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【新日本プロレス】3大スーパーファイト-新日プロ創立10周年記念-1981/6/24東京・蔵前国技館⑧谷津日本デビュー戦60分3本勝負○●○スタン・ハンセンアントニオ猪木●|vs|アブドーラ・ザ・ブッチャー谷津嘉章●○流血○ハンセン9:06ウエスタンラリアット→体固め谷津●●ハンセン0:38場外乱闘→反
【新日本プロレス】IWGP&WWFチャンピオンシリーズ1985/6/11東京体育館+≪⑨優勝戦≫【WWF】●アンドレ・ザ・ジャイアントvsアントニオ猪木○13:50腕がロープに絡まり→エプロンカウントアウト<⑧WWF認定ヘビー級選手権試合>【WWF】○ハルク・ホーガンvs藤波辰巳●11:04アックスボンバー→片エビ固め※レ
最近、歳のせいかとんと読書量が減っていたのですが、昨日、大森イトーヨーカ堂のくまざわ書店を覗いたところ、こんな書籍を衝動買い同じような書籍・雑誌が、自室”闘魂庵”の書棚にごまんと並んでいるというのに・・・・・・ただ一つ違うのは、この二冊の著者が小生より年下である事若い頃に夢中になって読んでいた桜井康雄さん・竹内宏介さん・鈴木庄一さん・田鶴浜弘さんらの著作そして、プロレスの味方村松友視さんの三部作何度も何度も繰り返し読んだものですプロレス・プロ空手・キックボクシングを語り始めた
「あのミサイルキックはすごすぎたよ!」「札幌のやつだよね。あれはすごかった」タイガーマスクの話になると、必ず話題になるタイガーマスクのミサイル・キック。1982年2月5日、札幌中島体育センターでのブレット・ハート戦で放った一発。いや~何度見てもすごい。走ってくる相手にジャストのタイミングでスワンダイブ式のミサイル・キック。フォームがまた美しい。文句のつけようがない。完璧ですね。惚れ惚れしてしまいます。小鉄「これは完全にフォールできますよ。今のは良かったです
誕生日ペドロ高石(1966/55歳)岩佐拓(1978/43歳)ジャックス・ダン(1981/40歳)ジュース・ロビンソン(1989/32歳)忌日ラリー・シャープ(2017/65歳)桜井康雄(2017/80歳)出来事2019ストロングマシーン・Jがデビュー<後楽園ホール(ドラゲー)>2018上村優也、辻陽太がデビュー<新宿FACE(ライオンズゲート)>2011カヨ☆フジモリが引退<新宿FACE(WAVE)>2005GAEA
多くの方が御存じの通り1984(昭和59)年後半から1985(昭和60)年頃の新日本プロレスは文字通りの冬の時代だった。主力選手の大量離脱WWF(WWE)との提携終了と正に苦しい状況下の中アントニオ猪木vs藤波辰巳と言う所謂「師弟対決」のカードが組まれたのは要はもう此れっきゃ無いと言う状況下だったからだろう。闘いに箔をつける事はつきものと言わんばかりに特別レフリーには鉄人・ルー・テーズを招聘。そんでもって若し此の勝負に藤波さんが勝利すれば猪木さん、藤波さん
YouTubeを通じてプロレスを見始めた頃良く観ていた年代の新日本プロレスの試合は1981(昭和56)年から1984(昭和59)年の頃。今日は其の頃の試合の中でブームの一端を担っていた藤波辰巳(現・辰爾)さんと長州力さんの『名勝負数え歌』に就て。所謂「軍団抗争」って言う言葉が定着したのは此の頃からで其の闘いの最前線に立っていたのが藤波さんと長州さんな訳だけど1982(昭和52)年10月8日後楽園ホールで発生をした「かませ犬」事件の時点で藤波さんが29歳。長
昨日は、東大駒場キャンパス、学際交流ホールでのトークイベント『「東大野球部小史」~東大の野球と私との80年~』に参加。午前11時から2時間。参加者は、約50名。講演者は、東大野球部OBの竹田晃元監督(S28卒、東大名誉教授・元教養学部長)。竹田氏は現在89歳だが9歳から旧制一高、東大野球部を見続けてこられた方。自らも東大野球部OBで、監督も務められた。89歳とは思えない、記憶力と話し上手で旧制一高と東大野球部の貴重なお話を伺えて、非常に楽しかった。かつて、他大学は、東大に負け
先日、ケニー・オメガが久しぶりにDDTのリングに登場しましたが、新日本の「入国妨害」騒動には仰天しました(笑)新日本ハロルド・メイ社長のコラム。第66回「そんなことするわけないでしょ!」https://www.njpw.co.jp/freediary/harold-george-meij66「一企業ができるわけもなく」そりゃそうだ(笑)なんでこんなすぐウソとわかるような噂が広まったんですかね。仮に新日本とケニーの間にクリアされてない契約上の問題があったとします。例え
