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栗橋宿の場面で,お札を剥がした伴蔵が入れ上げているお国の夫,宮野辺源次郎は足にけがをしていて悪化しています。これはお国が源次郎をそそのかせてお露の父を殺害したときに逆襲されて負った怪我でした。落語では殺害の場面は演じられていませんでした。それでも何となくそんなことがあったらしいと思っていました。今回の歌舞伎では,その殺害の場面が演じられていました。そのため,源次郎の足の怪我のことはよくわかりました。
新作校正進行中です。ラストスパートには微妙にまだ早いか?新作情報。この間、忍書房様と同じ日に訪れた埼玉県久喜市の利根川と、栗橋宿跡。新作の舞台はこのあたり……と。智本光隆
こんにちはソラです少しずつですが、体調は回復気味!!このまま続けばいいな…そして気がつけばもうすぐゴールデンウィーク!!半年以上前から考えていたスペシャル企画の旅の予定!無理しすぎないようにしながら初夏の日本を楽しめたらいいな…ぜひお楽しみに!街は一気に初夏の装い!!わが家の紅白オオムラつつじも特に手入れしてないけどなぜか今年は色が鮮やか!?ご近所も花盛り!実や種がつかないのにツツジの花は何のため咲くのだろう?おしゃれなモッコウバ
2026年2月21日御宿場印めぐり栗橋宿(くりはしじゅく)は、江戸時代に整備され、栄えていた宿場町である。日光街道・奥州街道の内江戸・日本橋から数えて7番目、すなわち武蔵国のうち第7の宿である(現在の埼玉県域では6番目)。当宿と利根川対岸の中田宿は合宿の形態をとっており、両宿を合わせて一宿とする記述も有る。街道:日光街道・奥州街道御宿場印:栗橋宿購入場所:栗橋総鎮守八坂神社栗橋宿の規模は、天保14年(1843年)の記録によると人口1,741人、本陣1、脇本陣2、旅
3日目スタート!前の日の終わった一里塚から八坂神社⛩️神社の周りは、道を整備したらしく、木々もなく小高い丘の上で見晴らしもよいここは、狛鯉さん武蔵国ともお別れ👋下総国に突入!茨城県です〜中田宿鶴峯八幡宮今回の旅は、ここまでさて、続きの旅はいつやらやら
自転車で五街道を辿るシリーズ第4弾の日光道中。旧日光街道を辿る、その2日目のつづき。幸手宿の出口である御幸橋(中川)を渡るとすぐに左に折れ、旧道を進みます。日光街道道しるべ小右衛門一里塚(弁財天祠堂)小右衛門の庚申塔・十九夜塔川通神社川通神社の力石会津見送り稲荷炮烙地蔵栗橋宿に入ります。栗橋宿です。栗橋関所址の碑栗橋まちめぐりスタンプが設置されていました。利根川橋(R125)で利根川を
6月3日月曜日〜その1020時25分、コンビニでお買い物。21時20分に家戻り。雑事少々。(写真)12枚組DVD-BOX『落語研究会六代目三遊亭圓生全集下』〜六「牡丹灯籠栗橋宿/百川」(H22年3月3日TBS)を見る。23時25分、入浴。水分補給に、三ツ矢サイダー。
日光街道・奥州街道④「栗橋宿〜間々田宿」前回記録『日光街道・奥州街道③「粕壁宿〜栗橋宿」』日光街道・奥州街道③「粕壁(春日部)宿〜栗原宿」前回の記録『日光街道・奥州街道②「草加宿〜春日部(粕壁)宿」』日光街道・奥州街道②「草加宿〜春日部(粕壁)宿」…ameblo.jp予定では、宿泊している小山宿から、電車で栗橋宿に戻って小山宿まで歩くつもりだった。それにしても暑い🥵日になった!日傘無しではツラいよなぁ〜!栗原宿を抜けると、堤防に突き当たり「八坂神社」があった。お参りして行く。デカい
