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地元の新刊書店とのコラボで開催されていた“プチ古本市”も今週で終わりとなるらしい。◆プチ?『プチ古本市ふたたび(2004年2月)』実は、地元新刊書店前のスペースを利用した“プチ古本市”が今月上旬から開催されていた。◆昨年もやっていた『地元プチ古本市』昨日、渋谷から戻ってきて地元の…ameblo.jp書店前の空きスペースに数台のワゴンを並べただけのものなのだけれど、見れば何かしら興味をひかれる本が目に入ってくる。以前ならそうしたものは見さかいなく買ってしまっていたものだ
梅棹忠夫は「近代日本の原点は化政時代」であり、「明治維新はその延長にあった政治的結論のひとつに過ぎない」とした。それで連想したことがある。つい最近、現政権に対する支持率が史上最低との報道があった。政権と政権党を「見放している」という状況は今に始まったことではないが、それでも様(さま)は度を増している。「日本の政治は十流、文化は一流」という指摘がかつてあった。いつどこでだれがというのは思い出せないが、その指摘は的を得ていると改めて思う。日本のいくつものアニメが数十か国で放映されてい
『梅棹忠夫著作集』を久しぶりに手に取った。ちなみに私が手に取る方法というのは、次のとおりである。畳敷きの自室のパイン材の棚には全巻を置いている。ただし、棚に目をやっても背表紙はまるで見えない。100均で買った不織布のボックスの中に背表紙が見えるように縦に10冊程度入れて、引き出せば目当ての巻が見つかるようにして置いている。これとは別に、居間の書棚には『年譜・総索引』の一巻だけを置いている。で、その時々に気になるキイワードを「総索引」から検索してゆく。そのキイワードが最も集中してい
50部を刷った四コマ漫画自家製本『遊び盛りユルユルノビノビ60代』は、キチンと売りたい、あわよくば売上金を秋の芝居の元手にしたい(そもそも秋の芝居は赤字の可能性が極めて高いので)と思っているので、謹呈は避けている。そんな中で、数人の方には謹呈本として郵送した。そのうちの一人から感想の返信を頂いた。文中には、退職後の半年がリハビリだったのでは?という意味の労いの表現があった。うーむ。リハビリかあ。そんなに深刻だったかなあと改めて思わされた。ここで少々お断りしておきたい
2019年1月の日記です*暇なので本棚を眺めていると、井上靖・司馬遼太郎『西域をゆく』(1998・文春文庫)を発見。巨匠によるシルクロードについての対談で、楽しみ。なんとなく、本棚で遺跡を発掘しているような気分になる。発掘(?)を続けていると、『ちくま日本文学全集・渡辺一夫』(1993・筑摩書房)を発見する。渡辺一夫さんは加藤周一さんや大江健三郎さんの先生。先日、あるかたのブログでも紹介をされていて、うれしい偶然に喜ぶ(またまたユングだ!)。渡辺さんは
2019年1月のブログです*先日、梅棹さんの『モゴール族探検記』を読んで面白かったので、さらに本棚で梅棹さんの本を探してみたところ、『実戦・世界言語紀行』(1992・岩波新書)が見つかりました(梅棹さんの名著『知的生産の技術』も学生時代に読んで、どこかにあるはずなのですが、例によって(?)迷子になっていて、現在、捜索中です)。この本はまったく記憶になく(梅棹さん、ごめんなさい)、たまたま幸運にも見つけられたのですが、当然、中身も記憶がなくなっていました。しかし、今回
2019年1月のブログです*梅棹忠夫さんの名著『モゴール族探検記』(1956・岩波新書)を再読しました。このところ、なぜか旅行記を続けて読んでいるのですが、この本も本棚の隅っこにあるのを見つけて読んでしまいました。1956年の岩波新書(!)、もっともじーじが買ったのは2011年のアンコール復刊という、岩波ならではの粋な企画で出た本ですが…。1956年というと、なんとじーじが2歳の時の本、それが今読んでもおもしろくて、ワクワクできるのは本のすごさ、すばらしさです。
