ブログ記事57件
染めと織の万葉慕情93領巾ふりけらし松浦作用ひめ1984/1/27吉田たすく領巾と書いて(ひれ)と読ませています。領巾とは今で言う婦人の肩にかけるストールの事で、龍宮の乙姫さんの肩にかけている布とか、天女がひるがえしている布なのです。このひれを詠(うた)った歌が数首あります。九州唐津にのこる伝説を聞いた山上憶良の歌。松浦県(まつらがた)佐用比売(さよひめ)の子が領巾振りし山の名のみや聞きつつ居(お)らむ松浦にある佐用ひめが肩
染めと織の万葉慕情92玉の緒のたえて乱れて1984/1/20吉田たすく玉の緒の歌です。古代のネックレスには管玉、まが玉づくりなの出土品がありますが、万葉歌ではこれらの玉の事は詠(うた)われていません。歌に見えるのは、白玉の歌が数首あります。真珠の事です。緒の歌の中にはありませんが竹管のネックレスもあったようです。これらをつなぐ玉の緒は麻か絹を楼(よ)って作ったのでしょう。先週も書きましたが、美しく胸もとを飾っていた玉もまもなくその摩擦にたえかねてすり切れ、
染めと織の万葉慕情91玉の緒の絶たる恋1984/1/13吉田たすく玉の緒の歌です。真珠の玉をつづる緒も今のようにナイロンやテトロンのような強靱(じん)な繊維がなかった当時の事ですから、玉の摩擦に耐えかねてよく切れ、真珠の玉もばらばらに乱れ散る事があったのです。この事から、破れた恋の二人の仲が絶えた言葉の枕詞(ことば)や、心の乱れの枕詞に使われるようになったのでしょう。巻十一の「物に寄せて思をのぶ」歌の一群の中に、玉の緒を枕詞に使った歌が数首並んでいます。天
染めと織の万葉慕情89白玉を手には巻かずに1983/12/23吉田たすく玉の緒の歌です。巻第七の「玉に寄す」一群の中の歌。葦(あし)の根のねもころ思ひて結びてし玉の緒といはば人解かめやもあしの根のこまかくいりくんでいるように、深く心をこめて結んだ玉の緒なんだから、と言ったなら、人はその緒を解きはしないだろう。こまかい思いで心をこめて結ばれた二人だもの二人の仲を割きはしないだろう、と詠(うた)っています。
棚橋(たなはし)選手が新日本プロレスの代表取締役社長に就任。選手としての活動は、減るのでしょうか。猪木さんや藤波さんも選手兼社長の時もありましたが…。新しい新日本プロレスに期待したいです。😊さて、今日、11時30分からMROラジオで放送の日曜ジャーナルのゲストは、友禅作家さんです。工房におじゃまして、インタビューさせて頂きました。伝統工芸品は、どれも好きです。着物も久々に着てみたくなりました。凛とした、たたずまいがいいですよね。来年は、素敵な自分を
染めと織の万葉慕情88玉の緒の歌1983/12/16吉田たすく紐の歌を長い間取りあげましたが、紐には「高麗錦紐解き放けて」などの歌を読みますところ、大陸渡来の錦の布を細く切って紐に作っていた事がわかります。高麗錦でなくとも麻の布や倭文(しず)(日本古来の織物)の布などでも作ったものと思われます。細い紐に似かよった染織品に「緒(を)」があります。今回からその緒の歌をひろってみたいと思います。同じような形態ですが、緒は縒(よ)り糸か組み紐のようなもので、織り布
染めと織の万葉慕情87忘れさりにし下紐の歌1983/12/09吉田たすく紐の歌のつづきです。紐の歌が長くつづき五カ月にもなりましたが巻二十の歌をのせて終わりたいと思います。巻二十には防人(さきもり)の歌が、八十数首のせられています。私が若い頃の戦時中には次のような歌をおそわったものです。今日よりはかえりみなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つわれはめされた今日からはかえりみないで大君の強い御盾となって戦へ
