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ひむかしの野にかぎろいのたつ見へてかへり見すれは月かたふきぬ1,300年以上も前、人麻呂さんが見たのはこんなお月様だったのでしょうか?
以前、ブログに書いていた明石・ホツマ・人麿。『明石・ホツマ・人麿。⑤月照寺』この日は、2024年、柿本神社、初詣でした。妻と二人では、毎年、年末にご挨拶に行くんですが、年明けは、バラバラだったりします。この日は、1人で柿本神社へ。「明…ameblo.jp『明石・ホツマ・人麿。⑥枝吉城跡、明石川』「明石」「ホツマツタヱ」「柿本人麿」私的に勝手な歴史妄想、を歩くシリーズ🌀🚶『明石・ホツマ・人麿。①家内安全ご祈祷』兵庫県、JR明石駅。目の前は、明石城跡の…ameblo.jp自分の興味
長岳寺から、山の辺の道を進み。柿本人麻呂の歌碑。衾道(ふすまぢ)を引手の山に妹を置きて山路を行けば生けりともなし『万葉集』巻2、212引手の山に、妻を葬って、山道を帰ってくると、妻のことが思われて、生きている心地がしない。ここが休憩場所となっていて、テーブルやベンチがあり、ランチタイム。年配のふたりの女性と一緒になり。彼女たちは、天理の方から。柿がたわわに。中山大塚古墳。さらに、燈籠山古墳、西殿塚古墳、下池山古墳、西山塚古墳など、古墳だらけ。古墳に囲まれ、人び
この辺りでは大きめの神社柿本神社といえばここですね大きな神社、とくに拝殿から本殿へのでかさなかなかぱねえ感じでした。階段すごかったし。途中のお稲荷さん。境内にはボランティアガイドのおじさまふたりぼーっと見ていたら話しかけられて少しだけお話を伺うことに。詳しい人でなければ知らない情報教えていただきありがたかったです階段を登ったら普通は割と正面に拝殿や本殿があるのに横向きな理由も教えていただきましたきっともろもろはこの手の神社の謂れに書いてあると思うのでご参照ください
検索したら画像は出てきますが遺髪塚ということなので写真を撮るのは控えました車止めるところがなくて塚の前の少しスペースあるところに何とか止めてたら車が来てやべーと思ったらどうやらここの宮司さん許可いただき駐車急いでなかったら御朱印もお願いしたかったんですが←戸田のほうのなんか取りに帰っただけだったようなのであいさつのみにしました。気になる方は是非検索を。鳥居とちょっとしたお墓的なものがあります周囲はコケなのかなー足元緑で綺麗でしたそこに立って参っていいのかと思うほど
前から車が来たら一巻の終わりなモン・サン・ミシェルから大通りへ戻ったらそのまま山方面へまっすぐ行きますともうひとつの柿本神社があります個人的にはこちらの方が色んな意味で圧倒されました有名な石州瓦の地だからなのか、上がってすぐシャチホコみたいなのとか鬼瓦などとにかくあの独特の赤茶色の瓦のものがたくさん。なにより、本殿の彫刻の素晴らしさ。スズメバチの羽音ぶんぶんすごかったですがしばし写真撮りまくりました😁後でお話を聞くことになるのですがここは柿本人麻呂生誕地すぐ近くに遺髪
全国に200余りあるとされる柿本神社の本宮である高津柿本神社を訪れる。(鎮座地)島根県益田市高津町上市イ(祭神)柿本人麻呂柿本人麻呂を祀る神社は、柿本神社の他に人丸神社と呼ばれることもある。もともとは柿本人麻呂が没したとされる鴨島に小さな社をつくったのが始まりである。その鴨島が1020年に地震で没し、御神体が高津松崎に漂着。ここに新たに社をつくったが、江戸時代になり、1712年、現在地に社殿を造営した。階段を上がったところにあるのが楼門である。社殿は重
仕事などを終え、歩いて帰る道すがら、寒風に身をかがめる季節になりました。心なしか、月が澄んで見えます。一瞬立ち止まり、背筋を伸ばして月や星々を仰ぐこともあります。万葉集の歌人・柿本人麻呂はうたいました。「天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ」。天を海に、雲を波に、星を林に見立て、月の船が渡っていくさまを描きました。今とは、社会、街並み、生活様式が異なる千数百年前の人々も、美しい星月夜を見上げていたと思うと感動します。小説にこんなシーンが
