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耳で読む「バガヴァッド・ギータ」1アルジュナの悲哀-聴きものがたり-YouTubewww.youtube.com耳で読む「バガヴァッド・ギータ」2知識のヨーガ-聴きものがたり-YouTubewww.youtube.com耳で読む「バガヴァッド・ギータ」3カルマ・ヨーガ-聴きものがたり-YouTubewww.youtube.com昔、自分の考えをまとめたものの中に、バガヴァッド・ギーターに関連して、こう書いてある。自然的人間は、自身その一
「深い禅定」で「自己」が消えた!つまり、大脳皮質の、「或る領野の回路」が、不活性状態に入る=「自己」が消えた現象に!そこから釈尊は「無我」、つまり、生物「科学」の発見に、進んだ!中国禅は、臨済禅師のように、「宗教」つまり、「真人」の確立へと進んだ!密教、バラモン教のウパニシャド哲学は、「梵我一如」で、「宗教」つまり「自己」の永遠の存在へと、進んだ。
本日も引き続き、生成型人工知能のchatGPTとの会話結果を、掲示していきます。本日の話題は、不完全性定理の別視点からの特異性です。約1世紀前にゲーデルによって証明された不完全性定理は、二項対立の内「真と偽」についてだけ、「決定できない言説がある」ことを証明したものです。しかしながら世の中には「真と偽」の他にも、「善悪」「美醜」「陰陽」「梵我」等たくさんの二項対立があります。そしてこの内「真偽」のみが証明できたと言うことは、「真偽」は他の二項対立と異なる「特別な存在」なのでしょう
梵我一如はヒンズー教の根本原理であるこれを知る事なく、ヒンズー教を理解したとは言えないしかし、いくら勉強しても、今の所、私の腹に落ちるほどには理解できていない(苦笑)ただ、最も重要な概念である以上、このシリーズの締めくくりとして、どうしても述べなければならないと言う事で、全文、ウィキペデイアの記述を転載する事で、ご勘弁いただきたいーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「梵我一如」は、ヒンドゥー教の源流であるウパニシャッド哲学の根本
釈尊は、バラモン教で「死苦」を解決できず、それを捨て、それから出て、「出家」した!他方、瑩山禅師は、伝教大師「最澄」の始めた「日本天台密教の禅」で悟った。「日本天台宗、達磨派」初祖・大日能忍禅師の「五祖」である。その内容は、「密教・ウパニシャド哲学の、梵我一如のお悟り」だから、「釈尊の坐禅」と「瑩山禅師の坐禅」とは、全く、正反対のものである!道元和尚は、「観無常」「死苦」が原因で、「出家」した。そして、「原始仏教」『阿含経』の釈尊の教えで、救われた。これが「正伝
政治問題が根底にある話はAIとしないほうがいい。喧嘩になるw今回は梵我一如と密教について。頭での理解をしっかりしておくのも大事だ。学びは信に通じるということで、かなり曖昧な理解していた部分をAIに聞いてみることにした。梵我一如って、ウパニシャッド哲学に出てくるヒンズー教の根本思想なんだけれど、密教と似ているよな、なんて曖昧にしていた。一番曖昧にしてはいけない部分なのに、、、。根本の原因はアートマンの理解不足。仏陀が無記にしたアレである。アートマン=自我みたいないい加減さw。AI
皆さま、如何お過ごしですかさて最近は、なかなか上手く瞑想が出来ていなかったので、ガッツリしてみました。すると、眉間の辺りに青白い光に美しい顔が浮かび上がって来ました✨️「どなたですか?」と問いかけると消えて「3次元で逢えますか?」と問うと、ふと「アートマン」と降りて来た。聞いた事はあるけど、何だっかなぁ…、ブラフマンは分かるけどと調べてみると🖥️個の根源「真我、魂」でした。ブラフマンは、宇宙の根源ですね。インド哲学で言うと「梵我一如」だそうで要は、ワンネスと言う事ですね
