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神社を後にして国道を北上します。交通量も多く歩道もないちょっと危険な道のりを歩いてゆくと左手に川を渡る簡易な橋が架かっているのでそこを渡り踏切を渡り未舗装のじゃり道をどんどん進むと"弓の木"という巨大な椋があります😀墓場の前にあります。石仏と椋鎌倉時代に後鳥羽上皇が隠岐島に流される際にここを通りかかり休憩したと伝わります。弓を立てかけて休んだところから弓の木と呼ばれています。樹齢は600年くらい主幹は腐って空洞になっているが樹皮だけで元気に立っています。穴が空いており向こうの景色
いつも「カッキーは全国を旅するブログ」をご覧くださいましてありがとうございます。前回に続き、11月上旬に中国地方にお出かけした様子を紹介。旅の名称を決めないまま出発しましたので、名称が定まるまで「2025秋_中国地方旅[仮]」でいこうと思います。前回記事では岡山県北部・津山市にやってきました。今回は国の史跡で日本100名城・津山城を登城します。日本100名城・津山城を登城小生は謎の外国人たちに続いて津山城に向かう階段を登ったよ。「あの外国人たち、カタコト英語
本日朝9時より、エリア限定めぐり「森一族闘将の系譜」が始まりました!詳細については以下の2記事を参照ください。【森一族】エリア限定めぐり第三十一弾詳報【森一族】エリア限定めぐり第三十一弾詳報その2さすがに今回は広域スタンプラリーであるため、今の段階では全制覇者はいません。津山エリアと山名氏のエリ限をからめて…、のような攻略法もあるので、早ければ今週末にも全制覇される方が現れるのではないかと期待しております。さて、その山名氏のエリ限の開始時には、旧地域限定城めぐりからの
今年の城の日(4月6日)、以下のような告知をしていました。秋の恒例の城郭イベント、「山城に行こう!(岐阜県可児市)」と「出張!お城EXPOin滋賀・びわ湖(滋賀県)」に、今年も出展することが決定しました!!昨年は(中略)イベント単体での実施でしたが、2025年は少なくとも滋賀県に関してはエリ限が連動して実施される予定です。そう、この時点ではまだ可児市の方は決まっていなかったのですが、晴れて「山城に行こう!」に合わせてエリ限を開催することが決定しました!エリア限定めぐり第三
七月七日です。七夕ですね。今年は何のお願いをしようかな。やっぱり「たくさんの城に攻めれますように」かな。今回は、お題が三つです。久しぶりですね。・平城天皇。・森忠政。・陸奥宗光。【平城天皇。】天長元年(八二四)のこの日、平城天皇が崩御されました。第五十一代目の天皇ですね。宝亀五年(七七四)八月十五日、桓武天皇の第一皇子として誕生。大同元年(八〇六)五月十八日、桓武天皇の崩御によって即位。翌年、藤原南家出身・吉子を母とする弟・伊予親王が謀反の疑いで捕えられ、毒をあおいで自害しま
津山城(別称:鶴山城)(Ⅰ)津山市山下創設年代・・・・元和二年(1616)創設者・・・・・森忠政形態・・・・・・平山城遺構・・・・・・復元櫓・本丸・二の丸・三の丸他曲輪・石垣・堀・天守台・門跡・櫓台ほか日本三大平山城の一つ。高石垣で総石垣で守られた堅城。ポイント城は津山盆地の中央に位置し、東部を流れる吉井川の支流の宮川及び丘陵の天然の断崖で防御。更に南を流れる吉井川とその支流で西部に位置するいだ川を外郭としている。平山城で輪郭式を基本
こんにちは♪お仕事と情報収集とアメカジが大好きな森です。GW終わりましたね。昨年のGWは、丹波篠山へ陶芸体験しに行ったなぁ。今年は、連休を頂いて岡山県の蒜山高原へ1泊2日旅行へ行ってきました‼️わざわざ、父親のプリウス号まで借りて😅まぁ、燃費良いしね。今の車も飽きてきたのでロングドライブなのでストレスは、少しでも少ない方がいいしね。今回の旅行のテーマは、都会を離れて自然の中に身を投じて癒されようです。神戸を出発し、津山市に一旦寄り道。目的は2つ。昨年度、訪れた大阪にあるサムハラ神