染めと織の万葉慕情86手枕まかず紐とかず1983/12/02吉田たすく紐の歌のつづきです。万葉巻十八には大伴の家持が越中の国に単身赴任をしていたおりに作った歌が多くのせられています。その中の一首に五年もの長い間、都に花の妻をおいて一人越中の国でナデシコを庭先に蒔(ま)いて花をめでて心をなぐさめた歌があります。大君の遠の朝廷(みかど)と仕(ま)き給ふ官(つかさ)のまにまみ雪降る越に下り来あらたまの年の五年(いつとせ)敷栲(しきたへ)の手枕まかず
染めと織の万葉慕情85秋風に今か今かと紐ときて1983/11/25吉田たすく紐の敗のつづきです。晩秋の月は美しいというよりもすごみを感じるくらい透明な空に青鏡のようなつめたさです。それも居まち、寝まちの月がなおさらです。ここに月と紐の歌がありました。秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ彼氏をまつ女心の歌です。下紐を解いてまっているけれどやって来ません。月はだんだん西にかたむき夜もふけて行くのです
染めと織の万葉慕情84秋のもみじをかざして1983/11/18吉田たすく紐のつづきです。夕方の自転車での散輪で小鴨川(注1)土堤を行くと、打吹山(うつぶきやま(注2))の紅葉の美しい事。大山(だいせん(注3))の紅葉は雄大で豪華な錦なら打吹山の紅葉は、衣装のようにまとまった華麗さです。椎の濃緑の間にさまざまな木々が多いために黄、朱、赤、金茶とその木自身の色相をこの一年の全精力で色づきつくし、それらの配置は霊の匠がなしたわざかと思われるほどであり、織師の私にはこの上も
染めと織の万葉慕情83紐解き放けず1983/11/11吉田たすく紐のつづきです。秋も深まってまいりました。毎朝、小鴨川(注1)の土堤を自転で散輪していますが、ほほにあたる風がつめたくなり、川原の面(おも)はセイタカアワダチソウのほんとに黄色が明るく、そのまわりの草紅葉(くさもみじ)の深い朱色が美しく調和して来ました。水面には鴨があそんでいます。今朝かぞえてみましたら、百七八十羽にも数がふえていました。昨年のようにも少ししたら白鳥の姿の見られるのがたのしみです。さ
染めと織の万葉慕情82結びし紐はなれにけるかも1983/11/04吉田たすく紐の歌のつづきです。先週は巻十四の東歌(あづまうた)の中にある紐の歌で田園調、野趣のあるほほえましい歌でした。今日は巻十四の歌ではありませんが、巻十二に次のような、民謡ふうなたのしい歌を見つけましたので取りあげてみましょう。当時の衣料の材料である麻をあつかった歌で桜(さくらを)の麻生(ふ)の下草早く生ひば妹が下紐解かざらましを桜麻、サクラ
染めと織の万葉慕情81紐解き放けて寝るが上に1983/10/28吉田たすく紐の歌のつづきです。万葉の巻十四は「東歌」(アズマウタ)といって関東地方などの日本の東の国の歌が集められています。岩波の古典文学大系の万葉の解説には東歌の事を「この巻の大部分が、元来口誦の世界のもので民衆の共有に属する。多くの歌の生(なま)で粗野で力強い詠み振り、農民生活に密着した素材、豊富な方言で田園調、野趣のある生命感」にあると書いています。紐の歌をひろってみても当時の農民が
芸術の秋私ごとですが、弟で鳥取県無形文化財の吉田公之介が、タピストリー「朝明の稔(あさけのみのり)」で新匠工芸会の最高賞富本賞をまた受賞致しました。新匠工芸会展東京都美術館10月25日~30日京都市美術館別館11月15日~19日芸術好きの皆様お時間がとれましたらどうぞご高覧ください…………………………吉田公之介1956年(昭和32年)生まれ。父である吉田たすくが考案した「綾綴れ織」を受け継ぐ。『図説・紬と絣の手織技法
染めと織の万葉慕情80よりよい紐解け我妹1983/10/21吉田たすく紐の歌のつづきです。先週につづいて巻十二にのっているからひろって見ます。別れぎわに二人して結びあった紐は一人して解く事はありませんでした。又あう日のためにこの紐は結びつづけているものです。”別れを悲しぶる歌“の中の一首白たへの君が下紐我さへに今日結びてなあわむ日のため白たへのあなたの下紐を“われさへに”私まで手を添えて、今結びま
