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川風に時折なびき枯芒穂も葉も茎も枯れた芒をいう。冬の深まりに連れて穂絮も飛びつくしてしまうと、一層荒涼としてくる。野原一面に広がる芒の群落が枯れ、冬日に輝いている景色は美しく、壮観である。川岸に枯芒が見られた。時折吹く川風に枯芒が靡いていた。夕日いま映る川面や枯芒
人の匂いきれいに消して枯芒
今日の俳句花掠れ白穂輝く枯芒茜空照らす夕陽に枯尾花細りては影ぞ淋しき枯芒空晴れて水際(みぎわ)輝く枯芒平野にも狐の話枯芒今日の短歌11月10日「家内」故郷へ雨のドライブ六時間事故をせぬよに安全運転「私」寝不足も雨のドライブ慎重に飲んですっきりブラックコーヒー「愛の定義」愛は身近なもの。愛のキーワードは六つ。詳しくは下をクリック思いやり、相互理解、信頼尊敬、相思相愛、対等自由、創造英語訳もつけて、外国
青サボを掲げて年の瀬を駆け抜ける300形305編成温もり伝わる江ノ電カラー吹き付ける冷たい風に影を伸ばし始めたススキがゆらゆらと午後の陽射しに輝く枯尾花。Railscape:ShiningMomentTrain*EnoshimaElectricRailway305F+1001FLocation*Shichirigahama▸▸▸Kamakurakokomae(Kamakura.KANAGAWA
地下鉄の通るうわさや枯芒
今朝の公園の黄葉の目立ったのはウルシ科のカイノキだった。真下にベンチがあるので、カブレる人が居るんじゃないかと不安になった。違う木なら安心だけど。公園のベンチの筋トレ冬の朝柵を越えたところの花壇に清々しく黄葉する木があったけれど、ミズキかな?黄葉に残る緑の切なさよ筋トレ後はウォーキングを再開して別所沼を目指す長距離系を楽しんだ。濁る沼朝日に映える冬木立別所沼散策後また歩き出したら、速足ではあるけれど可憐な花が目に留まったので、しげしげと観察してから写真を撮った
今朝の公園は木々の葉がかなり落ちて一段と冬っぽくなった。裸木のくねくね腰を振るごとく筋トレ後ウォーキングを再開して、遠いルートを速足したのでケッコー汗をかいた。途中でシロガネヨシ(パンパスグラス)を見つけた。少し元気が無いのは寒さが本格的になったからかも。立ち枯れの白金葦の白さかな折り返し地点の別所沼には釣り人も居たけれど、ここで魚を釣り上げた人を見たことがない。彼らも釣果を期待してはいないのだろう。この場所に日がな居座る口実の釣りなのかな。冬晴や沼に護岸の杭の朽
冬ひさし吾が荒園にものを焚く悌二郎芒原枯れて光れり人に逢はず〃二句と沁み沁みとした感慨を正直に荒園や芒原に託して詠まれている。何か所かに呼吸の切れはあるが、切れ字を使用せずに終止形で終える悌二郎の作品で最も多い形だ。俳句は瞬間を詠むのに適しているといわれるが、この二句には程好い時間の流れがある。それでも間延びしてはいない。自分の庭で焚火をして冬の深さを、枯れた芒の輝きを発見して独りを、楽しんでいる。この時期の悌二郎の生活は落ち着いたものだったのだろう。ふと思った。久保田万太郎の句から「
枯尾花夕日とらえて華やげる稲畑汀子枯芒・・・枯尾花とも言います。芒の枯れた様、美しいと思います。枯れ切っても光を失わない芒。ただただ輝きを失わない芒。見事な生きざまです。<燃え尽きても光を放つ枯芒>と詠めてしまいましたが、たぶん、類そう類句はありそうです。燃え尽きても光を放つ枯芒
光らねば冬の芒になりきれず後藤比奈夫この寒中に残っている芒に惹かれて、一枚撮りました。枯れ尽くした芒、光っていて無駄がない美しさです。枯れ尽くしたから光を放っている。ただただ光り輝いている。・・・これって発見です。光らねば冬の芒になりきれず
恋歌をひとつ発見枯芒
きりぎしに風を呼びをり枯尾花堀口星眠枯尾花・・・枯芒の傍題です。青芒は夏、芒は秋、枯芒は冬の季語です。きりぎし・・・切岸(切り立った崖のことです。)写真の一枚目、二枚目は高速道路を下から見たものです。コンクリートの塊が作る機能美、人工美。光と陰のバランスが絶妙と、妙に感動しました。
今日の俳句茜空染めて輝く枯芒枯れてなほ華を忘れず枯芒この地にも狐の話枯尾花散りてなほ輝き増せり枯尾花枯野原群れて千畳枯芒今日の短歌十一月十三日「家内」小春日の鳥の囀り耳にして仰ぎて見れば身も心地よし「私」冬うらら庭の白菊花盛り寄りて見やれば香も芬々と「愛の定義」愛は身近なもの。愛のキーワードは六つ。詳しくは下をクリック思いやり、相互理解、信頼尊敬、相思相愛、対等自由、創造英語訳もつけて、
「きせつのバトンふゆをてまねきかれすすき」(木端美人)
荒れすさぶ園生に光る枯すすき(あれすさぶそのうにひかるかれすすき)先日行った植物園の「四季彩の丘」では、いくつかの花がちらほら咲いていたが、その一隅に群生している「枯芒(かれすすき)」が殊更目を引いた。毎年、見ているので意外性はなかったが、改めて見て、その形と色が真に楚々として美しいと感じた。本日の掲句は、その様子を詠んだもの。この「枯芒」は、河原などで時々見られる乱雑なものとは違っていて、多少とも人の手が加わり整えられたものと思う。「枯芒」は冬の季語。「枯尾花(かれおばな)」
2021.12.11一日一季語枯芒(かれすすき)【冬―植物―三冬】なびくこといつしか忘れ枯尾花篠崎央子句集「火の貌」の中の一句。句集の中には、恋をしてから結婚生活、介護のことなども散見される。央子さんは、中村草田男、鍵和田秞子のいのちを詠み、俳句の可能性を探るという志をしっかりと継いでいよう。(跋・角谷昌子)客観写生というより、この句の、なびくには、自身の姿なども重ねているのかもしれないですね。⇒画像をクリックするとブログ記事が読めます。*2021.12.
