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食事を済ませた8時ごろチェックアウトまで2時間弱ありますから近くを散策ホテルからすぐ大通りに面してあります旧香港上海銀行長崎支店大通りを渡り国際ターミナル側へ屋根が緑地の新しく出来た長崎港長崎港松が枝国際ターミナルアプローチへ回るところにある長崎ピースミュージアムいいデザインなのに、、、残念な物置この建物とターミナルの関係を台無しにしてますね〜大通り側は竣工時のままでしょうちょうど職員の方が出勤されてきましたターミナルの正面
9月25日と10円・・・これだけでピンッ!ときた方は、かなりのカレー通でしょう。そうです。今日は、日比谷松本楼の〝10円カレーチャリティ〟が午前11時から行われるのです。1,000名様限定の毎年恒例イベントですネ。日比谷松本楼は、1903(明治36)年の日比谷公園と同時に開店した、超老舗のレストラン。今年は開業120周年にあたります。※ということで、今年は120円以上の寄付金をお願いするそうですが・・・。当時は、松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲むのが、銀座を闊歩す
日清戦争は「国民」対「小人」の戦い日本が日清戦争で、「眠れる獅子」と言われる清国を破ったのはいち早く「国民国家」に変身したからにほかなりません。これに対して清国は、清朝自体が、というより中華歴代王朝が、国民を食わせることができればよいあとは、極端に言えばなにをしてもいいという支配体制であり続けたからです。国民という言葉しか見つからないのであえて国民と言いましたが、むしろ「人民」であり、チャイナではこれを「小人=しょうじん」というそうです。「大人=た
ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は長崎県長崎市の『旧香港上海銀行長崎支店記念館』です。最寄駅は路面電車長崎電気軌道『大浦天主堂』電停。電停から徒歩3分『松ヶ枝国際ターミナル』前に建つ巨大なペディメントの4階建ての洋館が『旧香港上海銀行長崎支店記念館』です。1865年にイギリスの植民地だった香港
4月26日にリブログさせていただいた記事より『”「青幇(チンパン)」中国の秘密結社”』この辺りをウロウロする者にとっては誠に勉強になりました。文中にいろんな要素が天こ盛りで、一節ずつ深く掘り下げたいくらいです。なぜモンゴルの将軍に、危険地帯を…ameblo.jp実際の本📕を読めば良いのでしょうが、田舎ゆえすぐ手に取れる環境にないものですから😅つい、すぐ気になる事はネット検索です。💻本の著者が、満州国高官の竹内徳崔氏の依頼で匪賊行き交う中、モンゴルの将軍に会い行くと言うお話
孫文と梅屋庄吉・トク夫妻像長崎県長崎市松が枝町7−1参考①映画会社「日活」創立に功績梅屋庄吉歴文で企画展長崎新聞(2018.10.21、参考)辛亥革命の指導者・孫文を物心両面で支援した長崎出身の実業家、梅屋庄吉(1868~1934年)の映画人としての横顔に光を当てた企画展「映画界の風雲児梅屋庄吉」(実行委主催)が、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館で開かれている。梅屋の生誕150年などを記念。孫文との関係の中で語られがちな梅屋だが、日本の映画史にも大きな足跡を残した。同展で
下の写真は、日本に亡命中の孫文と、東京で式を挙げた妻の宋慶齢。和服の女性は梅屋庄吉の妻。孫文は、孫中山とも呼ばれてます。中国では普通に「孫中山」「中山先生」と呼ばれてます。各地にある「中山公園」も、孫文=孫中山に因んでです。しかし、その「中山」の由来を先日初めて知りました。孫文と梅屋庄吉梅屋別荘いすみ市-夢幻泡影梅屋庄吉と孫文の展覧会が東京国立博物館で開かれます。展覧会の詳細はこちら。以前の日記にこのことを追加し、タイムスタンプを新しくしました。いすみ市の三
