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〖石川県能登地方での地震による被害を受けられた皆様へ心よりお見舞い申し上げます。〗義援金受付窓口↑ニセサイトではありません💦石川県のホームページのリンクを貼ってあります。力になりたいと思われたら訪問してみて下さい!みんなで助け合いましょう‼️⚫そろそろまた頑張ってみようかと、復活。⚫愛用です😉店頭よりかなり安く買える魅力🐸【第2類医薬品】フェイタスZαジクサス21枚Amazon(アマゾン)ドラゴンボールZ[お菓子チョコレート]仙豆チョコポット/バレンタインAm
【問題】かつては現在の棚倉城(福島県棚倉町)の地に所在し、同城築城の際に遷座された神社は、次のうちどれか?【選択肢】五龍地神社佐波波地祇神社保土原神社都々古別神社【正解】都々古別神社【解説】棚倉に移封された丹羽長重は、幕府の命により寛永元年(1624)、都々古別神社(つつこわけじんじゃ)を馬場の地に遷し、翌年、その跡地に棚倉城を築いた。
先日の1月3連休初日1月6日青春18きっぷ3回目を使用6:54日暮里発、常磐線勝田行きに乗車8:54水戸着ここからは水郡線に乗車6年前に新潟から磐越西線で郡山まで走破し、更に水郡線で水戸まで走破したことがあり『ブラアラキ~磐越西線・水郡線走破編~』今日の我軍は大矢真那10回目そして最後の生誕祭真那さん、おめでとおおお!!!29日、卒業公演客席、立ち見、全て真那さん推しで埋まります様に( ̄人 ̄)…ameblo.jp↑その時の記事今回は逆コースで走
10月11日の水戸駅駅の北口には水府提灯水府とは水戸の別名。そして水戸は提灯の産地。提灯には水戸徳川家の家紋。水戸光圀公と助さん格さんの像も。水戸黄門(水戸光圀公)こっちが助さん?格さん?そして、JR水郡線で3時間の旅スタート水郡線(すいぐんせん)の、すいぐんという発音が印象に残る。自分の中では「すいぐん」=「水軍」なので、瀬戸内を支配した村上水軍に代表される戦国時代までの水軍(海賊とも言う)を連想させる。この水郡線も、昔は川に沿って水運を
新田義貞は、天皇・後醍醐天皇を信奉すべきか、いや武士たちの意向を酌むべきか、迷う。尊氏の武家中心・尊重もよくわかる、正成の純な気持ちもわかる、惹かれる…。迷う。悩む…。▲太田駅前の義貞像尊氏は、武家こそがこれからの世を支配、そのため天皇の威光をうまく利用して。いや実は武家というより足利一族、いや自らの力で支配せん!▲足利学校近くに立つ尊氏の像正成は、天皇を尊奉しての世を。武家は天皇家を一途に支え、世を治めていく。純粋一路。▲桜井駅前の正成の像後醍醐天皇に味方して挙
白河小峰城の側に有ります、棚倉城。小さいながらも、素敵な城跡でした。棚倉城、亀ケ城と言います。この亀ケ城(棚倉城)と、白河小峰城を築城したのは同じ方で、丹羽長重です。※丹羽長重は織田信長の家臣であった丹羽長秀の長男。豊臣秀吉に使えたが、領地を召し上げられ、松任4万石となるが、小田原征伐の手柄で小松城12万石に加増。従三位参議に昇進し、小松宰相と言われる。秀吉死後、家康より前田家監視の密命を受けるが、関が原では西軍に付き改易。大坂の陣で武功を上げ、常陸江戸崎2万石、そして棚倉5万石
またまたやって来ました福島県の白河。ここは街道沿いに白河ラーメン店が何軒も有るのですが、今回は地元の方に連れて行って貰った店です。この店のウリは何と長崎ちゃんぽんだそうで、オススメに従って食べて見ました。白河ラーメン店の長崎ちゃんぽんですので麺は白河ラーメンの手打ち麺を使っていました。白河ラーメンというとピロピロなちぢれ麺ですがこれがなかなか長崎ちゃんぽんに合いますね。上に乗った具も炒め味が付いて美味しいです。
