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✨✨↓↓かなめのHPはこちら↓↓✨✨心と体の整え処要(かなめ)のホームページかなめのお仕事の詳細がわかりますお問合せもこちらからどうぞ!!2024年3月21日にののさんの神旅in浜松をフルアテンドさせていただいた✨ということでここからは神旅当日『浜松神旅』・椎ヶ脇神社・金貸水神社のはなし----------------------------------------------------------朝がそんなに強くない晶ちゃんは前夜に現
✨✨↓↓かなめのHPはこちら↓↓✨✨心と体の整え処要(かなめ)のホームページかなめのお仕事の詳細がわかりますお問合せもこちらからどうぞ!!2024年3月21日にののさんの神旅in浜松をフルアテンドさせていただいた✨ということで『アテンダーへの道✨✨』5月編1.『愛知神旅』アテンド(2023/4/27)2.渭伊神社(天白磐座遺跡・鳴岩)を参拝(2023/5/2)3.初あらたまの湯と堀谷荒鎺神社を参拝(2023/5/3)4
昨日アップした椎ヶ脇神社の御朱印の写真では大きさが分からないと思うので追加しました!私が吸っているタバコの箱を横に置くと下にある物差し(スケール)12センチ縦は11.7センチほぼ12×12の大きさになります。この大きさは今まで見た事が無い大きさの朱印です。!御朱印の用紙の大きさがA4サイズとなっています。珍しい御朱印ではないでしょうか😆
少し前にアップした椎ヶ脇神社から御朱印が届きました!総代さんが対応していただけましたが書き手がいないので印のみの御朱印となるそうです。写真では大きさが分からないと思いますが和紙のA42023年06月24日の記事『椎ヶ脇神社静岡県浜松市御朱印情報』参拝日2023/5/303/7椎ヶ脇神社しいがわきじんしゃ静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島1−15☎053-925-3071この神社も御朱印が有るようなので…ameblo.jpこちらにも追記します。
韓国の食器?などをいただきました。何でまた...!?ドラマにでもハマってるのかな?フードボウルっぽいよね。『夏が来る』暑いですね~気付けばもう7月です。毛皮が脱げないから、コギたちは大変そうです。これから数ヶ月の間は暑さ対策をして出かけないといけませんね。涼しさ求めて納…ameblo.jp天竜へのおでかけの続きです。椎ケ脇神社へ行きました。駐車場あります。御由緒。小さい『ヶ』表記。『結婚するって本当ですか』USJのお土産をい
参拝日2023/5/303/7椎ヶ脇神社しいがわきじんしゃ静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島1−15☎053-925-3071この神社も御朱印が有るようなのですが何も情報は有りませんでした!例祭の時だけかも?参道入り口由緒板左に社務所参道鳥居神門門からの参道拝殿本殿は見えませんでした。拝殿からの境内上空写真(Google)近くの納凉亭はウナギが有名なのか?ですがお昼時の為駐車場がいっぱいでした。追記(7月10日
椎ヶ脇神社さまで、前総代、現総代お二方ともからお話くださった水神さま。私の中で「水」をとても大切にしているので、水神さまと聞けばお参りしますなのですが、前総代さんのお話が好きで。面白いということではなく、本当にすくっていただいてると感じておられ、大切にされてるのだなあと伝わるのです。道の横断には氣をつけてね。と何度も念押しまでしてくださった。御神域でのお話は神さまがその方を遣いくださってると思っていますので、今の私に必要なのでしょう。私、生かせていただいた神
