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○山田済斎著「西郷南洲遺訓」の最後には、『書後の辭』が掲載されていて、山田済斎の所懐、微忱を三絶で載せている。前回、『南洲先生墓』を案内した。今回はその第2回で、『岩崎谷』になる。【原文】岩崎谷山田済斎山色渓聲欲斷魂英雄空去一碑存時艱安得非常士日暮風寒五丈原(孔明歿于五丈原)【書き下し文】岩崎谷山田済斎山色渓聲、魂を斷たんと欲し、英雄は空しく去りて一碑存すの
○山田済斎著「西郷南洲遺訓」の最後には、『書後の辭』が掲載されていて、山田済斎の所懐、微忱を三絶で載せている。なかなか面白いので、ここに案内しておきたい。【原文】南洲先生墓山田済斎不爲児孫買美田平生心事豈慚天一杯土痤英雄骨老樹空山啼杜鵑【書き下し文】南洲先生の墓山田済斎児孫の爲に美田を買はず。平生の心事、豈に天に慚ぢん。一杯の土は英雄の骨を痤む
○山田済斎著「西郷南洲遺訓」を読んでいて、遺訓の中に、次の文を見付けた。五或る時「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全。一家遺事人知否。不爲児孫買美田。」との七絶を示されて、若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したるとて見限られよと申されける。○「不爲児孫買美田」は、西郷の言葉として、知られる。したがって、遺篇の中に入っているのではないかと探したが、無い。七絶の題も、確か、偶成だったと記憶する。まるで不確かな話だが、気になる言葉である。ここに、案内しておきたい。誤謬があれば、後日、正
○2020年3月4日に、鹿児島市池之上町の福昌寺墓地に、白尾國柱のお墓参りに出掛けた。その際、白尾國柱のお墓の先に横山安武の墓があって、鹿児島市の案内板で、そのことを知った。横山安武の墓の隣にある西郷隆盛謹誌の横山安武墓碑銘で有名なものらしい。○山田済斎著「西郷南洲遺訓」に、その横山安武碑文が掲載されている(P80:遺篇)。原文は漢文だが、訓点が施されているので、山田済斎が西郷隆盛謹誌の横山安武墓碑銘をどう読んだかが、判る。当古代文化研究所でも、同じ福昌寺墓地の西郷隆盛謹誌の横山安武墓碑銘を読
○先日、古本屋で、岩波文庫の「西郷南洲遺訓」を買って来た。横山安武墓碑銘や染川實秀墓碑銘が記載されているのではないかと期待したからである。実際、「西郷南洲遺訓」に載っているのは、横山安武墓碑銘だけで、染川實秀墓碑銘は記録が無かった。○「西郷南洲遺訓」が載せる『横山安武碑文』には、次のような山田済斎の後書を付記する。(按)横山安武時弊十條を指摘したる諫書を集議院に上りて屠腹したるは、當時朝野を震駭せしめたる事実にして、其事情は此碑文に詳なり。聞く、南洲翁一生人の爲めに碑文を作りたる
○先日、久し振りに、古本屋へ出掛けた。新型コロナで、外出もままならない。その際、偶々、岩波文庫の「西郷南洲遺訓」を見付けて買って来た。西郷隆盛が書いたとされる、福昌寺墓地の横山安武墓碑銘や興国寺墓地の染川實秀墓碑銘をブログで、案内したばかりである。横山安武墓碑銘や染川實秀墓碑銘が「西郷南洲遺訓」には記載されているのではないかと思った。○岩波文庫の「西郷南洲遺訓」を編じたのは、山田済斎であるという。最初に、その山田済斎から案内しておきたい。ウィキペディアフリー百科事典には、次のように載せる。
○西郷隆盛が書いた墓碑銘が二つ存在すると言う。一つは鹿児島市池之上町の福昌寺墓地にある横山安武墓碑銘で、もう一つが、興国寺墓地に存在する染河實秀墓碑銘である。当古代文化研究所では、これまで、すでに、この二つの墓碑銘を読んでいる。●最初に読んだのが、横山安武墓碑銘の方で、2020年3月4日に、福昌寺墓地へ、白尾國柱のお墓参りに行った際に、偶然見付けた。横山安武墓碑銘の隣には、鹿児島市の案内板が設置してあり、墓碑もきれいで、文字がすべて判読できる状態であった。横山安武墓、及びその墓碑銘について、次
○西郷隆盛が書いた墓碑銘が二つ存在すると言う。一つは横山安武墓碑銘で、池之上町の福昌寺墓地にある。当古代文化研究所では、それを既に読んでいる。・テーマ「伊地知季安「漢学起源」を読む」:ブログ『西郷隆盛謹誌:横山安武墓碑銘』https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12588329347.html?frm=theme・テーマ「伊地知季安「漢学起源」を読む」:ブログ『横山安武墓碑銘:西郷隆盛謹誌』https://ameblo.jp/sisiza
