庁舎戦災により仮庁舎として使われ、その後は昭和56年まで市の公民館として、また結婚式などにも利用さ
2018年4月15日散策/防府天満宮2018年春に散策した時の記事です学問の神様として有名な天神様別に私、現在、学問からはとうに離れた年齢ですけど、暇をもて余すとフラ~っと天満宮へ行っちゃうんだよね菅原道真公が亡くなった翌年904年に創建されたという、日本で最初の天神さま防府天満宮へ行ってきました天満宮の駐車場に15~20匹は居たんじゃないかな、猫ちゃん(ФωФ)可愛い~~~帰りは車のボンネットを猫バンバンしなきゃねあれ………天満宮の裏に天神山ってあるんだけど、そこには鎌倉時代に
萩で生まれた楫取素彦は幕末の志士、明治時代の官僚、政治家。藩校明倫館や吉田松陰亡き後の松下村塾で若者の教育•指導にあたりますが、その後、薩長同盟に尽力し、倒幕に奔走します。維新後は初代群馬県令(今の県知事)となり、富岡製糸場の発展に貢献しました。また、元老院議官、宮中顧問官、貴族院議員などを歴任、晩年は今の山口県防府で余生を送りました。(84歳没)吉田松陰とは盟友で、松陰の妹2人(寿、文)と結婚します。寿との結婚を松陰は大変喜びましたが、寿が先に亡くなったこともあり、その後、久坂玄瑞の妻
昨夜のジェットストリームで、アカデミー映画博物館が紹介された。今年ロスにオープンする施設で、なんとそのこけら落としにチームラボ☆のインスタレーションが企画されているそうである!チームラボ☆は、「花燃ゆ」のオープニングを制作したアーティスト集団だ。誇らしい。(花燃ゆ放送時、お台場で見た映像)当時よりも更に進化している世界観。ロスではどうなっているだろう。(結局「花燃ゆ思い出館」笑)(小田村伊之助さま♡)(しゅてき♡)(伊之助さまへの想いが募る〜)(至誠の美胸筋
萩博物館を出て菊川浜のほうに歩いて行くと、楫取素彦の生誕の地を通りました。NHK大河ドラマ「花萠ゆる」の主人公となった人物ですが、改名前は小田村伊之助といい、松陰門下の1人でした。松陰の妹寿(ひさ)を娶り、その曾孫が、国文研の初代理事長小田村寅二郎先生に当たります。私の学問は国文研で学生時代より学んだものですが、その学統の源がこの地にありました。写真は:https://www.facebook.com/ise.masaomi/posts/2194105617347113
2015年9月下旬の萩・三田尻(防府)歴史散策の続き。「安養寺」をお参りし、萩往還・山陽道を歩いて、再度「防府天面宮」に向かいました。安養寺・萩往還・山陽道のレポhttps://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42159857.htmlhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12406728304.htmlお土産物屋さんの天満屋さんの交差点を左折すると、「防府天満宮」に到着です。「防府天満宮」は、この日、二
2015年9月下旬の萩・三田尻(防府)歴史散策の続き。「野村望東尼終焉の宅」を見学した後は、JR防府駅の方に向かいました。野村望東尼終焉の宅のレポ。https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42050839.htmlhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12372378200.html「野村望東尼終焉の宅」から東に進むと通りに突き当たりので、そこを左折。そのまま進みます。すると、何やら、右手に石碑を
2015年9月下旬の萩・三田尻(防府)歴史散策の続き。「野村望東尼終焉の地(野村望東尼宅跡)」から「萩往還道標」を見学して、「野村望東尼の墓」をお参りした後は、「大楽寺」に向かいました。野村望東尼終焉の地・萩往還道標・野村望東尼の墓のレポ。https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12347849471.html「野村望東尼の墓」から「大楽寺」に向かう途中、お地蔵様がたくさん並んでいる場所を発見!これは壮観だな~。「野村望東尼の墓」
2015年9月下旬の萩・三田尻(防府)歴史散策の続き。「老松神社」をお参りした後は、今回の目的の一つである「野村望東尼」に関連史跡に向かいました。老松神社のレポ。https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12342225832.html「老松神社」から垂直に延びている路地を進み突き当たると、そこは「萩往還」になるのですが、そこを右折。暫く進むと、立派な門の前に、大きな石碑が置かれた場所があります。その石碑に近付いて…。「望東尼終焉之
お友達追加受付中…LINE@はじめました♡花燃ゆ、観終わりました。全50話。時代も大きく変動し、いろいろな人物が登場した中で、最後のさいごに、『こんな人で在りたい。』そう思わせてくれた人物は、【楫取素彦】(小田村伊之助)さんでした。おそらく、そう思ったのは最後の10話くらいの中で。それまでは、失礼ながら他の人ばかりに目が行っていました。最後まで観て、