世界の柔道王山下泰弘氏がJOC会長に就任!?という話題が出ていますね。山下氏といえば、先日の新間さんのトークショウで「おじいちゃんは、契約金受け取ってくれたんですよ!」という話題が出ました。たしかにそんなコトもあったなぁ。。。古くは遠藤幸吉、木村政彦、山口利雄、坂口征二、アントン・ヘーシンク、ウィリアム・ルスカ、バッドニュース・アレン、そして小川直也。プロレスに転向した柔道家は多いものの、名前ほど活躍できていないよなぁというのが、僕の正直な感想です。ルスカとアレンの喧嘩マッチは壮絶でし
12月7日初代タイガー・マスク率いるリアルジャパンプロレスの興行が、後楽園ホールで行われました。テーマは「原点回帰」そして、サブタイトルは「新間寿激怒!」前回の興行で行われた大鵬の孫、納谷幸男のデビュー戦(vs雷神矢口)の試合内容に、立会人として観戦していた新間氏が「なんだ、この試合は!?こんなものは俺の知ってるプロレスじゃねぇ!これがプロレスと言うなら、俺は二度と来ない!」と激怒。メインイベントを見ずに、会場を後にした新間寿氏の姿がサブタイトルに繋がっています。納谷のデビュー戦は私
先日の終戦記念日、靖国神社に行った際、境内の相撲場に行ってきました。ここが、大正10年(1921年)にプロレスvs柔道の異種格闘技戦が行われた場所なのかっ・・海外で柔道家に勝利して柔道世界チャンピオンを勝手名乗っていたプロレスラーアド・サルテルが、総本山の講道館に挑戦。受けて立つ日本柔道家。勝敗は如何に・・・・。こんな本が、我が闘魂庵(自室)の書棚にありました。桜井康雄の名著「実録小説プロレス対柔道」小生も読み返してみよう・・・・こんな時代のお話しでしょうか
※あの世とこの世は紙一重、ならば^^「元気があればなんでもできる。元気がなければなんにもできない」(参院議員アントニオ猪木)行動原則として、自分が元気になりそうな場所に出向き、元気になりそうな本を読み、元気になりそうな映画を観て、元気になりそうな人のいる所に顔を出す、、、のは決して間違ってはいないのですが、最もコストパフォーマンスが良いのは、他人を元気づけること。自分が他者を元気づけることが出来た
4月10日多臓器不全で80歳で逝去された、元東京スポーツ編集局長で最古参プロレス評論家、櫻井康雄氏の葬儀が行われた。私は一昨日の通夜に参列させていただいた。神奈川県本厚木の厚木市民病院前にあるJAの斎場で約500人程の参列者が参列。斎場入口には、プロレス関係の品々が展示され多くの花輪が飾られていた。櫻井先生とは先生が晩年、講師をされていたルミネ荻窪にある「よみうりカルチャー」で行われていた「昭和プロレス講座」開設以来参加させていただき、色々なお話を伺うことが出来た。この講座は、
元祖・猪木本の決定版、東京スポーツ新聞社より発行された「燃えよ闘魂」は、4種類の表紙。桜井さんがゴーストライターと言われている。昨日は、桜井康雄さんの、主に解説者としての思い出を綴ってみた。桜井さんの、もう一つの顔・ライター、と言うより、こちらが本業であるが・・・トウスポは勿論、私が子供の頃、数多くの桜井さんの本を読んだ。私が一番大好きなプロレス本「燃えよ闘魂アントニオ猪木自伝」猪木寛至・著という事になっているが・・・ある、トークイベントで猪木さんが「あれは俺が書いたんじゃ
また一人、昭和時代プロレス界の巨匠がお亡くなりになった。桜井康雄さんの、突然の訃報に、驚きと共に、何とも言えぬ寂しさを感じる。心よりご冥福をお祈り致します。私がまだ、右も左も分からないプロレス少年時代、桜井康雄さんは、第一線のプロレス・ライターであり、桜井さんの記事や、プロレス実況の解説を聞いて、プロレスにのめり込んだ。私にとって、桜井さんは、雲の上の方であった。初期の新日本プロレス中継、舟橋慶一アナと、解説・桜井康雄さんのコンビによる実況は、実に素晴らしかった。「燃える闘魂」
ルミネ荻窪で「昭和プロレス講座」を長年教えていただいていた元東京スポーツ取締役編集局長で元テレビ朝日「ワールドプロレスリング」解説者の櫻井康雄先生が2017年4月10日午後10時42分、多臓器不全でご逝去された。享年80歳。今年1月中旬から闘病生活を送られていたが残念。3月上旬、病院へお見舞いに伺った時「僕は、まだ死にません」と元気におっしゃられていたのが記憶に残っている。おそらく力道山を直接取材したことのある最後のプロレス記者で日本の昭和プロレス全盛期の生き証人。再起を目指しておら
考えてみれば本日3月8日は、私の63歳の誕生日だ。この年になると1年1年が勝負。来年の誕生日が迎えられるか分からないからだ。隠居生活も4月から4年目に入る。毎日が日曜日。経済的に一抹の不安もあったが何とかなるものだと実感した。先日、プロレス最長老評論家、桜井康雄先生のお見舞いに神奈川県厚木市の病院まで行ってきた。櫻井先生はICUに逆戻りしていたが記憶力も言葉もはっきり。「僕は、そう簡単には死にません」と力強くおっしゃられていた。是非、再起を期待したい。別の日、女優で歴史を