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2021年10月9日この日は、午後に少し時間があったので到着したのは…………【平城京跡(へいじょうきゅうせき)】奈良県奈良市佐紀町復元された【遣唐使船】もあるよしかし、いい天気やけど10月の空気じゃない夏の日差しやん暑い【朱雀門(すがくもん)】【平城京】は、奈良時代の首都であり、現代の皇居と霞ヶ関の官庁街の機能を併せもっていた。和銅3年(710年)から延暦3年(748年)まで存続し、元明天皇から桓武天皇までがここを都とした。九世紀初めには、平城天皇が一時遷都したが、その後
かき氷を食べた後は奈良平城宮跡へ。ここは平城宮跡なのか平城京跡なのか文字にする場合はどっちが正しいのかな?わからないので平城宮跡として書きます。夕方だけどほぼ誰もいない写真を自由に撮り放題朱雀門。足元にあるプレートは朱雀大路と書いてありました。広場中央を下向いて歩かんと気付かんな。10年くらい前だったかな平城遷都1300年の時に観光に来て以来のご対面。反対側に回っても散歩してる人ぐらいしかいませんでした。営業してないから当たり前か良い天気だここには日中しか通れな
今回で平城宮跡編ラストです!平城宮いざない館の前にある棚田嘉十郎像です。ネ申ですわ。棚田嘉十郎-Wikipediaja.wikipedia.org平城宮いざない館という大きな面白い施設があるんですけど、今回はパス。疲れてきたのと、また検温されるのがめんどくさかったので😅そんな訳で、スタート地点の東院庭園へ戻りましょう。戻る途中の兵部省跡。文字通り軍事を司っていた役所でして、基壇や壁、柱の一部が復原されています。写ってる道路は通称『みあと通り』と呼ばれてまして、平城宮跡を南北
奈良市の平城宮跡・朱雀門ひろばにある、平城京いざない館。そこに立つ、棚田嘉十郎さんの銅像が指さす先には…蓮の花!ね、このお花を指さしているでしょ(^0^)ちなみに、棚田嘉十郎さんは、平城宮の保存に尽力された方です。明治から大正にかけて活動されました。オシマイ。
朱雀門ひろば──復原された朱雀門の南側──に、国営の平城宮跡歴史公園がオープンして、はや2週間が経ちました。きれいな建物が並び、平城宮跡の散策が、楽しくなりました。遣唐使船も、修理完了。再び、宮跡のシンボルに復帰です。※ほんまにこんなんで、海を渡ったら、そりゃアブナイわ・・・。是非、皆さま、お越しくださいませ。平城宮跡の桜は、終わってしまいましたが、広い宮跡を歩くのには最高の季節です。足下には、カラスノエンドウや──。スミレの花*花が、色を添えています。野鳥もたくさん見られます。
近鉄電車で西大寺駅から奈良駅に向かうと、途中、だだっ広い場所通る。それは奈良時代の都の中心、平城宮の跡だ。ちらっと朱塗りの建物も見える。復元された朱雀門と大極殿である。線路が宮跡をはすかいに横切っているのだ。その近鉄奈良線を「景観上問題」として宮跡の外へ移設しようという話が持ち上がっている。平城宮跡を走る近鉄電車http://www.uraken.net/*****そもそも、なんで大事な遺跡を電車が分断しているのかと、疑問に思われると