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260-262ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房問うて云わく、天台・伝教の弘通し給わざる正法ありや。答えて云わく、有り。求めて云わく、何物ぞや。答えて云わく、三つあり。末法のために仏留め置き給う。迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、天台・伝教等の弘通せさせ給わざる正法なり。求めて云わく、その形貌いかん。答えて云わく、一には、日本乃至一閻浮提一同に、本門の教主釈尊を本尊とすべし。いわゆる宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏ならびに上行等の四
257-260ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房問うて云わく、この法実にいみじくば、など、迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・南岳・天台・妙楽・伝教等は、善導が南無阿弥陀仏とすすめて漢土に弘通せしがごとく、恵心・永観・法然が日本国を皆阿弥陀仏になしたるがごとく、すすめ給わざりけるやらん。答えて云わく、この難は古の難なり。今はじめたるにはあらず。馬鳴・竜樹菩薩等は仏の滅後六百年・七百年等の大論師なり。この人々世にいでて大乗経を弘通せしかば、諸々の
こんにちは。某地方都市在住の1970年代生まれのサラリーマンです。二日の日中に家族で書初めをしました。今年一年の目標?イメージ?みたいな意味を込めた文字を選択しています。息子は、『勇猛邁進』妻は、『桜梅桃李』オヤジは、『一念通天』です。それぞれの意味は、お調べください…。妻がどうかわかりませんが、オヤジ的には、息子とオヤジの両方に関係しそうな文字を選択しています。一念通天について、息子的には、今年一年でユース3年間の進路が決まると言っても過言では
255-257ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房疑って云わく、二十八品の中にいずれか肝心なる。答えて云わく、あるいは云わく、品々皆事に随って肝心なり。あるいは云わく、方便品・寿量品肝心なり。あるいは云わく、方便品肝心なり。あるいは云わく、寿量品肝心なり。あるいは云わく、開示悟入肝心なり。あるいは云わく、実相肝心なり。問うて云わく、汝が心いかん。答う。南無妙法蓮華経肝心なり。その証いかん。答えて云わく、阿難・文殊等、「如是我聞」等
254-255ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房問うて云わく、法華経一部八巻二十八品の中に、何物か肝心なる。答えて云わく、華厳経の肝心は大方広仏華厳経、阿含経の肝心は仏説中阿含経、大集経の肝心は大方等大集経、般若経の肝心は摩訶般若波羅蜜経、双観経の肝心は仏説無量寿経、観経の肝心は仏説観無量寿経、阿弥陀経の肝心は仏説阿弥陀経、涅槃経の肝心は大般涅槃経。かくのごとくの一切経は皆、如是我聞の上の題目その経の肝心なり。大は大につけ、小は小につけて、題目
253-254ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房それにつけてもあさましければ、彼の人の御死去ときくには、火にも入り水にも沈み、はしりたちてもゆいて御はかをもたたいて経をも一巻読誦せんとこそおもえども、賢人のならい、心には遁世とはおもわねども、人は遁世とこそおもうらんに、ゆえもなくはしり出ずるならば、末もとおらずと人おもうべし。されば、いかにおもうとも、まいるべきにあらず。ただし各々二人は日蓮が幼少の師匠にておわします。勤操僧正・行表僧正の伝教大師の
252-253ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房去ぬる文永八年辛未九月十二日の夜は相模国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん、その夜はのびて依智というところへつきぬ。また十三日の夜はゆりたりとどどめきしが、またいかにやありけん、さどの国までゆく。今日切る、あす切るといいしほどに、四箇年というに、結句は去ぬる文永十一年太歳甲戌二月の十四日にゆりて、同じき三月二十六日に鎌倉へ入る。同じき四月の八日、平左衛門尉に見参して、ようようのこと申し
