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●波濤(1939年)監督:原研吉主な出演:細川俊夫桑野通子徳大寺伸小暮実千代日守新一河村黎吉吉川満子岡村文子林芙美子の新聞連載小説『波濤』を映画化。滋賀から上京してきた見ず知らずの郷子(桑野)に対し、仮の宿から就職先までを世話する佐山(細川)なのだが、自身は数日後には召集の身。だからこそ心残りがないように郷子に誠意を尽くしたのだろうが、もうその時点で郷子は佐山にホの字。そんな彼女の気も知らないで、「郷子さんに良い縁談があったらよろしく〜!」とまで友人たちに頼む始末。
うさぎのうこちゃんがいなくなってからずっとずっとしょぼんな毎日をおくっていたけどこういうことをやったら少し元気がでるかな、と「昭和のきれいどころ」を集めてみましたそしたら少しごはんが美味しくなった多く集め過ぎて2回に分けましたあら、あの人がいないわなんて思う方もいらっしゃるかもしれませんがすべてはジャスミンの独断ですお生まれの順番にしました桑野通子・1915生原節子・1920生加藤治子・1922
桑野ミッチーのスチールとなると買ってしまう。スチールだのブロマイドだの買いあさっていると、たまに「これは複製だろ……」というのをつかまされることもあるが……これは睫毛の一本一本まで写りこんでいて、逸品。複製品ではない。よい買い物をした。ただ……弁護士の格好よりも女學生姿……あの制服姿のミッチーなら何倍も良かったのに……とおもう。(「新女性問答」お姉さんの川崎弘子が藝者さんになって、桑野通子の妹の学費を出して弁護士にする、とかいう話)(偶然というか、何というか、NHK
桑野通子さんの昔の写真お綺麗ですね!彩色加工させて頂きました。
「松竹映画の栄光と崩壊」他より『田中絹代は負けない』の2回目です松竹撮影所が蒲田から大船に移った頃27歳の田中絹代は鎌倉山旭ヶ丘に五百坪の土地を買いここに3棟合わせて25部屋もある「絹代御殿」と呼ばれる豪邸を建てた20代の終わりに近づきスター女優としてはもう若くはないという焦りがあった後から追いかけて来る若い女優たちに負けないためには大船に腰をすえて仕事に打ち込みたいまたナンバーワン女優を誇示するためにも
こんばんは!ちょっとヨイヨイです。🤣🍷今日はバレンタインデイですが、旦那にはチョコレートを買いませんでした⤵️😅その代わり、彼の食べたい豚汁を作り気持ちに寄り添ったつもり(笑)です。タヒチアンレッスンだったので心身気持ち良く疲れ💦それでもまあ頑張れたかな?😅旦那はえらく喜んでくれました😆B型旦那はシンプルで可愛い。🤣というよりB型関係なく、いつも一所懸命で生きてる旦那はこの歳になってようやく可愛く思えます。そして癒されます♨️最近、活力もりもりで頑張ってる人にエナジーと癒し
清水宏監督原作は川端康成さんの超短編小説「掌の小説」の中の一編「有難う」「掌の小説」は「てのひらの小説」と読んでいたけれど本当は「たなごころの小説」というのだそうですねで、この「掌の小説」は詩情あふれる短編が122編も入ってるほとんど全部康成さん20代の作品だそうで毎日、少しづつ読んでいくのが愉しいのよでは、映画ですネタばればれ、ご免古い古い映画ですが無声映画ではありません映画が始まるとすぐに観ている誰もがのんびりとした穏やかな雰
まず。うちのゆり坊12歳になりました。はやいものです。とても元気です。さすがに年相応に大人しくなってきました。が、暴れる時は暴れます。□□□□□□□□あいかわらず古いものを集めてしまいます。特に戦前松竹のスタア、「桑野通子」「高杉早苗」のものとなると……ついつい買ってしまう。以下、三枚桑野ミッチーグッズです。これは皇軍慰問用繪葉書というやつ↓↓支那との戦争にひきずりこまれてしまった頃のものです。(支那なんぞに関わると碌なことにならないのに
