ブログ記事663件
2024年4月20日(土)鈴の森神社河童の河次郎柳田國男ナンカナンカ『2024年4月20日(土)鈴の森神社河童の河次郎柳田國男ナンカナンカ』2024年4月20日(土)鈴の森神社河童の河次郎柳田國男ナンカナンカ『2023年7月15日(土)河童の河次郎辻川山公園ナンカナンカ』2023…ameblo.jp
2024年4月20日(土)鈴の森神社河童の河次郎柳田國男ナンカナンカ『2023年7月15日(土)河童の河次郎辻川山公園ナンカナンカ』2023年7月15日(土)河童の河次郎辻川山公園ナンカナンカ『2023年6月16日(金)河童の河次郎昔は池の中に三匹いたのに辻川山公園ナンカナ…ameblo.jp『2023年6月16日(金)河童の河次郎昔は池の中に三匹いたのに辻川山公園ナンカナンカ』2023年6月16日(金)河童の河次郎昔は池の中に三匹いたの
保守ランキング
妖怪とは神か零落したものという考えを述べたのは、わが国の民俗学の祖とも言える柳田國男ですが、その理論に従うと河童は龍神の零落したものとも考えられます。ですから水神としての性格を合わせ持っています。北海道羽幌町のかっぱ食堂。お店の名前の来歴を伺ったら、そもそもこのお店を始められた現女将のお父様が、「食堂なんて言ったって水商売には違いないのだから、水の神様のかっぱの名前を付けたら長く繁盛するだろう」と命名されたそうです。それが功を奏して田舎の町で何十年も続いていました。札幌定
春分March大場久美子さんの「スプリング・サンバ」。「大人にならないアイドル」(≒モラトリアムサブカル)とは、大場久美子さん辺りが発祥なのでは、と思う。この流れは「子役人気」の延長線上にあり、そのアイドル子役の発祥は、ケンちゃんなのでは、と思う。ケンちゃんシリーズ-Wikipediaそれは軍隊の名残の見張り懲罰的大人集団の息苦しさへの風穴であると同時に、日本が成熟社会を放棄する発端でもあったのだろうと思う。大場久美子「スプリング・サンバ」1979年NTV紅白歌のベストテンより
(写真:フォトAC)関東は25℃越えのところがあるとか。いやあ、熱中症に注意しないとね。さてさて、このところ本の流れがすごくいいです。なんとなく買った本の質が高い。無印で買ってるからかなあ。無印の本屋のセレクトは自分好みが多い気がします。先日紹介した『ソロモンの指輪』の他にも、『こども風土記』(柳田國男岩波文庫)これはもう柳田國男の文章に、私の一番好きな初山滋の挿絵もったいなくて毎日2ページしか読まない。こども風土記・母の手鞠歌(岩波文庫青138-4
今日は、11:30に待ち合わせ。向かったのは、福崎駅。以前、大阪で風水薬膳®基礎講座2を受講してくれた女の子ちゃんが、遠く四国から遊びに来てくれることに^^って、2018年に会った以来だけど、わたし、わかるのかな?(笑)と思いながら向かったら、向こうが見つけてくれましたww駅前にいたアマビエ♪とりあえず、ランチに「動き人」さんへ。外が見える席に座って、ランチ~^^とってもかわいい古民家カフェです。週替わりランチ
それがどうしてこうも違うのか。。。。ちょっと宮田登氏の本を読んでいたら、日本民俗学を批判しているので調べているうちに、そういえば同じ世代の阿部謹也氏はいくつなのだろうか?という疑問に突き当り、調べてみたらほぼ同年齢だった。阿部謹也氏はドイツの中世史が専門だが、ある意味、正当な史学を研究したまっとうな学者である。阿部謹也氏は業績がすばらしいし、著作も読んで面白い。対して宮田登氏はなんだかなあ。。。。柳田國男の系譜は昭和で途絶えてしまい、直接の弟子たちはいなくなり、安易に柳田國男
