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新宿区の管理する歴史的建造物、林芙美子記念館の特別公開に参加してきました。普段は庭から眺めるしかない建物内部を案内していただけるのです!林芙美子記念館建物内部の特別公開(3月15日・16日開催)-新宿歴史博物館www.regasu-shinjuku.or.jp最初に、ちょっとしたお役立ち?情報。駐輪場に関することです。最寄り駅は西武新宿線の中井駅。以前はここから歩いてきたのですが、歴博のメンバーズの特典で無料観覧できると聞き去年、そばを自転車で通りかかった時にちょ
書類を整理していてふと、目に止まった林芙美子記念館のパンフレット「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」ラインのプロフィール画面にしてみました。本当ですねよ。花の命は短いです。苦しいことばかりです。よろしければぽちっとお願いしまする。にほんブログ村人気ブログランキング
こんにちは❗️『放浪記』『浮雲』で有名な、林芙美子記念館にやってきました。会社の人が「ここ、良かったよ〜」とパンフをくれたので、行ってみる気になったんです。新宿区中井駅から歩いて7分、入館料はまさかの150円。文学記念館のたぐいってどこも入場料安いけど、それにしても安すぎない⁉︎運営費どうやってまかなってるんだろう…と心配になるレベルよ。素敵な広い庭と日本家屋。新宿区とは思えないほど、閑静な別世界が広がっています。先生の旦那さんは絵描きだったそうで、アトリエ跡は小さな展示室になっ
こんばんは。さてさて、わかばや坂本屋から歩く事10分ほどのところにある「新宿歴史博物館」にも行ってきました都庁や今の新宿のレプリカ。都会だなぁ〜昔のたたずまいの展示や部屋の中も子供達にとってはとても新鮮なようで、見入ってました昔の電車の切符🎫今では、Suicaも普及されているので、なんだか不思議な気持ちにそして、千と千尋みたいじゃない?と感想を言ってました次は、昭和10年頃の再現だそうこちらは、さざえさんみたいだけど、机が小さくて、可愛いと玉川上水を習ってると
12月6日(水)私は『林芙美子記念館』に紅葉を観に行きました2回目の訪問です♪前回、初めての訪問は9月22日でした♪その時、スタッフの方が「ここは紅葉がまるで京都のように美しいので12月の初め頃是非、また来てください!」と教えて下さったので私はその【12月の初め】を今か今かと待っていたのだった♪わくわくうきうきるんるん💓前回9月22日の時の記事✏️💓↓↓↓https://ameblo.jp/hime6868/entry-12823083671.html
お元気でしたか?私は、長引く猛暑にうんざりし、秋になったらなったで急に気温が下がったり上がったりの日々で体調がいまいちでした。自律神経が乱れていたのか?、息苦しさ、やる気が出ない、疲れやすい。でも、特にどこも悪くはないのです。もう12月月日の経つのは早いですね。私は、まだ梅雨の頃の記事を書いています6月22日『新宿区立林芙美子記念館』に行きました。東京都新宿区中井2-20-1都営地下鉄大江戸線・西武新宿線「中井」より徒歩7分この建物は、「放浪記」「浮雲」などの代表作で知ら
午後の予定が空いたので下落合の林芙美子記念館を訪れました。時々前を通るので一度入ってみたいと思っていたのです。そろそろ11月も終わりですが寒さはありません。秋晴れの午後です。材料まで勉強して新築したこだわりの邸宅と庭。奥がアトリエこれは台所。食にも拘っていたそうです。お風呂書斎柘榴や果林、ドングリも!空間に癒されました。映像や展示でいくつか印象に残った言葉があります。自分に厳しかった林芙美子のように何事も当たり前と思ってはいけない努力を続けなければと気付