日光街道・奥州街道③「粕壁(春日部)宿〜栗原宿」前回の記録『日光街道・奥州街道②「草加宿〜春日部(粕壁)宿」』日光街道・奥州街道②「草加宿〜春日部(粕壁)宿」前回は、『日光街道・奥州街道①「日本橋〜草加宿」』日光街道・奥州街道①「日本橋〜草加宿」朝、次男に空港まで送っ…ameblo.jp今日は雨を覚悟しての歩き。ホテルから歩き始めるから、朝ドラを見ても早目のスタートだ!粕壁宿をヒタヒタと歩く。小淵一里塚跡。江戸から9番目。そこから少しで、「左日光道」の道標があった。すぐ側のコンビ
2月12日月曜日〜その14(写真)116枚組CD-BOX『圓生百席完全盤』〜47「牡丹燈籠三、栗橋宿・おみね殺し四、栗橋宿・関口屋強請」三遊亭圓生(H11年12月ソニー・ミュージックハウス)を聴く。HDDをチェック。
2023.10.19ピッカピカの神社[あてのない埼玉ドライブ]次は栗橋(久喜市)に立ち寄ります栗橋町は、江戸時代には日光街道の交通の要衝の地として関所が設けられ、また江戸に至る利根川舟運の拠点として船主や旅人で賑わう宿場町であり、商業・交通の中心地として発展しました。小高い新しい丘?に鎮座する栗橋八坂神社めちゃくちゃ新しい神社(2021年に移転したようです)栗橋宿総鎮守八坂神社御祭神:素戔嗚尊もともと猿島郡五霞村に鎮座。正確な創建年代は不詳ですが、現在
3月1日水曜日〜その10編集者から届いた、先週分の雑誌を読む。19時15分、夕食。献立は、おでん、ゆで野菜とミニトマトのサラダ。デザートに、irisマローネ、アメリカンコーヒー。(写真)16枚組CD『六代目三遊亭圓生名演集⑤』〜「牡丹灯籠栗橋宿/樟脳玉」(H18年3月22日ポニーキャニオン)を聴く。
2022年9月10日快楽亭ブラック毒演会@お江戸上野広小路亭前回8月27日の会が思いのほかよかったので、裏を返すことに。前回からわずか二週間でかなり時事ネタが続いて、師匠の毒もヒートアップ。一、目黒の秋刀魚やはり最新の時事ネタ、エリザベス女王崩御のネタから。一番ウケたのは「なにしろ本物の国葬ですから」大爆笑&拍手万雷。「これでこっちの胡散臭い国葬には小物しか来ないから費用も浮くでしょう」もウケた。女王陛下のユーモアのセンスを讃えて、江戸時代のお殿様の小噺から「目黒の秋刀魚」へ。本編に入
日光街道の御宿場印を集める企画。第六宿の幸手を訪れた後、そのまま東武日光線に乗って向かったのは、埼玉県久喜市にある栗橋駅。ここには過去、何度か「鉄道むすめ」のスタンプラリーで訪れた事があるので見慣れた光景です。この栗橋は、今年の大河ドラマにも少し関係がある場所で、源義経と別れ、生まれたばかりの我が子も奪われて鎌倉から追われた静御前。義経を追い、彼が逃れた平泉を目指したものの、その途中、義経の死を知ります。悲しみに暮れた静御前も病に倒れ、この周
今年のGWは、日光街道を北上することにしました。ロードバイクに乗るの、久しぶりです。ちゃんと走れるかな💦天候は晴れ☀️気温も暑すぎず、サイクリング日和です😁日本橋から越谷宿までは、走っていますので、続きを走ります🚴日光街道ライド日本橋~越谷宿『日光街道ライド日本橋~越谷宿(3)』先日、中山道を日本橋まで走ったのですが、帰り中山道を通らず、日光街道を通って帰ります。途中までは、奥州街道と重複します。スタートは、中山道と同じ日本橋です。日…ameblo.jp実は今回は、日光街道
旧日光街道、御宿場印めぐりサクラが満開の幸手権現堂桜堤を満喫して次の宿場町『栗橋宿』を目指します『幸手宿』からは二里三町(約8.3km)の距離です『栗橋宿』までは、ほとんどの道程が国道4号に沿って続く側道が旧日光街道です桜堤から程遠くない場所で、サクラの穴場を見つけました権現堂川沿い工業団地あたり・・・とでもお伝えしておきます川の向こう側には、某一流企業の工場が見えていますその後も、道脇に咲く花々を愛でながら街道を進みます
