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唯一の地上波ボクシング番組を中継してくれていたフジテレビが遂に撤退。3月14日放映された「フェニックスバトル」で一区切り。フジテレビとボクシング。矢尾板貞夫、ファイティング原田、輪島功一で異次元の視聴率を誇り、スター選手を生んだジムは多額放映権料で栄華を極めた。特にフジと関係性が強かった三迫ジムは長きにわたり「ダイヤモンドグローブ」の窓口を詰めた。金メダリスト村田諒太がデビュー当時は「三迫所属」でフジテレビと専属契約を結んだほど。フジテレビは村田諒太、井上尚弥の中
永い観戦歴の中でも自分が日本歴代最強パンチャー(強打者)と確信しているのが大橋秀行。浜田剛史、井上尚弥の戦いを生観戦しても変わらないのだからしょうがない。それほどデビューから田中正人戦までのパンチャーぶりは凄まじく、正に天才だった。雰囲気も従来の和製ボクサーにない正にラテンの香り。キャリア後半は激闘型にも映ったが、柔らかい身体と目を利した防御技術も正に当時のボクシング界にとり革命的(当時ヨネクラには大橋ガードのコピーが多数存在した)また現在井上尚弥はじめとして日本人
先日とんでもない偶然があった。都内某所に用事があり友人と歩いていたら、目の前に見たことあるような人がいた、元世界Championの柴田国明さんに似ている、すれ違いざまにもう一度顔を見たら、間違いない柴田国明さんだった。「柴田国明さんですよね?」と声を掛けると本人は「そうです」こんな場所でまさかの柴田さんと!!(;ロ)゚゚うちには柴田さんが載ってる雑誌は山ほどある。🆚ビセンテサルディバルを中学生の時に📼見てこないだも見たばかり。ボクシングの話になり🆚ビサンテサルディバルの話をしたら柴田さん
今日はジムに1980年の全日本Jr.フェザー級新人王の川村啓治さんがスゴいものを持ってきました。その昔、柴田国明さんに貰ったグローブ🥊これはビックリ、今でもしっかりしている。昔は皆パンチンググローブだった。今はパンチンググローブ使ってるボクサーいるのかな?川村さんのミットは昔のウイニング。川村さんのミットはガツンときて打ちやすい。ジムでも大好評🥊川村さんいつも、ありがとうございます🥊
◆1975年2月27日東京都体育館WBC世界ライト級タイトルマッチ15回戦同級王者ガッツ石松(BVDヨネクラ)判定同級1位ケンブキャナン(英)ブキャナンは1970年にWBAライト級71年にWBCライト級と統一を果たすもWBCを剥奪され72年にロベルトデュランに疑惑のローブローで敗戦。しかしオーソドックスなボクサータイプでライト級の名チャンピオンとして君臨していたのでワタシにとってもアイドルでありました。そのブキャナンに完勝した石松。史に名を残すことが決定した瞬間
◆1974年10月3日日大講堂WBC世界Jライト級タイトルマッチ15回戦同級王者柴田国明(BVDヨネクラ)KO15R同級2位ラミロボリャノス(エクアドル)ボリャノス「絶対KOで勝つ!ボクの試合を見た人なら信じてくれるよ」柴田「今までで最高の仕上がり。相手が出てくればKOね」米倉会長「そんな時に限ってポカをする」第二ラウンド柴田の左に天井を向きコーナーに下がるボリャノス。追う柴田の右フックがアゴを直撃。たまらずダウンするボリャノス。クレイ(当時はまだこの呼び名は
1974年2月28日日大講堂WBC世界Jライト級タイトルマッチ15回戦同級7位柴田国明(BVDヨネクラ)判定同級王者リカルドアルレドンド(メキシコ)柴田続くな。沼田義明から王座を奪取したアルレドンドは岡部進、アポロ嘉男、柏葉守人と3人の日本人を退け、円をごっそり稼ぐ。しかし上原康恒に判定で負けるなど下降線か?試合は柴田の強打を恐れたアルレドンドが初回から距離をとって安全運転。しかし上下に体を揺さぶる柴田は的を絞らせない。そして中盤からは飛び込みざまの左右のフ