日曜日、ちょっと紅葉を見に出掛けたら、サギさん発見🐦️紅葉にはまだ少し早かった。今年は遅いのね😅
50年来の友、三人で二泊三日の旅新幹線で広島へ、市電で原爆ドーム・原爆資料館74歳にして初めてだった続いてフェリーで宮島へ日本三景宮島厳島神社これも初めて松島、天橋立、宮島これでコンプリート宮島弥山ロープウェイ、混雑の極み復路、16時半最終運行のアナウンス、しかし40分待ち、行列が延々と続く二度といきたくない宿泊は国民宿舎みやじま杜の宿高くて人手不足二日目は呉の大和ミュージアム(呉市海軍歴史科学館)へ戦艦大和の10分の1縮小模型やゼロ戦の展示
放浪記を見て、思い出しました。東京都新宿区に林芙美子記念館があった筈早速行ってみました、今年生誕120年だそうです都営大江戸線又は西武新宿線「中井駅」下車すぐ7~8分歩くと看板が↓等身大の芙美子さん(145cm位小さい方ですね)↓竹林に囲まれた格子戸の門昭和の時代懐かしい~↓書斎寝る間も惜しんで書いていて、47歳で没↓客間芙美子お気に入りの記者は茶の間に通された↓次の間蒲団を入れていた押し入れ↓茶の間冬は掘りごたつになった↓夫緑敏(りょくびん)と養子泰(たい)の
楓の会8月吟行会期日:8月12日(土)集合:西武新宿線中井駅北口10:00吟行地:林芙美子記念館参加者:7名西武新宿線中井駅は、山手通りの陸橋下に位置していた。記念館は、北口を出て5分ほどのところにある。林芙美子と言えば「放浪記」で有名だが、私はまだ読んでいない。「放浪記」もどちらかと言えば、森光子の印象が強いくらいだ。ただ、彼女が青春時代に過ごした尾道に似た、坂が幾つもあるところに終の棲家を構えたのだろうという印象があった。絵葉書を購入した。「芙美子の文机」と名言
100分で名著。今、林芙美子。指南役の柚木さん。この方の歯切れのいい話し方、好きです。butterは読みました。他も読んでみたくなりました。ただ今、再読中涼しくなったら、新宿の林芙美子記念館に行ってみよう
通院と免許の更新を午前中のうちに済ませた休日。なにか文化的なことをしようと、中井の駅で思い立ちました。▼妙正寺川。この辺りを落合というのは、二つの川が落ち合っていたから。まずは腹ごしらえ。梅と青じそのペペロンチーノ。夏バテに効きそうな味これを食べながら、林芙美子記念館に行こうと決めました。この辺りは目白崖線や落合崖線にあたり、坂道が多いです。一の坂から八の坂まで、番号のついた坂があり、林芙美子記念館は四の坂下にあります。四の坂の階段
今月末の読書会に備え、窪美澄さんの「夏日狂想」を読み終えた。わたしは昨今の軽妙なイメージ(あくまで自分のイメージ)を抱いている近代作家の作品を敢えて敬遠し、この作品もそのような部類ではないだろうかと鷹を括っていたものであるが、読んでゆくと、物語の舞台となる時代を想い、そこに登場する文士の魂を尊び、最後まで揺らぐことのない地に足の着いた文章で、わたしの屈折した先入観を悉く覆した。これまで読んだこともなく、過去に読まずに手放したことさえある窪美澄さんの小説であったが、わたしはこの方の作家と
社会保険労務士の木代です。5月中旬に母が行きたいと言っていた林芙美子記念館に一緒に行ってまいりました♪新宿区の中井駅付近にあります。ナンテンザクロの木が横に伸びていました。ザクロの花カルミアザクロの花とかりんの実タケノコバラキー
26日(金)は朝から東京都新宿区にある林芙美子記念館に行ってきました。林芙美子先生は戦前期~戦後直後期に活躍された女流作家。非常に複雑な家庭環境に育った方だったようで(実父が認知しなかったらしい)高等女学校を卒業した「インテリ層」にもかかららず若い頃は相当に苦労されたとのこと。若い頃にお金で大変に苦労されたからこそ、売れるため(人気のため、お金のため)には何でもする野心家だったようで、当時の文壇界ではあまり評価は高くなかったようですが・・・(まぁ当時は女流作家は少なかったし