251-252ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房このこと、日本国の中にただ日蓮一人ばかりしれり。いいいだすならば、殷の紂王の比干が胸をさきしがごとく、夏の桀王の竜逢が頸を切りしがごとく、檀弥羅王の師子尊者が頸を刎ねしがごとく、竺の道生が流されしがごとく、法道三蔵のかなやきをやかれしがごとくならんずらんとは、かねて知りしかども、法華経には「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」ととかれ、涅槃経には「むしろ身命を喪うとも教えを匿さざれ」といさめ給え
246-251ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房問うて云わく、弘法大師の心経秘鍵に云わく「時に弘仁九年春、天下大疫す。ここに皇帝自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握って、般若心経一巻を書写し奉りたもう。予、講読の撰に範り、経旨の宗を綴る。いまだ結願の詞を吐かざるに、蘇生の族途に彳み、夜変じて日光赫々たり。これ愚身の戒徳にあらず。金輪の御信力のなすところなり。ただ神舎に詣でん輩のみ、この秘鍵を誦し奉れ。昔、予、鷲峰説法の筵に陪して、親りその深文を聞き
243-246ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房問うて云わく、何をもってかこれをしる。答えて云わく、彼の伝を見るに、云わく「今畏の遺形を観るに、漸く縮小を加え、黒皮隠々として骨それ露なり」等云々。彼の弟子等は死後に地獄の相の顕れたるをしらずして徳をあぐなどおもえども、かきあらわせる筆は畏が失をかけり。死してありければ、身ようやくつづまりちいさく、皮はくろし、骨あらわなり等云々。人死して後色の黒きは地獄の業と定むることは、仏陀の金言ぞかし。善無畏
240-243ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房問うて云わく、涅槃経の文には「涅槃経の行者は爪上」等云々。汝が義には「法華経」等云々、いかん。答えて云わく、涅槃経に云わく「法華の中のごとし」等云々。妙楽大師云わく「大経自ら法華を指して極となす」等云々。大経と申すは涅槃経なり。涅槃経には法華経を極と指して候なり。しかるを、涅槃宗の人の涅槃経を法華経に勝ると申せしは、主を所従といい、下郎を上郎といいし人なり。涅槃経をよむと申すは、法華経をよむを申す
239-240ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房弘法・慈覚・智証の誤りならびに禅宗と念仏宗とのわざわいあいおこりて、逆風に大波おこり、大地震のかさなれるがごとし。されば、ようやく国おとろう。太政入道が国をおさえ、承久に王位つきはてて、世東にうつりしかども、ただ国中のみだれにて他国のせめはなかりき。彼は謗法の者は国に充満せりといえどもささえ顕す智人なし。かるがゆえになのめなりき。譬えば、師子のねぶれるは手をつけざればほえず、はやき流れは櫓をささえ
236-239ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房しかるに、日本国は、叡山ばかりに伝教大師の御時法華経の行者ましましけり。義真・円澄は第一・第二の座主なり。第一の義真ばかり伝教大師ににたり。第二の円澄は、半ばは伝教の御弟子、半ばは弘法の弟子なり。第三の慈覚大師は、始めは伝教大師の御弟子ににたり。御年四十にて漢土にわたりてより、名は伝教の御弟子、その跡をばつがせ給えども、法門は全く御弟子にはあらず。しかれども、円頓の戒ばかりはまた御弟子ににたり。蝙蝠鳥
233-235ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房弘法大師こそ第一の謗法の人とおもうに、これはそれにはにるべくもなき僻事なり。その故は、水火・天地なることは、僻事なれども人用いることなければ、その僻事成ずることなし。弘法大師の御義はあまり僻事なれば、弟子等も用いることなし。事相ばかりはその門家なれども、その教相の法門は弘法の義いいにくきゆえに、善無畏・金剛智・不空・慈覚・智証の義にてあるなり。慈覚・智証の義こそ「真言と天台とは理同なり」なんど申せば、
229-233ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房慈覚大師は去ぬる承和五年に御入唐。漢土にして十年が間、天台・真言の二宗をならう。法華・大日経の勝劣を習いしに、法全・元政等の八人の真言師には、法華経と大日経は理同事勝等云々。天台宗の志遠・広修・維蠲等に習いしには、大日経は方等部の摂等云々。同じき承和十三年九月十日に御帰朝。嘉祥元年六月十四日、宣旨下る。法華・大日経等の勝劣は漢土にしてしりがたかりけるかのゆえに、金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻、已上
