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早良親王について早良親王(さわらしんのう、生年:天平勝宝2年〈750年頃〉?-没年:延暦4年〈785年〉)は、奈良時代末期の皇族・僧侶です。光仁天皇の皇子で、母は高野新笠。桓武天皇・能登内親王の同母弟にあたります。兄の桓武天皇の皇太子に立てられましたが、藤原種継暗殺事件に連座して廃太子となり、絶食の末に亡くなりました。死後に**崇道天皇(すどうてんのう)**と追諡されましたが、実際に皇位についたことはなく、歴代天皇には数えられていません。ja.wikipedia.org生涯の概要母
P1156(八五ウ)人ノ心住所ニ似タル事、如三シ随二フガ水之器一ニト云ヘリ。卜(二)居於高嶺一ニ1鎮ニケハシキ坂ヲ上リ下レバ、衆徒ノ心武クシテ、僑慢ヲ為先一ト。サレバ昔シ将門、宣旨ヲ蒙テ、御使ニ叡山ニ登リケルガ、大嶽ト云ミオロス2所ニテ京中ヲ直下ニ、僅ニ手ニ拳ル計ニテ覚ケレバ、即謀叛ノ3心付ニケリ。白地ノ登山猶然ナリ。何況於旦暮之経歴一ニ哉。抑延暦寺ト申ハ、伝教大師草創ノ砌、桓武天皇ノ御願也。伝聞、伝
日本に暮らしている外国人に対する「永住許可の厳格化」が進められている。永住だけでなく、ビザの切り替え時の「在留手続き手数料」も大幅に引き上げられている。また日本国籍を求める場合の「帰化要件」についても、居住期間を一気に長期化するなど、外国人管理の強化というより、外国人を締め出しにかかっているとしか思えない。それもこれも、「在留外国人の急増が、治安や社会保障制度に悪影響を及ぼすと言った根拠の乏しい言説を、政治が煽るような姿勢」になっているからだろう。今日の京都新聞の社説欄では、こ
前記事のことを調べていると、こちらに導かれたのか?と思ってしまったくらいの動画がアップされていました。タイトル:将門公復活!悪徳政治を終わらせろ!TheWolfチャンネル2日前の配信です。今さらなのですが平将門公について勉強になると思っております。大変詳しくリポートしてくださり感謝です私はもともと歴史について全く興味が持てず勉強にも意欲が湧きませんでした。なのでドラゴンチャンネルで将門公のことを非常に熱を持って発信されていたことは意味が
2026-07-26京都三条駅京都市京セラ美術館に行こうと歩いていると⋯ん?なんだろ?行ったことないかも〜行ってみよ♪トコトコ〜年代モンの神社っぽい感じがする大将軍神社桓武天皇の時のかぁ〜入りました〜ご挨拶します入った所と違うトコから出ます立派な神社でしたトコトコ〜綺麗なお花が咲いてます大きな鳥居のところまで来ましたそれにしても、暑いなあぁ〜トコトコ〜
昨日は、平城天皇の祭日でした。第五十一代平城(へいぜい)天皇は、平安時代初期の天皇です。和風諡号は日本根子天推国高彦尊(やまとねこあめおしくにたかひこのみこと).。御父は桓武天皇、御母は藤原乙弁漏(おとむろ)、桓武天皇擁立に尽力した藤原良継の娘。また歌人で有名な在原業平は孫です。宝亀五年(774年)桓武天皇の第一皇子として誕生。御名は小殿(おて)、後の安殿(あて)親王。在位、延歴二十五年(806年)~大同四年(809年)。++怨霊渦巻く平安京と言われた平安時代は、前例のない事
三重県漫遊3日目。鳥羽のホテルから朝一で友人と一緒に2回目の外宮参りをして、朝食を食べてから向かったのは伊勢市の西に位置する度会郡。その度会郡西南の大紀町にユニークな神社がありました。(最寄駅は紀勢本線大内山駅)<旅の行程>1日目:伊勢2日目:伊勢→二見→鳥羽3日目:伊勢→度会→志摩→鳥羽4日目:伊勢→鈴鹿存在も知りませんでしたが、頭の病気、脳梗塞を患っている私に気を利かせてくれたのか、友人お勧めの"頭にご利益がある神社"との事で、立ち寄る事に。たまにはエ
