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今日はがんこ高瀬川二条苑の庭案内の日。いい季節になりましたね。庭園も秋の景色になってきました。庭に降りて来られる方々も多くなってきました。ほんまに感謝しかありませんね。
前朝ドラである『風、薫る』の主人公のひとりである直美直美の夫は日清戦争で死亡したそれは確か崖から落ちて怪我をしたことに加え、直接の死因は脚気だったと思う一年にも満たない日清戦争しかも戦争が終わってからの知らせそうなのだ日清戦争では実に四万人以上の兵隊が脚気に罹患し、亡くなったのは4000人以上であるなぜか?何年も前に観た公共放送のドキュメンタリーであるが戦死者は977人、脚気で亡くなったのは4000人以上現在では、脚気はビタミンB1不足による病であるのは周知の事実である日清
・また他の本も読み、この本にも戻ってきて、再読、再再読と味わって行こうと思った。いやしかし、何とも豊饒な「知の世界」で、英文科卒なのにこんなに日本文学や、日本史にも詳しいの??とオドロキました。(藤原道長が紫式部のために大量の「紙」を用意して物語を書く環境を整えてくれた説明あたりは、「なるほどね」と納得したものだ。)・それを小説スタイルで、文芸批評なども交えた多彩な分析で・・と参った!!まだまだ読むべき素材が沢山あるので、「鉱脈」にぶち当たった感じ。あと、「文豪」も少し読み込んでみる
おはようございますあきです過日、女心を分かっちゃいないな~と吉田修一作品「路」について書きましたがその時見つけたこの本女を書けない文豪(オトコ)たち女を書けない文豪たちイタリア人が偏愛する日本近現代文学(角川書店単行本)Amazon(アマゾン)面白いですよ~女を書けない=女心が分かってないではなく女を書いていないなんですね(笑)ここに掲載されている文豪たちの作品ずらり森鴎外「舞姫」元カノって、忘れなきゃダ
今日はがんこ高瀬川二条苑の庭案内の日。平日で人も少ないながら、濃い話ができました。感謝しかありませんね。
「ぐるっとパス」を買うとここに来ることがとっても多いのは、カフェが好きだから、なんですが…。この日も最初にカフェを楽しみ、その後に展示を観てきました。これはモリキネプレート。ドライソーセージとコンビーフは千駄木腰塚、プレッツェルはショーマッカーで、とっても美味しい。前半の「常設展示」はざっと…とはいえ、何度観ても「ほう」と思ったりします。鷗外はとても優秀な青年で、東京帝大を19才で卒業するほどだったのに、“主席をとって独逸に国費留学する”と言う願いは叶わなかった…卒業を控え
みなさん訪問ありがとうございます9/19(土)娘の美容関係の用事で福岡県の北九州市小倉にやってきました~暇してる母を誘い3人でやってきましたよ~娘の用事が終わったので小倉の街をブラブラしてみましょ~なかなか来る機会の無い母は大喜び小倉と言えばやっぱここでしょ!!北九州市民のソウルフード『シロヤのパン』すげぇ~!!夕方の閉店前なのにまだ行列があります時間的にほとんど売り切れてるけどお目当てのサニーパンはまだありました値上げしてるけどそれでも5個で75
日本遺産(地域)島根県津和野町津和野今昔百景図を歩くツアーガイド:津和野ゆるキャラつねみんつねみん「くるくるさん、ようこそ津和野へ〜!見てください、この美しい山々と城下町の街並み!津和野は昔から変わらない『津和野百景図』の世界がそのまま残っている町なんですよ〜。あ、僕のPR魂がさっそく燃えてきました!」くるくる「わあ、本当に風情がある素敵な街並みね!『津和野百景図』って、幕末の津和野の風景や風俗が100枚の絵と解説で残されているんでしょう?昔の景色が今も半分くらいそのまま残
今日はがんこ高瀬川二条苑の庭案内の日。庭師さんも入っており、庭がキレイになりました。ほんまに感謝しかありませんね。
AIもプロンプトを実行する前に原則には沿って思考するんだなぁと。何も指定せず”日本人の踊り子”を描けと命令すると生成されるのがこれまぁ、間違ってはないが・・・森鴎外の言う”伊豆の踊子”、外人のイメージする"GEISHA"?プロンプトにベリーダンサーの要素を付加すると生成されるのがこれ複数人で展開させるとこれ正直韓国人と見分けがつかないまぁ、この系統の顔多いよね、最近の日本人女性。
大河ドラマで、秀吉は関白になりました。名もない農民から大出世です。まさに下剋上。日本人は彼のように出世して偉くなることに憧れます。明治の文豪、森鴎外によると、日本人は出世したいという欲望を隠そうとしないので、恥ずかしい、そうです。そういえば、欧米人は、あまりそういう野心を表に出さないようです。あちらは階級社会、というのもあるでしょうね。ある外国人が、「日本人が夜遅くまで残業するのは、たぶん出世したいからだろう。」と言っていました。秀吉の影響でしょうね。あと、伊藤博文が日本を学歴