こんにちは曙橋から津の守坂を上がり新宿歴史博物館へ。所蔵資料展「新宿の画家たち-出会う、暮らす、描く」を開催中です。今年は佐伯祐三の大きな展覧会も行われており、彼自身の評価も高まりつつあると思います。「新宿の画家」をふりかえる機会をいただきました。展覧会チラシ表■なぜ落合に画家たちは居をかまえたのかまず、落合に目白文化村として新興住宅が増えていったこと。100年前に起こった関東大震災で比較的被害が少ない地域で、移住してくる人がいたこと、描きたくなる風景があったことなど
混雑回避に徹した今年の連休。要は、あまりポピュラーでない場所ばかりをめぐっております。(唯一の例外は本日、迎賓館ライトアップを見に行き、混雑でギブアップでした。もっとも、昨日行った人のツイートで”手荷物検査で2時間待ち”という情報を得ていたので、今日も同じだろうと予想はしていました。たまたま展示を見ていた新宿区歴史博物館=歴博から10分ほどと近いのでとりあえず見に行き、やっぱりね、と入口でUターン。)歴博では、2日前に行った林芙美子記念館/佐伯祐三&中村彝アトリエと連動するような
新宿区落合、この辺りに武蔵野の風景がまだ残っていた大正の頃、多くの文化人が住んでいました。彼らの住まいのうち、新宿区が今でも保存している建物が3つあります。中村彝アトリエ記念館佐伯祐三アトリエ記念館林芙美子記念館先日、西武新宿線沿線、下落合駅、中井駅にあるこの3つの記念館に行ってきました。きっかけはいくつかありまして、ひとつめは山田五郎のYouTubeチャンネルの佐伯祐三の回で紹介されたこと、もうひとつは東京都現代美術館のウェンデリン・ファン・オルデンブルフの展覧会の作品の中で林芙美
尾道は坂が多く細い道が迷路のように!昔から「坂の街」「文学の街」「映画の街」云われています~作家「林芙美子サン」の故郷であり尾道を舞台にした作品もあり映画のロケ地にも多く使われたようです。今回はひとつ目的がありました!前回が15年前坂道を歩き疲れて先代の🐶りゅうクンも連れての尾道旅暑い夏でした🌞🥵娘チャン、貧血起こしりゅうクンぐたぐた涼しい場所(エアコン効いてる)求めて…ワンコ連れてるから飲食店はムリでも入れてくれた喫茶店がありました。探し
水道を眺めていると、なにやら向島との間を頻繁に往復している船があることに気付きました。そのうちの一隻が近くに接岸するようなので行ってみることに。車が続々と乗り込んでいっています。なんとフェリーじゃないですか。看板を見ると「福本渡船」となっていました。目の前にある向島にわたるフェリー。料金は大人\60、普通車が\100(運転手込み)という安さです。時刻表などといったものもなく、朝6時から夜の10時過ぎまで「ひんぱんに運航」するみたい。所要時間は3分程度とのことです。通常のフェリー
ー新宿歴史博物館特別展図録よりー「コープカルチャー西宮」の【朗読教室】です林芙美子に挑戦今年は大作にじっくり取り組みますまず選んだのは「晩菊」参考文献ー講談社「林芙美子」全集ーあのわくわくする書き出し(個人的に私が?....,.)【夕方5時頃うかがいますという電話であったので、きんは一年ぶりにねえ、まあ、そんなものですかと........】元赤坂の芸者だった老女が昔の男の突然の再訪に心揺れ幻滅する心理を描いている女流文学者賞受賞テキストは生徒さんの分も含めて