公共機関を乗り継いで東武鉄道の南栗橋駅に到着し(そこから500メートル以上歩き(^^;)、前回たびを終えたところまでやってきた。今回の首都圏滞在中では、今日のたびが最後となる見込み。出来るだけ歩こうと思う。たびを再開。ガイドブックに従い道なりに歩き、新幹線の高架をくぐり抜け、しばらく歩くと堤防に上がる道に出た。このあたりからグーグルマップとガイドブックが指し示す道が一緒になっていた(^^)。堤防に登ってすぐ左に入る道があった。グーグルマップやガイドブックに従い、左折して
←読み始める前に応援クリックをお願いします!こんにちは、新井けんです。現在、菖蒲地区にて進められている「新たなごみ処理施設に併設する余熱利用施設」と「(仮称)本多静六記念市民の森・緑の公園」を一体整備し、”賑わいを創出する”検討が行われています。6月30日に開催された全員協議会において、整備にあたってPFI導入可能性調査のスケジュール等が示されました。※PFI(プライベイト・ファイナンス・イニシアティブ)とは、公共施設等の設計、建設、維持管理及び運営に、民間の資金
←読み始める前に応援クリックをお願いします!こんにちは、新井けんです。4月より「日光街道・日光西街道」の御宿場印の販売が始まり、「栗橋宿」も近々に始まるとアナウンスさせていただいておりました。新井兼『《久喜市「栗橋宿」》日光街道『御宿場印』の販売が始まります!』←読み始める前に応援クリックをお願いします!こんにちは、新井けんです。江戸・日本橋から日光坊中を結ぶ「日光街道・日光西街道」の御宿場印の販売が始まって…ameblo.jp「栗橋宿」の御宿場印について
←読み始める前に応援クリックをお願いします!こんにちは、新井けんです。江戸・日本橋から日光坊中を結ぶ「日光街道・日光西街道」の御宿場印の販売が始まっています。4月22日より先行して14宿場の御宿場印のプレ販売が開始されました。5月下旬より、久喜市の「栗橋宿」を含む全28宿場の御宿場印がそろう予定です。御宿場印は、コロナ禍における地域経済活性化を目的に足立成和信用金庫が企画し、鹿沼相互信用金庫、足利小山信用金庫、結城信用金庫及び各地域の観光協会やNPO団体の協力により
【怪談牡丹燈籠】「お露の駒下駄の音」とかけて「銭湯で滑って転んだ人」と解くその心は「カランで転んで(から~んころ~ん)・・・」「伴蔵とおみねの夫婦喧嘩」とかけて「国会議員の討論」と解くその心は「悪口雑言の奥州の栗橋(応酬の繰り返し)」「萩原新三郎を亀戸に連れ出した医者の山本史丈」とかけて「最近売れ始めた絵描きさん」と解くその心は「画料倍(臥龍梅)です」「縮緬細工の牡丹で飾られた燈籠」とかけて「整備状況が悪くて、評価が最低ランクの道」と解くその心は「ボトム道路(牡丹燈籠)で
上野広小路亭。快楽亭ブラック改め「被告福田」師匠は板付きでの登場した。「狸」、「怪獣忠臣蔵」、「猿後家」、「栗橋宿」。狸前田商会の鮭キムチが美味しいそう。お得に旅したマクラ。旅のプロは知恵が違う。怪獣忠臣蔵子供の頃は、忠臣蔵などの大型時代劇は年末年始の風物詩だった。最近は無くなった。明日はちょっと早めに泉岳寺に行ってみようかしら。猿後家この噺は何となく志の輔師の印象があったが、上方落語だったのか。かなり面白かった。栗橋宿この噺は聴く側も難しい。
今週末の快楽亭ブラック改め「被告福田」師匠の落語会は「栗橋宿」が出るそうだ。玉三郎と仁左衛門を意識しての牡丹燈籠三回公演、その最終として「栗橋宿」。おみねの友蔵への嫉妬がメインで、そして惨劇へと続く。圓生師匠の高座は愛嬌があって素晴らしい。被告福田師匠の高座はそれに肉迫するであろう。何ってたって今回の相手は歌舞伎の人間国宝なのだもの。ちなみに栗橋〜幸手間は徒歩一時間半だそう。また利根川の支流が江戸川となって東京湾へ続いている。地理が分かるとまた楽しい。散歩してみよう