中学生の時、行く高校あるかなぁ、と思いながら何とか高校でお世話になり、どころか推薦で大学まで行ったものの、コロナで自宅でリモートになったら、サボりまくって単位落としまくり、影響大で5年目の大学生までした長男くんがよーーやく卒業です🎓まあ春か学校で学んだ事を活かしながら仕事に邁進してくれたまえ。福崎の学校だったので、カッパ、みてきました。柳田國男の生家があるという福崎。もうなかなか行くこともないだろなーともあれ長男くんよ、卒業おめでとう㊗️あ、ちなみに特に涙は出なかったょ
3月16日、福崎町の妖怪に会いに辻川鈴森神社に到着したところからの続きです。妖怪はたくさんいました。これには笑いましたよ❓️❗️池は、もちむぎのやかたでは、座敷わらしが、辻川観光交流センターにも、交流センターでは小さな妖怪が何体も飾られていました。また、妖怪のプラモデルも販売されていました。たくさんの妖怪に出会いましたね~❗️この後も妖怪が増えるんでしょうか❓️楽しみです。柳田國男の生家に行ってみました❗️中には入れませんでしたが中を覗くと、妖怪との関係が、この後は加
昨日、3月16日、土曜日、夜に加西市で会合がありその前に福崎町で妖怪に会ってきました。何年か前に見に行きましたが増えているとのことでどんな妖怪が住んでいるのかな❓️とワクワクです❗️福崎町市川河川公園から13時スタートです❗️暖かくなりました。ミニベロでのお散歩です。まず、辻川展望台に向かいました。途中から激坂を上り天満神社を通り、この先500mで展望台です。ここになにやら気になるものがありました❗️歌人、岸上大作ってどんな人❓️生家がこの下にあるようです。↓短命だったんです
2011年8月16日(土)柳田國男50年祭・第32回山桃忌~町制55周年記念事業~http://www.50nensai.com/2011年8月6日(土)18:00“民族辻広場まつり特設畳ステージ”開催地:兵庫県神崎郡福崎町第一グラウンド駐車場(柳田國男生家・もちむぎの館周辺)“民族辻広場まつりステージ”●日本畳楽器製造ライブとワークショップ福崎町のみなさんの心温かい声援、積極的な参加のおかげで大盛況でした主催者のクミさん日本畳楽器製造の活動に興味を持っていただき、
あのさぁ咲く顔と書いてえがお😊と読むんだね知ってた?😳これは「えがお」じゃなくてえっとした顔今日は咲顔(えがお)の日咲顔を「えがお」と読ませたのは民俗学者の柳田國男さん「笑む」を「咲む」と書いたことから「笑顔」が「咲顔」になったらしいよ誰もが心からほころぶような咲顔の人になることを願って咲顔を広める活動をしている喜田寛さんが咲顔の日を制定したらしいよ日付の3月12日は喜田さんの誕生日なんだって今日はサイフの日でもあるけれど財布の中に💴・・・咲顔満開になる
咲顔(えがお)の日(3月12日記念日)東京都港区高輪に本社を置き、研修業務・経営コンサルタント業務を行う株式会社喜田寛総合研究所(KIDAKEN)の代表・喜田寛氏が制定。日付は喜田氏の誕生日・1945年(昭和20年)3月12日から。「咲顔」と書いて「えがお」と読む。同研究所では、咲顔を大切にし、誰もが心からほころぶような咲顔の人になることを願い、咲顔を広める活動を行っている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。喜田氏「咲顔」は民俗学者の柳田國男(やなぎたくにお
約2ヶ月遅れで地名研のニュースレターを紹介しています。再来週には3月号が会員の皆様に届く予定です。2月25日の年次総会の様子・2024年度の目標や行事予定、会長講話「地名あれこれ」などを掲載しています。今回紹介する1月号の概要は、「通潤橋は民間技術の傑作」山都町教育委員会生涯学習課・主任学芸員の西慶喜氏による地名研12月定例会での熱演内容、「プレイバック地名討論」は『塩浸』、「ぶらり地名散歩」は球磨郡の市房隠と馬立原と鳥井原です。西氏による通潤橋の講演では、その歴史的背景、用水の概要、国宝とさ