なかなか出来なかった読書ですが、ここ最近読むようになってきました。大江健三郎「万延元年のフットボール」。購入時に一度読んだきりで内容はすっかり忘れてました。四国の山奥の村で何かやってた…くらい。中盤に行くまでダラダラと読んでました。その後に面白くなってきて、割と集中して読むことが出来ました。とはいえ、文体が難しくて読んでて何が何だか分からなくなって…。最後まで読み終えた時は達成感を感じますね。念の為、内容について確認しておこうとネットで調べることもしました。自分が思って
『28名の著名人と聖書』(第二巻、2026年9月)を刊行いたしました。第一巻に続くもので、著名人が聖書をどのように読んだか、その魂の軌跡を記録したものです。森鴎外、勝海舟、矢嶋楫子、石井十次、村岡花子、矢内原忠雄、宮沢賢治、淵田美津雄、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ、三浦綾子、ヨハン・ゼバステイアン・バッハ、マルティン・ルターアウグスティヌス、ハンス・クリスチャン・アンデルセン、ゲオルク・フリードリヒ・へンデル、ヴィクトル・
奈良まほろば検定一級目指し(*^_^*)第61回(61)の答え:ウ森鴎外「奈良五十音」という言葉は、主に森鴎外の短歌連作「奈良五十首」や、奈良県の市町村の50音順一覧、あるいは言葉遊びや音読の作品などを指すことがあります。森鴎外の「奈良五十首」明治・大正期の文豪である森鴎外が、帝室博物館総長として奈良に滞在した際の印象を詠んだ50首の短歌連作です。発表:大正11年(1922年)1月発行の雑誌『明星』に初出。歌碑:奈良市の十輪院などに歌碑が建立されています。関連書籍:
寒山拾得図日本橋プチ旅行で、三越から三井記念美術館へ移動しました・・・・・・写真1(↓):三井記念美術館で開催されていた京都真如堂の名宝展三井家の菩提寺である京都の真如堂の仏像がたくさん展示されていましたが、お目当てのものが見当たりませんでした・・・この展覧会はまず京都の龍谷ミュージアムで開催され、次に東京の三井記念美術館に巡回してきたわけですが、その龍谷ミュージアムの出品リストを見て、てっきり東京でも展示されるものと思って出かけて行ったのです・・・
今日はがんこ高瀬川二条苑の庭案内の日。庭園には鷺や鴨が飛来。そしてたくさんのお客様も降りて来られました。感謝しかありませんね。
・「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき」の歌が脳裏にあったのか(まあ、季節は違うが・・)、京都の祇園祭の宵山だか、宵々山の夜、街を出歩く和服の女性たちの美しさに圧倒されてしまった・・。歌の、人の心をからめとる「力」を感じとったものでした。・ところで、謹厳実直だと思っていた森鴎外が実は与謝野晶子の大ファンだったらしい。「こんな作品がある・・」と教える人が居て、魅了され、妹(喜美子)に出した手紙の中で、晶子に対する評価を大きく変えている。やがては、鴎外自身『明星』の後継誌『昴』
森鴎外「舞姫」を読んだのはいつのことだっただろうか。小耳に挟んだところ、昨今の一端ではエリスを蔑(ないがし)ろにした最低な男(クズ男)の話として扱われている面があると聞きました。長男・家長藩医の出封建社会ドイツへ官費留学軍医官僚エリートエリスにあった頃は、衛生学・予防医学を学び後に「衛生」を日本へ定着させた。コロナ禍での一斉マスクをたどると、こうした日本の公衆衛生学の礎にも鴎外の仕事がつながっています。しかし、墓石名は森林太郎とだけ記すこ
2026年-令和8年9月9日シネ・ヌーヴォ平成元年作品「映画監督篠田正浩レトロスペクティブ」、初見。原作は森鴎外、脚本は田村孟。制作時期はバブルの頃、3カ月のドイツロケを行っています。観ていて気付くのはロケ撮影場所の選定は、かなり入念に行われたのだと思います。それぞれのカットは入魂ぶりは尋常では有りません。作品は日本映画なのに、ナレーションも含め字幕で押し通します。舞姫[DVD]Amazon(アマゾン)舞姫Amazon(アマゾン)
今日はがんこ高瀬川二条苑の庭案内でした。今日は暑くなく、お客様も庭に降りて来ていただきました。ほんまに感謝しかありませんね。
おはようございます。一木ヨーガスタジオの布施です。文京区にある「森鴎外記念館」へ行ってきました森鴎外の旧居「観潮楼」の跡地にあり、30歳から亡くなる60歳(1916年)の30年間家族とともに暮らした場所です。この大イチョウ、生前からあるといわれていて、「森鴎外遺跡」として、文化財保護の対象だそうです。入り口、写真OKの場所です。原稿や書簡遺品など、貴重な資料が展示され、映像コーナーもあり、鴎外の研究されている方の対談など楽しく観れ、文学者と軍医の大変な仕事をしながら、家族に優