孫文を盛大にバックアップしていた梅屋庄吉は、長崎市街地を中国人の別荘地にしようともしていました。旅する長崎学旅する長崎学tabinaga.jp(上記サイトより転載。↓)右端は新聞の綴じ部分にあたり、暗くなっていますが、「支那人向きの別荘地建設」という見出しが付いています。長崎市会議員の西田金治氏が上海で梅屋庄吉と面会し、伺った話として「翁は故郷長崎発展のために尠からず心を砕いてゐるものゝ如く、最近は長崎と上海間の連絡が非常に良くなったので夏季若くば冬季の避暑避寒地として、支
梅屋庄吉-Wikipediaja.m.wikipedia.org梅屋庄吉(うめやしょうきち、明治元年11月26日(1869年1月8日)-昭和9年(1934年)11月23日)は、日本の実業家。アジア主義者。孫文の支援者であり、日活の創業者のひとり。長崎県生まれ。幼少期、土佐藩経営の土佐商会の家主でもあった貿易商で精米所も営んだ梅屋商店の梅屋家に養子入りする。👦子供の頃、三菱財閥を起こした若き岩崎弥太郎に肩車されたりして遊んでもらい、可愛がられたとの事。14歳で上海に渡る。一
おはようございます。2020年11月26日(木)今日はペンの日、いい風呂の日、いいチームの日です。http://s.webry.info/sp/isshokenmeihajimekun.at.webry.info/201501/article_331.html※ペンの日日本ペンクラブが制定。1935年のこの日、日本ペンクラブが創立された。ペンクラブは、文学を通じて諸国民の相互理解を深め、表現の自由を擁護するための国際的な文学者の団体である。ペンは、文字を書く道具としてのペンを
https://youtu.be/Lw1ZNPzt1jg【居島一平&小坂真琴】Weekly虎ノ門ニュース2020年9月20日#居島一平#小坂真琴#Weekly虎ノ門ニュース#Weekly#虎ノ門ニュース#真相深入り虎ノ門ニュース#歴史マジやばくね#梅屋庄吉#有本香#石平#原英史#上念司#大高未貴#DHC#DHCテレビ#crossfm
今回紹介する二人の首相は、東京裁判で有罪となり、絞首刑となりました。当時は、大日本帝国の行く道はこれだ!とお思いになったのでしょうが、やはり間違いだったというしかありません。いのちと刑罰についても議論はありますね。ここで一人の人物をご紹介したいと思います。その名は、梅屋庄吉!長崎県生まれで、中国にわたり、写真館や貿易商を経営し、日本に帰国してから、日活の創業者の一人となりました。映画で儲けたお金、今の価値で1兆円を、香港で知り合った孫文に贈り、辛亥革命を成功させました。孫文が袁世凱に追われ
『富貴在心』(ふうきざいしん)という言葉があります。「富や尊さというのは財産や地位ではなく、その人の心の中あるもの」という意味です。梅屋庄吉(うめやしょうきち、1869〜1934年)という人が好んで使っていた座右の銘だそうです。梅屋庄吉は、日活の創業者のひとりで、孫文の支援者でした。香港、上海、シンガポールなどを舞台に夢に挑戦した梅屋庄吉の父は長崎で貿易会社「梅屋商店」を経営する資産家でしたが、質素倹約を信条とする人でした。これに対して、梅屋庄吉は、若い頃から家のお金を持ち出
歴史ヒストリアは録画して毎回視聴しています。4/8の放送の主人公は孫文と梅屋庄吉でした。たまたまですが、私は孫文のスポンサーが梅屋庄吉だったことは知っていました。以前、松本楼で食事をしたときに松本楼のロビーに孫文夫人のピアノが展示しており、そこで孫文と梅屋庄吉のことについての解説を読んだからです。松本楼は日比谷公園にあるレストランです。10円のチャリティーカレーで有名ですね。放送も面白かったです。孫文と梅屋庄吉の友情も心に響きました。革命家に一民間人が私財を投げ売って支援するなど
昨夜(8日)、NHKの海外放送(NHKワールドプレミアム)で、『歴史秘話ヒストリア中国革命に日本人あり孫文と梅屋庄吉の友情史上空前のマネー作戦』というのを見た。梅屋庄吉(1869年~1934年)は、長崎県生まれの実業家で、孫文に多額の資金援助をしたことで知られている。また、映画会社『日活』の創業者の一人でもあった。昨夜の番組では、梅屋庄吉と孫文との関係にもっぱら、焦点をあてていて、梅屋が写真館や映画(南極探検のドキュメンタリー映画の制作なども行った)などで資金を創り、その