訪問日:2025/4/5「本能寺の変」で討死した森蘭丸公の弟、森忠政公が信州中島から18万6500石の大名として入封(1603年)した翌年より13年の歳月ついやして築いた津山城は、明治7年に天守閣等の城郭建造物は取り壊されてしまいましたが、三層の石積みが完全に残り備中櫓が復元されています。鶴山公園として整備された津山城跡には約千本の桜が咲き乱れ、「日本さくら名所100選」に選ばれています。訪問時は満開間近(8分咲き)でしたが多くの花見客で賑わっていました。駐車場近くの裏門より入城です。備
筆者が津山城を初めて訪れたのは2003年4月。桜の花がほころぶ頃で、城内はさくら祭り(かな)の準備が施されており、地元のテレビ局などが取材に訪れているのを眺めながらの散策でした。ちょうどその頃に備中櫓の再建工事が進んでいて、備中櫓はまだ覆屋の中にあり、完成予想図が掲示されていました。望楼造りの白漆喰の二重櫓とはまたなかなか尖った建物をこしらえるものだなと思ったものでしたが、備中櫓は実質的に本丸御殿の一部(というか離れというか)をなしていた建物なので、1階平面の面積を十分に確保する必
今日は、2月26日。雪はほぼほぼ溶けました\(^o^)/何故か、我が住まいのアパートの駐車場は残っています(^_^;)日当たりが悪い証拠?ま、いっか。①②いよいよ、出陣!!!ホテルの目の前です。歴史的な建物が残っています。さすが、城下町の本家本元。③④登城開始です。膝が痛みます(^_^;)やはり、歳は取りたくないな。⑤史跡津山城⑥津山城の成り立ちです。実際に本丸まで登ってみると、好立地だというのがよく分かります。
現在は、「なかやまじんじゃ」というが、かっては、「ちゅうぜんじんじゃ」「ちゅうざんじんじゃ」と呼称されていた。延喜式神明帳に記載された式内社(明神大社)である。近代社格制度においても国弊中社に列記され、現在は神社本庁の別表神社に記載される古社である。鳥居は「中山鳥居」と呼ばれる独特の構造である。社伝(中山神社縁由)によると文武天皇慶雲4年(707)に、伽多野部長者乙丸(肩野物部乙丸)が祀っていた大己貴命(大国主神)の宮所を中山神(鏡作神)に譲ったことで中山神社が成立したという。乙丸は弓削庄に
美作國は古代吉備王国の中核に位置していたが、ヤマト政権による吉備王国分割の際に備前国から分割して設けられた国だ。中世以降も安定した国家形成を維持する勢力がなく、山名、赤松、宇喜多など周辺勢力により、支配の歴史が変わっていった。関ヶ原後、小早川秀秋が備前、美作両国を領したが、二年で改易された。小早川家断絶の後、織田信長の家臣であった森可成の六男・森忠政が信濃川中島藩主から、加増転封され、慶長3年(1603)津山藩を立藩した。兄・森蘭丸は三男である。山名氏が築城した鶴山城は、廃城になっていた。忠政は
▪️アメーバ🦠ブログから驚きました!全国的に巡られておる方のようです。境内で偶然にお声かけした県南より新聞を見て来られたと言われた方⁈だったのかもしれない石蕗の項もしその方であれば童仏の目が何とも愛らしい…と謝々
【4城目美濃金山城】明智城からの転戦になります。標高277mの古城山山頂に築かれた山城です。1537年、斎藤道三公の養子である斎藤正義公が鳥峰城を築城しましたが、1548年の久々利城で久々利氏に討たれてしまいました。1565年には織田信長公が鳥峰城を奪取し、家臣の森可成公に与えます。可成公は鳥峰城を金山城と改名しました。歴代城主には鬼武蔵と呼ばれた森長可公・森蘭丸公・森忠政公が勤め、森氏の後は犬山城主の石川光吉公が勤めますが、1601年金山城は破却されてしまいます。出丸跡の駐車場に停め