《新古今和歌集・巻第十五・恋歌五》1374題知らず人丸(ひとまろ)夏野(なつの)ゆく牡鹿(をじか)の角(つの)のつかの間(ま)も忘れず思へ妹(いも)が心を☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず人丸夏の野を行く牡鹿の角は短い、そのように、短いちょっとの間も、忘れないで思えよ。妹の心を。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎
【起稿2025年11月23日記事】昼になり東京は厚い雲が広がり、気温が上がりませんね。勿論、自室内で暖房が入っていますが、陽射しが無いと寒々しいです。さても季節は、七十二候の「虹蔵不見」ですもんね...※画像はイラストAC(https://www.ac-illust.com/)より引用しました。「虹蔵不見」は二十四節気「小雪」の初候で、「曇り空が多くなる頃で、陽射しは弱まり、虹を見ることが少なくなり、見ることができても、夏の空のようなくっきりとした虹ではなく、ぼんやりとすぐに消えて
忠勝どのに別れを告げ、13:00亀山パーキングで、昼食桑名城のボランティアのおじさんに教えてもらったルートで、天理市をめざしました。東名阪道へ亀山から、無料区間になって、奈良まで、いい道があるよ、って。昭和のドライブインと、平成のパーキングが合体したような雰囲気。からあげ、おいし~1060円道の駅、いが。伊賀の忍者屋敷か!盆栽がたくさん売られていました。渋滞のすごいところで、脱出息子好みの道だそうです。私は苦手。トイレ休憩。と、思ったら、道の駅の市場のような店時間のかか
「5小倉百人一首(その3」今日は、葛城王=橘諸兄みなさんおはようございます秋の夜長に早く寝ると早く目が覚めます得した気分です(笑)NHK討論で島田先生の発言をやっと放送しました出演者は皆黙ってましたね「高市総理の減税に反対しているのは自民党内部だ」大きな流れが動き出していますしっかりと流れを感じましょうそして方向を確認してくださいシラケズニ、霜月、11月秋の早起きもいい(笑顔で)「小川翔護とハタラク仲間たち(OHN)」ご参加いただ
前回は、寄り道として、塚本邦雄氏が絶賛していたことをとりあげましたが、今回は本来本来ーマに戻りましょう。まずは、晩年の「正治百首」中にある歌我妹子(わぎもこ)が玉裳のすそによる波のよるとはなしにほさぬ袖かな(277)〈歌意〉愛しいあの娘の美しい裳の裾に寄る波のように、私は娘に近寄るわけではないのに、(涙で)乾くこともない我が袖であることよ「吾妹子」「玉裳」といった詞からも、万葉集からの摂取であることが分かりますね。その元の歌は、万葉集巻一、四十にある柿本人麻呂の歌
『万葉集』全20巻は、626〜759年という133年もの間に4,516首もの歌が集められた大歌集だがこういった和歌には詠人のクセが出るその中の或る用法が目に留まりこれが調べてみると、4,516首もある歌の中でなんと、たったの2人だけしかこの用法を用いている詠人が居なかったそれが、人麻呂と⻆麻呂だ画像は下記電子版より『ヒミコ殺し少女神ヤタガラスの娘と日蝕の暗殺』それが、この歌表面的な意味は、だが、実は人麻呂の歌には
翠邑日誌Suiyu’sDiary榎本翠邑元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、元全国書道師範連盟会員、元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。東京生まれ榎本翠邑の百人一首5猿丸太夫11月百人一首5番猿丸太夫奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しきお
なぜ?柿本人麻呂は「処刑」されたと言われるのか?皇者神二四座者天雲之雷之上尓廬為流鴨柿本人麻呂大君(=持統)は神にしませば天雲の雷の上に、廬(いほ)らせるかも大君は現人神で、雷の上の宮に居るこれは、持統を讃えたものかそれとも、揶揄したものか?皇者神→神武天雲→アメノムラクモの暗示?まとめて初代はじまり~持統までの皇室系譜を雷の上=地に足がついておらぬ=つまり現実のものではない虚飾と突いたものではなかったか?