藤井風『Prema』をスピリチュアルに読み解く~タット・トヴァム・アシ~今日は重陽の節句!実は私たち夫婦の結婚記念日なんです。Prema(藤井風)は、もう聞きましたか?これかなりスピリチュアルな曲!藤井風の新アルバムのタイトルがPremaだと知った時サンスクリット語では純粋無垢な愛という意味があってかなりスピリチュアルな曲かもと思ったら、やはり、私にはPrema,don'tyouknowthatyouarePre
車のライトを自分で交換しようと思い、インターネットでやり方を検索しました。ヘッドライトを交換しようと思って検索したのですが、どういう訳か、後方のライト交換の記事ばかりが出てくるのです。(おかしいなー)と奇妙に思ったのですが、やっとヘッドライトの交換方法を見つけて、やり方を勉強しました。さて、交換しようと思って車を確認すると、私の勘違いで、交換するのは、ヘッドライトではなく、後方のライトでした。(ん?)インターネットで検索しても、どういう訳か、ヘッド
今朝、自動車で出勤中のこと。大きな川にかかる橋の真ん中で、信号待ち。川を見ると、広々とした河原に、白い美しい大きな石がいっぱい広がり、その中を、青い清流が流れ、真っ白なシラサギが飛んでいました。遠くには青い山々、青い空に白い雲。その美しさにぶるっとふるえ、その雄大な美しい風景と自分が融合し、大自然・宇宙と合一する至福感をしばらく味わいました。そこを離れて走ると、稲穂が風にゆれる広々とした田んぼに、たくさんのトンボが飛び、その上をツバメがスイー
昨日、この日記(ブログ「違う形で夢がかなう?」)で、お金が足りない、お金が欲しい、と願う私に対して、守護霊は、「お前の生きる目的は、魂の修行、宇宙・神霊との合一体験を深めることだろ?そのために、金など要らんよ。」と言った、と書きましたが、さて、ゆうべのこと。家族の夕食を作って食べてもらい、お皿を片付け、洗濯をこなし、やっと一息ついて、時計を見ると、(あ、寝る時間までに、まだ30分ある・・・)と思い、とっておきの日本酒(諏訪神社のそばの造り酒屋の生酒。)
スピリチュアル的な「イメージング」で「夢をかなえる」を実践しています。日常のささやかなこととか、身近な人間関係では、結構うまくいく手ごたえがあります。しかし、大きなことでは、なかなかうまくいきません。「大きなこと」とは、①経済的苦境を脱する(要はお金が欲しいということ。えへへ汗住宅ローン、教育ローン返済がきついです)②娘の病気が改善するです。イメージングをするのですが、なかなかうまくいきません。そのうちイメージングも何だか嫌に
昨日(前回)、この日記に、「ジャーナリング」とういう「イメージング」の手法を使って、夢を実現したい、と書きました。その「夢」というのは、実にささやかなもので、いつも家でイライラして、家族に八つ当たりしてしまうのですが(モラハラ夫?汗)、家族と仲良くおしゃべりしながら、楽しく過ごす、というものでした。具体的には、「夕食を作りながら女房と他愛のないおしゃべりをして楽しく過ごす」「夕食ができたらビールをあけて娘とおしゃべりを楽しむ」「寝る前に10分
夢を実現したいです。夢といっても、ささやかなものです。幸せになりたい。ただそれだけです。(全然ささやかじゃない、という気もしますが笑)じゃあ、「幸せ」ってどんな状態?って考えると、漠然としていますが、家族で楽しく過ごしている・・・という感じです。スーパーに買い物に行くと、小さい子供連れの家族とか、若夫婦とかが楽しそうに買い物をしているのを見ると、(わー、めっちゃ幸せそう)と思い、こちらも何だか幸せな気分になります。若いカップルが手
最近、夕食は妻にかわり、私が作っています。女房が「更年期障害」なのか、夕方になると調子が悪くなるので、朝食と昼のお弁当は妻にお願いし、夕食は私が作ることに。結婚して26年、ずっと夕食を作ってくれていたので感謝、感謝、です。さて、これからは私が作るとなって、困りました。料理なんて、ほぼ、やったことがない。汗半泣きでインターネットでレシピを検索し、とにかく私でも何とかできそうなものを探し出し、毎日必死で買い物と料理をしました。そしたら・・・意外と
