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2025年3月の「あんりフェス」以来のみなみゆきさんのステージでした。シンディ(桑原茉萌)さんのバースデーイベントでした。早着替えでたくさんの衣装でした。CindyLastIdol-私が私であるためにBirthdayEventRokusanAngel(BURLESQUETOKYO)Sunday,06July2025
ブログSTARTお久しぶりです6月が誕生日で仕事がバタバタしていた為、1ヶ月お休みをさせていただいてましたそして6月19日で無事26歳になりました誕生日にはファンのみんなとイベントをして沢山の愛に包まれたり、新しいチャレンジもしてきたので身体のことと合わせてまたこの辺りも書いて行きます体調ことを心配してくださったり、見続け応援してくださってる皆様ありがとうございますまたブログ書いていくので一緒に私の成長や活動、体調を見守っていただけると嬉しいですよろしくお願いします
世に伝えると思った瞬間世の中に伝えようと考えた瞬間、何もかも前向きに考えられるようになった私☀️18歳の頃のめちゃくちゃ痛かった手術の記憶があるから怖かったけど「あの時よりは大丈夫だろう」って思えたしどうやって世に伝えていくかを考え始めました自分が病気なことは今まで公には言ったことはなかったから、"元気で明るいシンディちゃん"の像を壊していいのかなって悩んだり、でも今回の手術を乗り越えるために自分自身の背中を押したかったわかりやすく言えば逃げ場を作りたくなかった怖い
何もかも考え方仕事or病気の手術どうするか悩んでいた私。そんな時に亡くなったおじいちゃんの言葉を思い出しました…『俺が生かされてるのは、この世でまだやるべきことがある』桑原茉萌『おじいちゃんが残した遺言』おじいちゃんからの忘れられない言葉おじいちゃんと孫たち📸今はもう亡くなってしまっているのですが私の大好きで尊敬するおじいちゃんの言葉で忘れられない言葉があり…ameblo.jpこの言葉の意味が私は18歳の頃はわからなかったけど24歳で再手術を検討することになった時に結びつ
番外編嬉しいことがありまくった今日の私のぼやきを聞いて下さい
シンディ誕生2019年4月1日に入店日を決め、桑原茉萌から"シンディ"に変身しました🪄ハーフでも何でもない私がなぜシンディと名乗りたかったか…本名ではなく違う名前を名乗った理由は違う自分に変身したかったからです新しい私になりたかった。その時、大好きなシンデレラが浮かびました💎シンデレラストーリーのように自分だけの"シンディストーリー"を作りたい!!!その願いを込めこの日からシンディちゃんが誕生しました(シンディちゃんになってもうすぐ4年目)
憧れの人からまさかの…バーレスクに初めて遊びに行った時、きらびやかな世界すぎて驚いただけでなくこの世界に入りたいという強い憧れを抱きましたこの日は私がInstagramでずっと見ていた会いたくて推しのりおさん(私の人生を大きく変えてくれる方)が出勤していて、終始可愛すぎて目を奪われてました💘そしてこの後、ショーが終わったチップタイムにて私の人生が変わる大きな出来事が訪れます…
僕は2010年1月にバイク乗車中に後方から大型トラックに追突され、対向車と正面衝突する交通事故に遭い、中途障害者となりました。今は、外出先では電動車椅子を使用しながら生活しています。最近、話題の「宗教」だけど、僕にとっての宗教は、大学がキリスト教系だった。事故る前にも「キリスト教概論」はあったけど、キリスト教に特に関心を持っていたわけではなく、成績も無難に「B」を取っていた。事故って、二年間休学してから、大学に復学した。同じ年に入学した友達はキャンパス異動してて、キャンパス内に
