ブログ記事20件
新発田市(しばたし)は、北に位置し山形に近いところです。ここが一番暑がったな~。毎日、新潟など日本海は暑い日が続いているようですが、水不足も心配ですね。アップしてなかったものも合わせて紹介します。新発田城新発田城に行ってみました。表門と旧二の丸隅櫓は、江戸時代から現存する。国の重要文化財。暑いので~、人が数人いたくらい。石垣がきれいでした。1669年に大地震がおき、石垣の大半が損壊。復興の時には、「算木積み」という隙間なく整形
前回はこちら忠犬タマ公の銅像です。忠犬タマ公の説明板です。水鉢です。水鉢の説明板です。美由岐賀岡の入口です。白山公園創設者の楠本正隆の銅像です。白山公園創設者の楠本正隆の説明板です。新潟遊園碑です。新潟遊園碑の説明板です。美由岐賀岡碑です。美由岐賀岡碑の説明板です。御手植えの松です。御手植えの松の説明板です。道しるべの説明板です。ひょうたん池です。続きはこちら
大久保利通からも「天下随一の県令」と称賛された楠本政隆大人物のようなゆったりした性格と児女のようなところを持ち合わせていたようだ人柄は良く、民衆からも人望があった管内を馬で廻っては人を集めてよく話を聞かせたという時には率先して肉を振る舞い食生活の改善も奨励したその際、利用されたのが現在も営業を続ける「イタリア軒」だ楠本政隆の新潟滞在期間はわずか3年3ヶ月だったがその功績は大きい現在、白山公園には楠本政隆の銅像も建立されている
楠本政隆の新潟における業績は枚挙にいとまがない地租改正の推進や新潟町会議制度の制定第四銀行の設立に日本初の国立市民公園「白山公園」の開園獄舎の修正・改正から学校・病院の設置川蒸気船会社の設立女工場の計画該当の設置などなどその功績は大きく大久保利通からも「天下随一の県令」と賞されたほどである当時、新潟県と柏崎県、佐渡の相川県に分かれていた越後を統一すべく尽力したのも楠本だ次回は楠本政隆さんの魅力!
今回も長崎県大村市☆↑旧楠本正隆屋敷です(^-^)長崎県指定有形文化財大村市指定史跡(高校生以上200円、以下100円)↑(名鑑に赤丸付けました)幕末に活躍した大村の勤王三十七士の1人です。前回の大村護国神社に碑がありました。☆長崎府判事井上聞多(馨)や大隈八太郎(重信)らと親交を交わす。☆新潟県令(新潟に銅像あり)☆東京府知事☆衆議院議長などを勤めました。明治3年に建てられた武家屋敷が、ほぼそのまま残っているんだそうです!貴重です当館パンフレットより。屋敷
○新潟日報社刊岡田民雄著昭和49年刊○現在のイタリア軒新潟市中央区西堀通り●「イタリア軒物語」イタリア軒沿革史より②●時の県令楠本正隆氏(氏の官邸は東堀一番町の最南端)万里孤独の境涯を憐れみ、斡旋大いに努め自ら資金(当時娼妓の賦金は不浄金として一般会計に編入せず使途未定のまま本県に保管せる多額の資金あり。その内より二百円を割(さい)て融通したりという。○楠本正隆1838-1902初代新潟県令○楠本は肥前大村藩士、新潟には外国の領事館や貿易事務もあり、大村の経験が買われ
○本書は戊辰戦争六十年を期して出版されたものと思います。新潟市の幕末明治の古老の聞書としては唯一のものと思います。○編者の鏡淵九六郎1869-1940です。医師の傍ら談話収集に努めました。本書は少数出版であったために、古書店では高値となり、入手困難になったそうです。○のち平成三年に復刻されました。この稿は復刻本を基にしています。復刻に当たっては医師の蒲原宏氏が努力されています。蒲原氏は郷土史家で日本医学史を研究されました。私は講演を拝聴したことがあります。○この中から戊辰戦争の聞書をい
〇史談会は国事に斃れた志士などを称揚し、請願によって政府に贈位などを働きかけています。文部省の外郭団体のような性格の会と思います。談話者の松平正親は松平太郎の子息と記載されています。松平太郎は幕末の陸軍奉行並、終始戊辰戦争を戦い函館まで榎本武揚と行動を共にしました。大正三年の談話です。●それで、昔はご承知の通り陣笠とい者がございますが、ここについても御旗本と御家人区別がありました。俗に裏金の陣笠…これは御目見以上でなければ用いることはできません。その中に、また細かな区別がある。すなわち御