先日、運動不足解消を兼ねて隣県にある川妻一色神社(現・五霞町)まで歩いてみたら、由来の案内版が出来ていたので拝読。これは面白い!元和5年(1619年)といえば、徳川幕府2代秀忠公の時代で、家康公の死後3年目。将門の乱から時が経ち、徳川に平定されたとはいえ、北関東は戦国時代の続きのような勢力争いが続いていたのだろう。一色氏といえば、大河ドラマ「麒麟がくる」で事実上の主役(笑)だった斎藤道三公の息子・義龍公が称したことでも知られるが、こちらの一色氏は足利氏の支流。足利尊氏公の高
昨日は雨のために街道歩きが出来ませんでしたが、今日は朝から陽射しもあって街道歩きには絶好の天気。早朝6時半に「幸手宿」に着いて、早速先週の撤収地点からスタートします。もちろん、マスクとキャップ、手袋装着の完全武装で・・・街道を北へ進むと、かつて板垣退助や伊藤博文も投宿した「旅館あさよろず」さん、建て直されて近代的な鉄骨造に、朝から完全にイメージ崩壊(笑)その並びの本陣跡は鰻屋さんに。幸手の一里塚を過ぎたら国道4号線に沿って次の「栗橋宿」まで長閑な街道歩き。国道や東
続いての全駅間歩きは東北本線です。茨城県に片足つっこんで古河、さらに栃木県に入って小山を経由して小金井を目指します。東北本線の行き先で時々見かける「小金井」ですが、どんな所なんでしょうか?今回歩いたのは3月20日。コロナ疲れ、気が緩んだといわれるあの3連休の初日です。恥ずかしながら、自分も桃の花を求めて歩きに行ってしまいました。今から考えてみれば、行くべきではなかったのかもしれません。今回はお蔵入りにして平時に歩き直すことも考えましたが、当時言われていた注意は
1月4日日光街道の栗橋宿。私はここでどうしても訪れてみたかったところがある。それは栗橋駅のすぐ近くにある。「静御前の墓」である。静御前は義経を追って奥州平泉に向かう途中、下総国下辺見辺りで義経の死を知った。静は京に戻ろうとするも、悲しみのためこの栗橋の地で病の床に伏した。そして文治5年9月15日に22才の生涯を閉じたと伝わる。そして高柳寺に埋葬された。高柳寺はその後、現在の茨城県古河市に移転して光了寺と寺の名を改めている。静の墓だけがここに残った。
1月4日日光街道の栗橋宿。この宿場町には、とても興味深い伝説がある。そのひとつ。「経蔵院」へ。源義経の愛妾であった静御前は、奥州に逃げ延びた義経を追って侍女の琴柱と僕僮を伴い旅に出た。しかし奥州に向かう途中、義経が亡くなったとの報を聞いて落胆のあまり病気になってしまう。そこでこの寺で養生に勤めたものの、露の様にそっと儚い生涯を閉じた。(たぶん)侍女の琴柱は髪を落とし、西向尼と名乗って静を弔うために、京都嵯峨野から静御前の御持仏である地蔵菩薩を持ち帰った。
1月4日日光街道の栗橋宿にいる。かつての宿場町の賑わいを思わせる古い家屋が残る。ここが宿場のはずれか。栗橋宿を振り返る。「栗橋関所址」「御関所利根川堤の上にあり、その置し年代さだかならず見張の番所をかまへて往来の旅人を改む是を房川渡(ぼうせんわたし)中田御関所と唱ふ」(日光道中略記)実際の関所は堤防の河川側で利根川の川畔にあった。現在はスーパー堤防の工事が進んでおり、この碑もここに仮移転されたもの。地図によるとこの手前当たりに池
1月4日日光街道の栗橋宿にいる。栗橋といえば思い出して欲しいのが怪談「牡丹燈籠」である。夜な夜なカラ~ンコロンと駒下駄を鳴らしてお露の幽霊がやってくる。いえその有名な場面となったところは栗橋じゃあなくて、江戸は根津の清水谷ですがね。そのあとの話です。怪談「牡丹燈籠」には続きがあるんです。お露の幽霊から百両貰った伴蔵お峰の夫婦が、それを元手に荒物屋の「関口屋」を開いたのがこの栗橋宿。そのお峰が亭主の伴蔵に殺されるのが、真っ暗な利根川土手の幸手堤。すると殺したお峰の死