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■第50回丸岡古城まつり■主催者坂井市■開催地福井県坂井市丸岡町■開催日2018年7月11日(日)■火縄銃演武参加団体丸岡藩有馬鉄砲隊(愛知県古銃研究会)今年のテーマは"古城に集え夏の陣!永遠に残そう天守閣"。恒例のからくり人形山車巡行や総踊り、おじゃれ餅まきなどに加え、城階段での怪談話や竹灯籠による丸岡城ライトアップも行います。かって丸岡藩有馬家では、元旦の明け六時の時、太鼓打ち切りを合図に火縄銃による祝砲5発を放つ式を行っていました。これを「吉祥」と云い他国に衣類なき嘉
今日からは丸岡城の紹介です。2018年3月15日に訪問しました。1576年(天正4年)織田信長の家臣で、越前一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により築城され、柴田勝豊が城主となります。1576年築城前の城山には神社がありました。(現地資料より引用)丸岡城天守です。古い形式の望楼型天守で、石垣が野ずら積みで、天守が掘っ立て柱で建てられていることから、日本で一番古い天守と言われます。古文書などの証拠があれば国宝ですね。1582年(天正10年
■所在地福井県坂井市丸岡町霞町■遺構天守・石垣・堀・土塁■城のタイプ平山城■築城者柴田勝豊、有馬氏天正4(1576)年、柴田勝家の甥である柴田勝豊の築城が初めといわれています。その後,丹羽長秀,そして、福井藩、結城秀康の支城となり,江戸時代には、福井藩から独立して本多氏,次いで有馬清純が、入封して有馬氏丸岡藩6代の居城として受け継がれて明治にいたりました。(1)天守、(2)丸岡城遠景、(3)丸岡城遠景、(4)本丸石垣、(5)虎口と井戸跡、(6)天守、(7)天守入り口の階段、
2日間の旅も徐々にクライマックスに向かいますが、いよいよ大野市にやってきました。ところが途中から大粒の雪が降り始め一面が雪野原になってしまいました。全く雪は予想していなかったので足元は普通のスニーカ履きでやばいことになってきました。いきなり雪国に来たようです。続100名城の⑦越前大野城はたいへんな山城ですので天守まで行けるか心配でした。神社の参道の横から大野城を目指して歩いて行きます。気温がそれほど低くはないので凍ることはないのですが逆に足元はシャーベット状でびちょびちょになってしまっています
家康紀行(38)今川氏の菩提寺「臨済寺」わかやま新報オンラインニュース前号では駿府城ゆかりの大名をはじめ、静岡の人々の信仰があつく、家康が元服式を行ったとされる静岡浅間神社を取り上げた。今週は同社と同じ賎機山(しず..住宅地に点在する歴史ロマン横浜市都筑区茅ケ崎城址と大塚遺跡産経ニュース緑が豊かで、ショッピングモールや戸建て住宅が整然と立ち並ぶ横浜市都筑区の港北ニュータウン。このエリアに、歴史ロマンを感じられる遺跡などが多く点在して...林宗高遺跡全国遺跡報告総覧
皆お疲れさん。名古屋おもてなし武将隊、加藤清正である。此度はなつを引き連れ約二十日ぶりの平日の名古屋城。天候も持ちこたえ、多くの民と交流を深めること叶った。久方ぶりの平日の名乗り口上、やはりやる甲斐がある。鬨の声もよく響き、嬉しく思う。最後の時間は、賤ヶ岳の戦いの話しや関ヶ原の戦い、当時の農民の暮らし等を話した。賤ヶ岳の戦いとは、賤ヶ岳の七本槍の一人として儂が出世するきっかけとなる大戦。信長様亡き後の後継者争いにて秀吉様と柴田勝家様との間で起きた戦いである。この戦の話を致した故
福井の旅3日目です今日は晴天!暑くなりそうですまずは福井城跡に行きました結城秀康の銅像です家康に嫌われていましたが腐らず弟に将軍の座を譲ってしっかり補佐した武将なかなかいませんよねこんな人結構好きです城跡は県庁になっていますが石垣が取り囲み予想以上に城跡感があって感激です天守台跡に登ってみますこの階段からです天守台跡です江戸時代焼け落ちて再建されてません福井地震で崩れたそうですまじかに見ると迫力ありました福井の地名になったと言う説がある井戸で