思南路を満喫中に見つけた公園。さほど大きな公園ではなかったけど、手入れされてました。そこに銅像発見どうみても日本人梅屋庄吉実業家で、孫文の支援者だったそうです。老公は何やら歴史の深い所を考えて、あまり良い人と思わなかったみたいでした説明を読んでいる時☔が降り始めたので、早々に引き上げました。義妹家に帰る途中に寄ったのは浦東の「世纪汇广场」まだ新しい建物。四川の食材を販売しているところがあって、鍋の材料?だし汁の固形物に目が止まりましたよ。この色‼️⏬驚き👀‼️
孫文は生前、日本人と幅広い交遊関係を築いていました。日本滞在中には日本人女性と結婚して娘をもうけますが、帰国後は母子に対して一切の経済的援助を行っておらず...非常に残念なことです...(>_<)「パパ~~~っ」今回は、1911年の辛亥革命から100年、1972年の日中国交正常化から40年以上経った今、孫文と、ある一人の日本人の関係をみていきたいと思います(^-^)【孫文と梅屋庄吉】欧米列強の支配から母国を守るべく立ち上がった中国の革命家・孫文と、長崎出身の
聖教新聞「SEIKYOONLINE」*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~ランキングに参加しています。応援ありがとうございます。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*<教学>生命論「十界論」*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*女性に贈る100文字の幸福抄[池田大作]*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*ランキングに参加しています。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~誹謗中傷、批判が目的の方
駐車場の近くで犬と散歩中の婦人に道を尋ね「鳥居を抜けて、道しるべを辿れば良い」と言われて暫く、急な坂道を息を切らして登ると「案内板」がありましたが、これは違う施設で既にラビリンス。急な坂道を更に登ると、今度は「石段を下れ」の矢印に出会って途方にくれていると、通りすがりのひとが「それは随分と遠回りでした、自宅の隣だから付いておいで」と案内してくれました。脱藩した志士もいる海援隊は、そんな地の利を考え、要害の地を兼ねて「亀山社中」を設けたに違いないと思わせるに十分な場所でした。長崎の人は健脚で
二学期のスクーリングのスタートは、来月の長崎学習センターから。一学期も長崎学習センターのスクーリングを二つ取りましたが、親しみの持てる科目があるのと、課外に市内で手軽に散策できるのが魅力で、前回は「長崎ぶらぶら節」の舞台となった”丸山の花街”と”稲佐山”を楽しみました。今回のスクーリングは長崎県美術館なので出島や唐人屋敷などに近く、散策にも便利ですが、目あての博物館の開館時間と受講の時間が被るので、前泊を取ってミニツアーで回ることにしました。コースは、大航海時代の交易、大陸との
かつて明治から第二次世界大戦の敗戦まで、アジア主義とか大アジア主義の名もと、アジアがまとまって西洋の帝国主義と言うか植民地主義に対抗しようと考えた者たちがいた。しかし、同じアジアと言ってもバラバラ、多様で、主張する人それぞれに思惑は違っていたようだ(参考)。中国の革命家孫文が期待する日本は、彼が望んだ通りにはならなかった。孫文蓮移情閣(孫文記念館)兵庫県神戸市垂水区東舞子町2051孫文記念館(移情閣)参考①孫文の大アジア主義講演(だいあじあしゅぎこうえん、wikiより)1924
GW福岡県編です。※水害に関する記述や画像がありますので、気分を害される恐れの有る方は閲覧をお控えください。筑後川沿いの朝倉市の三連水車です。この辺りは昨年水害があった地域です。水害の大きな被害の爪痕を見て胸が締め付けられる思いでした。ベンチの足が埋まってしまっています。何も知らない子供達は公園で遊びたがりましたが、立ち入り禁止。何故かなと思ったところで、ハッとしたんです。水害があったんだと。様々なものが流れて来ていました。我が家にはテレビを置いていないのでニュースに疎く、水害