1973年3月12日ハワイホノルルWBA世界Jライト級タイトルマッチ15回戦同級7位柴田国明(BVDヨネクラ)判定同級王者ベンビラフロア(比)王者のベンビラフロアは小林弘からベネズエラへ持ち帰ったマルカノの王座を奪取。何故かハワイを拠点とした。柴田が当時ウエイト苦としていた情報はなくフェザー級王座陥落からの再起戦をハワイでJライト級のリミットでフェザー級8位のバートナバラタンと行い判定勝ち。Jライトの方が動きやすいという本人の感想で標的は小林弘から引き継ぐベン
西田凌佑、武居由樹殊勲の戴冠で何と世界バンタム級4団体全て日本人ボクサーという前代未聞の事態。井上尚弥がバンタム級4団体統一。文字通り焼け野原にした直後とはいえ、これを快挙と言わず何という。その昔WBA、WBC2団体時代は、ジュニアライト級小林弘、沼田義明フェザー級西城正三、柴田国明※1970年一時はフェザー、ジュニアライト計4団体全て日本人が席巻!フライ級小熊正二、花形進ジュニアフライ級具志堅用高、中島茂雄ジュニアフライ級渡嘉敷勝男、友利正らが両団体王
★ボクシングNo101972年5月19日日大講堂WBC世界フェザー級タイトルマッチ15回戦同級2位クレメンテサンチェス(メキシコ)KO3R同級王者柴田国明(BVDヨネクラ)サブタイトル:戦慄のKOシーンその1「アイツには本当に頭に来ているんですよ。ビジネス的にこうなっただけで。パンチが強いなら、いっせーのせーで互いに打ちこみましょう。どちらが強いかお見せしますよ。絶対KOで勝つ」といつもなら挑発する側の柴田がめずらしく感情的に試合に臨む。サルディ
★ボクシングNo41971年6月3日東京都体育館WBC世界フェザー級タイトルマッチ15回戦同級王者柴田国明(BVDヨネクラ)KO1R同級5位ラウルクルス(メキシコ)小学四年生坊主にしてみりゃサルディバルが凄いってもわからんしそのサルディバルに勝った柴田は凄い!ジョフレに勝った原田は凄い!て言われても比較が全くわからんわけでしかしサルディバルに勝った柴田はもう自信満々で「早よ西城さんとやりたい、勝つ自信はある!」と豪語。もちろんテレビ局という大人の事情で対
明日米国ニューヨークで世界王者へ挑む阿部麗也。構図的には中立国開催だが、実質はアウェー。過去米国で王座獲得した我が国ボクサーは?西城正三:1968年9月ロサンゼルスWBA世界フェザー級王者ラウル・ロハス(米国)に判定勝ち柴田国明:1973年3月ハワイホノルルWBA世界ジュニアライト級王者ベン・ビラフロア(比国)に判定勝ち上原康恒:1980年8月デトロイトWBA世界ジュニアライト級王者サムエル・セラノ(プエルトリコ)に6RKO勝ち三原正:1981年1
6人の世界王者誕生に携わり、数多くの有能選手を育てたエディ・タウンゼント。彼の伴侶は中野鍋屋横丁の芸人一家に生まれた。両親は漫才師。八人の子供の内、二人は姉妹漫才師(内一人は後に落語家へ嫁いだ)。末妹はジャズシンガー森サカエ。ムーランルージュでダンサーとして活躍した三女は興行で訪れたハワイでエディと出会い結婚し、力道山に呼ばれたエディと共に「帰国」以来エディが亡くなるまで鍋屋横丁で共に過ごした。エディ没後も数多くの弟子や関係者たちが彼女が営む
米倉健司さんの訃報で米倉会長が育てた世界王者たちがコメントを寄せている柴田国明さん柴田国明氏「私の心の中では米倉会長は死んではいません」元ヨネクラジム会長の米倉健司さん悼む(日刊スポーツ)-Yahoo!ニュースプロボクシングで5人の世界王者を育てた元ヨネクラジム会長の米倉健司さんが20日に亡くなったことが21日、分かった。88歳だった。1956年(昭31年)のメルボルン五輪にフライ級で出場。プロでは日本news.yahoo.co.jpガッツ石松さんガッ
偉大なる拳闘人米倉健司氏が88年の人生を終えた。大好きな方だったので非常な寂しさを感じる。五輪出場、プロ入り5戦目で日本王座獲得(その後レオ・エスピノサに勝ち東洋バンタム級王者に)、パスカル・ペレス、ホセ・ベセラの世界王座へ挑むなど選手としても一流の米倉氏(※因みに後日、ベセラVS米倉の映像を観たメキシコ人からは「なんだベセラの負けじゃないか」との声も上がったという)だが、何といっても指導者として超一流の名伯楽だった。育てた王者は世界王者5人、東洋王者9人、日本王者31人