桑野通子大正末ころの一般書店に並んでいた詩集は、主に新潮社版「現代詩人叢書」のレモン色の小型版で、川路柳虹、生田春月、百田宗治が花形、生田春月の『新しき詩の作り方』がベストセラーだった。詩とは主として恋人の前で朗読され、詩集はポケットに入れて携行すべきものと考えられていた。以上は、中原中也や富永太郎、小林秀雄らと交流があった大岡昇平が若いころを回想した文章で、続いて小説では心境小説が優勢で新感覚派が台頭し始めていた。ようやくボードレール『悪の華』の全訳版が出版され、ランボーなどの散文
前々回の記事で国防婦人会の、このセエラア服のお孃さんの寫眞。千葉早智子さん、かなぁ……などと書いたのですが、全然違いました。まあ、おんなじPCLの女優さんではありますが……この人、霧立のぼるさんですね……大変失礼いたしました。三十坪の秘密基地さん、という方のツイッターに載ってた彩色バージョンも載せておく。言い訳を書いておくと……霧立のぼるのチャームポイントは「ちょっと両目の間隔があいている感じ」なわけよ。それが、このセーラー服の写真だと斜めを向いて
氷川丸の記事が途中なのですが、国防婦人会の写真を大量にゲットしてしまったのでその記事です。「大日本國防婦人會」というのが正式名称なのか?↓のボールペンと比べると分かるが、小さな写真。7㎝×9㎝一体どういうものなのか?不明。活動のPRなのか。割烹着着てる写真ばかりではなく、華やかな格好が多い。絹代ちゃんは割烹着着て、日の丸の旗振って、というのが絵になる。まあ、工場に託児所作って、家庭の奥さんたちに飛行機作らせていたアメリカ合衆国相手にこれでは勝てない、という
桑野通子さんの昔の写真素敵ですね!!何時もの様にわたくしの勝手なイメージで彩色させて頂きました。
どうも。何年も前から日本にも中国からの偵察気球が飛来していたにもかかわらず、それがどこから来たのか分からないという防衛省の情報収集・分析能力の無さが問題であり、それは防衛費増額してアメリカから年代物のミサイルを買っても解決しません。それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『淑女は何を忘れたか』です。恐妻家の大学教授の一家に、大阪からとびきり元気な姪が飛びこんできて、一騒動を巻き起こす(松竹・映画作品データベースより引用)。1937年公開作品。監督は小津安二郎で、出演は栗島すみ子
『有りがたうさん』1936年日本映画78分脚本・監督:清水宏原作:川端康成撮影:青木勇録音:土橋晴夫、橋本要音楽指揮:堀内敬三編曲:篠田謹治音響効果:斎藤六三郎伴奏:松竹管絃楽団現像焼付:納所歳巳、阿部鉉太郎撮影助手:吉田勝亮、斎藤毅、森田俊保配光:佐野広志衣装:柴田鉄蔵小道具:井上恒太郎結髪:遠藤末子自動車操作指導:武内秀浩、村田均造監督補助:沼波功雄、佐々木康、長島豊次郎記録:前島一雄撮影事務:田尻丈夫字幕:藤岡秀三郎出演:上原謙(
その4です。アサヒグラフ・昭和3年5月9日號掲載のパノラマ写真を手持ちの資料で解読しようとしています。(図書館へ行ったりするのはめんどくさいので(笑))写真で見る限り、今回取り上げる界隈――三丁目・松屋付近――が、昭和3年当時もっとも賑わっていたような印象です。写真⑫銀座四丁目・銀座三丁目番号をふります。67……〇田屋しょっぱなからビッグネーム。TAYAと写真から読み取れます。たとえ読み取れなかったとしても、「銀座細見」によれば――大正10年→田屋洋品
1946年に出血多量のため31歳で死去した、女優の桑野通子さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。桑野さんには、成功するが、不和に注意。かたくなな所がある。社交性があり、人気を得る。サポート役に向く。異性に注意。といった暗示があります。引き続き桑野通子さんの本名、桑野通さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。桑野さんには、家族縁や失敗に注意。かたくなな所がある。病難などに注意。ただし、幸福になるという運もある。現状維持を心掛ければ、安泰。といった暗示があります。常盤英文です。皆の
桑野通子さんの昔の写真清楚な美人さんですね。カラーにしてみました。