🟡四葉の松葉を大名庭園聚楽園にて津山市役所北に位置する聚楽公園ぽかぽか陽気、母と散歩がてらに開催中の《森の芸術祭》のアート会場であり県外、外国の方で賑わう。聚楽園内、北西に位置する場所の聳え立つ松たちの松葉の落ち葉絲桜水にも地にも枝を垂れ山口誓子の句碑の廻りいちめん地元のおじさんが私と母にほい、幸せの四葉をあぎょう、、と言って一つずつくれた。四つ葉のクローバーみたいなもん、高野山には三つ葉、四つ葉は珍しいものと言
10/30(水)~31(木)にかけて、JR西日本の「サイコロきっぷ」で目が出た「津山・岡山」でお城巡りをする旅に出かけました。初日(10/30)の3城目は国指定史跡の近世城郭「津山城」(岡山県津山市)に向けて、2城目の「岩屋城」から約25分で、津山城の無料駐車場へ到着しました。さすがに、当城への登城者は今までの山城とは違い、パラパラと見られました。今回の訪城は3回目ですが、以前には入城料を取られなかったですが、今回は発券場所とゲートが「三の丸」跡入口の石垣前に設けられていました。
▪️kenkaの世界・山下虔華書画展「森・芸〜御手」ダリアの頃になりました。遠方からもご足労頂き、日々感謝と感動を頂いております。9月14日(土)オープニングトークイベントから開催中の本展も、今日、明日迄となりました。御寺さまの貴重な重要文化財仏説阿弥陀経境内鐘撞堂、掲示板は御住職の言葉と手お茶室待合今津屋の'今'と、作品出出しの'今'がシンクロしてました!の気付きを教えて頂きました^_^御寺さまには会期中の大法要の折にもかかわ
【問題】【日本城郭検定準1級】ある城の天守の評判を聞いた森忠政が、津山城築城にあたって家臣の薮田助太夫を派遣し検分した城はどれか?【選択肢】岩国城高松城今治城小倉城【正解】小倉城【解説】小倉城天守の評判を聞いた森忠政が家臣の薮田助太夫を派遣し、海上から検分していたところを見つかった。しかし小倉城主の細川忠興は、薮田一行に好きなだけ調査をさせ、図面を手土産に持たせたという話が伝わる。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
🟤"御寺で書"のご案内です🔳kenkaの世界・山下虔華書画展『森・芸〜御手』〜仏画写仏に讃のこころみ〜●ところ/法雲山妙願寺於通称「鶴山御坊」〒708-0037津山市戸川町68☎︎0868-22-2677・宗派/浄土真宗本願寺派・ご本尊/阿弥陀如来●会期/令和6年9.14(土)〜10.27(日)時間1
🟤9月レッスン日程(月)18〜20時/2*9*30(水)10〜12時16〜18時/28*11*18(土)9:30〜12時/7*14*21▪️小田中教室(火)16〜18時/3*10*17▪️気軽に手ぶらで無料体験レッスン随時🅿️あり*目から鱗のかな文字、ペン字年長〜硬筆体験出来ます(個性重視)🟢沖縄土産の青いカレーを器に移した途端に意表をつく笑鮮やかな
240709山陽新聞「初代藩主・忠政しのぶ」岡山県津山市津山城、本源寺、妙願寺森忠政津山城『【日本名城67番】津山城②【御城印】【スタンプ】』寺社No.5108御朱印No.5252津山城岡山県津山市日本100名城67番2019年9月7日鶴は森氏の家紋、三葉葵は松平氏の家紋。登城料300円ameblo.jp本源寺『【津山市】本源寺』寺社No.2927御朱印No.3257東海山本源禅寺岡山県津山市臨済宗妙心寺派2014年8月2日230711山陽新聞「森忠政の遺徳しの
▪️ところ法雲山妙願寺通称「鶴山御坊」津山市戸川町68於・浄土真宗本願寺派・ご本尊阿弥陀如来▪️kenkaの世界仏画・写仏に讚のこころみ〜阿弥陀如来〜▪️会期7月7日(日)〜8月31日(土)🟤森忠政公ゆかりの御寺で7月7日、忠政公のご命日法要が例年執り行われている。先般の理波展出展のご縁から、仏画・写仏に讃のこころみの展開から、阿弥陀如来に
名称:鉢形城(はちがたじょう)城郭:連郭式平山城築城年:1476年築城主:長尾景春改修者:田丸直昌、森忠政主要城主:長尾景春、上杉顕定、北条氏邦所在地:大里郡寄居町鉢形2496指定文化財:国史跡日本100名城外曲輪入口エドヒガン「氏邦桜」堀跡三の曲輪四脚門三の曲輪石垣馬出木橋本丸跡伝御殿曲輪井戸跡荒川曲輪配置図