#393こんにちは!皆さん、いかがお過ごしでしょうか?箱で空間を作るハコニストの姥澤です今月18日に「サイニック理論研究委員会」第1班の研究発表が行われます私は第2班に所属するので、来月が発表の場となる。SINIC理論の概要については以前ご紹介しているので、こちらを参照ください『オムロン創業者の立石一真氏が提唱した「SINIC(サイニック)理論」とは?』#254こんにちは!皆さん、いかがお過ごしでしょうか?箱で空間を作るハコ
梅棹忠夫と下河辺淳とともに「遊びのある地域文化」を探し出した...サントリー地域文化賞選考委員座談会(上)https://www.newsweekjapan.jp/asteion/2023/09/post-134.php東京には本当に「地域」がないのか?...サントリー地域文化賞選考委員座談会(中)https://www.newsweekjapan.jp/asteion/2023/09/post-135.phpコロナは「地方」と地域文化に影響を与えた...サントリー地域文化賞選考委員座
私が住むマンションは築35年を経過している。二年前、エレベーターの入れ替えという大規模改修のひとつを済ませた。外壁に関しては、もう20年くらい前になるだろうか、施工業者がシッカリやってくれたおかげで、非常階段周辺以外はほとんど劣化していず、当面塗り直しも不要に見える。先日は、浄化槽内部の改修工事計画の承認などの必要もあって総会が開かれた。集会室に理事6人の他に集まった住人は一桁台という少なさで、集会室のテーブルがお互い向かい合うロの字に組まれて事足りてしまった。まあ、議事内容は大ご
チャンス大城の語り下ろし『僕の心臓は右にある』で、彼はある時、自分が誰かに見られていることを強烈に感じた一瞬があったと書いている。それは間違いなく神様であったと。その時、吸殻拾いとコンビニのトイレ掃除をしていくと決意した彼は「どうか仕事を増やしてください」と願い、神様は「無償の気持ちでやりなさい」と答えた。チャンス大城は生まれて間もなくクリスチャンとなった人であり、その後も信仰心は捨てず、現在に至っているようである。このくだりを読んで思い出したのは、同じようにクリスチャンとして
『梅棹忠夫著作集』第17巻『地球時代に生きる」の中の「人の心と物の世界」は、日本人のアニミズム世界観について触れている。実に刺激的な論考で、ここから私は「時空のおっさん」について、あれこれ好き勝手に書いてみた。しかし、刺激を受けたのは、こればかりではない。梅棹は、現代の資本主義生産様式についても大胆な指摘をしている。ただし、「資本主義生産様式」という用語ではなく、使っているのは「工業」という用語である。梅棹は言う。人類はまだ工業化の最初の段階を終わったに過ぎない。資源の
現下、「時空のおっさん」にかかわる体験談は数多い。以前、鏡花作品中の「幻の女」と「時空のおっさん」についての比較検討をボンクラ頭で試みたことがあった。その相違点と共通点を挙げてみたのだが、相違点は多く共通点は少ない。いや、少ないどころか、一、二点しかない。それは、主人公、語り手の精神がやや脆弱であり、社会不適応の傾向があるというだけであった。そもそも、作家としての創造力を作品に注ぎ込み結実させた天才鏡花と今時の無名の人々とを並べて論じることに無理があった。それも重々承知の上で、あえ
すでに故人の渡辺京二が著作の巻末での対談で、吉村昭の歴史小説について語っていたことがある。例によって正確な引用ではない。渡辺によれば吉村昭は歴史上の個人を徹底して描くが、その背景にある時代への概観、分析が無いのだそうだ。バーカ。それは学者を気取るオメーの仕事だろ。私はすぐにそう思った。歴史作家はそんな風に「説明」する必要はない。そもそも読者の期待はそんなところにない。読者は、「歴史的必然の中での登場人物の生きた意義」やら時代そのものに対する分析評価を知りたくて歴史小説を読むわけ