椎ヶ脇神社さまも行きたい〜ってなったのは、こちらからです。当地には「赤蛇伝説」があるのです。この辺りには大蛇が棲みつき、船を転覆させるなどして困らせていたそうです。そこで派遣されたのが坂上田村麻呂、当地の陣中で「玉袖」という娘を娶りました。娘は懐妊したので産屋を建てたのですが、子供が産まれるまで覗かないようにと田村麻呂に申し出ます。ところが田村麻呂は覗いてしまいました。そこにいたのは赤い大蛇、覗かれた以上ここにはいられないと赤子は田村麻呂に預け、さらに2つの「宝珠」を渡し海へと
このようなブログを読んでくださる方、いつもありがとうございます。今回は特に身にならない記事なのです。申し訳ない💧ワタシの住む沖縄では、気温20度を下回ると真冬であり、めちゃくちゃ寒く感じる。そして、最近は最高気温13度とかになり、凍えるような寒さなのだ。と、いうことは、本土はもっと寒いワケで。。12月は師走というだけあり、忙し過ぎたため、ブログも疎かになりがちだった。そんな中、また出張の時期がやってきた。ワタシにとって、「出張」とは頑張った自分へのご褒美なのです(笑)普段行く機
『田村麻呂将軍と赤大蛇の内緒話』『伊豆と出雲とヤマタノオロチの内緒話』『磐長姫の正体と八岐大蛇の内緒話』『大山祇とオリオン座の内緒話(神社巡りまとめ)』『出張の合間の神社巡り(調神社…ameblo.jp『出張の合間の神社巡り(有玉神社)~二つの珠の行方~』さて、奇跡に近い確率で、静岡県への出張が決まった。しかも、1日目は浜松市である。飛行機で那覇空港⇒中部国際空港。電車で神宮前駅(熱田神宮に行ったのは昨年12…ameblo.jp↑のつづき。さて、浜松駅周辺で一泊。仕事は午前
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昨日早朝、母が他界致しました。八十七歳、安からかな顔で旅立って逝きました。訃報のご案内リンクを開くにはこちらをタップizumo-sosai.jp母の出生地には諸説あって、千頭、家山、名古屋の何れかと思われるのですが定かではありません。森下は旧山香郡である春野町から川根にかけて多い苗字で、川根本町では4.188%を占めています。都道府県別では愛知県が最多となっています。祖父は林業関連の仕事をしていて愛知静岡の山間を転々としていたと云います。名古屋、家山、千頭に住んでいたことはわかって
天浜線・鹿島/椎ヶ脇神社参道より久々に、天竜川が望める椎ヶ脇神社参道より撮影をして来ました。130レ掛川行き以上天浜線・鹿島/椎ヶ脇神社参道よりでした。
椎ヶ脇神社御旅所北鹿島にある、椎ヶ脇神社さんの御旅所小さな頃から鹿島の花火大会には親しんで来ましたが、それが椎ヶ脇神社さんの神事であった事は全く知りませんでした。8月に行われる椎ヶ脇神社例大祭、その初日の夜、椎ヶ脇さまをのせた神輿は氏子達に担がれ椎ヶ脇の森を下り天竜川へ。その頃から天竜河原では沢山の花火が打ち上げられ神輿は屋台船に揺られ対岸の北鹿島へ。御旅所へ到着された椎ヶ脇さまはそこで一泊され(御夜籠と呼ばれている)、次の夜、また氏子達による煙火打ち上げの中、椎ヶ脇神社へお戻りになり
このブログをお読みいただき、ありがとうございます!⛩初めて読んでいただく方への自己紹介はこちら🏍本日は、静岡県浜松市天竜区にある椎ヶ脇(しいがわき)神社参拝日記です。前回の日記で紹介した椎河(しいが)大龍王堂と関連がありそうだと感じた神社です。※前回の日記はこちら!大本山方広寺の半増坊大権現と龍神様&嗅覚センサーの磨き方龍神様が現れ、そのお姿を橋に変え、禅師をお渡ししたという伝説の場所は、浜松市天竜区の鹿島付近で増水した川。それは天竜
椎ヶ脇神社から遠鉄「西鹿島駅」で下車して、天竜川の鹿島橋にむかって歩く。天竜川を見下ろす崖の上に「椎ヶ脇神社」はある。152号線沿いの急な石段を登る。石段の上に鳥居が現れる。そこまで登って振り返ると・・・・鳥居の先の青い空と白い雲が広がる。その下を流れる天竜川を渡る天竜浜名湖鉄道「天竜川橋梁」が見下ろせる。警笛が響いて、橋梁を渡る、天浜線「かけがわ茶エンナーレ」ラッピング車両かすかに聞こえる、ジョイント音。お気に入りの場所です。そこから鹿島