227-229ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房真言宗と申すは、日本人王第四十四代と申せし元正天皇の御宇に、善無畏三蔵、大日経をわたして弘通せずして漢土へかえる。また玄昉等、大日経の義釈十四巻をわたす。また東大寺の得清大徳わたす。これらを伝教大師御らんありてありしかども、大日経・法華経の勝劣いかんがとおぼしけるほどに、かたがた不審ありし故、去ぬる延暦二十三年七月御入唐。西明寺の道邃和尚、仏隴寺の行満等に値い奉って止観円頓の大戒を伝受し、霊感寺の順
222-227ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房かくのごとくありしかば、さては法華経は華厳経・涅槃経にもすぐれてありけりと震旦一国に流布するのみならず、かえりて五天竺までも聞こえ、「月氏の大小の諸論も智者大師の御義には勝れず。教主釈尊両度出現しましますか。仏教二度あらわれぬ」とほめられ給いしなり。その後、天台大師も御入滅なりぬ。陳・隋の世も代わって唐の世となりぬ。章安大師も御入滅なりぬ。天台の仏法ようやく習い失せしほどに、唐の太宗の御宇に玄奘三
217-222ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房問うて云わく、華厳の澄観、三論の嘉祥、法相の慈恩、真言の善無畏乃至弘法・慈覚・智証等を仏の敵とのたもうか。答えて云わく、これ大いなる難なり。仏法に入って第一の大事なり。愚眼をもって経文を見るには、法華経に勝れたる経ありといわん人は、たといいかなる人なりとも、謗法は免れじと見えて候。しかるを、経文のごとく申すならば、いかでかこの諸人仏敵たらざるべき。もしまた恐れをなして指し申さずば、一切経の勝劣空し
215-217ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房ある人疑って云わく、漢土・日本にわたりたる経々にこそ法華経に勝れたる経はおわせずとも、月氏・竜宮・四王・日月・忉利天・都率天なんどには恒河沙の経々ましますなれば、その中に法華経に勝れさせ給う御経やましますらん。答えて云わく、一をもって万を察せよ。「庭戸を出でずして天下をしる」とは、これなり。癡人が疑って云わく「我らは南天を見て東西北の三空を見ず。彼の三方の空にこの日輪より別の日やましますらん。山を
10月に一度お茶を飲みに行った事のあるお店がとっても素敵だったので、そんな話を友達にしたら、行ってみたいって!私も次はランチに行ってみたいと思っていたので、早速予約しましたそれが昨日、青空の広がる絶好のランチ日和です♪桜梅桃季鶴川香山園にある旬菜割烹のお店です♪小田原線鶴川駅から徒歩3分くらいの所とは思えないほど、広い敷地に素敵なお庭があって、タイムスリップしたみたいな気分になれます以前のブログがこちら『古民家でランチ❤︎古民家でお茶』アメリカに住んでいる友人が帰ってきました
212-215ページ(010)報恩抄建治2年(ʼ76)7月21日55歳浄顕房・義浄房日蓮これを撰す。夫れ、老狐は塚をあとにせず、白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すら、かくのごとし。いおうや人倫をや。されば、古の賢者・予譲といいし者は剣をのみて智伯が恩にあて、こう演と申せし臣下は腹をさいて衛の懿公が肝を入れたり。いかにいおうや、仏教をならわん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。この大恩をほうぜんには、必ず仏法をならいきわめ智者とならで叶うべきか。譬えば、衆盲をみちびかんには生
210-211ページ(009)撰時抄建治元年(ʼ75)54歳西山由比殿いかようなることのあるゆえに、身命をすつるまでにてあるやらん。委細にうけたまわり候わん。答えて云わく、予が初心の時の存念は「伝教・弘法・慈覚・智証等の勅宣を給わって漢土にわたりしことの『我は身命を愛せず』にあたれるか。玄奘三蔵の漢土より月氏に入りしに、六生が間身命をほろぼしし、これ等か。雪山童子の半偈のために身をなげ、薬王菩薩の七万二千歳が間臂をやきしことか」なんどおもいしほどに、経文のごときんば、これらにはあら