滞在時間僅か5時間ほどの四国旅行から本州へ戻りまして兵庫県へ。京都→岡山→広島→岡山→香川→兵庫という変なルートなんですが、これには訳がありましてね…確実に混雑するであろう観光地は土日を避けるという理由なのです。兵庫県赤穂市。赤穂市と言えばここでしょうよ。播磨国赤穂城。外堀跡赤穂城も元は海城でして往時はこの外堀と中堀が瀬戸内海と繋がっていたそうですよ。外堀跡と大手隅櫓三の丸大手門外堀と太鼓橋が昭和10年の復元、隅櫓と大手門が昭和30年の再建だそうです。赤
✨正式タイトル✨すーさんのRoadtotheEND240414【隣りのワンダーランド】【津一号作戦】:津山城桜ウォーキング④津山藩初代藩主・森忠政は森蘭丸の弟柴田勝家より前から織田信長に仕えていた、森可成という美濃出身の武将がいた。滋賀県の宇佐山城を舞台に織田軍が浅井・朝倉・延暦寺連合軍と戦った1570年の「宇佐山城の戦い」において父・森可成は討ち死に。同年6男、森忠政が生まれている。森家はその後も織田家の後見を受けて共に戦国の世を戦った。まだ幼少の森家の子供たちは、織田信長
岡山県(旧美作国)津山城の桜は1,000本ほど植樹されて西日本有数の桜の名所です。以前より一度満開の時に訪れたいと思っておりました。最初の写真は、南入口から石段を登ると三の丸跡に到り三の丸から見る二の丸石垣と桜です。次の写真は、三の丸の北側から裏下門跡から二の丸に入り二の丸西側の桜並木のトンネルです。次の写真は、二の丸東から備中櫓と本丸の石垣です。備中櫓は築城400年を記念して2005年に復元されたものです。次の写真は、旧天守閣台から本丸跡を見た処
この本は、職場の棚にあったもので、全く毛色が違う冊子等に囲まれて置いてあったのを借りてきた。誰が置いてたんだろ。不明。織田信長の重臣・森可成の六男、千丸が主人公。本能寺の変で信長と共に自害した森蘭丸は、森家の三男で千丸の兄である。千丸は他の兄弟を早くに亡くしてしまい、若くして森家を背負うことになった。少年期から激動の時代を生き抜いてきた千丸が、森忠政と名乗って津山城主となり、亡くなるまでを描いた物語。戦国時代ではあるけど、わりと淡々と書かれているためか、それとも千丸の性格が我慢強く穏
御寺さんの行事で京都、大谷本廟・西本願寺〜東寺日帰り参拝バスツアーに参加総門親鸞聖人像花噴水の右奥の本廟会館で納骨などの受付を御寺さんが申請くださり、仏殿内陣へ。阿弥陀如来像を中心に聖徳太子、覚信尼さまの絵像に向かいご焼香。'南無阿弥陀仏.南無阿弥陀仏'仏殿脇左手に五葉松、右手に桜樹明著堂・祖壇へ向かう途中の左手にある香と仏花のお店に立ち寄る。懐かしい…"よぉ参り下さいました"〜のお声かけ父と訪ねて以来九年振りとは、、明著堂奥が祖壇、親鸞聖人の墓所。お
〖石川県能登地方での地震による被害を受けられた皆様へ心よりお見舞い申し上げます。〗義援金受付窓口↑ニセサイトではありません💦石川県のホームページのリンクを貼ってあります。力になりたいと思われたら訪問してみて下さい!みんなで助け合いましょう‼️⚫そろそろまた頑張ってみようかと、復活。⚫愛用です😉店頭よりかなり安く買える魅力🐸【第2類医薬品】フェイタスZαジクサス21枚Amazon(アマゾン)ドラゴンボールZ[お菓子チョコレート]仙豆チョコポット/バレンタインAm
【問題】【日本城郭検定準1級】ある城の評判を聞いた森忠政が、津山城築城にあたって家臣の藪田助太夫を派遣し検分した城はどれか?【選択肢】岩国城高松城今治城小倉城【正解】小倉城【解説】小倉城の天守の評判を聞いた森忠政が築城にあたって家臣の薮田助太夫を派遣し、海上から検分したところを見つかってしまった。事情を聞いた小倉城主の細川忠興は、薮田一行を城内に招き入れて好きなだけ調査させ図面まで手土産に持たせたという話が伝わっている。問題・解説文提供:「日本城郭検定」