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人道の港敦賀ムゼウム。中は撮影禁止。敦賀港が受け入れ港となったポーランド孤児やユダヤ難民についての展示施設。孤児は、列強のポーランド分割に抗って政治犯としてシベリア抑留された人々や移住者の子どもたちで、ユダヤ難民はもちろんナチスの迫害による。どちらもここ敦賀港からそれぞれの行き先に向かった訳だが、当然日本に入国してからもその先も、苦難は続いたろうな。当時の港の建物群外観を再現復元したものが展示館になっていた。命のビザを大量発給した杉原千畝氏は有名だが、他にも、南米オランダ領キュラソー
品川区ヨガ講師&ライターのヨガファミリーです。https://www.yoga-family.net/今回はライターのお話です。和樂web和樂web日本文化の入り口マガジン小学館がおくる日本文化の多様な楽しみかたを発信するwebメディア!日本美術、工芸、浮世絵、茶の湯、歌舞伎、焼き物、和菓子など日本文化の入り口となる情報をお届けします。intojapanwaraku.comで、私の書いた記事が掲載されました。「命のビザ」のバトンは繋がっていた。杉原千
ダイヤモンドとユダヤ人、その切っても切れない関係JBpressダイヤモンドは、18世紀になるまでは、インドからヨーロッパにもたらされるものでした。そのダイヤを研磨し、そして販売していたのがユダヤ人だったのです。ソーサーは紅茶を飲むためのもの意外な歴史をチコちゃんが紹介しらべぇ17世紀初頭には、オランダ貿易会社が日本からお茶を輸入しはじめたことを契機にヨーロッパにお茶文化が広まった。つまり、ヨーロッパで最初に飲まれていたの...英「ペニー・レイン」受難徳島新聞ペニー・レ
宮崎市は6月2日、ソ連で1941年ユダヤ難民のために根井三郎(1902~92)が独断で出した通過ビザを米国で初確認したと発表した。外務省のウラジオストク総領事代理として、根井は国際的信用のためにビザを発給したと記録されている。『命のビザ、遥かなる旅路――杉原千畝を陰で支えた日本人たち』(交通新聞社新書)の著者である北出明氏が、サンフランシスコに亡命したポーランド系ユダヤ人シモン・コエンタイエルの孫から寄せられた1941年2月28日付の通過査証(敦賀に入港して横浜から米国へ出港)を確認した。
皆様おはようございます😊朝にネットニュースを読んでビックリして目が覚めた😲日本のシンドラーと呼ばれた杉原千畝さんと共にビザの発行をした宮崎県出身の外交官根井三郎が発給したビザが初めて発見されたとニュースで伝えられました!これは凄いですね✨ネットニュースによると今回、見つかったのは、根井三郎がポーランド出身の家族に単独で発給したビザで、東京都在住のフリーライター北出明さんが、長女の娘からビザの写真提供を受けました。ビザには、昭和16年2月28日敦賀横浜経由アメリカ行きと書かれ、根井三
命のバトンリレー「命のビザ」新たに発見根井三郎氏が発給第2次世界大戦中に旧ソ連ウラジオストク日本総領事代理だった宮崎県出身の外交官、故根井三郎(1902~92年)が、ナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人に発給したビザが初めて見つかり、宮崎市が2日、写真を報道陣に公開した。「命のビザ」で知られる外交官の故杉原千畝発給のビザに、根井が署名したものが既に確認されていた。宮崎放送の画面コピー--------・--------・「命のバトン」リレー根井三郎このユダヤ人など
「七人の侍」資料も故廣澤さん保管資料、小田原市に寄贈カナロコ(神奈川新聞)小田原市出身の脚本家で、東宝の映画助監督を務めた廣澤榮(ひろさわ・えい)さん(1924~96年)が保管していた脚本や取材写真、シナリオなど約500件、計...マカオミュージアムが考古資料展示コーナーをリニューアルマカオ新聞ICMによれば、近年、マカオ半島の歴史市街地区において複数回の発掘調査を行い、陶片や翡翠、石細工などが出土。また、1973年から2006年にかけて...“天神さん”のお宝一挙公開
水澤心吾(みさわしんご)さんによる一人芝居を観た。第二次世界大戦の最中、ナチスによるユダヤ人虐殺が行われた。そのとき、リトアニア日本領事館領事代理の杉原千畝氏は、逃げまどうユダヤ人たちに一筋の光となるビザ(日本を通過し、アメリカなどナチスの手が届かない所へ逃れるための)を発給しつづけた。当時の日本はドイツ・イタリアと三国同盟を結んでおり、外務省からは、難民へのビザ発給許可は下りなかった。(以前、調べたときには、行き先が明確に定まっていて、相応の資産がある者には発給されるこ
先日、敦賀市を訪問し、人道の港敦賀ムゼウムという展示施設を見学しました。敦賀港は、ロシア極東のウラジオストック港との間に、1902年から1941年にかけて、航路が設置されていました。1912年には、シベリア鉄道を利用する路線も始まりました。その中で、ロシア革命とその後の内戦により、本国帰還の途を閉ざされたポーランド人政治犯などの孤児たちがシベリアに孤立し、人道上の危機を迎えたため、ポーランド本国の篤志家たちが、シベリアに進駐していたアメリカなどの欧米諸国に孤児救出を要請しました
いわゆる「杉原美談」では、外務省の命令に背いて杉原がビザを発給したことになっています。そしてそれが原因で外務省をクビになり、死後まで復権できなかったという反日宣伝の材料とされています。杉原千畝1939(昭和14)年9月、ドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵攻し、独ソ不可侵条約の秘密条項で、ポーランドは分割・占領され、バルト三国はソ連に占領されます。ユダヤ人は独ソ軍に迫害され、ユダヤ教の神学生は隣国リトアニアに逃れ潜伏します。海軍におけるユダヤ問題の第一人者犬
12月17日付けの宮崎日日新聞に次のような記事が掲載されていました。タイトルは、「ユダヤ人数百人に発給根井三郎(本県出身外交官)「命のビザ」ロシアの研究者見解」記事のあらましは、次のとおりです。・第2次世界大戦中にナチスの迫害を受けていたユダヤ人難民の数百人が、本県出身の故根井三郎が発給したビザ(査証)を持って日本に渡ったとの見解をロシアのホロコースト研究者が示していることが分かった。・根井がソ連ウラジオストク日本総領事代理を務めていた時期に、ユダヤ人難民が51
(9月4日付け、宮崎日々新聞より…)…第2次世界大戦中に本県出身の外交官・故根井三郎が、ビザ(査証)を持たないユダヤ人難民に対し、人道的支援などを目的に独断で通過ビザを発給したと記載された文書がロシアに保管されていることが1日、分かった……。根井がユダヤ人難民について、日本行きの船に乗せることを一時停止させるとした外務省の命令に反発した電報は残っていたが、独断で救済したことを示す資料はなかった……。根井の研究を進める国士舘大21世紀アジア学部のジンベルグ・ヤコブ教授は『根井氏が人道的支援を
「鬱陵島争界」関連史料の再解釈7Yahoo!ブログ-Yahoo!JAPANここで、松島(独島)までの距離は伯耆国と約120里だが、松島から朝鮮までの距離はそれよりはるかに近い80~90里程度ということと、松島が因幡と伯耆いずれ...まるで異国の風景!鹿児島県伊佐市「曽木発電所遺構」と「曽木の滝」たびねすしかし今回紹介する「曽木発電所遺構」と「曽木の滝」は、県北の伊佐市に位置しています。新幹線や高速道路からも少し離れ、ちょっと秘境然としていますが、縄文人の頭骨、腕輪