先日王座統一した寺地拳四朗。そのレベルの高さはRING誌週間MVPに選ばれたほど。RING誌ライトフライ級王座にも就き(日本人ボクサー19人目のRING誌王者※柴田は二階級で認定)、PFP入りも期待されたが、ウェイティングボクサーが多く悲願はならず。因みに最新レイティングは1位:オレクサンドル・ウシク2位:井上尚弥3位:テレンス・クロフォード4位:エロール・スペンスJr5位:サウル・カネロ・アルバレス6位:ドミトリー・ビボル7位:ワシル・ロマチェンコ8位:ジュシ
日本人PFPの話題になるとブロガー様達がこぞってその名を上げる元2階級王者の柴田国明さん太陽と海様やウィンストン様のブログでその名が出ていたので、今日はケサランも“思い出”を書いてみたいと思いますケサランは中学生のときに具志堅用高さんの世界奪取を見て、雷に打たれたような衝撃を覚え“ボクシング少女“”として目覚める訳ですが(笑)その前の小学校高学年~中学生に上がったくらいかな、ガッツ石松さん、輪島功一さんが活躍していて、ごく普通にTV観戦していました(当時は日本中が見てたわね
昭和43(1968)年6月、緩急あり過ぎな大映の二本立て。田宮二郎主演の不信のとき(今井正)と浪越徳治郎センセイ主演先生による愛の三分間指圧(弓削太郎監督)の新聞広告。有吉佐和子の原作を映画化した『不信のとき』は、この広告では田宮二郎が主演扱いで、掲載も田宮がトップとなっているが、ポスターへの掲載順をめぐって田宮と大映が大モメし、田宮は大映を解雇され、テレビへと軸足を移すきっかけとなる。そして大映自体も3年後(71)に倒産へと至る。併映作品はそんな深刻な様相などまったく
先日ブログにUPしたエディ・タウンゼントトレーナー。改めてこの「ジプシートレーナー」について散文を。47歳の時にあの力道山にハワイから招かれたエディ。力道山死後、藤猛を世界王者へ育て上げ力道山の目に狂いはなかったことを証明した。ただ当時から論が有ったのは、エディの「良いところ取り」所属していたリキジム他のトレーナーから「エディに選手を取られた」との不満がくすぶっていた。曰く4回戦の時から手塩にかけて育てた選手がメインイベンターになるとエディの手にゆだねられる
先日NHKBSにて放映されたNHK特集「エディ最後の挑戦~老トレーナーと19歳のチャンピオン」正に当時のONAIR以来の視聴だが、鮮明に覚えていた。これは後程述べる理由だからだと思う。6人の世界王者を育てたエディ・タウンゼント。最後の教え子井岡世界初防衛戦の会場に姿を現したが、ゴング前に病院へ搬送された。試合は苦戦の井岡が最終ラウンド劇的なTKO勝ち。意識混濁の中、家族から井岡勝利を聞いたエディはVサインをしたという。また病院に駆け付けた井岡、赤井、津
敵地ウズベギスタンでの岩佐の敗戦。旧ソ連で勝利を挙げることは、未だ正規世界戦での勝利がないタイ国で凱歌を上げる事に匹敵するほど困難な作業だろう。ましてコロナ禍。岩佐並びに陣営に相当な圧があったことだろう。改めて海外(敵地)で勝つための要素を考えてみた。実にシンプルだが、やはり決定力。サンプルで上げるとタイ国でムアンチャイを斬って落としたユーリ・アルバチャコフ(当時海老原)の右ストレート(輸入ボクサーだが、例えとして実に明確)。既に海外で3勝(3KO)の井上尚弥の
最近、島津亜矢さんのYouTubeをよく見ています😄その流れでボクシング🥊のYouTubeもよく見てしまいます。小学校4年生くらいからボクシングをテレビで見始めて、1967年ジュニア・ウエルター級のタイトルマッチを見てから特にボクシング・ファンになりました。藤猛(ふじ・たけし)さんがチャンピオンのサンドロ・ロポポロ選手にノックアウトで勝った試合があまりにもすごかったので、以来ずっーとボクシングを見ています。TyamuTVさんの動画より(デンプシーロール)藤猛・デンプシーロ