祥文字不動堂(仮)さんからシェアさせていただきましたありがとうございますお客さんが長居して困った時に唱える禁厭歌に、『いざさらば、竜田(たった)の山(やま)の薄紅葉(うすもみじ)、人(ひと)の心(こころ)に秋(あき)の来(こ)ぬ間(ま)に』というのがあります。竜田の山とは、奈良と大阪の間にある山脈の総称。竜田山の神・竜田姫様は秋を司る女神と薄紅葉とは、完全に紅葉していないまだ緑色ののこるモミジのことで、まだ本格的な秋が来ていないという意味。お客が長居し
この「遠神」の正体は?とほかみえみため遠神(とほかみ)笑(え)み給(たま)へ柿本人麻呂?⻆麻呂?画像で、内容の一部を紹介しますナゾの詠人⻆麻呂が遺し消えた最後の歌に詠まれた「遠神」原著には、その真ん中に、なんと「不許可」?扱いとでもされているかのように?真っ直ぐ線が引かれている?!詳しくは...『ヒミコ殺し少女神ヤタガラスの娘と日蝕の暗殺』より「ヒミコを○○した?!」まさかの歴史的自供を大阪の古社でその末裔が掲げていた皇室の建国神
王子動物園を後にして向かうは…敏馬神社⛩️阪神電車岩屋駅のすぐ南側にあり国道沿いの高台にあります。神社のある高台は海水によって侵食された海食崖で国道が走っているところは昔の海岸線です。敏馬の読みは「みぬめ」と読む。又はみるめとも読まれるう〜ん難読地名だね。兵庫県民でも読めない人多いかも?摂津国風土記によれば神功皇后が新羅征伐に出発する際、川辺郡神前松原(現在尼崎市の神崎もしくは豊中)で戦勝祈願したとき、猪名川上流の能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神が来て、美
東の野にはかぎろひ立つ見えてかへり見すれば月西渡るひむがしののにはかぎろひたつみえてかへりみすればつきにしわたる(万葉集48柿本人麻呂)東の空を見ると、お日様の光が陽炎のように立ち現れて来た。振り返って西の空を見ると、月が渡っている。満月の夜の明け方に、この景色を見ることが出来たら、嬉しいかも知れない。
【起稿2025年10月18日記事】日付が変わりましたね🗓今日も東京は、良い天気になるようです⛅さて、私は先般、亡き妻を偲び自作の短歌を記事に披露しました📝『妻に誓う(2025.10.16)』【起稿2025年10月16日記事】私の妻が逝ってから、まだ10日😢...生活の一つ一つに、まだ妻の気配が残っています👩あまりに若く、まだこれからだった妻の人生…ameblo.jpしかし、古にも、私のように先立った妻への想いを表した著名歌人はおり、古典に悲痛な想いが詠まれた歌が残されています😢
東の野に炎の立つ見へてかへり見すれば月🌕傾きぬ柿本人麻呂🦅東京は中秋は何年も楽しめてません。
前回ブログにとりあげたのは『万葉集』でした何気に紹介する歌を一つ二つあげてみようと探したい歌もあったのですが本をぱっと開いたときに目に入ったのがこの歌でした沖つ波来寄る荒礒を敷栲の枕と枕きて寝せる君かも読み:おきつなみきよるありそをしきたへのまくらとまきてなせるきみかも意訳:沖の波が打ち寄せる荒磯をやわらかであるべき枕として寝ていらっしゃるあなたよまあまあ衝撃の事件を歌っています沖合の波間、打ち寄せる水のな
20251009(台風一過で清々しい風が吹く木曜日),以前から観たかった「万葉文化館」での万葉劇場今日はその内の「柿本人麻呂」を観てきました前回は「額田王」、今回が「柿本人麻呂」、次回予定しているのは最後に成る「万葉のふるさと」これはアニメ(10分)らしいです。万葉集でも文字を見る読むより「詠む」という感覚になってきて、思ッていた以上に感動をしましたね動乱の時期も落ち着き、持統朝から文武朝の時代は和歌の最盛期「万葉集」を彩る歌人のなかでも「柿本人麻呂」の存在は
(NHKを見ていました)🎊演説を拝見しております。インライ出来ていらっしゃいましたからね。小泉進次郎さんもお疲れ様でした。Today,JapanmadehistoryasSanaeTakaichibecamethenation’sfirstfemaleprimeminister.Manypeopleexpecthertobringpositivechangetosociety.