こんにちは!FTプラニングハウスです^_^今日は越後新潟幕末維新グルメ物語の幕末維新にまつわるコンテンツを紹介します。◉長岡藩の幕末維新1)大和屋の越乃雪(河井継之助・高杉晋作ほか)2)紅屋重正(長岡藩・北越戦争ほか)3)柏露酒造(長岡藩・三島奥二郎ほか)4)越銘醸(八木朋直ほか)◉小千谷の幕末維新5)東忠(河井継之助ほか)◉三根山藩と米百俵6)本間屋の柚餅子(井伊
市島春城1860-1944政治家・文筆家。新潟県阿賀野市生まれ。本名謙吉。ジャナーリスト、衆議院議員、早稲田大学図書館初代館長として活躍しました。交友関係、政治史などについて多くの随筆、記録を残しています。●昭和16年中央公論刊回顧録市島春城選集●教師に関するいろいろ①優秀な学生が出てきた新潟学校●前述の教頭の位置にある梅浦という人は、専ら上級の学生並びに教頭以下の教師を二、三の組に分かって、訳読を授けた。それは輪読の方法で教えたのである。その時分どんなものを輪講の書物とし
市春城1860-1944政治家・文筆家。新潟県阿賀野市生まれ。本名謙吉。ジャナーリスト、衆議院議員、早稲田大学図書館初代館長として活躍しました。交友関係、政治史などについて多くの随筆、記録を残しています。●昭和16年中央公論刊回顧録市島春城選集●本校の建築と分校の設置その他①新潟学校ができた●今その勝楽寺のことを一つ二つ話してみると、まづ本堂が寄宿舎生の読書室でもあり、寝室でもあるという塩梅で、薄暗いところに、四、五十の学生が机を連ねていたものである。ついで、夜具の位置は本
市春城1860-1944政治家・文筆家。新潟県阿賀野市生まれ。本名謙吉。ジャナーリスト、衆議院議員、早稲田大学図書館初代館長として活躍しました。交友関係、政治史などについて多くの随筆、記録を残しています。●昭和16年中央公論刊回顧録市島春城選集●楠本県令の勇断と雄励と学校の隆盛①官費の特待生制度を設けた楠本●以上は自分個人の所懐であるが、県令は新潟一県の極端なる岩船の村上まで赴いて、その時に一、二の人を村上で得た。それは今故人となった、工学博士近藤虎五郎氏の父近藤金弥と
市春城1860-1944政治家・文筆家。新潟県阿賀野市生まれ。本名謙吉。ジャナーリスト、衆議院議員、早稲田大学図書館初代館長として活躍しました。交友関係、政治史などについて多くの随筆、記録を残しています。●昭和16年中央公論刊回顧録市島春城選集●楠本県令の激励③市島少年不本意ながら新潟へ●その時分はいまだ官尊民卑の習風の残っていた頃であるから県令御自身の御巡回御勧誘というので、富豪の家は恐縮して子弟を出すことを諾した。かく言う自分もその時の勧誘で新潟に出ることになった
市春城1860-1944政治家・文筆家。新潟県阿賀野市生まれ。本名謙吉。ジャナーリスト、衆議院議員、早稲田大学図書館初代館長として活躍しました。交友関係、政治史などについて多くの随筆、記録を残しています。●昭和16年中央公論刊回顧録市島春城選集●楠本県令の激励②猛烈な改革●平松に代わって県令となった楠本正隆は誰も知っている他日の衆議院議長で、大村藩士である。楠本は外務大丞より転じて明治五年に新潟へ県令としてやってきたので、新潟県の改革は全くこの人の赴任後であるというてよろし
2017年2月2日の大村歴史散策の続き。「春日神社」をお参りした後は、すぐ隣にある「旧円融寺庭園」に向かいました。春日神社のレポ。https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12342247371.html「春日神社」の参道の石段の横の方に、石段があるんですよね。その石段を上ると、由緒書きがありました。「大村藩三十七士の碑」。幕末の大村藩は、渡辺清・昇兄弟、針尾九左衛門、松林飯山、長岡治三郎、楠本正隆らを中心として、勤王の動きが
