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珍しい大関相星決戦令和6年九州場所は、横綱不在の中、琴櫻と豊昇龍の両大関が1敗同士で千秋楽決戦を戦った。千秋楽に首位に並んだ両者が対戦し、勝った方が優勝となる「楽日相星決戦」。東西の正横綱なら千秋楽の対戦は確定しているため、共に番付通り優勝争いを引っ張る役割を果たせば、それなりに実現する。隆の里と千代の富士は4場所連続で楽日相星決戦を戦っている。最初は隆の里が大関だったが、横綱北の湖が長期休場しており、実質的に番付1、2位が続いていた。しかし、大関同士となるとこれ
47代横綱柏戸の墓参りです。柏戸剛とは第47代横綱。山形県東田川郡山添村生まれ。本名富樫剛。1954年(昭和29)9月伊勢ノ海部屋から初土俵を踏み、58年入幕、60年大関、翌61年9月場所後に大鵬とともに横綱に昇進。188センチメートル、140キログラムの敏捷な取り口で土俵上のサラブレッドの異名をとり、好敵手大鵬との対戦ではファンの人気を二分し、「栃若時代」についで「柏鵬時代」の黄金時代を築いた。優勝5回(全勝1回)、1969年引退し年寄鏡山を襲名、部屋を再興、関脇多賀竜を優勝させる
かつては「巨人・大鵬・卵焼き」と子供たちの好きなモノの代名詞と言われました。長嶋茂雄選手、王貞治選手の活躍で強かった読売巨人軍。圧倒的な強さを見せていた横綱大鵬関。今では使わなくなった言葉です。そんな横綱大鵬関との舟木さんの取材は1964年のものです。その偉大な横綱大鵬関のお孫さんが、現役の若手力士の王鵬関です。祖父が横綱、父親は元関脇の貴闘力さんです。横綱大鵬関は、本名の納谷の四股名で土俵に上がっていましたが、十両に昇進する時に大鵬の四股名になります。王鵬関も、十両昇進と
久しくお休みしていた大相撲の話題を復活しています。今日の動画は、大鵬と柏戸が好敵手(ライバル)として切磋琢磨した柏鵬時代を振り返る番組です。片や、相手によって自在に取り口を合わせながら安定感抜群な相撲を続けて、当時史上最多の幕内最高優勝32回を重ねた大鵬、片や、一気に走って寄るか寄り倒す一気呵成な相撲でファンを魅了した柏戸、優勝回数こそ32回と5回と大差がありますが、二人の直接対決は大鵬21勝-柏戸16勝の記録が残っていて、いつも拮抗した好
世間の皆さんおはよーさん、平成19年6月26日といえば大相撲の歴史の中でも痛ましくまた悍ましく、日本中を震撼させる事件があった。俗にいう『時津風部屋力士暴行事件』。時に17才の若き力士・時太山君でが稽古中に心配停止状態となり救急搬送、時太山君に死因の責任を転嫁する当時の師匠・15代時津風の発言や時太山の遺体を新潟の実家に渡そうとせず現地で火葬にしようとしたことから、時太山君の両親が死因を不審に思い、地元の新潟市に遺体を搬送し、6月28日に新潟大学医学部で公費承諾解剖を実施したことから、暴行の事
整理収納アドバイザー・ショウボです。実家の片付けをしてみつけたオープンリールテープには、子供時代の私の歌声ともに何十年も前のラジオニュースが録音されていました。まさに音のタイムカプセル実家に眠っていたオープンリールテープには何が入っている?2枚目には何がはいっていたかプロに依頼してダビングしたCDを聴いています。私や姉が歌っている声や、本を読んでいる声がありましたが、ほとんどはNHKのラジオニュースが録音されていました。たとえばこんなニュース。「大相撲春場所
5月16日木曜日〜その719時40分、夕食。献立は、鰤照り焼き、厚あげと小松菜の煮浸し、やみつきアボカド、しめじ・玉子・白ネギのおみそ汁、ご飯少々。デザートに、ケーニヒスクローネコレクション、山原和美さんに頂いたDOUTORミルクたっぷりカフェラテ。(写真)和歌山県有田市の大山組大山洋一社長が御寄贈くださった蔵前国技館の土俵入りスチール。先ずは、第44代横綱栃錦清隆。太刀持ち栃光、露払い?。(写真)第45代横綱若乃花幹士。太刀持ち若ノ海、露払い若三杉。(写真)第46代横