風道の風のかたちに枯芒季語(三冬)・枯芒
黄昏に立ち呆けたる枯芒季語(三冬)・枯芒
束の間を夕暮れ色に枯尾花
日々に枯れ日々に美し枯芒フーザンボー美しく芒が枯れていました。穂も茎もすべて枯れ、枯れ尽くして冬日に輝いている芒。美しいです。枯れて美しい。人生もかくありたいと思ってしまいました。芒の茎は茅葺屋根にも使われるなど、枯れることによって役に立つのです。人間はこの点では完全に負けていると思います。枯れきつて芒まつすぐ立つことよ二階堂光江日々に枯れ日々に美し枯
2020.12.08一日一季語枯芒(かれすすき)【冬―植物―三冬】風に身を委ぬるばかり枯芒大橋晄茎の部分が風に揺れる姿は、風任せで為す術も無い。この句の焦点は、そんな風に吹かれている情景であろう。自分自身の姿を枯芒に委ねているようにも。2020.12.7群馬にて(榛名湖から榛名神社への道にて)【傍題季語】枯薄(かれすすき)冬芒(ふゆすすき)枯尾花(かれおばな《かれをばな》)【季語の説明】枯れつくした芒だが、枯れた穂が風に吹かれているさま
高原の風に吹かれて枯芒(こうげんのかぜにふかれてかれすすき)先週末、二泊三日で、長野県、山梨県、群馬県の県境一帯の高原を散策するツアーに行ってきた。初日は、朝7時前に家を出て、バス、新幹線、JR線を乗り換え中津川駅(岐阜県)へ。そこでツアーバスに乗り換え、午後2時過ぎに最初の観光地「富士見高原」(長野県)へ行った。この高原は標高1250mの地にあり、自動運転の遊覧カートに乗りながら、2時間ほど壮大な景観を楽しんだ。特に、高原から見る山並みは絶景で、遥か遠くには、
もういいさ浮き世に疲れ枯芒篤人
第45回大阪南句会結果20191014会場和泉府中:和泉図書館令和元年10月14日(金)13時より兼題「秋祭り」「芒」「当季雑詠」5句以内(事前投句方式)31番秋祭大役ひとつ終りけり(いわきり秋月)3点寺田須美さん有り難う藤原正子さん有り難う3番空青く塗っているのか花芒(いわきり秋月)2点いずみ凜さん有り難う中村光影子さん有
枯芒(かれすすき)秋の七草にも数えられる芒(すすき)の若い穂は、濡れたようにしっとりとしています。澄み渡る月光を浴びて、銀色の海原のように輝く風景は、幻想的な美しさです。豊かな花穂(かすい)が次第に色あせて、わずかなそよぎに散る姿にも、静かな晩秋の風情があります。冬の芒は葉も枯れ尽くし、折れ伏た茎はわびしく姿をさらしています。清少納言は『枕草子』で枯れた穂を老人の乱れた白髪に見立てました。古歌では主に、人の世
夕暮はもう終わりかい枯芒
2018.11.21一日一季語枯芒(かれすすき)【冬―植物―三冬】陽だまりや野梅が下の枯尾花大谷句佛浄土真宗の僧・俳人。東本願寺二十三世。京都生。二十二世光瑩(現如上人)の次男。諱は光演、法名は釈彰如、句仏は俳号。幼年から諸流の書道を学び、杉山三郊に師事する。絵画は幸野楳嶺・竹内栖鳳について一家を成し、俳句は河東碧梧桐につく。著書も多い。昭和18年(1943)寂、68才。【傍題季語】枯薄(かれすすき)冬芒(ふゆすすき)枯尾花(かれ
先週の日曜日に野多目池で見つけた青芒青芒は三夏の季語である。この青芒をどう詠もうか?「人肌の触れ合ふやうに青芒」ハイジャン男枯芒には、人を突き離すような感じがする。青芒には人懐っこい感じがする。