今日はお休みです。特に用事も無く、午前中はワークマンで買い物し、浜松市南区のパン屋に行って帰宅。朝ご飯と兼用の昼ごはんを食べて、バックトゥザフューチャーを見て現在に至る(笑)今からはスマホでYouTubeでも見ながらウトウトするかな・・・。ドクター東海天浜線検測、ラスになります。いつもは6ヶ所~8ヶ所での撮影だが、今回は4ヶ所でしたね。ラストは天竜川の鹿島橋に近い椎ヶ脇神社の参道から。椎ヶ脇神社は旧格式で言えば、郷社だが歴史はかなり古い。現在では「鹿島の花火」で有
椎ヶ脇神社から・・・・先日の日曜日。我が街のローカル線「遠州鉄道へ乗って、西鹿島まで行こう。」と思い立ったのは、朝食後の散歩の途中。我が家から、40分ほど歩いたところにある、遠州鉄道「浜北駅」まで歩き、そこか終点「西鹿島駅」へここはお気に入りの「天竜浜名湖鉄道」の西鹿島駅が併設されている。ここから、天浜線の「天竜川橋梁」までは、あるいて10分程・・・・・天竜川橋梁と並行して架かる、「鹿島橋」の橋詰の小高いところに「椎ヶ脇神社」がある。道から、急な石段が付いていて、神社はそ
伊砂(いすか)百古里(すがり)砂川(いさがわ)何れも天竜区にある難読地名。かつて、伊砂は伊須賀百古里は須賀里と書いた。須賀はスサノオノミコト(須佐之男命、素戔嗚尊、須佐乃袁尊、建速須佐之男命、神須佐能袁命)を祀る須賀神社のスガ=清々しいの意味とされるこのエピソードは、古事記のヤマタノオロチ退治の件(くだり)に登場するが…(・`ω・´)💡須佐之男命は八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)を十拳剣で切り刻み、尾を切ると「草那藝之大刀(天叢雲剣)」が出てきた。須佐之男命は、櫛名田比売と暮ら
鹿島橋を渡ると正面に椎ヶ脇神社の参道が見えてきます模型で再現したのがこれせっかくなのでお参りしていくことに階段を上っていくとここも天竜浜名湖鉄道の撮影ポイント参道はなおも続くようで階段が終わってもまだ先が・・・この暑さと疲労で結構堪えます着いたかと思ったらまた階段!!ひぃひぃふぅ~ようやく到着実はこの椎ヶ脇神社竜宮城伝説が伝わる神社なんですかつて草刈をしていた男がうっかり鉈を淵へ落としてしまいました淵を覗き込んでいると自分も落ちてしまいます気がつくとそこ
この投稿をInstagramで見る天竜楽市は本日も百古里庵さんギャラリーに出店していますよ~(`・∀・´)ノィヨロシクーさて、下百古里武速神社周辺の龍脈、地脈、水脈をまとめてみました‼️まず藤枝から下百古里に至る静岡県道63号線に沿って藤枝の高根山(山頂白山神社がある)~大日山~三倉の高塚山~本宮山~阿蔵山(白山連)~鳥羽山から鹿島(椎河脇大龍王の竜宮城がある)で天竜川を横切り、根堅(根の国)岩水寺(白山権現)~高根神社~三方原へ抜ける大龍脈これは富士山から伊勢へと抜ける非常に力強い
鹿島の花火天竜川での船の安全航行の守り神・椎ヶ脇神社の例大祭に打ち上げられた奉納煙火(明治8年)がルーツなのだそうです。8月20日に斎行された例大祭は当時、林業・養蚕・鉱業で栄えていた二俣町という事もあり、日本中から見物客が訪れ大変な賑わいだったそう。北鹿島(北煙火連)と西鹿島(西煙火連)の若連が花火の打ち上げを競い合ったそうです。こちらの画像はお借りしましたこの一面のブルーシートが見物客で一杯になります自分で着られたら楽しいでしょうね〜コツが掴めず、ほぼ毎回着せて頂いてますクッ
