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朝、4時前に起きて、洗濯物入れて、パワーヴォキャブラリーして、そしじ、年収1億円、年の差交際同棲結婚出産墓守等書いた。入浴昼寝瞑想した。有難う!ごみの日なので、ごみ出しした。河津桜綺麗!近所の掃除した。綺麗になり、良かった。有難う!そういえば、近所で庭木の落葉樹ぼうぼうで、落葉拾いや枝落としや伐採や除草剤散布していた家が解体、伐採、更地化された。スッキリした。有難う!私が先に、ごみ拾い掃除、その延長としての草取り
前回の投稿から、約1か月。春季キャンプを前に、あんな気持ちだったので、少なくともブログには触れない方がいいと思い、完全放置していた。しかし、最後の記事のタイトル「熟年離婚の可能性」で終わるのは違う気がして、いったん区切ることにした。そして、現在この記事を更新中。春季キャンプが始まり、チラッとGIANTSTVで様子を見た。松井秀喜が臨時コーチでやってきた第3クールだけだ。野球選手のユニフォーム姿はいい。松井に縋るように、積極的に指導を受けに行く選手たち。それに、丁寧に対応する松井
広島東洋カープホーム用・ビジター用1971年~1972年略年表1971年《ホーム・ビジター共通》帽子のマーク、胸ロゴ、胸番号・背番号、ラインにオレンジを採用したユニフォームに変更。1972年まで。ホーム用緑がかった紺にオレンジを採り入れたと聞くと、「読売ジャイアンツにあやかったんだな」と意地悪く勘繰る方がいると思いますので予め申し上げておきます。「そんなことはありません」と。1971年に「カラーテレビの普及に合わせて、帽子と胸マーク、背番号、ラインにオレンジのモールをつける
本日は、今年最後の更新となるため、野球の話。私の理想としているチームは、黄金時代の埼玉西武ライオンズである。1978年に西武がクラウンライターから球団を買収し、翌1979年から現在のベルーナドームを本拠地として、西武ライオンズとしてスタートした。初優勝は4年後の1982年。日本シリーズ制覇も達成している。異常に早くないか?買収される前年までは、万年Bクラスのチームである。監督が廣岡達郎に代わっていたので、強くなるとは思っていたが、それでも早すぎる。1983年もリーグ優勝を果たし、日本
昨日は忘年会があり、出席してきました。先月の飲み会と違い、今回は宴会も4時間ほどで終了。内臓には優しい飲み会でした。ただ!今回は『全員が私より年上の先輩』という飲み会。突然声がかかって参加したのですが、いちばん上の先輩で8歳上かな‥。60を過ぎた私も、その中では完全に『ペーペー』ですから。お酒を作ったりと、なかなか大変でした(笑)でもね、参加者の大半が元高校球児。今も草野球を続けている人ばかりなんですよね。さすがにパワーやスピードは落ちているのでしょうが、体はまだ筋肉質で、無
こ〜んば〜んわ👐舞めだか福岡店店長のマルですソフトバンクホークスマジック1ワンダホー!優勝が決まりそうになってから騒ぎ出すにわかファンの私が言うのもなんですが不思議な縁で繋がってるように感じてるんです私の記憶によると😅福岡に来てからのホークスのリーグ優勝決定カードってなぜかライオンズバファローズマリーンズこの3球団で球場もビジターだと所沢が福岡の次に多い(球場の名前は変わってるので地名で🙇♂️)縁な
さらに続いて、当ブログ2022年4月5日に書いた「根本陸夫さん、血まみれの尻で関根潤三さんの投球を受け続ける」を以下に再録します。***ひとつ前の当ブログの続きです。こうして関根潤三さんと根本陸夫さんのバッテリーが誕生します。関根さんは練習で何百球も投げこむタイプで、しかも本気で投げ込むので、キャッチャーにも本気を要求します。そんな我儘に文句も言わず付き合ってくれたそうです。ある日、後逸したボールを取りに後ろを向いた根本さんを見ると、ユニフ