『比較文明学研究』と題された著作集第五巻には「文明の生態史観」も入っている。この関連論集は既に文庫で読んでいたので、続く「宗教の比較文明論への試論」を読んでみた。実は読んでから数日経っているのだが、何も書けなかった。というのは、まるで数式を解くようにあまりに明快で、あ然ぼう然としていたからである。世界宗教のなかで近代に至るまで俯瞰しているのは、仏教とキリスト教である。その少ない違いと多くの共通点を古代から追っている。重要点のいくつかを挙げさせていただく。ひとつは
はい。いつものUP‐Тへの注文です。送料込み1980円です。安いんじゃないかなあ。ヨコが60センチのもあって同じ値段なんですが、前回の「太平洋の地獄篇三船敏郎」と同じくこっちの細身の方にしました。60センチだとけっこう幅とっちゃいますからね。自前制作で注文確定の前に、こうして画像を保存できることが分かったので保存しておきました。「隠し砦の三悪人篇」は他にも今まで数枚作っているんですが、「雪姫」単独バージョンは初です。しかも、ちょっと最近まで知らなかった、私にとっては実に新鮮なカッ
と思っている。青森市にあるこの遺跡については、梅棹忠夫の実に魅力的な仮説「都市神殿論」がある。ただし、著作集21巻での論考はあまりに短い。で、この「梅棹仮説」が失礼ながら一人合点ではないのか、考古学者はどう受け止めているのかを知りたくて、関連本をここしばらく探っていた。ありました。発行は1996年と新しくはないが、この遺跡の調査責任者であり、その後も統括主査の岡田康博氏と国立民族学博物館の小山修三氏が13回にわたって、毎回違うゲストを迎え、おこなった鼎談が収録され
『「知」のハンターたち』に収められた二人の対談については一度触れたのだが、その後、ずっと頭の隅に引っかかっていることがある。それは終わり近く、「非労働時間こそ人生」と梅棹が言い、角山が同意しているくだりなのだ。定年から2年程早く退職した私は、改めて自分の判断が最適だったと思う日々を過ごしている。特に業務がそれまでの22年間と比べて「水と油」くらいに変わった最後の7年間で、私は自分の人間性を削がれたという実感がある。職場の同僚や上司が悪いわけではない。人間関係は比較的良好だった。
梅棹忠夫と『知のハンターたち』で対談している角山栄の『「生活史」の発見』を読んだ。学究的自伝である。梅棹忠夫を熟読したいと思ったキッカケも、同じ学究的自伝『行為と妄想』だった。その時々の他の研究者たちとの交流関係も面白いのだが、自身の学説、提言、論及などを時々の反響も紹介しながら総括していて、尚且つ、いまだに思いの強さの残る著作についてはページを割いて触れているから、それを次に読めばいいわけである。梅棹について言えば、それは第一に「文明の生態史観」であり、第二に「都市神殿論」だっと
と改めて実感している。昨夜、梅棹忠夫著作集の第21巻『都市と文化開発』から、「都市神殿論」関連の論考を抜き読みした。ページ数は少なくて、あっという間に読んでしまったのだが、内容は濃い。それで、しばらく前に中公新書『中世の風景』を関連して思い出していたので、早速取り出しにかかった。ええと、前近代に関わる一切の歴史関連で収納袋に入れておいたはずだが・・・と探すと、無い。あれ?・・・あ、そうか。ヨーロッパと日本の中世史研究家の討論本上下二冊なんだが、その内の一人に網野善彦が入っていたから、「
今日は、陸運局でトライクの廃車手続きを済ませた。三文判も要らないし、「本人ですか」と問われて「はい」と答えたら、免許証の提示も要らなかった。ABCと三つの建物を行き来するようだったが、何かをやり直すなどということもなく、スムーズに完了した。帰路の途中で、以前に仕事がらみでお世話になった80代の元大工さんのお宅を訪ねた。事前の連絡もしなかったので、留守であれば諦めるつもりだったが、ご夫婦ともご在宅でしばらく立ち話が出来た。少しばかり心配だった健康状態も、それなりの問題は抱えながら