2022年12月16日『三鷹駅』で下車して、お散歩しました。『風の散歩道』東京都三鷹市下連雀『三鷹駅』からすぐです。1948年(昭和23年)6月太宰治は近くの玉川上水で自らその39年の生涯を終えた。太宰治が入水した玉川上水の様子の動画を撮影しました。まさかこんなに狭く小さな川で入水したとは当時はもっと深くて幅も広かったのでしょうか?道路を整備する時に、川幅を小さくしたのかしら?私が長年思い描いてきたイメージの川とは全く違いました。何事も現地に言ってみないとわからないもの
こんにちは、マヤ暦アドバイザーの矢島裕基です。マヤ暦を学びながら、一人ひとりの人生や歩みを別の視点から見つめることを日々続けています。今回は、森鴎外を取り上げます。森鴎外森鴎外は、1862年に石見国津和野で生まれました。画像出典:森鷗外-Wikipedia本名は森林太郎です。家は代々、津和野藩の医師を務めていました。幼い頃から漢学などを学び、1872年に父とともに上京します。東京大学医学部に進み、1881年に19歳で卒業しました。その後は陸軍軍医として歩みます。18
去年見かけた上の落書き垢だけど中の人健太じゃないよなー元の写真の印象大きく損なってて笑った(笑)茶化されてたのはその人だけじゃなかったけど怪人化やデコレーションされててかなりカオスだなってこういうのはやりすぎだと思う今年に入ってから一度も見かけないけど前から嫌ってたみたいだからてっきり健太なのかと思ったねあとインスタである人がストーリー載っけてたけど杉浦さんがドラマに出てるのも健ちゃんとの間で過去にトラブルがあったからなんじゃないかって書き込んでる人もいたわ
「類」朝井まかて明治44年2月11日、子には鷹揚な森林太郎と、美人だが厳しい志げ夫妻のもとに生まれた類は、数えで12歳の時に父を病で亡くす。森林太郎とは軍人であり作家でもあった森鴎外の本名で、著名人の妻とそこに生まれ育った子らの成長と人生が描かれる。主人公は末っ子の類(るい)であるが、腹違いの長男・於菟(おと)、幼くして亡くなった次男・不律(ふりつ)、長女・茉莉(まり)、次女・杏奴(あんぬ)といったきょうだいたちとの関りも当然あり、きょうだいの物語でもある。類って
※この記事では『最後の一句』の結末まで触れます。こんにちは。雨の日の読書室です。森鴎外『最後の一句』には、死罪となった父を救おうとする十六歳の娘・いちが登場します。たしかに、いちの父を思う気持ちは強いものです。けれど、「父のために、自分の命を差し出そうとした孝行娘の話」とだけ読むと、原作の大切な部分が抜け落ちます。いちが父の身代わりとして差し出そうとしたのは、自分一人の命ではありません。妹のまつ、とく、弟の初五郎まで、その願いの中に入っています。
今日は2026年8月27日(木)です。今日(0827)は「男はつらいよ」の日です。フーテンの寅さんの撮影地に行きました。島根県の津和野です。とてもいいとこです。懐かしいので振り返ってみました。過去記事です。↓============2015年10月12日(月)の出来事です。島根県の「津和野」の街を、散策しています。津和野は「山陰の小京都」と言われています。昔ながらの、町並みが保存されて大変美しい街です。「男は
『名歌名句辞典』(佐々木幸綱・復本一郎/三省堂)より選句鈴木六林男Hayashi-Murio遺品あり岩波文庫阿部一族太平洋戦争中、南方の孤島で孤立無援の日本軍守備隊は、アメリカ軍との戦いで全滅する。戦死者の遺骨さえまともに見つからず、その残された遺品が、岩波文庫の『阿部一族』とは皮肉なものだよ。DuringthePacificWar,aJapanesegarrisononaremoteislandintheSouthPacificwasa
森鴎外は子女に当時としては風変わりな命名を行った。元祖キラキラネーム・・・だと言えなくは無いオットー(於菟)マリ(茉莉)アンヌ(杏奴)フリッツ(不律)留学中に相当に名前で苦労したことを想像させますが、インターナショナルであることの有利さを独逸で感じ入ったのだと思います。そういえば、江崎玲於奈博士も同じような命名をされておられる。しかし、全ての親御さんが、インターナショナル思考をするとは限らず、アタシのかつての奉公先では必要があれば、ビジネスカード用にセカンドネームを持
JamesSetouchi2026.8.22ドナルド・キーン『百代の過客<続>』講談社学術文庫2012年(もとは1988)1ドナルド・キーン1922~2019。NY生まれ。コロンビア大学卒。『日本文学史』『日本人の西洋発見』『能・文楽・歌舞伎』『明治天皇』ほか。2『百代の過客<続>』1986~1987年朝日新聞連載、1988年朝日新聞社より刊行、2012年講談社学術文庫化。『百代の過客』は江戸までの日本人の日記・紀行を扱うが、『百代の過客<続>