波(2022.01)新潮社図書館のリサイクル棚から新潮社のPR誌『波』をいただいてきた。著名人の肖像を配した南伸坊のイラストがいい感じです。こうしたPR誌はかつては書店などで無料で配布していたが、近年は100円で販売する。あるいは、書店で本を買った折に○○社のPR誌はありますかというと、カウンターの奥からだしてきて無料でくださるところもある。私は図書館でときおり各社のPR誌をチェックするくらいだが、新関公子さんが連載中の岩波書店のPR誌『図書』の『東京美術学校物語』は欠かさずに読んで
本屋さんで眼が惹きつけられる特集が目に飛び込んできた今月の<一個人>。思わず購入してしまいましたNHKで以前<日本人のお名前>という番組があって人の苗字だけでなく地名についても結構詳しい解説がなされていてなかなか面白い番組だったんですが終わってしまって・・日本にはその地に住んでないと読めないような独特で不思議な地名が多く本書の何か所かに難読地名クイズ、難読駅名ランキングが載っていて私、ほとんど読めませんでした~後は昔の災害によってつけられた地名が縁起が
姫路駅から播但線で約25分で福崎駅に到着、福崎町は民俗学者柳田國男の生まれた町です。柳田國男は子供の頃、大庄屋三木家に1年ほど預けられ、この家の膨大な蔵書を読み漁りました。重要文化財三木家住宅の一部がリノベされ古民家ホテル「播磨福崎蔵書の館」となりました。私が泊まった部屋はかつては米蔵でした。米蔵の中は床壁天井が木材で仕上げられ、三面は天井までの本箱、まさに「蔵書の館」檜風呂には庭の光が差し込みます。「蔵書の館」の約500冊の書籍は、「箱根本箱」を手掛けたスタッフがセレクトしまし
おはようございます、今年も「誰も知らない冬のサンダルSUBU」をキャッチコピーに掲げるSUBUの展示会に行って来ました残念ながらこの場で今年デビューする新商品をご紹介する事は出来ませんが今年のテーマは晴褻(HAREMOKEMO)晴褻(はれもけも)意味がわからなかったのでググってみると民俗学者・官僚である柳田國男によって見出された日本人の伝統的な世界観の一つ(柳田國男って福崎町の出身ですよ、近くやん!)ハレの日って冠婚葬祭や盆、正月など非日常的な行事が行われる節目
福崎町出身の民俗学者・柳田國男が幼い頃を過ごした福崎町辻川での暮らしぶりなど、自身の人生を回顧して書いた著書『故郷七十年』に登場する、市川の駒ヶ岩の河童のガタロがモチーフになっています。兵庫県神崎郡福崎町西田原1038-12入園・駐車場無料福崎町出身の民俗学者・柳田國男の生家や柳田國男にまつわる記念館、明治時代の洋風建築を残す歴史民俗資料館、鈴の森神社と北野天満宮を結ぶ学問成就の道もあり、辻川山山頂には見晴らしのいい展望台もあります。時間が来ると、地上3mの位置につくら
古民家をリノベーションしたホテルが好きです。古民家ホテルのある古い街の佇まいが好きです。これまでに泊まった古民家ホテルは、◾️大津市「講大津百町」10泊箱根本箱をプロデュースした岩佐十良氏が大津百町商店街の町おこしとコラボした古民家ホテル。京都や滋賀を旅する時は必ずここに泊り、すっかり私の定宿となりました。いつも泊まる客室の前が大津祭の「源氏山」、カラクリは石山寺で源氏物語を書く紫式部。◾️秩父市「NIPPONIA秩父門前町」1泊秩父のレトロ建築の代表格が旧小池煙草店、1
『遠野物語』第61話、山中で白鹿に出会い、これを魔性のものと思って対決した猟師の話に、自然の力と人間の心との交流が開かれる異常な経験の姿を読み取っていく。小林秀雄は、人間の理性と信仰は抵触をしないと言う。猟師は、魔性と出逢って、自らの頭脳で考え、猟銃を撃つ。その行為は、先人の言い伝えが念頭にあった。小林秀雄は、人間の人間たることは、人生の生きる意味を考えることだと言っている。柳田國男を、日本の保守主義の基だという。伝統や山村の美観や村人と自然の一体なるものを尊ぶべきである。