2017年2月2日の大村歴史散策の続き。「旧楠本正隆屋敷」の続き。旧楠本正隆屋敷(その1)のレポ。https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12330651022.html旧楠本正隆屋敷(その2)のレポ。https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12330670431.html別館(離れ)には、資料がいろいろ展示されています。大村藩の倒幕運動の中心的人物、渡辺昇と渡辺清の写真があって…。楠本正隆の
2017年2月2日の大村歴史散策の続き。「旧楠本正隆屋敷」の続き。旧楠本正隆屋敷(その1)のレポ。https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12330651022.html座敷の奥には、素晴らしいお庭があります。濡れ縁を右手に進むと、便所に突き当たりますが、その左手には、つくばいがあって…。玄関から左手の方に進むと、「ゴゼンノ間」があります。奥には楠本正隆男爵の肖像画がありますね。ゴゼンノ間の中央には「楠本正隆帝
2017年2月2日の大村歴史散策の続き。「上小路武家屋敷街・浅田家家老屋敷跡」を見学した後は、「旧楠本正隆屋敷」に向かいました。上小路武家屋敷街・浅田家家老屋敷跡のレポ。https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12325803937.html「浅田家家老屋敷跡」からは、「上小路武家屋敷街」を暫く進むと、右手に講演が見えて来まして、その一角に、周辺の史跡案内マップがありました。地図の右側が北になります。「上小路武家屋敷街」から右折し
楠本正隆は幕末の大村藩中老で、尊王に反論をまとめて討幕に貢献し、維新後は新政府の要職を歴任した。明治初期に建てられた彼の屋敷が、大村市玖島2に残っていて公開されている。当日は休館日で外から眺めるだけだった。
楠本正隆の墓説明板天保9年(1838)に現在の長崎県にあった大村藩、玖島城下で生まれた楠本正隆は、勤皇の志士として活躍し、明治新政府では長崎府判事に就任しています。その後、上京し、外務大丞を経て新潟県令に就任。柏崎県の新潟県併合や、県議会の開設に加え、第四国立銀行の設立など、新潟県の近代化に尽力する一方、日本初の都市公園である白山公園を開園するなど数々の功績を残しています。その後、東京府知事として活躍した後、元老院議官や東京市議会議長を歴任した後、明治23年(1890)には
楠本正隆屋敷にて灯篭まつりが開催されております。古々屋は着物体験と言うことで、着物レンタル及び着付けを行なっております。琴の演奏やお茶会が開催されますので、ぜひ着物で参加されませんか?このお部屋では琴の演奏があります。玄関まで灯篭が照らしてくれます。だんだん暗くなって雰囲気が出てきました!明日8日まで開催しておりますので、ぜひ遊びに来てください!入場料は大人200円、着物体験は1人1000円です。着付けは予約なしでも大丈夫です。当日飛び込みもオッケーですので、手ぶらでお気軽にお
3309奥田義人墓(墨田区向島5-3-2・弘福寺)酔いどれJohnny3309奥田義人墓(墨田区向島5-3-2・弘福寺)-奥田義人(おくだぎじん/よしと/よしんど、万延元年6月14日(1860年7月31日)-大正6年(1917年)8月21日)は...会津若松「天寧寺」土方歳三が唯一お参りできた近藤勇の墓へGunosy新選組局長・近藤勇のお墓は、日本にいくつも存在しています。そのうちのひとつが、会津若松市にある天寧寺にあるのです。ここにあるのは、土方歳三が建てたと