林芙美子記念館新宿区立林芙美子記念館-新宿歴史博物館www.regasu-shinjuku.or.jp☆新版☆放浪記(新潮文庫はー1-1新潮文庫)[林芙美子]楽天市場935円浮雲(角川文庫)[林芙美子]楽天市場704円貧乏こんちくしょう林芙美子作品集林芙美子作品集(廣済堂文庫)[林芙美子]楽天市場880円下駄で歩いた巴里林芙美子紀行集(岩波文庫)[林芙美子]楽天市場814円新選林芙美子童話集第2巻(2)[林
久しぶりのウォーキングにて秋の風景に、親子のバドミントン姿に。。心温かな思いで眺めさせてもらいました。青空文庫より→こちらで読めます林芙美子蒼馬を見たり蒼馬を見たりwww.aozora.gr.jp秋のこゝろ秋の空や樹や空気や水は山の肌のやうに冷く清らかだ。女のやうにうるんだ夜空はたまらなくいゝな朝の空も夜の空も秋はいゝな。青い薬ビンの中に朱いランタンの灯がフラリフラリステツキを振つて歩るく街の恋人達は古いマツチのからに入れて私は少女のやう
今日も良い天気ですな。山日和ですが、私はこれからレッスン。頑張ろー。中村彝アトリエ記念館から少し歩いて、お次は新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館です〜こちらはご存知、佐伯祐三のアトリエ佐伯祐三-Wikipediaja.m.wikipedia.orgこの人の作品は観たことある人も多いでしょう。《郵便配達夫》《テラスの広告》お洒落ですな。こちらはさらに住宅街の奥住宅街の奥の公園の中アトリエの建物は残っていますが、それ以外の住居部分などは無いこちらにも『文豪とアルケミスト
昨日の天気予報で、午後から雨が降るらしいことを知ったので朝の水やりは控えめにしておいたRieruです★・・・全然降らんやんけ!イテテ(雨雲レーダーをチェックしましょう)夜中には降るらしいですが、控えた分をしっかり水やりした女は、先月広島県尾道市を旅行しました。市内には著名人の『足型』が多くあるようですが、尾道駅近くにもズラリと並んでいましたよ。ただ、著名人と言っても私が知らない方もふくまれており・・・Tもっちゃんと確かめながら見ていると歌手の『松崎しげる』さんのが!1992年2月
(84)四の坂は林芙美子記念館に面していて、途中に木立ちに囲まれた石段もあったりして、中井の番号坂の中では風情がある方だと思います。妙正寺川に沿って番号坂の下を結ぶ中井通りから四の坂を見たところ。左側が林芙美子記念館です。奥が石段になっていて右に寄れています。記念館の竹やぶの竹が坂にかかって涼やかです。こちらが林芙美子記念館。苦労人のイメージが強い林芙美子ですが、1930年に出版した「放浪記」で流行作家の仲間入りを果たし、1941年にこの地に自宅を建てて
中井の林芙美子記念館へ。素敵な縁側だったな〜!外は暑いのにここだけ涼しい✨
2021.11.6①②③生活棟とアトリエ棟からなってます。④生活棟⑤アトリエ棟⑥冷蔵庫(SS-1900型)1938年(昭和13年)の芝浦製作所製。芝浦製作所は、1930年(昭和5年)に米国GE社製をモデルにした日本初の家庭用冷蔵庫(SS-1200型)を製造しました。その後、1938年(昭和13年)にSS-1900型を製造し、その容量は195リットル、重量232キログラムで当時の価格は720円でした。この時の大学卒の初任給は70円だったので、1年働いても買うことのできない高価なもので
林芙美子記念館は、「放浪記」「浮雲」などの代表作で知られる作家・林芙美子が、晩年に住んでいた家です。芙美子は山口県下関生まれといわれ、家庭環境は複雑で、九州を転々としながら幼少期を育ち、大正5年(1916)に広島県尾道市に移り、女学校を卒業しました。大正11年(1922)に上京した芙美子は、様々な職業を経験し、男性遍歴も多く、作品を雑誌・出版社に売り込んで回りました。昭和元年(1926)、手塚緑敏と内縁となり、昭和3年(1928)から小説「放浪記」を連載し好評を得ました。昭和5年(1930)に