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【問題】天正4年(1576)、柴田勝豊が北ノ庄城の支城として築いたのは次のうちどの城か?【選択肢】織田城後瀬山城丸岡城安居城【正解】丸岡城【解説】天正4年(1576)、柴田勝豊は勝家の居城であった越前北ノ庄城の支城として、丸岡城(福井県坂井市)を築城して城主となり、約4万5,000石を領した。
北陸旅行の2つ目の立ち寄り地は#丸岡城です。1576年築城で、現存では国内最古の木造天守閣です。三層の黒塗りの天守閣は威厳がありましたね。ApostsharedbyAkatsukiNara(@akatsuki_nara)onAug7,2017at12:35amPDT北陸旅行の2つ目の立ち寄り地は#丸岡城です。ここは戦国時代末期に越前に柴田勝家が入った頃、本城である北乃庄城の北方の押さえの支城として1576年に甥の柴田勝豊が築城したお城です。現存では国
福井市の西光寺に、戦国武将柴田勝家とその妻お市の方の墓があります。この墓は、勝家の重臣山中山城守長俊が慶長年間に建立したものです。勝家は生前から西光寺の住職に自分の死後の供養を頼んでいたのだそうです。行ってみてびっくりした、というか、ちょっと悲しくなるぐらいささやかなお墓です。普通の家のお墓と変わらない大きさですが、この中に織田家筆頭家老にして全国にその名を轟かせた猛将柴田勝家と、その妻で戦国一の美女と謳われたお市の方、更に勝家の子作次郎(詳細不明。早世か)と、勝家
日本最古の現存12天守-PictureofMaruokaCastle,SakaiTripAdvisorMaruokaCastle,SakaiPicture:日本最古の現存12天守-CheckoutTripAdvisormembers'1550candidphotosandvideos.茶の発祥地で裏千家家元献茶大津・日吉大社京都新聞805年、天台宗の開祖最澄が唐から種を持ち帰り、同大社に植えたのが茶の伝来とされ、同大社近くの「日吉茶園」(坂
丸岡のシンボルマーク「丸岡城」柴田勝豊が築いた天守閣で戦国時代へHistrip福井県坂井市の丸岡町と言えば地元の人から愛され続けている天守閣の「丸岡城」です。丸岡城には織田信長の時代の深い歴史が眠っています。戦国時代の...津山城完成四百年記念講演会「石の声を聴く」津山瓦版2016年11月16日、津山国際ホテルにて、公益社団法人津山市観光協会の主催で、津山お城まつり協賛「石の声を聴く」ー石積みの第一人者が語る津山城と...スター・ウォーズ展16日開幕名古屋城大天守閣
え~と長浜城を攻めたのは2回目なんですが、前に来たのは大昔で撮ったど~画像が携帯の機種変して無くなったど~になったので、改めて攻め直しです。まだカメラを持ってなかった頃は携帯の機種変するたんびに撮ったど画像がなくなり、記録が残らぬ記憶しか残らぬ城攻めになったものである。それはさておき、玄蕃尾城から長浜へやって来たのである。長浜はもと今浜といい、京極道誉(佐々木高氏)(通称婆娑羅大名)が室町時代の初め頃に出城を築き、それが長浜城の元と伝えられる。信長の浅井氏攻めによって北近江
雲海に浮かぶ「天空の山城」岡山高梁市NHK天空の山城」とも呼ばれる岡山県高梁市の備中松山城の周辺に17日朝、雲海が広がり、山の頂上にある城が雲の海に浮かび上がる幻想的な光景が見られまし松平城山城そのまんま公園松平観光協会からのお知らせ今日は松平城山城そのまんま公園の様子です。松平城山城は別名「大田城」.クライマーさんには人気エリアのひとつです。大給.日当たりが良いのでだいぶ..次回展示予告3階企画展示「大坂城史×日本の歴史」大阪城天守閣織田信長によっ
城を観る今回は...(撮影2015/08/07)丸岡城〜天守〜ムムムっカッコイイ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村日本の城61号(丸岡城)[分冊百科]578円Amazon
さて。【東尋坊】を後にし、【丸岡城】へ。丸岡城は越前に入った柴田勝家の甥、勝豊が築城したんだとか。賤ヶ岳で勝家が敗れた後は丹羽長秀の家臣が、関ヶ原の後は結城秀康の家臣が入ります。常に大名家の支城だったようですが、福井藩減封の際には独立して丸岡藩になるんですね。日本現存最古の木造天守だとか福井震災の折に再建しているそうですが、それでも雰囲気がありますよね。震災以前は国宝。震災後は重要文化財。自然には抗えないとはいえ、もったいない。左)正