染めと織の万葉慕情80よりよい紐解け我妹1983/10/21吉田たすく紐の歌のつづきです。先週につづいて巻十二にのっているからひろって見ます。別れぎわに二人して結びあった紐は一人して解く事はありませんでした。又あう日のためにこの紐は結びつづけているものです。”別れを悲しぶる歌“の中の一首白たへの君が下紐我さへに今日結びてなあわむ日のため白たへのあなたの下紐を“われさへに”私まで手を添えて、今結びましょう。「二人
染めと織の万葉慕情79結びし紐を解かめやも1983/10/14吉田たすく紐の歌のつづきです。先週の歌は巻十二の中の歌でしたが、まだ紐の歌がありますのでひろって見ました。海石榴市(つばいち)の八十(やそ)のちまたに立ち平(なら)し結び紐を解かまく惜しもこの“つばいち”は、ずっと前の歌にも出た地名です。今も奈良にその名ののこる小さな村があるそうですが、万葉時代には大変にぎやかな「市」が開かれていた町で、いくつにも分かれた辻があって、
染めと織の万葉慕情78人の見ぬ下紐あけて1983/10/07吉田たすく紐の歌のつづきです。沢山の紐の歌がある巻十二の中に「物に寄せて思を陳(の)ぶ」という一群の歌の最初にこんな歌がのっていました。人に見ゆる表は結びて人の見ぬ下紐あけて恋ふる日ぞ多き人に見える表面は何事も無いようによそおっていますが、実を言いますと人の見えない下紐はすぐにでもあなたをだけるように、解きあけてまってるんですよ。と大変にエッチな思をずばり詠
染めと織の万葉慕情70下紐の歌1983/08/12吉田たすく袖と手本(たもと)の歌がずい分続きましたが、今日から当分の間“紐"(ひも)の歌をのせたいと思います。染織品の歌を万葉からひろってみますと、衣の歌のほか袖、手本、裳(も)、裾、服、帯、衾(ふすま)、領巾(ひれ)などあらゆる服装の部分が恋歌に詠われています。衣や袖は今まで取りあげたように沢山ありましたが、これからとりあげる紐の歌の沢山あるのには驚きます。なんと万葉集の中に百首近くの紐の歌がのせられています。
染めと織の万葉慕情67たもと巻き変へ1983/07/22吉田たすく袖の歌のつづきになりますが、手本(たもと)の歌をひろいました。衣生活の移り変わりによって現代では、「たもと」という言葉はほとんど耳にしなくなりました。戦前派の私達は男子でも着物を着用していましたので、たもとから手を出してとか、たもとに物を入れて、などはごく普通の会話に使ったものですが、今の洋服生活では物を入れる「たもと」などありませんので、「たもと」は死言になってしまったのです。袖のすそが袋状に
当ブログへご訪問くださりありがとうございますとても気になっているお店・商品があるのですよこちら何の写真だか分かりますかね知ったキッカケはたぶんTVerで観た『情熱大陸』かな〜あっ、あったコレコレ情熱大陸過去の放送あらすじ吉岡更紗(染織家)|情熱大陸|MBS毎日放送古式ゆかしい日本の色を今に伝える京に息づく美しき植物染めの世界www.mbs.jp京都で営んでらっしゃるんです古都京都で江戸時代から続く染屋染司よしおか(そめのつかさよしおか)化学染
不染忌七夕の蛍が乱舞する頃に機織り人は天に昇りて蛍が大好きで月見草を愛し夕暮れに小鴨川の土手に一緒に行き月見草は咲く瞬間にポンっと音がするよと教えてくれた父は大好きな蛍や月見草の咲く頃にタイミングを合わせて逝った7月3日は父の命日あれから35年なでしこの咲く頃いつも思い出す父の顔その後父の元へいった母と染め織りを生前の様に仲睦まじく行っていることでしょう今頃どんな作品を織っているのでしょう。母はいつもの
染めと織の万葉慕情64袖のなれにし1983/07/01吉田たすくふたりで共寝をする事を万葉では袖という言葉であらわす事がたくさんあります。袖をまくとか袖を交(か)わす、袖のなれにしーなどのいい方で詠います。ま日長く川に向き立ちありし袖今夜まかむと思はくの良さこの歌は七夕の牽牛の歌の中の一首です。長い日数の間、天の川の川岸向こうの女と向き合っていたけれど、その彼女の袖を今夜こそ枕にするのだと思うと、何と快いことよ。これは