引き続き、当ブログ2022年4月5日に書いた「関根潤三さんと生涯の盟友・根本陸夫さんとの出会い」を以下に再録します。***ひとつ前の当ブログで、関根潤三さんと藤田省三さんの出会いについて書きました。日大三中に入る前の小学校時代から、三中、法政大、近鉄と続く縁はまさに生涯の恩師と呼ぶに相応しいです。そして、関根潤三さんの野球人生においてもう一つの大きい出会いは、根本陸夫さんです。根本陸夫さんについては、当ブログ4月4日にも書きましたが、後年、その幅
このところの当ブログで、8月10日に77歳で亡くなられた水谷実雄さんに絡めて、コーチとして何人もの強打者を育てた関根潤三さんのことに触れています。関根潤三さんが亡くなられたときに書いた、当ブログ2022年4月4日「元祖“二刀流”の関根潤三さんがすごい選手だったと知っていますか」を以下に再録します。***ひとつ前の当ブログで、根本陸夫さんの盟友・関根潤三さんに少し触れました。関根潤三さんは2020年4月9日に亡くなりました。93歳、老衰ということで
【長嶋茂雄永遠伝説】先日、「長嶋茂雄永遠伝説」(小林信也著、さくら舎)を読んだ以下は、一部抜粋第七話監督解任の衝撃長嶋、浪人になる午後、球団の意向を聞かされた長嶋は、血がにじむほど唇を噛んで、これを受け入れほかありませんでした。「男のけじめ、です」しかし、明らかにそれは長嶋自身の決断でなく、読売巨人軍に強いられた、切ない服従にほかなりません。形の上では「辞任」。しかるに実態は、スポニチが伝えたとおりの「解任」でありました。西武ライオンズの思惑根本
ひとつ前の当ブログに続いて、当ブログ2024年10月21日に書いた「広島カープのコーチ時代の関根潤三さん、水道の元栓を止めたという“力石徹”のようなエピソード」を以下に再録します。***ひとつ前の当ブログの続きです。日大三中時代、関根潤三さんが藤田省三監督に猛練習で鍛えられた話を書きました。その日大三中に転校してきたのが根本陸夫さんです。茨城中を退学になって、日大三中に転校してきた根本さんは、関根さんと同い年ですが「ダブり」を重ね、2学年下だったの
図書館で最後に借りた本は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようあれ!?地元の公民館に図書室はあるけど図書館は何処にあったっけ?…(・.・;)「図書館記念日」1950年(昭和25年)「図書館法」が設置されました…📚️但し、1872年(明治5年)4/2に文部省が東京都文京区の湯島聖堂内に「書籍館(しょじゃくかん)」を開設したのが現在の図書館の始まりで、4/2は「図書館開設記念日」となっています…📚️「国際ジャズデー」2011年(平成23年)11月に制定され
著者は根本陸夫について上梓しているが、これは周辺の人物から見た根本陸夫の人物像。話は関係者が以前にもどこかしらで話している事も多く、目新しさを感じない人もいるかもしれないが、栗山英樹の話は一見接点がなさそうに見えるだけに、意外なと思わせたし(考えてみたら、現役の際は関根潤三が監督だったから、無いわけではないのだが)、同じ話であっても興味深い話はやはり興味深く、現在のように規範をやかましく問われない時代だったからこそ歴るのかなと思わせる郷愁のようなものを感じて、そうした意味では昭和史であり、
ひとつ前の当ブログの続きです。日大三中時代、関根潤三さんが藤田省三監督に猛練習で鍛えられた話を書きました。その日大三中に転校してきたのが根本陸夫さんです。茨城中を退学になって、日大三中に転校してきた根本さんは、関根さんと同い年ですが「ダブり」を重ね、2学年下だったので日大三中では1年しかバッテリーを組んでいません。関根潤三さんは「東京六大学リーグ」で野球をしたいと法政大に進みますが、根本さんはそのまま日大に進学しました。なので「縁」は終わりかと思いきや、法政大の藤田省三監督が、捕手不足のチー
★福岡ソフトバンクホークス★『思い出を、超えていけ。』〜30thDOCUMENTARY〜このシーズンオフにプロ野球チームの映像作品を観るのは〈阪神タイガース〉〈千葉ロッテマリーンズ〉に続いて3球団目となるホークスただし去年を振り返った2チームとは内容的には違っていて日本初の開閉式ドーム球場となる"福岡ドーム"オープンからの30年を時系列で描いたドキュメンタリー映画同じパ・リーグの北海道日本ハムファイターズファンで