お腹への不思議桑原茉萌『思い込みってすごい!膨らむお腹』身体の不思議自分が病気だと気づく前は凹んでいたお腹が病気と診断された瞬間に丸く大きく膨らんでいったこの時は自分の身体を見て人体の不思議をめちゃくちゃ感じました…ameblo.jp手術をするまでは下腹部が丸く妊婦さんみたいに膨れ上がっていたのに、30cmの腫瘍がなくなると驚くほどぺったんこになっていて、嬉しいという感情よりも不思議が勝っていましたこれが本来の私の身体だったのかって思ったり、出産したらこんな感じなのかって感じた
身体の不思議自分が病気だと気づく前は凹んでいたお腹が病気と診断された瞬間に丸く大きく膨らんでいったこの時は自分の身体を見て人体の不思議をめちゃくちゃ感じました痩せてると思いたかった学生時代、お腹を意識的に凹ませていたのかウエストだけはちゃんとあった身体が病気とわかった瞬間、痩せてるように見せる必要がないと脳が感じたのか妊婦さんのように膨らむお腹今までなかったものが突然現れるいやーーー、怖かった!!日頃から意識って"ちゃんと意味がある"ことに気づきましただからどん
写真が1枚もない実は18歳の頃に手術・入院していた時の写真が1枚もありませんその理由がちゃんとあります当時、病気が発見され手術が決まった私に対して家族が思っていた気持ちそれは茉萌は死んでしまうと誰もが思っていたみたいです…写真を撮ることによって娘の死を認めているみたいだと思った父と母は写真を撮ることが怖いと思っていたらしく、その時の私の写真は誰も持っていません…今こうやって私がみんなに話すようになったからこそ写真は撮っておいてほしかったと思いますが撮らなかっ
不安が募る術後1週間で退院できると言われていたのに、なかなか体調が良くなることはありませんでした…尿管も抜けなかったり、歩行困難でベットに寝たきりだったり…そんな中、家族や友達だけじゃなく宮城県に住んでいる叔父や叔母、従姉妹たちも集まって会いにきてました。本来なら面会は嬉しいはずなのに、体調も良くならず痛みも酷くてメンタルがボロボロで限界だったその時の私は『もしかして私が死ぬと家族は言われてるからみんな会いにきてくれてるのかな?』とマイナスに思ってしまいました嬉しいこと
手術直後に伝えていた言葉手術後のリアルはこちらの記事をご覧ください桑原茉萌『手術後の衝撃!涙溢れる痛みとの闘い』術後の事実皆さん、医療ドラマなどで手術が終わった後に患者さんがやっと目を覚まして家族と号泣の再会みたいなシーンよく見ますよね??実はこれ…実際は全然違うんです…ameblo.jp過呼吸になったり、痛み止めを打ち続けてもらったり痛みとひたすら闘う日が続いたのですが、この時に私がよく口にしていた言葉がありますそれは…『お願いだから、笑わせないで』でした今の私の元気な
〜手術方法について〜全摘出するのか残すのか30cmもの大きすぎる私の身体の中の腫瘍は全摘出や開腹手術が通常だと考えられますが、将来芸能活動をしたいという夢や、傷跡が大きく残ってほしくないという願い、妊娠のリスクを考えて手術方法は腹腔鏡手術を選択し30cmの腫瘍を卵巣ごと全摘出するのではなく卵巣の中に入った腫瘍のみを抜き取り卵巣は残す方法を先生と相談し決めました簡単に説明すると🎈パンパンに空気の入った風船🎈にストローを刺して中の空気だけを抜き、余った風船の皮をくしゃくし
術後の事実皆さん、医療ドラマなどで手術が終わった後に患者さんがやっと目を覚まして家族と号泣の再会みたいなシーンよく見ますよね??実はこれ…実際は全然違うんです!!!!手術後のリアルを話すと病室への移動中に看護師さんから起こされます!だから自然と目を覚ますのではなくどちらかといえば無理矢理起こされますそこからひたすらに痛みとの闘いが始まります…私の場合は痛すぎて過呼吸になり酸素マスクをずっとつけてる状態になりました痛み止めを打ってもらってもすぐに効かずひたすらに涙を流
手術当日手術をする前に驚いたことがありますそれは手術室まで自分で歩いて行くということですストレッチャーなどで移動するのかと思いきや自力で歩く!!!手術室までの道のりが遠く感じて変な緊張でドキドキして足取りが重かったのを覚えていますさ!ら!に!!!手術室に入ってまた驚いたことがありましたそれはパイレーツオブカリビアンのテーマソングが手術室で流れていたのです前日の先生の問診の時に好きな曲があるか聞かれたのですが、私は「ディズニーソング」と答えました!ディズニーソングと