昨日は、えらそ~に、「空気のように、他者を支える存在になりたい」と、この日記に書き、今日も、そのように心がけたのですが、「形状記憶合金」のように、自我への執着が出てしまい、自分の思い通りにしてくれない人たちに、イライラする一日でした。煩悩の嵐・・・う~ん、なかなかうまくいかないなあ、と思いながら、そして夕方、また夕焼けを見ながらビールを飲みました。きれいな夕暮れ、おいしいビール。横に娘も座って、一緒に夕焼けを見てくれました。娘との
昨日の夕方、家の玄関のドアを開けたら、拡がる田園、遠くの山並み、そして湧き上がる雲に夕焼けがとてもきれいで、庭に椅子を出し、缶ビールをプシュッと空けて風景をつまみに一杯やりました。女房も娘も「きれいだな~」と一緒に眺めていました。楽しくおしゃべりしました。(↓こんな風景の時もありました。北アルプスがきれい)そのとき、「他に何が必要なのか」「これ以上、何を望むのか」という声が聞こえてきました。守護霊か、龍神様の声です。
昨日、自動車の運転中にふと、(空気のような存在になろう)という気持ちになりました。今まで、家族や親との人間関係がうまくいかないのも、自分の思い通りにコントロールしたいという強い思いがあったからだと思うのです。私も、もう年だし(60歳・・・)今さら我を通してもしかたない残りわずかな人生だしそれに相手を変えようとしても変わらない私は相手のために、空気のような存在になろうと思ったのです。空気は普段は、全然それがあることを意識しません。
「イメージング」によって夢を実現する、を実践しようと思っているのですが、及川幸久さんのユーチューブ動画「ウィズダムブックス」がとても勉強になります。先日は、「夢を書けば叶うジャーナリングの技術」というテーマでした。朝、1日の予定を書き出し、そして「どういう一日にするのか」を書くと、それが実現するというのです。さっそく、一昨日、やってみました。仕事が始まるとき、1日の行動計画を書き出す(これは前からやっていました。)のに加え、それによってどんな1日に
今朝出勤し、職場の廊下を歩いていた時のこと。ぱっと、頭に鉄道の線路の映像が浮かんだのです。唐突な出来事でした。鉄道の線路(レール)が伸びているのですが、途中で分岐していて、真っすぐ行くレールと、横に曲がっていくレールが分岐しているのです。そして、「レールから外れているぞ」というメッセージが伝わってきました。私の守護霊は、よく、こういう伝え方をしてくるのです。私が「道に外れている」とき、イメージや出来事で「外れているぞ」と諭してくれるのです。
しばらく、この日記を書けなくなっていました。精神的に辛くなり、瞑想もできず、日記も書けなくなっていたのです。不安と懐疑ばかりで、イライラする暗い日々でした。そんな中、昨日、遺品整理のために義父の空き家に行ったのですが、机の上に本が積んであり、なにげなく手に取って開いてみたのです。すると、そこには、「人生の意味は魂の修行です。」「何度も何度も生まれ変わってその都度、その人生で魂の修行を行うのです。」「その人生でうまく成長を遂げた人は次のステップに進み
一緒に暮らしている家族友人知人すれ違う人々推しのあの人🍃庭の草花や樹木遠くに見える山夜空に輝く星々頬を優しく撫でる風・・・目に映るものすべて感じるものすべて森羅万象の全てわたしです個という錯覚を使って生きている私もわたし個にして全であり全にして個でもある梵我一如推しの作詞作曲Feelin’Go(o)dMVで描かれているこのワンダーランドはWindyちゃんの中に在りました😊
ブッダの生涯30最終特別編(佐々木閑「仏教哲学の世界観」第2シリーズの最後。仏伝の総まとめ)-YouTubewww.youtube.com〔感想〕天上天下唯我独尊ブッダは最初から、梵我一如は悟りではないと高らかに宣言してるとおもう。ブッダはアートマン(霊魂)を認めない。梵我一如は、永久不滅全能唯一絶対神(大我)と個々の不死の魂(小我)は一緒というバラモン・ヒンズー教の金科玉条だ。ブッダはほとんど相手にしなかった。そりゃそうだろ。梵は我にす