退職後二日目の今日は雨。それも北関東は伊豆諸島並みの大雨とのことである。自宅最寄りのコンビニに行こうかと思って、裸足にスポーツサンダル履きという、それなりの雨対策のにわか支度もして玄関の戸を開けたのだか、音を立てて降る雨を見て、外出はあっさりとやめた。こんな日は一日、読書三昧にもってこいである。梅棹忠夫の『文明の生態史観』は五分の三ほど読んでいたのだが、昼食を挟んで読み終えた。実に分かりやすい。当時、公式主義的的マルクス主義史観の学者たちには、ずいぶんやっか
Bf:*加茂川の河原散歩、アプローチはこの石段から:北大路橋のアンダーパスを通った時、水深計は30㎝ほど、昨日の雨で少し水かさが増えていました。川下の広い河原へ出ると、今日も”午後ティー”を楽しむ人の姿がちらほら。ちょっと蒸し暑いけど、風もあってPrettygood.Theyseemedtofeelcomfy.このところ読み返している『梅棹忠夫の京都案内』(角川選書、1987)”賀茂川”の項に以下の文があります:
スラスラと読み終えた。実に刺激的だったというわけは、いくつかある。まずは、梅棹の出自が面白い。祖先を辿れば、琵琶湖北岸の「菅浦水軍」というのである。なので、彼の生まれた前後の時期まで、一家に一艘の船を持っていた。1950年代まで、外との交通は徒歩か船だったというのである。11世紀にまでさかのぼる「菅浦文書」も発見・保管され、史料として印刷もされているらしい。いやあ、これって中世史家の網野善彦が研究対象とする、ど真ん中のモノなんじゃあないの。ん?、もしかしたら、網野は目を
図書館の思い出ある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう小学校低学年の頃と思います。学校の図書室で借りた本、返却したのに6年生の図書委員のミスで返却されていることにならず、後に見つかりましたが、嫌な思いをしたので、6年になるまで疎遠でした。面白いSF小説がたくさん配架されているよと同級生に教えてもらい、再び利用するようになりました。現在、公立図書館の徒歩圏内に住んでいますが、本を借り出すことはありません。梅棹忠夫
つん読の効用一度読んだ本を、つんで寝かせて改めて読み返す。知の巨人梅棹忠夫さんは「読書百遍」読み返す事で新たな気づきがある。と言われています。『知的生産の技術』梅棹忠夫著岩波新書§6読書より最近は、これまでに読んだ本を読み返す事が多い。
情報のインプットとアウトプット情報関連#川喜田二郎#梅棹忠夫#板坂元#加藤秀俊現役時代に、読み漁った本。版が新しくなった時も購入していました、
情報のインプットからアウトプットこれまでの読書歴を元にマトメてみました。『調べる技術•書く技術』野村進著講談社現代新書(2008.04.20.)【Note】2023年3月11日【情報のインプットからアウトプット】|ほりぴ〜|noteはじめにこの本『調べる技術•書く技術』は、あるテーマを設定し、それに関する資料収集の方法、人に会って話を聞き、そして原稿を書くまでのプロセスについて、ルポライターとしての著者の経験を基に書かれています。『調べる技術•書く技術』野村進著講
昭和時代の、FAXも和文ワープロもない頃の文書整理術の本。何かの書評で見かけて読んでみた本ですが、紹介してくれた人に感謝しかありません。著者はあの有名な京大式カードを考案した人。どうやってアナログ時代に機械的に情報を整理するのか、苦肉のアイデアをどんどん紹介してくれています。伝説のブレインストーミング用メソッド「こざね法」についても詳しく解説。スマホ、PCの時代にやはり紙を使って覚えるのが定着する、と言われている。暗記に京大式カードを使っている人もたくさんいる。著者が今の時代に生きて
歴史学者の坂本多加雄がもっと長生きをしたならば、日本の論壇の雲行きも少しは変わっていたのではないだろうか。坂本の着眼点というのは今も大いに参考になる。坂本は『国家学のすすめ』において、生態学者の梅棹忠雄の『文明の生態史観』に立脚しながら、日本の目指すべき方向性を私たちに示した。梅棹は世界を見て回った体験から、日本人が親しみやすいのは、アジアではなく、ヨーロッパだという見方を示した。ユーラシア中心部と、その周辺部の違いに注目したのである。ユーラシア周辺部では封建制を経験せず、中国やロシアのよ