いや~、暑かった。今日の午前10時前に、所用のため自転車で外出したのだが、半袖から出ている腕が日光に当たって、痛く感じるくらい日射しが強かった。我が家から自転車で10分ほどの距離まで行っただけだが、嫌気がして来るくらいの日射しでうんざりした。さすがに、これはもう、半端な暑さではないという気がした。夕方のテレビの天気概況でも、京都市の最高気温は午後3時半ころに、近畿地方でトップとなる39.7℃を記録したと言っていた。オイオイ、あとほんの少しで40℃ではないか。岐阜県や愛知県では、
湊公園を一回りして、那珂湊漁港に向かう道に戻ります。那珂湊漁港の場外にある「那珂湊おさかな市場」は、県内外から年間100万人以上の来客があるひたちなか市最大の観光スポットです。歩くごとに磯の香りが強くなり、漁港に近づいていることを感じます。那珂湊港の岸壁に沿って「那珂湊おさかな市場」を中心に海産物の販売店、飲食店が並び、多くの買い物客で賑わっていました。寿司や海鮮丼がお値打ちらしく、お店の前には行列が出来ています。「海鮮丼」というメニューが登場したのはいつごろでしょうか。私
皇室典範・・・関心はない天皇家の血はこの2千年で全国に散らばっているはず私の名字を検索すれば桓武天皇の玄孫から始まったってネットに出てくる要は今の日本人なんか、そのほとんどが天皇家の血を受け継いでいるのかもしれない今、自民党が一生懸命天皇制が維持されるように尽力してみたいだが天皇家をどうするかを決めるなんて平清盛みたいなことをやり始めたってことだよな今の国会議員の中で天皇家との姻戚関係者はどのくらいいるんだろう中には自分に流れる血を未来の天皇に流し込みたいと考えている自
こんにちは😃今回は平安京に都を移さなければならなかったあの事件と悲劇の親王。そうです。早良親王について掘り下げてまいります。彼が怨霊となり長岡京から平安京に都を移した事は結果的に良い事だったようにも思いますが。。。【仏教への深い傾倒】早良親王は、政争の絶えない宮中から距離を置こうとしていたのか、あるいは純粋な信仰心からか、若くして出家し、仏教を深く学んだ人物として知られています。◼️学問僧としての側面:東大寺や大安寺などの名高い寺院で学び、「親王禅師」と称されるほど高い教養と仏教
今朝の地震は強かったです。その時間、私は大学に行くため、電車を駅で待っていました。揺れ始めてから数秒後、これは危ないと思って駅舎の外に出ました。当然、電車はストップ。それから1時間ぐらいたってから、大学からの連絡で午前休講という知らせが届きました。※午後は授業をするという通知が出ましたが、電車を使っている人はちょっと無理では…休講になった授業は、授業調整期間(8月上旬)に行うと思います。しかし、その期間は佛教大のオンラインスクーリングと、札幌に行って日ハムの野球観戦の予定が入ってい
先々週から連日ずっと予定が入って外出しててさすがに疲れがでたのか日曜の夜は早めに寝たのに朝8時までぐっすり月曜日は久しぶりに何も用事がないので本を読む日にしましたメールもLINEも見ない・・のつもりでしたがあまりにピコピコ来るので気になってちょこちょこチェックメールは夕方にまとめてお返事急ぎはなくてラッキーでしたさてさて読んだ本は『天皇家と源氏』臣籍降下の皇族たち奥富敬之著吉川弘文館奈良時代より「継嗣令」で臣籍降下する時期が定められていて、一般的に第六世
小樽龍宮神社例大祭の出店です。正直、出店に行くより神事や奉納行事、渡御を観るほうが大好きなのですが(笑)ちょっと立ち寄ってみました。