チャネリングとは、高次元の宇宙意識と、潜在意識の阿頼耶識と波動のチャンネルを合わせ(送受信)、コンタクトを取ることで、チャクラ第三の眼が開くのです。😊お釈迦様の無我とは、瞑想で雑念をなくすことだが、悟りの邪魔をするマーラが居るよ、なぜなら梵我一如で天使と悪魔は同じだから。自分の使命が解り、世の中の間違いを直し(覚醒)、正しい方向性が解ってアドバイスを示し、皆様の不安の解消にもつながります。、神智学ではマハートマーと言い、お釈迦様の大宇宙のブラフマンと、
(前回の続きです)前回、「最近の神様の声の聞き方」を書きましたが、今日も全く同じように、やってみました。すると、神様の声は、「わしに、会いに来い」という、乗鞍岳・梓水大神様の声が、昨日と同じく聞こえたのですが、もうひとつ、違う神様の声で、「わしに会いに来い」という声も、聞こえました。上高地にある、穂高神社奥社・上高地明神池の神様の声でした。梓川は龍神だ、と、前回書きましたが、その梓川の上流の、北側の支流が「穂高神社奥社」の上高地明神池で、南側
最近の、神様の声の聞き方は、こんな感じです。仕事の昼休み、職場のあたりをウォーキングします。田舎なので、職場の周りは田んぼです。田んぼの横の用水路に、美しい水が流れて、優しい音を奏(かな)でています。時折、ツバメが、すいーっと、青々とした田んぼの上を飛んでいきます。田んぼの稲が風に吹かれて、そよいでします。その田んぼの中に道を、ウォーキングします。歩行瞑想、歩行禅です。ただ、歩く。(道元禅師の「ただ座れ」と同じです。)歩くことに、なりきる。何も考えない。ただ、歩いていることを
(前回の続きです)自分の安心安全ばかり考えているから、事態は好転しないのではないか?と考え、自分の執着を捨てよう。と思いました。捨て切れるものではありませんし、全部捨て去ることも良くない・・・執着があっても過度にとらわれないくらいの状態がいい・・・と思うのですが、あまりにも、無駄に執着が多すぎると思うのです。(神様に「荷物が多すぎる」と言われたことが、ありました。)人間の苦しみの原因は、自己に対する過度な執着です(と、ブッダも言っている)。娘
前回、この日記で、「行先」が分かっている安心感という、前向きな気持ちや、守護霊に「波長を整えよ」とアドバイスされたという、「うるわしい」エピソードを書きましたが、まさか、その直後に、修羅場を迎えるとは、思いませんでした。修羅場、でした。その夜、娘の病気が悪化して・・・、最悪の状態に。もう、絶望感で打ちひしがれました。「イメージング」も、全く無力で、守護霊に助けを求めても、何も聞こえないし、何も感じない。何もかも打ち壊されて、ただ、虚無が残っている・・・そんな感じでした。
私は、経済的苦境やら、娘の病気やらで悩みも多く、おまけに自分もウツなので、しんどいのですが、でも、「『行先』が分かっている安心感」が、あるのです。(逆に、これが無いと、人生に耐えられないかもしれません。)「行先」とは、まず、死んだら、もともと自分がいた故郷である、霊的世界に帰ること。です。この世に生まれたのは、魂の修行をするため。ということです。なので、どんなことがあっても、これは、魂の修行のための課題なのだろう
私は、夏になると、周期的に、ウツになるのです。どうやら、その周期が今年もやってきたらしく、どよ~んと気持ちが重いのです。メンタルクリニックの先生は、「普通、秋から冬になる人が多いんだけどね~日照時間の関係でね。」とか言っていましたが、とにかく、私は夏なのです。ウツのせいか、気持ちがざわつくので、夕方、女房と娘と外食した帰り道、車を運転しながら、守護霊である天狗様に、(助言をお願いします。)と、お祈りしたら、声が聞こえてきました。