小林秀雄の語っているのは、柳田国男『故郷七十年』中の「ある神秘な暗示」について語っている。柳田が14歳の時、茨城県の布川に預けられていた時の経験を語ったものである。当時住んでいた旧家の庭に小さな祠ほこらがあり、これは亡くなったお祖母さんを祭ったものだと聞いて、好奇心から中を覗いてみたという経験である。祠の中には美しい蝋石の玉があった。それを見た瞬間に、実になんとも表現できないような「異常心理」に陥り、昼間の空に輝くいくつもの星を見てしまう。ここで、小林秀雄は、柳田の神秘の体験に注目。柳田國
『我孫子市ゆかりの文化人』石碑JR東日本常磐線我孫子駅南口駅前となります。『我孫子市ゆかりの文化人』石碑武者小路實篤·作家1885〜1976柳宗悦·哲学者1889〜1961志賀直哉·小説家1883〜1971柳田國男·民俗学者1875〜1962岡田武松·気象学者1874〜1956中野治房·植物学者1883〜1973嘉納治五郎·柔道家1860〜1938杉村楚人冠·ジャーナリスト1872〜1945バーナード・リーチ·陶芸
日本における民俗学研究の主要大学・研究所。成城大学文芸学部文化史学科学科説明成城の民俗学。民俗学研究所。柳田国男。柳田國男(やなぎたくにお、1875年(明治8年)7月31日-1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。大日本帝国憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた[1]。日本学士院会員、日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階・勲等は正三位・勲一等。出版物等においては、常用漢字体による
地理情報などが好きな皆さん、こんばんは!デジタル化推進アカデミーの岩田敏彰です。私は今、山口県美祢市に住んでおります。柳田國男さんは、「遠野物語」をお書きになり、それがもとで現在岩手県遠野市は「民話の里」と呼ばれています。私の住んでいるここ山口県美祢市にも、調べてみると遠野に負けないくらい、いろんな伝説や秘話があるのです。地名、神社、風習などにその痕跡を見ることができ、住んでいるところへの理解と愛情が生まれてきます。地元の図書館に行くと、いろんな資料が見つかり
歴史読本『民俗学のふるさと辻川』辻川史編集委員会編集辻川区自治会発行令和5年(2023年)3月1日発行兵庫県神崎郡福崎町の辻川区の自治会によって発行された本です。自治会でこれほどレベルの高い本を発行できるなんて、さすが柳田(松岡)國男の出身地ですね。はじめに柳田國男は心のよすがとなった辻川について、「辻川というような非常に旧い道路の十文字になったところに育ったことが、幼い私にいろいろの知識を与えてくれたように思う。その道路の上を通った者のことが記憶に残っていたり
※設楽原「首洗い池」いろはかるた看板と説明板と塚…お地蔵さんが建っています…今は至って普通の池ですが、江戸時代の村人はみな近づかなかったそうです設楽原古戦場周辺の史跡設楽原古戦場には、8月と9月の2回に分けて行きました。8月に行ったときに、長篠と設楽原は、近いやろと勝手に?思っていて長篠城とその周辺の史跡でウロウロしすぎて、設楽原に行ったのが、15時を周っていました😓レンタサイクルを返すのが、16時までと決まっていたので、設楽原歴史資料館を見てから、長篠城址保
みなさまこんにちは、ロナです🧚♂️前回のブログでもお知らせした通り、先日からロナのクラウドファンディングプロジェクト「妖精作家がアイルランドで妖精の民間伝承を収集したい!」を開始いたしました!そこで、私がなぜアイルランドに行きたいと思ったのかご紹介します。その理由のひとつは、妖精について現地の人に直接話を聞いてみたい!と思ったからです。みなさんは、「遠野物語」をご存知ですか?妖怪好きならばこの作品を知らない人はいないでしょう😇遠野物語とは、日本の妖怪