長崎市では、春節を祝うランタンフェスティバル開催中。先日、娘とまごりんずと一緒に出かけてきました。まずは、旧香港上海銀行長崎支店記念館へここは、長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアムを兼ねています。梅屋庄吉孫文と交流があり、日中友好につとめた人、また、日活の創始者の一人でもあるそう。この建物は国の重要文化財です。銀行だっただけあり、シンプルな作りですが、階段や照明など、レトロ建築ならではのおしゃれさ。ランタンフェスティバル中は切り絵体験などもやっていますよ♬記念館
長崎ランタンフェスティバルの期間中は黄色い燈籠でひと際目に留まる中島川会場今回日が暮れてから中島川に来れなかったので灯りが灯った灯篭は見られませんでしたでも中島川には寅年、鼠年、午年の当時のメインオブジェが飾られてましたよまた小さいサイズの十二支とのオブジェもあります人物オブジェにはいろいろ意味があるんですがやはり縁起の良いオブジェなのです歴史に残る人物オブジェもありますたとえば「孫文」や「梅屋庄吉
旧田中隆邸(大正7年、三菱重工業下関造船所所長府苑、西洋館跡)、長府黒門東町、ハンセル設計・未完のレンガ洋館の遺構(廃墟)入口内部右手内部中程内部左手裏側勝手口旧田中隆邸(中央左下、三菱重工業下関造船所長府苑)と長府庭園(中央辺り)参考①孫文蓮長府庭園で開花/山口毎日新聞2016年6月28日地方版下関市長府黒門東町の長府庭園に植えられているスイレン科植物「孫文蓮(れん)」の花が咲いた。最初の開花が確認されたのは24日で、昨年より3日早い。孫文蓮は中国の革命家、
長男と次男の学校がそれぞれ受験のため臨時休校となったことから、親子三人で急遽男旅に出かけることを決めて、早朝から新幹線で関西へ。小雨の降る中、まずは神戸南京町を食探検。名物の元祖豚饅頭、角煮饅頭、焼き小籠包、叉焼ビーフンを頬張りながら、春節前の中華街を満喫しました。午後は明石海峡大橋の傍にある日本最古のコンクリート建造物で、国の重要文化財に指定されている「移情閣」を見学し、日中の近代史を再勉強しました。《現在、移情閣は観光地として開放され一般に資料を公開している》この「移情閣」というのは
長崎さるくや街中でよく見かける『梅屋庄吉』その偉人伝を小児科病棟のプレイルームで発見した。近くの病室にインフル患児が入院中らしく、娘っちはプレイルームは行っちゃダメと言われているので、わたしが代わりに本やオモチャをみつくろって病室に持っていくのだが、この本も興味が湧いて部屋に持っていった。真夜中読んだんだけど、凄い人だったんだね!神童で破天荒で大金に縁があって(10歳の時に家のお金を200万円(現在の価値)以上持ちだし関西に出かけたり、逃亡先のシンガポールで映画の興行が大成
友人の二組のご夫妻に混ぜてもらって一人の方の別荘に行って来ました。私の家に7時30分に車で迎えに来てくれて木更津、海ほたるを通って二時間ほどで三門駅近くの別荘に。入ると20年も経っているのに木の香りがする素敵な山小屋風の建物です。先ずはお土産に焼いてきてくれた方のブリオッシュを頂いてから徒歩で海へ。海までの五分ほどの間には歴史的な場所が沢山あります。この辺り一帯は梅屋庄吉という方の別荘があり、孫文や蒋介石亡命中のお世話や活動の援助をされたそうです。森鴎外の別
子供の面会時間は毎日決まってます。それまでの時間潰しに近くの公園に盆栽が結構あったので盆栽は中国から伝わったのか?小さな公園をグルグル回る公園ではネコも🐈(梅屋庄吉の銅像1868.11.26ー1934.11.23)長崎県が2011年に寄贈したんですね^^詳しく知りたい方は名前で検索するとすぐ出て来ます。ハイサ〜イ上原です^^嫁よりも気を遣ってくれた周さんが近くのテイクアウトも出来る店で買ってもらった4種類の惣菜とスープを頂いた。中国で会話が出来ないことで