入院前入院前に唯一やったことがありますそれは…髪の毛を切る✂️↑髪の毛を切る前の高1の私📸高校生の頃はJK=ロングという謎の憧れがあり手術するまではずっとロングヘアでした今は私はショートのイメージが強いからこれにはびっくりすると思います手術が決まり、入院も決まった時に"手術後、先生からOKが出るまで数日間お風呂に入れない"と言われた私は髪の毛が気持ち悪いドライヤーに時間が取られることも嫌だったので伸ばしていた髪の毛を思い切って切りショートヘアにしましたこのおか
初めての入院初めての入院に対する気持ちは手術が怖いお化けが出ないか怖い!!!でしたおばあちゃんが看護師をやっていて小さい頃から夜の病院の話を聞いたり、当時ホラー映画鑑賞にハマっていた私は無駄な心配と色んな妄想が浮かんでました特に…夜中のトイレがめちゃ怖かったぁ〜消灯時間が過ぎて電気の消えた廊下に赤く光るランプが不気味で怖くて仕方なかったですこのトイレが怖すぎて、トイレ付きの個室の人がめちゃくちゃ羨ましくて仕方なかった…手術の実感は直前まで上手く湧いていなくて手術く
おじいちゃんからの忘れられない言葉おじいちゃんと孫たち📸今はもう亡くなってしまっているのですが私の大好きで尊敬するおじいちゃんの言葉で忘れられない言葉がありますそれは…『この世の中に必要とされているから生かされているんだ』という言葉です。おじいちゃんは脳出血で半身不随になり本来であれば車椅子で動くのが普通でした。ですが市議会議員や少年野球の会長をしていたおじいちゃんは、人に教える立場なのに自分が頑張らなくてどうするとリハビリをひたすら頑張って"自力で歩くのは無理"とお医者
必要のない検査も存在するのかも…その日は、担当医の先生が休みで他の先生にみてもらったのですがそこで新しい先生から驚きの一言「なぜ君のような若さで体がんの検査をやったの?」通常、子宮体がんになるのは40代後半〜が多いみたいで30代でも早すぎると言われている病気みたいです市立貝塚病院参考「子宮体がん」について|市立貝塚病院子宮体部は妊娠した時に胎児を育てる部分で、子宮内膜組織から発生するのが子宮体がんです。40歳代後半から増加し、50歳代60歳代の罹患率が高くなります。www.hos
初めて体験した検査Q.セカンドオピニオンに行こうと思った原因A.20日連続で続いた謎の不正出血私はホルモンバランスを管理する為や、撮影日と被らないようにいつ来るか把握する為に昔からピルを飲んでいますその為本来であれば定まった日に出血するはずなのに、生理とは違う謎の不正出血が20日間続きました…(2022年10月26日〜11月14日まで)しかもそれも少しだけ出るのではなく、生理と変わらない量が20日間も続いたのです…最初の3日目くらいは"ホルモンバランスが崩れてるのかな"
異なる2つの検査結果桑原茉萌『【現在】混乱しまくり!セカンドオピニオンの検査結果とは』セカンドオピニオンの結果今日はセカンドオピニオンでかかった病院に検査結果を聞いてきましたクリスマス前日だから自分へのクリスマスプレゼントが診断結果みたいになっ…ameblo.jp〜今の状況〜軽度異形成の細胞が見つかったので再検査をしましょう子宮頚がんは異常なしでした。半年後に再検査をしましょうでも、"どっちの意見が正しいとか信用できる!"っていうのはまだ自分の中で見つけられてないから、あ
セカンドオピニオンの結果今日はセカンドオピニオンでかかった病院に検査結果を聞いてきましたクリスマス前日だから自分へのクリスマスプレゼントが診断結果みたいになってるなぁと1人で診察を待つ時間になんだか面白くなってしまいました↑サンタコスをする私Q.なぜ今かかってる病院があるのに違う病院に行ったのかというと体におこっている不審点を自分がちゃんと納得する形で見つけたかったからですいい方向にいってたら確かに最高なクリスマスプレゼントだなぁと思っていたらなんと…子宮頚がん異常