延光寺39番~善楽寺30番/四国八十八ヶ所26.06/06sat.愛媛東予港(06:00-17:45)40番平城山観自在寺、南宇和郡愛南町概ね東に1時間ほど、高知県宿毛市修行の道場(土佐)、39番赤亀山延光寺乗用車は仁王門下西に進み右折して、本堂本堂本尊薬師如来に納経左側内向きに、大師堂納経…南無大師遍照金剛……間を石段上ると、護摩堂大師堂の左に、新西国霊場本尊奉安所本堂の右横に、子育て地蔵菩薩像その向かい奥に、眼洗い井戸「宝医水」聖観世音菩薩像
撮影日:2026年6月13日「藤森神社」から緩やかな上り坂を約2km歩いて「桓武天皇柏原陵」と書かれた所までやって来ました。交通量が多いので注意しながら撮影地図を見ると「伏見桃山城」に向かうにはこちらが近道みたいなので歩いて行くといたしましょう!少し上り坂・・・折角なので「桓武天皇柏原陵」も見学させていただきます。桓武天皇柏原陵で、目的の「伏見桃山城」に到着いたしました!ふぅ~・・・
今日は小樽龍宮神社例大祭本祭に行って来ました。早い時間だったので、まだ境内は静かでした。神社に隣接する石蔵にて隕石から造られた刀「流星刀」が限定公開されていました(流星刀の撮影は禁止ですので画像はありません)。サンモール商店街の神輿渡御の様子です。先祓いは「小樽潮太鼓」です。続いて道案内役の「猿田彦命」様。そして御神輿が渡御します。龍宮神社のH宮司様です。榎本武揚公の玄孫、榎本隆一郎氏と実行委員会の方です。松前神楽の舞や演奏を行う方たちです。「龍宮子供奴・大人奴」です。「エ
こんばんは‥(^_-)-☆今の奈良市は気温が23℃と少し蒸し暑い日になりましたね。ドジャース1-0レイズ(2026年6月16日ロサンゼルス)ドジャースの大谷翔平投手(31)が16日(日本時間17日)、本拠でのレイズ戦に「1番・DH」で先発出場。3試合ぶりの本塁打となる15号を放ち、チームの連勝に貢献した。試合後、デーブ・ロバーツ監督(54)が17日(同18日)は投手に専念させる方針を示した。試合後、指揮官は「彼は明日投げる」と予定通り、先発登板すると明言。
応仁の乱勃発の地・御霊神社(上御霊神社)@京都市営地下鉄烏丸線・鞍馬口駅から徒歩2分におまいりました。桓武天皇勅願・富岡鉄斎ゆかりの神社です。日本最古のクッキー・日本最古の焼菓子と言われる「唐板」を500年以上作り続けている老舗・水田玉雲堂さんの真向かいです。京都市営地下鉄烏丸線・鞍馬口駅からすぐのところに案内板がありました。1924年(大正13年)、最晩年の富岡鉄斎が描いて御霊神社に奉納した「吉祥宝船図」の木版刷りをいただきました。2000円。A3サイズか、想像以上に大き
第五三代淳和(じゅんな)天皇は平安時代初期の天皇です。生年は延歴五年(786年)。御父は平安京に遷都した桓武天皇、御母は藤原百川の娘、旅子。御名は大伴(おおとも)。即位後、大伴氏は天皇の御名と同性なのは畏れ多いと伴氏へ改姓しています。桓武天皇の第七皇子。第五一代平城(へいぜい)天皇・第五二代嵯峨天皇は異母兄弟。また、嵯峨天皇は同じ年に生まれています。大伴親王(当時)は、父帝の死を機に臣籍降下を願い出ましたが、皇太子(平城天皇)に慰留されました。というのも、皇太子と神野親王(後の嵯峨天
ここまで、天智天皇と弘文天皇、そして桓武天皇の陵を巡ってきたワタクシ。桓武天皇の陵ご参拝の後に寄り道して向かった先は、タイトルどおりとなります。城から陵へ近鉄丹波橋駅より桓武天皇陵を参り、伏見桃山城の模擬天守閣を拝んできました。次に向かうのは、これまた伏見桃山にある明治天皇陵となります。「同じ伏見桃山」と言っても、桓武天皇陵から伏見桃山城までと比べると、それなりに歩くことになります。もっとも、何キロも…というわけではないですが。地理院の地図を載せておきますね。