たまたま見つけ出し、そこに拡大してゆくもの-福島県棚倉町城址、山本不動尊使用レンズのご紹介リンクC.CPetri1:5.5f=300mm(PETRI)福島県棚倉町の棚倉城址、山本不動尊、八槻都々古別神社をめぐった。日立市の桜は完全に終了したが、北方に位置する棚倉あたりになると、やや時間差が出るのだ。そもそもの目的は棚倉城址のお堀の「花筏」だ。正直、今年は行くタイミングがやや遅かった。時間差を見計らうタイミングが難しい。行ってみたら早すぎたり遅すぎた
お疲れ様です!!明日で七夕(タナバタ)君を迎えて2ヶ月…※202309に77(ナナ)君から七夕(タナバタ)に改名しました。「お座り」が出来ない!!膝をカックンして無理やり座らせ、型を覚えさせようとしても「なんですか?」って顔するだけ…離席して直ぐに戻りお座りのコマンド「なんですか?」育児ノイローゼになりそう(笑)桜旅4/1小峰城→花園しだれ桜→亀ヶ城(棚倉城)へ七ちゃん、今年は咲いていたよ!!あっ、こちらは「大けやき」(笑)オバサン、ここで待てですね?そうよ、カック
C.CPetri1:5.5f=300mmPETRICAMERACO.,INC.撮影はα7Sで行ったが、写真のカメラはペトリV6だ。ペトリの300mm望遠レンズだ。ペトリは300mm望遠レンズを2種ラインナップしていた。開放F値が5と5.5のものだが、これは1960年代の中期?に発売された、プリセット絞り方式の5.5の方だ。光学系は2群4枚のシンプルなテレフォトタイプだ。300mmレンズとしては比較的軽量なレンズなのだが三脚座が付いており、絞り羽根枚
全国お城の「石・石垣シリーズ」は、『「石垣」の使われ方』において「鉢巻石垣」が見られるお城をご紹介します。これと同種の石垣の使われ方として「腰巻石垣」「腰巻・鉢巻石垣」があり、既に「腰巻石垣」はご紹介してきました。「鉢巻石垣」だけを施している事例は、全国でもあまり見かけませんので、本日は「全国」で見られるお城をお届けします。但し、「腰巻石垣」と一緒に築かれている例(「腰巻・鉢巻石垣」)はありますので、次回のブログでお届けします。「鉢巻石垣」というのは、「土塁」の上の部分だけ「石垣」に
棚倉城御城印
棚倉城跡再訪です。堀
前報に続き、奥州の白河城から棚倉城跡の一昔前の写真です。写真①②、白河市の白河城(別名小峰城)です。1340年南北朝時代に結城親朝が築城し小峰城と名付けた。豊臣秀吉の時代、蒲生氏、上杉氏が支配したが、江戸時代に入り1627年丹羽長重が棚倉城から10万石で移封して城郭の大改築を実施して1632年に完成させた。1868年の戊辰戦争で櫓など大半を焼失したが1991年に木造で復元、2011年3月の東日本大震災で一部崩壊したが2015年より修復されている(写真は震災前のもので
馬場都々古別神社ばばつつこわけじんじゃ都々古別神社三社の一社で、「近津三社」(馬場都々古別神社、八槻都々古別神社、下宮近津神社)と称された『上宮』にあたります。実は八槻都々古別神社の後に道の駅のレストランに寄ったのですが、クローズということで三時頃だったかなダンナと息子は棚倉町のすき家で牛丼を食べた。私と娘はそんなにお腹が空いていないし、今牛丼は食べられないのでお参りですかつて「東夷」を鎮定した日本武尊が
嫁ちゃんと紅葉🍁に触れた日曜日😊棚倉の紅葉🍁行こうよ!と嫁ちゃん。その誘いに乗って午前10時にデミオでGo🚙道の駅塙でお昼してから山本不動尊へ。なかなかの道の駅に買い物が止まりませんでしたけど💦天気も良かったので紅葉も綺麗👍人も沢山😊欲張りになった嫁ちゃんは😲あれも!これも!とアクティブになりまして💦まぁ〜あちこち寄らせていただきまして、午後4時に帰ってきました😁いい〜日曜日になりました。塙、棚倉。いいーとこでした。