笑っていいとも!テレフォンショッキング出演者~NO112~柴田国明<出演日>1983年03月09日(水)ご支援お願いします!フォークソングバー海風、存続の為に!アマチュアミュージシャンのためのライブバー「フォークソングバー海風」を存続させたい!camp-fire.jp
明日一日仕事に行きますが火曜日は休みですので多少は気が楽です今晩と明日は酒を控えまして火曜からまた普通に飲みたいと思っていますまぁある程度の休肝日は必要ですからねビール類とかハイボールとか飲みたい酒はそこそこの量を買ってきましたそう言えばパナマの往年のボクシング名世界王者エルネストマルセル氏が亡くなりましたね好きな柴田国明戦がYouTubeに落ちていましたので貼り付けたいと思います
1970年12月11日メキシコ・バハ・カリフォルニア州ティファナWBC世界フェザー級タイトルマッチビセンテ・サルディバルVS柴田国明サルディバル:36勝(26KO)1敗※WBC王座7度防衛中柴田:31勝(19KO)2敗2分偉大なるサルディバルのリングインを拍手で迎える柴田。この当時からリングマナーが良かったのだな。実に狭いリング。怪物サルディバルの前へ放り込まれる気持ちはいかばかりか。会場の雰囲気も殺気立っている。ただそんな中、ゴング前に睨みつける柴田に顔を
また一人偉大なる戦士が旅立った。元世界フェザー級王者。パナマのエルネスト・マルセル。同国の英雄ロベルト・デュランの3つ年上72歳だった。両者はスパー経験もあり、実際対戦もしている(1970年5月デュランが10RTKO勝ち。但し突然のストップは不可解)その後、マルセルは来日し、愛媛で柴田国明の世界王座へ挑んだが、地元判定に泣き引き分けで王座獲得ならず(1971年11月)。どう屓目に見ても柴田の防衛はない。まさにミズスマシノ様な動きで柴田を翻弄した。※その後生まれ
元WBA世界フェザー級王者エルネスト・マルセル(パナマ)が数ヶ月間の闘病生活の後、29日(日本時間30日)に逝去。享年72歳。マルセルは1971年11月に日本のリングで柴田国明(ヨネクラ)選手の持つWBC世界フェザー級王座に初挑戦。大激戦の末に引き分けたが、試合を放映していたフジTVが試合後、”マルセル、タイトル奪取!”のテロップを流す等、日本のファンに強烈な印象を残した。また、マルセルに取っても柴田選手との戦いは忘れがたかったようで、自分の息子にクニアキ・シバタの名前を付けている。
今回は過去を遡って視聴した「ビデオ観戦ベスト(日本人絡み国内編)」を※日本人海外戦含む1位:1965年5月7日:海老原博幸VSアラクラン・トーレスⅡ2位:1972年6月20日:大場政夫VSオーランド・アモレス(WBA-F)3位:1966年8月7日:ビセンテ・サルディバルVS関光徳(WBA、WBC-Fe)4位:1970年12月11日:柴田国明VSビセンテ・サルディバル(WBC-Fe)5位:1971年10月25日:ルーベン・オリバレスVS金沢和良(WBA-B)6位:1965年5
ボクシングのスピードには色々な種類がある。パンチやコンビの回転だけではなく、身体のスピードも大きな武器になり得る。常にトップスピードを意識した激しいアクション(柴田国明、カマチョ)静から動への一瞬の切替え(メイウェザー)また殊更スピードのみを追うと手打ち気味にもなり得る(デラ・ホーヤ、カーン、メルドリック・テイラー)WBCから歴代最速候補のスピードファイター5名が選ばれた。NO.1を皆に問いている。パーネル・ウィテカー、ワシル・ロマチェンコ、シュガー・レイ・レ
ボクシングマガジン5月号に掲載された「ALLTIME最強は誰?誌上トーナメント」私的で各階級の覇者を「考察」※考察というか頑固な懐古主義なので思考停止かも?フェザー級ナジーム・ハメドVSテリー・マクガバン:偉大なるテリブルテリーを100年後のエイリアンと対決させるなんて悪趣味。RING誌創設者ナット・フライシャーはPFPフェザー級1位にマクガバンを推しているが、御免なさい。ハメド判定勝ち。但しマクガバンは倒されない。ビセンテ・サルディバルVSサルバドール・サンチェ