4月27日土曜日〜その211時より13時20分まで三度寝。武田百合子著『富士日記上−新版』を読む。P424のS41年9月22日、柏戸、玉乃島に負けるとある。これは、大相撲秋場所12日目。(写真)菊水丸コレクションの横綱柏戸関の手形色紙。
新入幕の東前頭17枚目尊富士(24=伊勢ケ浜)が、ただ一人、ストレート勝ち越しを決め、単独トップを守った。三役経験者の竜電を、低い立ち合いから押し込みながら右上手を取ると、休まず攻めて最後は押し出しで破った。初日から8連勝。新入幕力士としては大鵬の「11」が最長で、今後は大記録の期待も懸かる。ストレート勝ち越しについて、尊富士は取組後「全く想像していなかった。どこまで幕内でできるのか不安もあった」と、率直な感想を語った。連日、数々の記録に並ぶ快挙だが「そういう記録もあるんだな、というぐらい」と
印象に残っているヒーローは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようウルトラマン(1966年)やウルトラセブン(1967年)は子供の頃見てました再放送もあったので全話覚えてますよセブンに松坂慶子さんが出演されてましたね(笑)でもヒーロー??ではなかったですデカすぎる(笑)今でこそジャイアンツファンですが小学生の頃は江夏豊さんのファンでした長嶋、王を三振に取る姿に憧れました巨人・大鵬・玉子焼きが好きではなかったです強いも
本日2回目更新です、ダラダラ長いですデイサービスでも、ショートステイでも、他のご利用者さまとぶつかってしまう我が認知症の父それが、今月のショートステイでは「気の合う方がいらして、たくさんお話しも盛り上がったようで、今回は比較的穏やかでした」と報告がありました。どうも小学校の同級生とデイやショートで一緒になったようです。生まれ育った家に暮らしていると、そういう再会もあるんだね。私も同じく生まれ育った家にずっと暮らしてますので、そんな再会があるかもしれないから、老いも楽しもうかな。今はあまり
『令和5年九州貴景勝は綱取りでいいのか』11勝の優勝で綱取り??賛否両論の中、よくわからないうちに綱取り場所という位置づけで大関貴景勝の九州場所がスタートした。11勝での優勝は綱取りの参考となる…ameblo.jp優勝とはいえ11勝というのが問題視されるが、そもそも12勝でも歓迎されない。全勝でもすれば、といった突き放した見解が出されて、あえなく前半戦から黄信号、終盤までに話題から消えるのが関の山だった。今場所もほぼそうなっているが。過去、前場所12勝以下からの昇進例はー。12勝以下
私は〔巨人、大鵬、目玉焼き〕の時代に育ちました。強かったですね~~巨人の強さはアンチ巨人さえ作りました。😱😱😱😱😱😱😱😱大鵬の強さも子供ながらに嬉しいことでした。柏鵬時代と言われ楽しそうに見ている父の姿が今でも目に浮かびます。🤗🤗🤗🤗🤗🤗🤗🤗成人してから感激したのは大鵬の言葉〔もうだめだと思った次の瞬間にもう一歩!と踏ん張る耐える精神力が何者にもまけない、打ち勝つ力を養う。〕💪💪💪💪💪💪💪💪それを見たときあの強さが納得でした。長
やっぱり大鵬と柏戸はいいですね。名古屋場所では混戦というか大盛り上がりで誰が優勝するか最後まで分からなかったけどこの時代の相撲は見ていても気持ちが良かった。両雄並び立つ(53)大鵬と柏戸〜両雄並び立つ-YouTube