父からの1通のメール手術前日の夜、お父さんから1通のメールが届きましたそのメールの内容は「茉萌は桑原家の太陽だから太陽がいないと困ります」この1行が届きましたこのメールが届くまで私は父に愛されていないとずっと思っていました。普段から可愛いも言ってくれず、感情を全く伝えてくれない、わかりやすく言えば無愛想で不器用な父ですがこの1文を読んで、それは勘違いでちゃんと愛されていたことに気付けました。嬉しくて涙が止まらず、手術を頑張って乗り越えて早く元気になろうと1番背中を押してくれたの
支え続けてくれた親友親友のひな汰んこの子は大切な親友のひな汰んです私はこの子のおかげで学校生活を乗り越えることが出来ました酷い噂話を立てられていた反面、その話を耳にしたひなは友達に訂正を続けてくれて、手術のエールになるように声をかけてメッセージを集め、千羽鶴とメッセージボードを作ってくれました↑作ってくれたメッセージボードこのメッセージボードを見た時に、頑張って早く学校生活に戻ろうって思えたし何よりも私のためを思ってみんなに声をかけて行動してくれる親友の愛に感謝しましたひな汰
こんな風に言われるなんて酷すぎる…↑高校生の私私が病気に気づいたのは高校3年生の7月ちょうど夏休みの前でした手術をすることが決まって学校を休まないといけない日が何日間もあって、クラスメイトや学校の先生に伝えましたすると数日後からとんでもない噂が流れ始めたのですその内容とは茉萌は病気じゃなくて本当は妊娠してて中絶するという噂でした。この話を耳にした時、本当に辛かったし沢山泣きました私は死ぬかもしれないと思い込んでしまうくらい病気が怖かったのに思春期の学生からしたらそれは
子宮頚がんの検査結果病気が見つかった頃の私の過去を話してる途中ですが、今日は現在の私の身体の様子の話をさせて下さい私は卵巣腫瘍だけじゃなく21歳の頃から子宮頚がんの検査にも引っかかっているのですが今日は3ヶ月に1回検査している経過観察の結果を聞く日でした前回(2022年8月15日)の病院の時に初めて検査のたびに見つかっていた軽度異形成の細胞が無くなっていてとても嬉しかったことを昨日のように覚えています↑その時Instagramに載せたストーリーそしてこの時から3ヶ月たち11月に再び子
もう死ぬのか以外浮かばなかった…お姉ちゃんのおかげで体の中の中のしこりに気づいた私はお母さんと一緒に近くの病院に行きました熱があったので検温、採血、そして、しこりが気になってたからレントゲンも一応って気持ちで撮影してもらいました。「結果が出るのに1時間くらいかかるから待っててくださいね」と看護師さんに言われ、待合室で待っていると看護師さんにいきなり名前を呼ばれ診察室にすぐ通されましたレントゲンを見ながら先生が説明をしてくれてたけど私は何を言われているか理解が全くできず、隣
元看護師のおばあちゃん↑大好きな尊敬するおばあちゃん私が体の異変に気付いた時に唯一相談したのは大好きなおばあちゃんでしたおばあちゃんは元看護師っていうこともあったし、尿漏れのことを聞いてみました私「走ったり力んだりすると漏れることがあるんだけどこれって普通なのかな?」に対しての、その時おばあちゃんからの衝撃的発言が…『膣トレした方がいいんじゃない?』でした確かに高校生で性にも興味を持つ時期だったし、病気とは誰もが思ってなかったからそう言われて「みんなあることなんだ」と
異変に気づいたのは姉↑お姉ちゃんとの写真私の体の異変に気づいた第一号はお姉ちゃんでした私には3個離れた姉と5個下の妹がいて3姉妹の真ん中が私です高校3年生まで病気に気づかず生活をしていたのですがある日突然40℃の高熱が出ました便秘に悩まされていた私に姉が腸のマッサージをしてくれたのですがその時に右下の下腹部に丸いしこりをお姉ちゃんが発見してくれましたそこから一応病院に行った方がいいかもしれない↓30cmの腫瘍が発見されるという流れでした。姉とは喧嘩が多く、