宇那禰神社(宮城県仙台市青葉区)『うなねじんじゃ』と読む宇那禰神社は、創建不詳ながら室町時代には既に存在していたことが確認され、1609年に現地に遷座された神社であり、御祭神は『桓武天皇』のようです▼神社入口▼▲御神石▲▲社号標▲▼鳥居▼▼石柱碑▼▲扁額▲▼御神燈▼▲参道▲▲境内庭園▲▼参道▼▲蹲▲▼古碑群▼▲参道▲▼山門▼▲狛犬/手水鉢▲▼境内▼▼装飾▼
このような高(たか)市(いち)首(しゅ)相(しょう)の醜(しゅう)態(たい)を見るほどに、先(せん)生(せい)から幾度と指(し)導(どう)頂(いただ)いた聖(しょう)徳(とく)太(たい)子(し)の姿が脳裏をよぎるものであります。仏(ぶっ)法(ぽう)を根底とした日(にっ)本(ぽん)を作った聖(しょう)徳(とく)太(たい)子(し)は、日(にっ)本(ぽん)とは比較にならない力を持った独(どく)裁(さい)専(せん)制(せい)君(くん)主(しゅ)であった隋(ずい)の皇帝(こうてい)煬帝(ようだい)に
時間軸的に前後しますが、せっかく天皇の陵について話が続いているので。今回は、桓武天皇の陵を訪れた時の様子をご紹介します。近隣に他の訪れたかった場所もあり、続けてご紹介する予定にしています。長岡京の元在住者として過去、京都府長岡京市に在住したことがあるワタクシ。その関係もあり、当ブログでは乙訓関係のネタもあげていたりします。その中で『長岡京』について触れてますが『長岡京のこと』筆者がWebサイトを作り始めた1999年は、京都府の長岡京市に住んでいました。『京都』というと
本日の早朝から、この春二度目の遠足に出かけます。明日、明後日と皆様には失礼をしますが、何卒よろしくお願いいたします。平安神宮境内平安神宮に行くと、境内の真ん中に紅白幕が張り巡らしてあり、何か祭事でもしているのかと思った。平安神宮境内の紅白幕幕の中にステージが作られてあって、めくりには古式四条流包丁式とあった。古式四条流包丁式この日、4月16日は平安神宮の例祭翌日祭で色々な
※天皇陛下及び政治家及び有名人は、氏名、生年月日、住所(ゼンリン地図にあるわよ)大公開されています。政治家達が、『背のリ』を企ててきている帰化人政治家達が、プロパガンダで、『個人情報』等と言いながら、これらを我々のような人間に隠さそうと、マインドコントロールをしていると考えられます。ゼンリン地図に載っているのに、非公開させようとは変です。皆さんも騙されないように!ブロック塀もプロパガンダを置きながら、建設会社が儲けたいだけですよ。塗料も一〇〇パーセント値上がりするそうです。もういいか
昨日四条の方に行ってみましたが実はそれほど人人人ではなかったですいつものようにインバウンドは多かったけど…やはりゴールデンウィークにまだ入ってない人がほとんどなんでしょうね京都も今週末くらいから観光客増えるのかな窓から見えるこちらは東福寺や伏見稲荷方面もう一方では東寺の五重の塔が見えます昨日は午前中はゆっくりして午後から例のお参りをしました蛸薬師と御金神社そしてそうだお寺でお庭を見ながらお抹茶頂こうと神社からタクシーで建仁寺
今日は小樽にお花見に行って来ました。小樽龍宮神社境内の桜です。
向日にある長岡宮東院跡です。平安京遷都までの最後の約2年間、長岡宮内裏が置かれた場所。長岡宮では天皇の住まいである内裏の場所が3度変遷。最初は西宮と呼ばれる場所(長岡宮第一次内裏)にあり、延暦8年、東宮(長岡宮第二次内裏)に移転しました。東院は延暦12年正月21日から平安京遷都の延暦13年10月まで内裏が置かれていた場所。平安京遷都が決まると、長岡京は解体されて主な建物は平安京に移築されたため、工事の間、桓武天皇は東院という場所に移り仮住まいをしていました。平成3年、向日市民温水プ