助さん格さんやっておしまいなさい!(取立)そんな水戸まで三時間掛けて来ただあ!の、前に棚倉城という謎の城を朝六時出で時間があるので見たっ。棚倉藩に丹羽長重が入り戊辰では派遣部隊が激強だったとのこと。そのせいで手薄になった城は直ぐ落ちるという笑っていいのか分からない歴史がある堀、土塀が残るお城です(錯乱)たまたまパン持ってたので餌付け。そのせいなのか日中空腹で死にそうでしたよ!(激怒)三時間掛け漸く着!ついに東北を抜けた…そして初の水戸…それなりに感慨深いな
馬場都都古別神社陸奥国一の宮(つつこわけじんじゃ)2022年10月11日、八槻都都古別神社から歩いて馬場都都古別神社に向かいました。途中で棚倉城跡を見学大ケヤキ此の地に近津神社(馬場都都古別神社)がありましたが、寛永元年(1624年)棚倉城築城の為に城の北西の現在地に遷座された。此の大ケヤキは近津神社の御神木でした。棚倉城堀棚倉町役場御城印は町役場にて頂きました。棚倉城は寛永元年(1624年)築城、慶応四年(1868年)に新政府軍により落城焼失。24
8月になりました。暑い日が続いていますが、体調など崩されていませんか?私は暑さに負けてだいぶ体調が悪いです(汗)先月の話になってしまいますが、以前ご紹介した新潟直送計画さんから、インスタグラムのキャンペーンに当選したということで嬉しい品物が届きました。新潟茶豆1kg(500g×2袋)大日やたえいのう産地直送送料無料【えだまめえだ豆エダマメおつまみおやつ新鮮お取り寄せ】楽天市場3,100円幼い頃から新潟の枝豆を食べて育ってきた娘が大喜びで、半分以上は娘が1人で食
茨城県つくばみらい市~TXみらい平駅から2㎞圏内の少人数制おうちサロン~ポーセラーツフラワーアレンジメントレタグラフィー教室Floralsalonシュナーベルプロフィールホームページネットショップ新型コロナ感染対策梅雨入りが発表されジメジメした一日でしたがこんないい天気に棚倉をドライブできて良かったな。御城印🏯巡り。棚倉城跡公園へ。跡地にてほんとに公園だけでしたが緑が綺麗で風も気持ちよくて最高でした。御城印はルネサンス棚倉に売ってます。このあと
張られた結界の外へと、緑は拡大してゆく-晩春の棚倉城址、山本不動尊、八槻都々古別神社使用レンズのご紹介リンクMCTELEROKKOR-HF1:4.5f=300mm(minolta)久しぶりに福島県の棚倉町に行った。めぐったルートは、具体的には棚倉城址、山本不動尊、八槻都々古別神社だ。八槻都々古別神社は、棚倉町の北方に位置する馬場都々古別神社とは対(つい)の関係にある。この「対の関係にある」ということに関しては諸説あるようだが、はっきりした結論は出ていないよう
想定外の先へと、緑は拡大してゆく-晩春の棚倉城址、山本不動尊、八槻都々古別神社使用レンズのご紹介リンクMCTELEROKKOR-HF1:4.5f=300mm(minolta)久しぶりに棚倉町に行った。めぐったルートは、具体的には棚倉城址、山本不動尊、八槻都々古別神社だ。例年、棚倉町は日立市より花の開花が遅く、一週間ぐらい遅れることもある。それなら棚倉城址のお堀では、散った桜の花筏が期待できるだろうと思ったのだ。で、到着したらとっくに終わっていた。すべてが
お疲れ様です!!今週は雨予報復活!出来るだけ夕散歩へ行こうと思ったけど、帰宅して寝室に入ると…(:゚皿゚)ベットの上にウンコが!!(´д`|||)一気に疲れて、お散歩中止(笑)ブルログは桜を探すお出掛け、福島県入り~4/4と4/7に寄り道してみました♪七ちゃん、雨降っていないから、降りたの~まずは4/4の雨の亀ケ城(棚倉城)の桜を見に…お堀の桜が数輪咲いていました。立派な「大ケヤキ」で出会えました♪そして、4/7晴れ~クールタンクに水を濡らして、トリオ付き合っ