染めと織の万葉慕情63袖をかわす歌1983/06/24吉田たすく先週まで、袖の歌のうち、袖振る歌、涙にぬれる歌をつづけてのせましたが、今週から袖を寝るしぐさの表現につかった歌を取りあげてみます。夕(ゆうべ)には床うち払ひ白(しらたへ)の袖さし交(か)へてさ寝し夜や白の袖で寝床をうちはらってしたくをし、その二人の袖をさしかわして寝た夜と、袖のしぐさで夜の情景を詠ったのは、大伴家持でこのうるわしい表現はさすが家持だなあと思います。この歌は
染めと織の万葉慕情62涙に濡れる袖の歌⑶1983/06/17吉田たすく万葉の巻十二の最初に正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶと題して十首の歌がのっています。この一群の歌は人を恋ふ歌だけが集められていて続けて読んでみると、そこには別の作者の歌が集められているのかも知れないのに。一人の人が、恋う人へのつのる思いが色々と述べられているように、読まれておもしろいものです。このころの眠(い)の寝らえぬは敷袴(しきたへ)の手枕まきて寝
染めと織の万葉慕情61涙に濡れる袖の歌⑵1983/06/10吉田たすく大伴家持に恋をしても、結ばれなかった人、山口女王(やまぐちのおおきみ)が、家持に贈った恋歌が五首あります。その中の一首相思はぬ人をやもとな白栲(しらたへ)の袖ひつまでに音(ね)のみし泣くも私はあなたを思っていても、私を思って下さらないあなた。ただわけもなく、白栲の袖がぐっしょり濡れてしまうまで、こえを立てて泣きながら恋しく思っていますよ。涙にぬれる袖を詠って
染めと織の万葉慕情58男女の別れの歌1983/05/20吉田たすく万葉の歌の大半は恋歌であります。恋とは愛に近づく一つの過程を意味しています。恋は請(こう)の意なので、会いたい見たい、一緒になりたいと、こう気持ちが恋なのです。愛は相(あい)で、相とか相合傘などのように一緒になることを意味しています。恋愛とは、その成り行きの表現で、請いで相うのです。しかし、恋は必ず相えるとはかぎりません。失恋がうまれて来るのです。万葉の恋歌の内の秀歌に、失恋の歌がかなりあります
染めと織の万葉慕情49麗しき姿(1)1983/03/18吉田たすく庭のサンシュの黄色な花も満開になり、桜前線も南から近づきます。時おり雪がちらつきますが、もう春です。竹取の翁の話の続きですがも春、青春のころの衣服やスタイルが詠われています。水標(みはなだ)の絹の帯を引き帯なす錦帯に取らせ海神(わだつみ)の殿の甍(いらか)に飛びかけるすがるのごとき腰細に取り飾らひまそ鏡取並(な)め掛けて己(おの)が顔かへらひ見つつ春さりて野辺を巡(めぐ)れば
染めと織の万葉慕情47春の歌(1)1983/03/4吉田たすく先週、先々週の歌は、伯耆の国府(倉吉)で憶良が作ったではなかろうか、と私が思った貧窮問答歌でした。ちょうどこの二週間は、東京での「たすく手織展」のため東京へ行き、この間東京にも雪が降ったりして寒い日が続きました。昨日、倉吉に帰ってみますと、行く前は細い小枝に小さな黒い粒が点々とあった庭のサンショの木の枝には、明るい黄色なつぼみがふくらみ、もう春なんだよと言ってるようです。寒く貧しい生活の表現の媒体に染織品の
染めと織の万葉慕情44酒の歌(3)1983/02/11吉田たすくもう一度、大宰府で詠んだ大伴旅人の酒の歌をとりあげてみましょう。旅人は大酒をのみ、歌を作り、歌い、騒いだ様子を表わした歌に「酔泣」(えいなき)という言葉で表現したようです。その酔の歌が三首あります。賢(さか)しみと物いふよりは酒飲みて酔泣(えいなき)するしまさりたるらし黙(もだ)をりて賢(さか)しらするは酒飲みて酔泣するになほしかずけり