1953年(昭和28年)のこの日、プロレスラー・力道山が中心となり日本プロレス協会が結成された。力道山は大相撲の元力士で、その後プロレスに転身した。第二次世界大戦終了後に日本のプロレス界の礎を築いたことから、「日本プロレス界の父」と呼ばれている。当時始まったテレビ放送の力もあり絶大な人気を誇っていた。格闘技を生で見たことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう生では見たことないです。昔、祖父が生きていたころテレビが我が家にやってきて喜んだのは良か
本日2回目、ミーハー更新めでたい🎉めでたい🎉霧馬山、大関昇進おめでとうございますhttps://news.yahoo.co.jp/articles/000343023e41b470fc8bfabed7cbeb28ba5d3015霧馬山の大関昇進が正式決定伝達式の口上では「大関の名を汚さぬよう今まで以上に稽古して頑張ります」(スポーツ報知)-Yahoo!ニュース日本相撲協会は31日、東京・両国国技館で大相撲名古屋場所(7月9日初日・ドルフィンズアリーナ)の番付編成会議と臨時理事会を開
舟木一夫クンの作ったページ①映画「高校三年生」の愛知県一宮ロケは、1963年の9月17日から19日の3日間行われました。初めての映画のロケ撮影、それも舟木さんの地元故郷の一宮市。ロケ現場は、大変な人出で大変だった事が判ります。忙しい日々を送っている舟木さんですから、早く撮影を終わらなければならず、大変忙しい撮影だった事が判ります。ロケの宿舎で共演者たちと舟木さんの大好きな柏戸関へ一日記者舟木さんは、大相撲柏戸関が大好きだったという事も、かなり有名
昨日柏餅を食べた…端午の節句から1日過ぎたからだろう…30%引きのシールが貼ってあるどんなモノも定価では買わないモモママの買い物の証だ柏餅は柏の葉っぱで包まれている葉っぱは食べない一方雛祭りの桜餅の葉っぱは塩漬けになっていて柔らかいので葉っぱごと食べる柏の葉っぱは冬でも落ちないので縁起がいいと使われるようになったという神社などで手を合わせて鳴らすことを「かしわで」と言うがこの漢字は拍手(はくしゅ)と同じ字を使うのが正しい柏と拍を混同してしまい「かしわで」と呼ぶようになったと言
5月1日月曜日〜その4P55、著者が横綱大鵬と柏戸が四つに組んだ写真を見入る場面が登場する。(写真)2階和室には、柏鵬の揃い手形の額が掲げてあります。
今日の絵ハガキ。クワッカワラビー。画像で初めて見た時はデズニーキャラクターのぬいぐるみだと思っていた。自然界でこの可愛さは反則だ。吉沢簾三郎の絵を模写。色は明日。私は石原慎太郎が嫌いである。なんてキザな文章、キザな小説を書く男だろう。なんであんな男を都知事に選んだ。異論のある人が多いだろうと思う。なぜ私が石原慎太郎嫌いになったか?昭和38年秋場所。横綱柏戸と大鵬は初日から白星を並べ、千秋楽結びの一番で全勝対決を迎えた。柏戸は、4場所連続休場明け
相撲ファンに限らず、私のような昭和世代には忘れられない名力士・・・今日は〝昭和の大横綱〟と謳われた大鵬幸喜関の命日・没後10周年にあたります。1940(昭和15)年、ロシア(ウクライナ)軍将校の父と日本人の母の間に樺太(当時は日本領)で生まれた幸喜少年は、大東亜戦争の敗戦により小笠原丸に乗って北海道に引き揚げることに。その時一家は稚内で降りましたが、その後乗っていた船は留萌沖で沈没・・・危うく難を逃れました。※小笠原丸を含めた『三船殉難事件』に
両国国技館✋大相撲初場所に行って来ました🚄まんまるな千代丸遠藤の四股踏みと東方に碧山遠藤の高い四股踏み輝千代翔馬碧山隆の勝王鵬阿武咲宇良大乃国✨大乃国のお店ではミレーちゃんつかみ取り🍪緊張するからよう参加しませんでした😢仏蘭西国の巨大マカロン洪牙利国の巨大カップ&ソーサ―☕天皇賜杯🗾🌞✨