208-210ページ(009)撰時抄建治元年(ʼ75)54歳西山由比殿問うて云わく、古かくのごとくいえる人ありや。答えて云わく、伝教大師の云わく「当に知るべし、他宗の依るところの経はいまだ最もこれ第一ならず。その能く経を持つ者もまたいまだ第一ならず。天台法華宗の持つところの経は最もこれ第一なるが故に、能く法華を持つ者もまた衆生の中に第一なり。すでに仏説に拠る。あに自歎ならんや」等云々。夫れ、驥の尾につけるだにの一日に千里を飛ぶといい、輪王に随える劣夫の須臾に四天下をめぐるというを
今季もたくさんのボールが紡ぐ物語日本が世界に誇るJリーグは最後の最後まで我々サッカーファンを盛り上げてくれましたhttps://ameblo.jp/pico2015futsal/entry-12950133470.html『人間力と言語化力』日本が世界で4位これじつは…https://soccerhihyo.futabanet.jp/articles/-/109636史上初の観客動員「1試合平均…ameblo.jp話題をガラリと変えるようですが…自分はかつては毎晩のように飲み歩き
207-208ページ(009)撰時抄建治元年(ʼ75)54歳西山由比殿問うて云わく、慢煩悩は七慢・九慢・八慢あり。汝が大慢は、仏教に明かすところの大慢にも百千万億倍すぐれたり。彼の徳光論師は弥勒菩薩を礼せず。大慢婆羅門は四聖を座とせり。大天は凡夫にして阿羅漢となのる。無垢論師が五天第一といいし。これらは皆、阿鼻に堕ちぬ。無間の罪人なり。汝いかでか一閻浮提第一の智人となのる。地獄に堕ちざるべしや。おそろし、おそろし。答えて云わく、汝は七慢・九慢・八慢等をばしれりや。大覚世尊は三界第
205-207ページ(009)撰時抄建治元年(ʼ75)54歳西山由比殿問うて云わく、第二の文永八年九月十二日の御勘気の時は、いかにとして、我をそんぜば自他のいくさおこるべしとはしり給うや。答う。大集経五十に云わく「もしまた、諸の刹利国王にして諸の非法を作し、世尊の声聞の弟子を悩乱し、もしはもって毀罵し、刀杖もて打斫し、および衣鉢・種々の資具を奪い、もしは他の給施に留難を作す者有らば、我らは彼をして自然に卒かに他方の怨敵を起こさしめ、および自界の国土にもまた兵起・飢疫・飢饉・非時の
203-205ページ(009)撰時抄建治元年(ʼ75)54歳西山由比殿あわれなるかなや、なげかしきかなや、日本国の人、皆無間大城に堕ちんことよ。悦ばしきかなや、楽しきかなや、不肖の身として今度心田に仏種をうえたる。いまにしもみよ。大蒙古国、す万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下万民にいたるまで、一切の仏寺、一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱え、掌を合わせて「たすけ給え、日蓮の御房、日蓮の御房」とさけび候わんずるにや。
200-203ページ(009)撰時抄建治元年(ʼ75)54歳西山由比殿問うて云わく、正嘉の大地しん、文永の大彗星は、いかなることによって出来せるや。答えて云わく、天台云わく「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」等云々。問うて云わく、心いかん。答えて云わく、上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば、弥勒菩薩・文殊師利菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人々も、元品の無明を断ぜざれば愚人といわれて、寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆえにこの菩薩を召し出
197-199ページ(009)撰時抄建治元年(ʼ75)54歳西山由比殿問うて云わく、いかにと信ぜらるるや。答えて云わく、この夢の根源は、真言は法華経に勝ると造り定めての御ゆめなり。この夢吉夢ならば、慈覚大師の合わせさせ給うがごとく真言勝るべし。ただし、日輪を射るとゆめにみたるは、吉夢なりというべきか。内典五千・七千余巻、外典三千余巻の中に、日を射るとゆめに見て吉夢なる証拠をうけたまわるべし。少々これより出だし申さん。阿闍世王は天より月落つとゆめにみて、耆婆大臣に合わせさせ給い
193-197ページ(009)撰時抄建治元年(ʼ75)54歳西山由比殿これよりも百千万億倍信じがたき最大の悪事はんべり。慈覚大師は伝教大師の第三の御弟子なり。しかれども、上一人より下万民にいたるまで、伝教大師には勝れておわします人なりとおもえり。この人、真言宗と法華宗の奥義を極めさせ給いて候が、「真言は法華経に勝れたり」とかかせ給えり。しかるを、叡山三千人の大衆、日本一州の学者等、一同帰伏の宗義なり。弘法の門人等は、大師の法華経を華厳経に劣るとかかせ給えるは我がかたながらも少し強きよ