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1994年10月29日この日、9年間でリーグ優勝8回、日本一6回と輝かしい時代を築き上げた森西武黄金時代が終焉を迎えました。西武黄金時代の幕を引いたのはこの人。前評判では西武有利の声も少なくなかったこのシリーズでしたが、今までの西武野球からは考えられないくらい、攻守にわたりミスを連発。何か目に見えない力の前に敗れた、そんな感じでしたね。西武ドームでの試合前のセレモニーでレオ人形をプレゼントされた長嶋監督。文字通りレオを包み込みました(汗)それにしても、西武球団も凄いことをしています
本日(5/3)発売の読売新聞・朝刊にて『ホリさんの言わせてもらうよ』が掲載されました。もう読んでくれたかな。テーマは「捕手について」最近、よく聞かれるんだ。阿部監督になって巨人の捕手起用が小林、大城、岸田と3人体制になった。それについてどう思うかとね。タイミングを同じくして本日のスポーツ報知には阿部監督の捕手3人体制についてコメントが出ていた。大城メインでいきたいけれど今、そうなっていない理由がしっかりと書か
夢というのは実に不思議だ。普段まったく考えてもいない人が夢の中に現れたり、この世において一度も行った事がない場所の夢を見る。そしてこの世で一度も会った事がない人が夢の中に現れるのだ。今朝方は、西武ライオンズの元監督【森祗晶】さんが逝ったという夢を見て、急いでインターネットで調べてみたら、86歳で健在である事を知って胸を撫で下ろした。まったく人騒がせな夢だ。
あれからもう30年、時の流れの早さを感じてしまいます。読み進めるうちに、無意識に当時の選手の応援歌を歌っている自分が・・・(苦笑)ということで、引っ張り出してみました。改めてこうしてみると、両チーム共にすごいメンバーが揃っていますね。さて、この戦いでの応援歌で思い出されるのが・・・1992、93年と2年連続で日本シリーズで対戦した名将・森祗晶と野村克也の両監督。共に4勝3敗と紙一重の差での決着。ヤクルトがシリーズ後半から驚異的な粘りをみせた1992年のシリーズは名勝負とまで言われま
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92,93の2年の日本シリーズは球史に残る屈指のものとして語り継がれることが多く、この監督、選手からの丹念な取材ぶりであっという間に読めてしまった。あの時は何を考え、何をしていたのかという一挙手一投足を思うにあたり、感動とエキサイトしたシーンが蘇る思いがしたものだ。広沢克己の走塁、石毛宏典の今に至るまで残っている荒木大輔からの死球の後遺症など今知って、勝負の奥深さを改めて知ったものも多く、野村克也は稀代の名監督だったことを改めて知った。この2年間の日本シリーズがつまらなくなっているだけ
長年文化放送で西武のリポートをされてきた中川充四郎さんが、現在夕刊フジにて西武ライオンズの過去の秘話について連載されている。その中で、常勝西武を築いた森元監督の意外な秘話が出ていた。詳しくは下記URLで。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180809-00000018-ykf-spoこの件は、当時一部週刊誌で報道されていたが、結局憶測の域を出なかった。今なら完全にセクハラで大問題になりそうな記事だ。因みにこの年はリーグ優勝したものの、日本一は逃した。そ
◯◯味豆乳、何が好き?いろいろ売ってるが、普通の豆乳しか飲んだことがない(^^;;また、豆乳を好んで飲むことはない(^^;;広岡達郎さんは、監督を歴任したヤクルトと西武において徹底した管理野球を敷いたが、それは選手の食生活にまで及び、動物性蛋白質の摂取を厳禁して植物性蛋白質を簡単に摂取出来る豆乳を飲むよう厳命したとか(^^;;ベンチ裏、選手寮等、あらゆるところに豆乳を置いて飲ませたとか(^^;;1985年に広岡さんが退任して森祗晶さんが西武の監督に就任した時、一応豆乳は置いたらしいが「