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で、千駄ヶ谷駅にやってきた駅構内が、明るい雰囲気にリニューアル駅横から首都高下の道を下り、JR中央総武線各駅停車のガードをくぐる新宿御苑、整形式庭園(バラ・プラタナス)に近い入口ですが・・・堅く閉ざされています外苑西通りを少し北上大京町交番近くにやってきました新選組の沖田総司は、鳥羽伏見の戦い敗戦後に江戸へ戻り、西洋医学所から今戸神社にあった、松本良順の離れに移って療養していました。『今戸神社』TVのパワースポット巡りや散歩旅で耳にする今戸神社にやってきま
甲陽鎮撫隊という新しい隊名が出来たのは二月の末だった。それから鎮撫隊の編成が終わり出発はちょうど三月一日に決まった。出発の日総司は床の上に寝たきりで寝返り一つうてぬ病にまで進んでいた。。近藤『総司、俺が帰って来るまでには良くなってるようにな、、』近藤は黒紋付きに緞子の袴という旗本格の出で立ちで沖田の枕元で慰めた。沖田『局長ありがとうございます。』青白い顔色で目にうっすら涙を浮かべていた。沖田『局長と別れるのは今回が初めてです。』近藤『そ
この日は2回目の渋谷区立中央図書館。帰りはちょっと歩いて千駄ヶ谷へお散歩。新国立競技場!出来上がってから初めて近くに来ました。前の競技場の建設に祖父が関わっていたので、新しい競技場を見るのはなんだか寂しい気もします。祖父が亡くなってすぐに取り壊されたので、時代が終わった気がして寂しかった。でも取り壊すところを祖父が見なかったのはよかったかなと思っています。来たかったのはここ。普通のビルと道路なのですが…沖田総司逝去の地(と伝えられている所)です。終焉の地には2つの説があり、1
昨日の続きです(*^▽^*)ノ♪♪櫻田神社から沖田総司、逝去の地へ向かいました(専称寺で出会った、お一人で来られていた女性と意気投合してしまい共に向かう事となりました(笑)六本木駅から千駄ヶ谷駅まで電車でGO千駄ヶ谷駅から外苑西通りをテクテク歩いて行くと左側にありました^^案内板が立てられていたのですぐに発見できましたよんこのあたりに植木屋平五郎さんのお屋敷がありそこの離れで沖田さんは療養されていたと伝えられています。そして、しばらく経った夏の日に逝去されました。どうか、
昨日は花菜ガーデンへお出かけでした。写真整理が間に合わないので、(;^ω^)東京散策のつづきです。5/16鳩森八幡宮から国立競技場の脇を通り、JR中央線のガード下を通り抜けあ、ここの外苑橋から国立競技場を多分眺めている方がチラホラ。少し高いとよく見えるのかしらね。外苑西通りです。JR千駄ヶ谷駅のちょこっとお隣信濃町駅寄り。歩き続けます。「大京町交番前」の信号の所に史跡があるのです。とはいっても。なぁ~んにも有りません。歩道の脇に説明版があるのみ。写真だと説明版読
みかんの白い筋、取る派?取らない派?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう筋を取らずに皮ごといただきます食物繊維がたっぷり(と思う)。江波杏子さんがお亡くなりになりました。昭和・平成の数多くの名作映画。そして人気テレビ時代劇シリーズには必ず出演しているのではないか?というくらい大活躍されていました。新選組愛好家にとっては植木屋平五郎の玄孫(やしゃご・孫の孫)ということでも知られています。Wikipediaには「曾祖父」と書かれていますが江波さんから見
某団体の散策会に参加しました。千駄ヶ谷駅近くの沖田総司終焉の地の案内板の前を通ったのですが、残念なことに、沖田総司の説明がほぼ間違っていました。さらに驚いたことに、植木屋平五郎宅跡の前でも、何も沖田総司関連のことを説明されませんでした。ですから、マジ、沖田総司関連については、何も調べていなかったのでしょう。また、過日参加した別の団体の散策会では、土方歳三の説明がいくつも間違っていました。なぜなんですかねえ……。人に喋るのなら、少しは調べればいいのに……。後者は、団体のリ
YouTubeで発見してしまった!ヾ(>y<;)ノうわぁぁあの名作です。母の影響で子供の頃観ていた栗塚旭さんの土方歳三さん!そうです。土方歳三と言えばやっぱり栗塚旭さん!燃えよ剣です。とりあえず最終回だけYouTubeで視聴しました。おおお!カッコイイの一言!土方歳三の最期まで描かれています。栗塚旭さんが土方歳三を演じるにあたり、原作者の司馬遼太郎先生の元を訪れたそうです。以下、Wikipediaより。『新選組血風録』の原作者・司馬遼太郎は、自身の原作を元に1963年(昭和3
鷹の台駅から三鷹駅まで、玉川上水沿いに歩いてきました。沖田総司が亡くなった植木屋平五郎宅の裏に流れていたのは、玉川上水の余水ですから、沖田総司と玉川上水って、関連があるんですよね。とはいえ、縁が深いともいえませんから、新選組好きから、玉川上水を歩いてきたよという話を聞いたことはありません。
「三十一人会史跡散歩~市谷、四谷編」半日の行程でしたが、百枚近くの写真を撮りました。その最後の1枚が、上の写真です。旧暦ではありますが、148年前の慶応4年5月30日。沖田総司さんが病死いたしました。その最期の地、付近と思われる場所です。伝沖田総司逝去の地この案内板は2年前に建てられたもの。あさくら先生より、署名集めをされたことその署名を添付して陳情してからさらに数年たって(予算の関係で)やっと建てられたこと等をお伺いいたしました。こういう碑や案内板があるとないとで
ジャーンいきなり失礼しました昨夜の続き、です上のクジラのような写真、個人宅です芸能関係の方が所有なさっているようです。(あさくら先生のヒントだとN・Rさんでしょうか)えっと、別に芸能人のお宅拝見ーではなくここは「大河内家屋敷跡」。もうちょっとわかりやすく言いますと廿騎組屋敷近藤邸跡です慶応3年に、火附盗賊改大河内兵三郎さんのお屋敷を借受け秋までには移転していました。翌年には退去しましたので、短い間だけでしたけれどね。皆さんで「ほ~」と眺めた後またまた歩