映画『伊豆の娘たち』(1945年)はシングルファザーとしっかり者の娘たちの結婚話を軽妙に描いたラブコメディですプライドの高いお嬢様役のイメージがある三浦光子さんが男嫌いを標榜する恋愛下手なヒロインをしっとりと美しく演じておられますが、なぜヒロインがそのようなキャラクターなのかと考えてみると、河村黎吉さん演じる陽気なお父さんにファザーコンプレックスを持っていることが読み取れますニッポンは戦後アメリカのスポック博士の育児方法の影響などで子供をできるだけ早く親から自立させる
つづきです。まず前回のおさらいなのですが……・絹代―桑野ミッチーのエス関係が描かれる。(「美代子さん、わたしの妹なんですもの」なるセリフ)・レヴューの場面が長すぎる。ということを書いたのですが……これは女学生を観客に取り込もうという松竹の戦略なのではあるまいか?などということを急におもったりしました。アサヒグラフの1936年の記事を紹介しましたが↓↓こういうスタアの「出待ち」の報道をみて……「この子たちをまるごと映画館に連れて行けば大儲けできるわい、ぐふふ」と
アナザー・ヤスジローもおもしろい。ちと大味だけどね。今回は「男性対女性」(1936)なのですが……こないだとりあげました、「家族会議」(1936)の宣伝が手持ちの「懐かしの復刻版プログラム映画史大正から戦中まで」に載ってたのでちと、みてみます。こんなです↓↓色々おもしろいです。おもしろいのは……誰がどう見ても高杉早苗たんメインの映画なのに↓↓下賀茂スター!!現代劇特別出演高田浩吉と、高田浩吉メインの宣伝をしている、ということか。スチール写真も、
アナザー「ヤスジロー」……島津保次郎の「家族会議」(1936)をみたのですが、なんだか、わたくし・トマス・ピンコのために作られたかのような作品でした。すなわち、世界一イケてる自動車メーカーモーパー……a.k.a.クライスラーの戦前の大傑作「エアフロー」を、1936年当時、おそらく世界で一番かわいかったであろう高杉早苗たんが運転、爆走する、という……エアフロー&高杉早苗それでお腹いっぱいのところに、ツヤコお嬢さまこと、三宅艶子著「ハイカラ食いしんぼう記」で読んで以
「淑女は何を忘れたか(1937」監督:小津安二郎脚本:伏見晃小津安二郎(ジェームス槙)71分。軽快でテンポ良い、ある家族を中心に巡るロマンティックコメディーというところ。戦前の「モダンな香り漂う東京山の手の裕福な家庭環境」の画も、目にも楽しいわね。小津のセンス、Nice!!!なかなかのヒット★3~4
3月某日。国立映画アーカイブ常設展「日本映画の歴史」をみてきた、という記事です。小津「浮草」の記事が途中なのですが、コレは記憶が新鮮なうちに書いておこうと思いまして――まずは上野。みはしさん。甘党カップルがひたすらに甘い物を食べるの図。わたくしは苺クリームあんみつ。甘すぎずおいしかった。ですが、もちっと暖かくなってからのほうが良かった。体が冷えてしまった。T子さん白玉クリームあんみつ。老舗のくせに若い女の子のアルバイト(推測)が多いような気が
タイトルだけは知っていたが、いつか見ようと思ってそのままだった。ちょっと堅そうな印象があって敬遠していたところはある。1946年4月に公開って、終戦からまだ1年も経ってない。焼け野原みたいなシーンも出てくる。この年は、日本映画自体そんなに公開されてないだろうから、そういう意味でも貴重な一本。溝口監督×女優田中絹代なので、面白くないわけがない。戦前戦後の名コンビ。女性映画の名監督というだけあって、女の悲しみや、逞しさ、女の生き様を描かせたらこの方の右に出る人はいないのは周知の事
恋も忘れて1937清水宏監督桑野通子主演桑野通子の魅力的な作品。和服姿も良いし、洋服も完璧に着こなす。声もいいし、歩き方もいいし、全部いいじゃねーか。映画の雰囲気も良いなぁ。終盤になるにつれ目が離せなくなるよ。さすが清水宏監督だ。
映画新女性問答観賞。1939桑野通子モダン川崎弘子古風三宅邦子母性当時20歳!桑野通子が輝き放ってますね。映画自体はかなり無理がある話しですが、役者陣の輝きがあり、最後まで楽しめました。