棚倉は「たなぐら」と濁って読みます。私はずっと「たなくら」だと思っていたのですが、現地に行っていろんな看板を見ていて初めて「たなぐら」であることに気付きました。小さなことですが、現地に行かないとなかなか気付かなかったり、気にしていなかったりすることって、あるものなんですよね。棚倉は「たなぐら」と読む。初めての棚倉訪問で得た、小さな収穫です。棚倉城の歴史は案外新しく、寛永2(1625)年に築城が始まり、寛永4年に完成したものです。棚倉街道沿いには北から順に赤館、寺山館、羽黒山城、東館の四城館が一
かつての陸奥国の一之宮を巡る為、福島県棚倉町を訪れた旅の続き。最初の目的地である「八槻都々古別神社」に参拝を終え、最寄り駅に帰還。そこで、とんでもない事実が判明しました。次の電車が来るまで、あと4時間近く…。駅のベンチに力なく座り、景色を眺めながら、さて、どうしようか…と。次の目的地である「馬場都々古別神社」があるのは、二駅隣の「磐城棚倉」駅の近く。スマホで調べてみると、現在の近津駅からは、徒歩で50分程で辿り着けます。この暑い中、徒歩で
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)舞台は福島県へと移り3連発211城目は相馬中村城ですよぉ1611年に築城されて以降約260年に渡り相馬中村藩の居城として君臨巧みに利用された枡形と水堀が現在でもその名残を見て取れるという。。アクセスは常磐線の相馬駅駅から歩くこと20分弱まず北外堀さんがお出迎え言われなければ用水路って感じだわね本丸跡へ近づくにつれまして蓮池と名付けられたよりデカいお堀をしこたま拝めます城址を囲う濠面積は中々のモ
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)210城目は福島・磐城平城ですよぉ都心から特急直結のいわき駅前に位置しアクセス面で言うと難易度低めとはいえマイナーな城址でしょうな駅近とはいえ急坂を登る必要がアリ登り切ったトコが跡地らしいんだケドビミョ~な空気感満載( ̄▽ ̄)よーく見れば堀跡のようなにもみえるケド実際どうなんでしょうね↓も土塁なのか単なる崖なのか。。ビミョぉ~本丸跡への道中にある石垣も天然モノか現代モノか謎(恐らく後者かと
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)舞台を福島県へと移し攻城3連発まずは209城目・棚倉城ですよぉ[堅破山]→[奥久慈男体山]→[八溝山]と茨城3座登頂を済ませいざ福島へと思うたら棚倉への道は閉ざされており一旦矢祭町へと抜けまして大きく迂回し棚倉の町まで約50km17:25にようやく駐車場へピットイン九州・熊本の佐敷城を筆頭に今んトコはハイレベルなマイナー城址はて、今回はどんなもんかしら先ずお出迎えいただくのは想像以上に立派なお濠
4/4(日)、先月末に水郡線7駅に新しくスタンプが設置されたとの情報があり、水郡線を旅して来ました。新しいスタンプは19年台風によって鉄橋が流され不通となっていた大子ー袋田駅間↓が復旧し全線開通となったことを機に設置されたとのことです。この路線も本数が少なく、電車の1時間待ちは当然の覚悟が必要です。しかし、桜も見頃。磐城石川駅、磐城棚倉駅ではスタンプにある場所まで足を運んで十分楽しめました。磐城石川駅スタンプ↑と桜並木↓磐城棚倉駅↑と棚倉城址の桜↓
水辺の花々は不動明王の童子たちを見つめ-棚倉町棚倉城址、山本不動使用レンズのご紹介リンク[31A]SP1:5.6200-500mm(TAMRON)桜はすでにすっかり終わったが、最後の行事が残っている。それは花筏撮影だ。これで春のランドマークである桜撮影は完結するだろう。で、例年恒例の棚倉城址に行くことにした。ここのお堀で、大規模ではないが花筏が見られるのだ。もちろん、棚倉町は北方にあるから桜が散るのは遅くなる。これまでの経験では、おおむね一週間程度の差があ