遅ればせながら、やはり私も読まずにはいられず注文かなり待ちましたが、今朝届きました(なにしろ近所のスーパー以外は出かけないから、それ以外のものはなんでも通販)で、お目当ての小説はまだ読んでいないのですが、分厚い文藝春秋をパラパラめくってみたら、「101人の輝ける日本人」なる大型企画がありまして、そこに我が家のルーツである山形県東田川郡(現在は鶴岡市に合併)から出た二人の大物の中のひとりが入っておられました1人は第47代横綱・柏戸そしてもう一人が、今回の101人に入っていた藤沢周平藤
式守書庫にたくさんある大昔の相撲雑誌いずれかの段階で売りたいと思いつつも保存状態がよくないからね~買い手つかないかな1967年秋場所は横綱大鵬関が26回目の優勝今回はこの号を見ていきます大鵬・柏戸の柏鵬時代。この年まで両者拮抗?柏戸関はこの優勝が最後ただ、この頃は大鵬関の独走も長く続いて相撲人気が低迷しだした頃翌年からは蔵前国技館に空席もかなり目立ちます他方で『恐るべき17歳』幕下の花田のちの大関貴ノ花関が早くも取り上げられていますあの元
さて、これは何でしょう?寅さん銅像の影でした。週末は寅さんサミットが開催されました。帝釈天を囲む玉垣に、ジャイアンツの王さんや、横綱柏戸さん、渥美清さん、倍賞千恵子さん、三崎千恵子さんなどの名前を見つけました。寅さんも参道を歩いていました。これは、・・!?矢切の渡しも満員です。柴又駅。寅さん人気、衰え知らずです。
6月1日水曜日〜その33時15分に眠る。6時過ぎ、目が開く。ねじめびわ茶、カルピスL-92で喉を潤す。『評伝宮田輝』を読む。P202、山形県鶴岡市での「ふるさとの歌まつり」の生放送で、当時の大関柏戸関にまつわるエピソードが綴られている。(写真)菊水丸コレクションより、横綱になる以前の柏戸関の筆文字の色紙。
*力士像のある公園渡良瀬川の土手を遠くに見渡せ学校の裏手にあるひっそりとした感じの公園ですね今回は二度目です雨降りの翌日だったので水たまりができていてちびっこ(孫)はなかなか思うように遊べなかったような…でも、中学生達が何人かいておいかけっこしたりして遊んでいたので、その子たちをチラチラ気にしながら…一緒に遊んでいるような気分になって色々走ったりしてまあまあ嬉しかった様子〜♪この公園は大人向けのような感じがしますねそれは健康に良いようなものがあるから踏んで歩いて健康にということ
こんばんは🌆お疲れ様です😊今日のランチは大須観音『末廣寿司』さんで日替り「末廣弁当」をいただきました🍴結構なボリュームです❗️ちらし寿司、刺身定食もありますが、なぜか皆さん、末廣弁当を頼んでいました🍱店構えなかなか渋いです😃大相撲の力士の手形が飾ってありました🖐他にも番付表や色紙もありました。50年以上、前のもので北の富士関やら柏戸関が現役の頃のものだそうです❗️自分も学生の時に名古屋場所でお茶屋のアルバイトをしていた話をしたら盛り上がりました😁今日の大須商店街🏮まあまあ
中堅横綱Asumoparasite.web.fc2.com本サイト・大相撲パラサイトにて、新パラメータ版の名力士データを公開しました。第1弾大横綱(昭和/平成)※先日白鵬引退後に追記。第2弾強豪横綱(昭和前半/後半〜平成)これに続く第3弾として中堅横綱A・Bをこのたび公開します。現役力士を新パラメータに切り替えてから早や6年。昭和の大横綱が次々と亡くなって、大横綱特集までは勢いをつけて作成したものの、その後は筆が遅くて申し訳ないです。大横綱は世評が定着して
令和4年、大相撲初場所で関脇・御嶽海が優勝し、大関昇進を決めた。信州出身の大関は江戸時代の雷電為右衛門以来、227年ぶりということで話題になった。雷電為右衛門が出てきたことにより、三流亭の牽強付会癖・我田引水魂に火がついた。力士、柏戸の初代は北川辺の出身である。本名は出井清次郎、元文3年(1738)生まれ。(寛政8年歿・享年59)故郷の地名にちなみ、柏戸村右衛門と称し、19歳で初土俵。入門した伊勢海部屋の親方は騎西(現加須市)の出身である。大変強く、大関になったという人がい