○前回、興国寺墓地に存在する、染河彦兵衛平實秀墓の墓碑銘を読んだ。・テーマ「伊地知季安「漢学起源」を読む」:ブログ『染河彦兵衛平實秀墓碑を読む』https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12602714830.html?frm=themeこれは、一等教官、兒玉利彰の手になるものであった。染河實秀のお墓の前には、別に堂々とした墓碑銘が建っている。それが西郷隆盛謹誌の染河實秀墓碑銘である。○2020年5月31日に、興国寺墓地へ出掛け、2時間も掛けて、西郷
○染川實秀墓が存在するのは、鹿児島市冷水町の興国寺墓地である。興国寺墓地は広大な墓地で、すっかり荒れ果てている墓も多い。以前、そこで染川實秀墓碑銘を探したことがある。西郷隆盛が書いた墓碑銘は二つ存在し、一つは横山安武墓碑銘で、これは福昌寺墓地にある。もう一つが染川實秀墓碑銘で、これは興国寺墓地にあると言う話を聞いたからである。○先週の日曜日、2020年5月31日に、三度目の探索で、やっと染川實秀墓碑銘を見付け、2時間掛けて大清掃をした。昨日、6月7日の日曜日、再度、興国寺墓地を訪れて、墓碑銘の
○今日、2020年6月7日は、日曜日であった。集落の清掃は例年5月に実施されるのだが、今年はコロナウイルス騒動で、今日に変更になった。朝8時から10時まで、集落の清掃に参加した。○その後、前の日曜日に読んで来た白尾國柱墓碑銘と、染川實秀墓碑銘を確認するために、再度、鹿児島の福昌寺墓地と興国寺墓地へ出掛けて来た。福昌寺墓地には白尾國柱墓碑銘が存在し、興国寺墓地には染川實秀墓碑銘がある。○結構時間を要して、福昌寺墓地と興国寺墓地には、それぞれ2時間ほど居た。暑い盛りで、閉口した。それでも、何とか
○2020年5月31日に、鹿児島市冷水町の興国寺墓地に、染川實秀墓碑銘を探しに出掛けた。やっと探し出すことができた。染川實秀墓碑銘は、福昌寺墓地の横山安武墓碑銘と同じくらいの大きさで、実に堂々とした、立派な墓碑銘だった。○もともと、福昌寺墓地に、白尾國柱のお墓を探しに出掛けた。その際、白尾國柱のお墓の近くに、立派な墓碑銘があるのを見付けた。それが横山安武墓碑銘だった。横山安武墓碑銘は、何と、西郷隆盛が書いた墓碑銘であるとこを知って、二度、驚いた。○その後、西郷隆盛が書いた墓碑銘は二つ存在し、
○2020年5月31日に、鹿児島市冷水町の興国寺墓地に、染川實秀墓碑銘を探しに出掛けた。5月11日と12日にも、興国寺墓地を訪れ、探したが、時間が十分無くて、探し出すことができなかった。○さいわい、今回は簡単に探し出すことができた。福昌寺墓地の横山安武墓碑銘が相当大きく立派である。だから、染川實秀墓碑銘も同じようなものではないかと思って捜索した。それが正解だった。○横山安武墓碑銘ほどの大きさの墓碑銘は、広大な興国寺墓地と言えども、それ程、存在するはずがない。そう思って探した。すると、意外に簡
○坂元墓地の入り口には石材店があって、如何にも墓地らしい。その先に上之園花屋さんが見えた。坂元墓地は見るからに、広大な墓地である。これを自分一人で探すことはなかなかである。○それで、上之園花屋さんへ行き、話を聞くことにした。店にはおばさんが一人居た。「ここの墓地に西郷さんが書いた墓碑銘があると聞いて来たんですが、判りますか?」○「ここの墓地はたいへん広いんですよ。探すのはたいへんですよ。西郷さんが書いたと言うのは、たぶん、この道を真っ直ぐ行き、上がった右手にあるお墓じゃ、ないかな?」おば
○鹿児島市冷水町にある興国寺墓地へは、これまで何度かお参りしている。それは興国寺墓地に、伊地知季安のお墓があって、それにお参りするためであった。今年、2020年3月4日にも、興国寺墓地の伊地知季安のお墓参りを済ませて来た。・テーマ「伊地知季安「漢学起源」を読む」:ブログ『伊地知季安の墓』https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12585977459.html○その後、時間があったので、池之上町にある福昌寺跡へ出掛けた。福昌寺跡には白尾國柱のお墓がある