球界地図を変えた男「根本陸夫」20数年前の書籍です。球界地図を変えた男・根本陸夫浜田昭八・田坂貢二著日経ビジネス人文庫刊2001年11月1日初版発行¥667現役時代は二流捕手、監督でも11シーズンでAクラスわずか1回だけの男に、なぜ球界地図を大きく塗り替えるような仕事ができたのか。赤ヘル・カープの基礎を固め、西武王国を築き、ダイエーを球界の雄に育てた、「わからない人」根本陸夫の生涯を追うノンフィクション。この書籍で取り上げたい部分は、P52の記述です。
ひとつ前の当ブログに、日本プロ野球の公式記録で「生涯打率ランキング」1位になっているのは、レロン・リー選手であるということを書きました。生涯打率.320を誇るリーさんですが、大の苦手だったのが西武ライオンズにいた永射保投手です。永射投手について2021年2月7日に書いた当ブログを以下に再録します。タイトルは「大好きだった技巧派サウスポー、永射保投手」です。***水島新司先生の「野球狂の詩」のヒロイン・水原勇気のピッチング・フォームのモデルとなった永
(1981年西武ファンブックより)足のある有望選手の加入で、機動力と大砲をうまくミックスして優勝をねらうとキッパリ。もともと選手の素質を見抜く能力は天下一品。試合の流れに応じて、機知に富んだ采配を振るってくれることだろう。【1981年の根本陸夫】西武監督:3年目(55歳)、背番号81【1981年監督成績】(※西武成績)シーズン成績:130試合、61勝61敗8分、勝率.500、4位(1位日本ハムと7.0ゲーム差)・前期成績:65試合、33勝28敗4分、勝率.541、2位
6/1東京ドームソフトバンク6-3巨人勝東浜5勝1敗S藤井4勝1S負赤星2勝3敗東浜−藤井=甲斐赤星−伊納−菊地−鍬原=大城、岸田本吉川2号、ウォーカー10号、増田陸2号昨日は自身初の5打席連続空振り三振という屈辱を味わった柳田。今日はリベンジが出来るでしょうか?初回から三森、牧原大とフルカウントまで粘りながらも内野ゴロになると、柳田を迎えます。まだまだ外角の完全なボール球に手を出すなど良くはない状態で、詰まられされ
ご訪問ありがとうございます。相変わらずのミニカーのお時間でございます。プロ野球も交流戦に突入したとのことで、グラウンドを背景として用意してみました。プロ野球の世界では、レギュラー争いは熾烈ですが、ミニカーの世界でもそのようですよ。2台のクルマがレギュラー争いをしています。その2台のクルマとは、街の遊撃手こといすゞ・ジェミニになりますね。野球というスポーツにおいては、ショートのポジションは重要なので慎重に検討を重ねたいところです。1台ずつ見て行こうではあり
猛虎フィーバーに沸いた1985年、私は母を亡くしました。もう、随分と前のことです。それゆえ、私の精神にはなにかが欠落しているのではないかと思うことが度々あります。もう3年ほど遡ります。1982年、私は西武ファンになりました。その年の正月に東大和市に引っ越したからです。当時の西武線沿線の子どもは大抵ライオンズブルーの、手塚治虫先生のジャングル大帝が描かれたあの帽子を被っていたのです。もう一年前から、あるいは所沢移転元年の1979年からのファンだったならば、今の私もだいぶ違っていたかもしれませ
ひとつ前の当ブログの続きです。こうして関根潤三さんと根本陸夫さんのバッテリーが誕生します。関根さんは練習で何百球も投げこむタイプで、しかも本気で投げ込むので、キャッチャーにも本気を要求します。そんな我儘に文句も言わず付き合ってくれたそうです。ある日、後逸したボールを取りに後ろを向いた根本さんを見ると、ユニフォームのお尻の部分が真っ赤になっていたそうです。毎日、しゃがんで何百球も受けているうちに痔になって血まみれだったのです。それでも、一言も言わず、痛みに耐え受け続けてくれたのです。さらに、打