「椎ヶ脇神社」と「龍宮伝説」。国道362号線・鹿島橋に近いところにあります。(静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島1-15)駐車場あり。トイレあり。自販機なし。**********昔、椎ヶ脇渕の上に祀られている椎ヶ脇神社の神官が渕の脇の崖で木の枝を切っていたそして鉈を淵に落としてしまう竜が住むという流れが渦巻く渕諦めかけたがいつの間にか渕は穏やかになっていて鉈にも手が届きそうであったため下まで降りて手を伸ばしたしかし足を滑らせ淵の中に落ちてしまう
遠江国は、七世紀に遠淡海国造、久努国造、素賀国造の三国を併せて成立しました。遠淡海国は天竜川西岸、久努(くど)国は東岸であったと思われますが、当時、天竜川の鹿島(天竜区二俣町鹿島)から南は磐田之海と呼ばれる泥の海(干潟?)であったと伝えられています。淡海とは、当時淡水の湖であった浜名湖を指すと云われていますが、淡水湖なら水海(みずうみ)と書くのが妥当で、本来の淡海とは気水域、干潟を指すのだという説もあるようです。久努国は、今も袋井市に久努の地名が残っており、久努国=狗奴国という説が昔から云
鹿島十分一番所は、元和三年(1617)に駿府藩主徳川頼宣によって椎ヶ脇神社の社領に設置され、天竜川を上下する舟運物資を改め分一税を徴収しました。番所は幕府役人による直取立か有力商人による請負取立で運営され、初期は掛塚や江戸の商人が請負っていました。元禄八年(1695)から正徳二年(1712)にかけ水久保(みさくぼ)村平出屋武左衛門が六年四六〇〇両、船明村山形屋喜兵衛が三年二四五〇両、大井村平出屋源五右衛門が九年六九〇〇両でそれぞれ請負っており、山間部にも財力のある豪商が現れてきたようです
鹿島の祭り2015二俣郷社椎ヶ脇神社神輿渡御鹿島の祭り2015二俣郷社椎ヶ脇神社神輿還御鹿島の祭り2015北カ連舟屋台と鳥羽山洞門鹿島の祭り2015疾走!もどせ!!西煙火連か組大屋台花屋台曳き廻し8月11日(土)12日(日)は鹿島椎ヶ脇神社八幡神社祭典西鹿島の屋台は安政3年(1856)三谷村仲屋敷(現・蒲郡市三谷町北区)で作られ、大正13年(1924)に(現・浜北区根堅)大門が購入、平成元年から西鹿島が曳き廻しています。三谷では海中渡御に使われ、幾度と改造を経ていますが、
遠州二俣鹿島の花火20148月4日(土)に鹿島の花火が開催されます鹿島の花火は昭和40年代前期まで「椎ヶ脇神社祭典奉納煙火」として二俣郷社椎ヶ脇神社の神事として執り行われていました。鹿島から南は、かつて磐田之海であったと云われ、鹿島橋付近の椎ヶ淵には竜宮城があり、そこに棲む椎河脇大龍王を鎮めるための奉納煙火であったようです。暴れ天龍と呼ばれた天竜川は氾濫が多く、流域に住む人々は椎河脇大龍王を畏敬し、奉納煙火は年々盛大になり、大正時代には「日本一!天下の名物鹿島の花火」「日本三大花火
浜松市天竜区二俣の椎ヶ脇(しいがわき)神社です。椎ケ脇神社の名前の謂われは、「猪家(ししが)神社」が訛って椎ケ脇神社とされる一方、神社の北側にある天龍川の深淵の、その断崖絶壁の上に椎の木があったので椎ケ淵と呼ばれ、そこの神社であるから椎ケ脇神社となったとの説があります。椎ケ脇神社は天龍川での船の安全航行の守り神であり、大氏神として氾濫を抑えるため流域の各地に分霊が祀られてきました。神社に猿出没注意の貼り紙がしてありましたが、猿との遭遇はなかったです。
椎ヶ脇神社駿河国長下郡静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島1-14(P有)■延喜式神名帳猪家神社の論社■旧社格郷社■祭神闇淤加美神豊玉姫命[合祀]天照皇大神、豊受大神(神明神社)菊理姫神(白山神社)彌都波能賣神(水神神社)利仁将軍権現田村神社天竜川が大きくうねり曲がり、その川岸に切り立った小山があります。その頂に鎮座しています。延暦20年(801年)桓武天皇の勅命を受け、蝦夷征伐のため坂上田村麻呂が陸奥に向かう途上に当地へ。そのとき天竜川の大洪水で大海のようになって