少しづつ秋らしくなってきました百人一首の歌の中で好きな歌は秋の歌が多いです書き取りをしながらその世界に浸るのはなんとも至福なひと時です柿本人麻呂を少し調べているうちにかの有名大学の教授の方が確かその大学に進学をした高校時代のクラスメイトと同姓同名と気になったので検索してみたら卒業写真のそのままの面影でびっくりユーミンの歌みたい…笑メガネをかけて髪の色がブラックからシルバーに変わっていたのはそれだけでこの年齢になってもスリムで昔と変わらずクールでインテリジェンスな
☆かぎろひの丘万葉公園(附阿騎野人麻呂公園)大和国宇陀郡奈良県宇陀市大宇陀迫間(P有)☆「阿騎野人麻呂公園」奈良県宇陀市大宇陀拾生76-1(P有)柿本人麻呂が詠んだ万葉歌にある「かぎろひ」が見られる地として整備された公園。かつて「阿騎野」と称された宇陀市「大宇陀」の一角。なかでも当地が多くの万葉歌等の舞台となったのではないかとされます。軽皇子の安騎野に宿る時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌━━東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ━━
お読みいただきありがとうございます。人生の彩どり師・関みゆ紀です。奇異ワード72と884は惹かれ合う-119"隠者"の続きです。今回のタイトルは「猨人」と書いて「サルヒト」と読みます。ヒトが肉体を手放す「去る霊止」の意を含んでいます。「柑橘系シリーズinクリスマス」の翌々日の2024年12月27日、猿田彦の夫が決めた地「川越」へ向かっておりました。2024年12月12日「優先席って何ですか?」案件からのぉ~、「柑橘系シリーズinクリスマス」の「流れ・フロウ」によるものと思わ
潜ってみたらスゴかった!🇯🇵潜ってみたらスゴかった潜ってみたらスゴかった!東京湾・出雲・富士山ニッポンの海底ぜんぶ見る!(テレ東、2025/4/2718:30OA)の番組情報ページ|テレ東・BSテレ東7ch(公式)潜ってみたらスゴかった!東京湾・出雲・富士山ニッポンの海底ぜんぶ見る!(テレ東、2025/4/2718:30OA)の番組情報ページ|テレ東・BSテレ東7ch(公式)www.tv-tokyo.co.jp海底遺跡特集海中考古学ファンにとってはたまらないね〜『【
デルタ・ストリングスの著者、松本日世先生のブログを見ていたらこんな事が書いてあった。以下、画像と文章を引用させていただきます。全く偶然にもサムネイルでは見えなかった古いファイルを開けたら、こんなものが出てしまったのです。完璧に忘れていた画像です。今まだ驚きを隠せません。まだまだ、柿本人麻呂は何かを伝えたいのでしょうか。確かに「都波八重事代主」も「雷神」も難問ではあるけれど、大きなヒントなのかも知れません。賀茂!おおっ!?と思った。確かにこれ