ひとつ前の当ブログで、関根潤三さんと藤田省三さんの出会いについて書きました。日大三中に入る前の小学校時代から、三中、法政大、近鉄と続く縁はまさに生涯の恩師と呼ぶに相応しいです。そして、関根潤三さんの野球人生においてもう一つの大きい出会いは、根本陸夫さんです。根本陸夫さんについては、当ブログ4月4日にも書きましたが、後年、その幅広い人脈で西武ライオンズやダイエー・ホークスなどのチーム作りで辣腕をふるい「球界の寝業師」の異名をとった方です。そんな根本さん、学生時代から貫禄十分だったそうです。根本
ひとつ前の当ブログで、根本陸夫さんの盟友・関根潤三さんに少し触れました。関根潤三さんは2020年4月9日に亡くなりました。93歳、老衰ということですから大往生といっていいかもしれませんが、東京六大学野球で活躍され、2リーグになったときから、選手(それも投手、野手)、コーチ、監督、解説者としてプロ野球にかかわってきた方です。もう、貴重なお話が聞けないのは本当に残念でなりません。何しろ、関根さんは沢村栄治さんに会っているお方です。日大三中時代、たまたま練習していたグランドに巨人軍も来ていて、投球練
このところの当ブログで、根本陸夫さんのことを取り上げていますが、2016年9月26日に『根本陸夫伝プロ野球のすべてを知っていた男』(高橋安幸著集英社)という本が発売されました。(今は「集英社文庫」になっているようです)この著者の高橋安幸さんという方が2008年に出された『伝説のプロ野球選手に会いに行く』(白夜書房)という本がめちゃくちゃ面白くて買って即、一気読みしたのを思い出します。10人の往年の名選手へのインタビュー集なのですが、昭和10年の巨人軍の第一回アメリカ遠征にも参加した名遊撃手
ひとつ前の当ブログで、1979年球団発足1年目の「西武ライオンズ」が開幕12連敗しても、特に動こうとしなかった根本陸夫監督には、前身の「西鉄ライオンズ」の豪快な野武士野球のファンのために「西鉄」イメージの残像を優先し、勝敗は度外視してたという説を取り上げました。いわば、「西鉄~太平洋クラブ~クラウンライター」から「西武」という全く違うカラーのチームへの移行を緩やかにするために1年目を使ったということでしょうか。そういう意味では、ガラッとメンバーを変えようとしている新庄BIGBOSSが勝敗度外視
ひとつ前の当ブログで書いたように、阪神タイガースの矢野監督がキャンプ前に「今年で退任」と発表し、「矢野さん、監督やめるってよ」と書かれたTシャツを作って、「予行演習だ」と胴上げ練習している光景を見たとき、僕は今年はダメだろうと予感しました。これからキャンプという、いちばんやる気を起こさせる時期にやる気を落とすような発表をし、さらに選手たちがそれを「ギャグ」にしているのですから「求心力」の低下は否めません。それでも、まさか9連敗とはねえ。この9連敗で、タイガースはセ・リーグの「開幕連敗記録」を更
1/15にNHK-BS1で放送された『レジェンドの目撃者』。そのレジェンドは秋山幸二。言わずと知れたライオンズ黄金期AKD(秋山幸二,清原和博,O・デストラーデ)砲の一角。(NHKHPより)(週間ベースボールより)ライオンズからダイエー請われて根本睦夫が代表となり、大型トレードを敢行。更に、王には監督招聘時「秋山がいる前提で監督を引き受けた」と言わせた男。番組の中で、秋山はライオンズに居続けたら選手としては多分成績は残せただろうと言っていた。と言うのも、「強
お疲れ様です。記憶に残る野球選手は?引退後は近鉄バファローズコーチ、広島東洋カープコーチ・監督、クラウンライター→西武ライオンズ監督、福岡ダイエーホークス監督の他、西武ライオンズ球団管理部長、福岡ダイエーホークス代表取締役専務・代表取締役社長と、球団フロントの要職を歴任した。ニックネームは「球界の寝業師」。ドラフト会議やトレードで辣腕を振るい、その仕事ぶりは「根本マジック」と呼ばれた。肩書きこそ違ったが、事実上のGMとしてその敏腕ぶりを発揮。本人は「私はつなぎ監督なので」と話していた通り、