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12年目の熊野三山初詣~那智駈け②熊野三山初詣2日目の那智駈け。いつものように妙法山阿弥陀寺にお詣りさせていただき、奥之院へまいります。阿弥陀寺境内から約15分。妙法山奥之院浄土堂に到着しました。ご本尊は立木釈迦如来立像。、大宝3(702)年、唐の僧・蓮寂上人が法華三昧を修し、法華経を書写して山頂に埋経、そこに立っていた立木に釈迦如来を彫り、安置したのが阿弥陀寺の開基とされています。妙法山の山頂部であり、大変静かで、穏やかな空間であります。静かな浄土堂にてお勤めさせてい
阿弥陀寺に、今年も無事にお参りし、これから妙法山々頂に祀られている、奥之院へ向かう事にします。本当に今年は暖かくて、標高は750mになるのですが、そこまで寒く無くて、助かっています。行衣なので、ダウンなんて着ていませんしね(;^ω^)阿弥陀寺境内から約800m、15分くらいで到着できます。雰囲気がある登拝道であります。阿弥陀寺奥之院浄土堂ご本尊は立木釈迦如来立像であります。唐から来た、蓮寂上人が、妙法蓮華経を書き写して土中に埋め、その上に立った木をそのまま彫ってお釈
令和3年11月14日(日)関西は、この一週間、雨がちのお天気でした。気持ちも塞ぎ気味(¯―¯٥)でもね(*❛‿❛)私には、天照皇大御神と丹生川上&龍田&貴船の龍神さんがついとるんやぁ!と(^O^;)見事に晴れてくれましたわ〜(ノ◕ヮ◕)ノ*.✧(ノ◕ヮ◕)ノ*.✧という事で、毎年恒例の大台ヶ原(1695m)へ登拝致しました(◠‿◕)私のブログを読み続けて下さっている方はご存知頂いてると思いますが、まずは、来年お正月の熊野三山初詣の前行でもあり、偉大な二人の行者、林実利師古川
令和2年11月15日(日)今年も、毎年恒例になっている登拝行、大台ヶ原(1695m)へ登拝してまいりました。今季最後の1500m越え。今年は全てコロナ禍のおかげで、お山の予定がメチャクチャになりました。今年は石鎚山、剣山、伯耆大山、伊吹山が登れずじまい。春日山錬成会も全て中止。せめて、大台ヶ原だけでも登拝しなくては!と、シーズンも超後半、来週でバスも終了になるこの時期に登拝させていただきました。もちろん、紅葉🍁は終わってますから、登山客も少ないとは思っていますが、人気のお山なので、
週末は前鬼からのボランティア。今日は和歌山県の北山村から奈良県の下北山村を結ぶ不動峠の地蔵堂のお堂修復の荷揚げボランティアでした。前の前鬼修行もまだ書ききれてないのに(笑)以前にブログに書いた筏師の道の再生プロジェクトの具体的な活動です。北山郷~筏師の道不動峠と七色の経塚。『北山郷~筏師の道不動峠と七色の経塚。』先週の前鬼修行は夏安居その弐。1日目。和歌山県の北山村から奈良県の下北山村を結ぶ不動峠を歩いてまいりました。筏師の道・七色~不動峠~下北山村浦向この道は筏…www.
またまた放置してしまった前回の前鬼山にまだつづきがあるのにお盆も前鬼山へ~。溜まってしまう…マズイ師匠が発足した實々之會では毎月1回は前鬼山で修行を行っています。大峯二代行者林実利師が修された行を実践していく会です。実利行者の実践してきた行をまるっとできるわけではありませんが、少しでもその意をつないでいこうという想いがあります。実利行者は前鬼の五鬼熊さんのところでお行をされていたとのこと。そういうことで前鬼を拠点として会がはじまりました。前鬼山は私
つづきです~。下北山村の佐田のうい山の天王へ。場所がわかりにくいのですが、師匠が以前にお詣りに伺っているのでスムーズに行くことができました。元々は佐田と上桑原の境にあるうい山にあったそうですが現在は民家の近くにお祀りされています。実利行者によって安置された魔利支天木像と魔利支天供養の木札三枚が納められています。実利行者の足跡めぐりのサイトに詳しく載っています。(熊野古道センターではお声かけくださりありがとうございました)実利行者の足跡めぐり下北山佐
つづきです〜。天狗倉山から熊野古道センターへ。熊野古道センター初めて行きました。突如現れるとってもきれいな建物でした。熊野古道センターに入ると、「来ると思ってました〜」「さっき望遠で天狗倉山を見ていたんですよ〜」「岩の上にいましたよね〜」って、センターの方に言われた(笑)見られてる〜う。悪いことできないですね(笑笑)せっかくなので講演会に参加。マスクに消毒を徹底していました。熊野修験の奥駈にもご参加くださっていた熊野古道センターの橋本博さんが「80キロ踏破の記録」を
2月22日(土)〜3月29日(日)熊野古道センターで企画展をやっています。世界遺産登録15周年記念企画展「修験道~実利行者と大峯奥駈道~」実利行者を支援されていた山麓の村々に残る遺品や資料などから実利行者は修験者としてなにを目指していたのか。感じとれる貴重なものを拝見させていただきました。写真はNGですので…ないです。熊野古道センターのHPをご覧ください。世界遺産登録15周年記念企画展「修験道~実利行者と大峯奥駈道~」またブログに書きますが…会場で実利行者の足跡め
つづきです~。寒行の後は新宮の定宿にて宿泊。金曜日も泊まったので連泊です。連泊だと荷物がめっちゃ楽~(笑)連休の2日目。早起きして神倉神社で日の出を拝みたかったのですが、前日に睡眠2~3時間だったし、寒行で身体も疲れているので、身体を休めることにしました。のんびりの朝でチャックアウトギリギリ宿泊客はもういらっしゃらなかったのでロビーの役行者さまビリケンさん前で勤行をさせていただきました。那智へ先ずは青岸渡寺本堂。ちょうど御祈願の方が終わったタイミ
観光客はまず来ない、那智七本願のひとつ・阿弥陀寺。何せ、お車でないとアクセスできませんからね(^_^;)その前に、一般的に知られてないですけどね(°ー°〃)後は、私の様に登拝するしかありません(^o^;)大師堂。以前も書きましたが、大師堂では、一番ピリッとした雰囲気があります。ここでお勤めをし終えて、振り向くと、初老のご夫妻がおいでになり「昨年もいらっしゃいましたよね?私も必ず1月2日にお詣りするので。丁寧にお詣りされてるので、覚えていましたよ」とお声掛けくださいました。ありがとう
牛石ヶ原は、休憩するのにピッタリな場所ではありますが、私の敬愛する二大行者、林実利師と古川嵩師の足跡が明確に残る聖域でもあります。御手洗池。この付近で林実利師は大護摩供を行いました。修験道禁止令が発令され、笙ノ窟で行を終えた実利師は、この一般的には未開の大台ヶ原に庵を建て、井戸を掘り、修行に励んでいたそうです。そして、実利師の元には自然に人が集まってきていたそうです。実利行者碑。「実利行者修行地」とあるそうです。八大龍王碑。「八大龍王影向池」とあるそうです。役行者が牛鬼を封じ込め
つづきです~。多忙でブログが追いつかない翌日は中津川坂下へ。実利師の故郷の里にある神変教会と実利教会へまいります。師匠が6月にこちらに伺っており、ありがたいご縁をいただいており、今回私も伺わせていただきました。でも詳しくは書けなくて…すみません…こちらは実利教会。行者堂には実利師の像。周りには教会の再興にご尽力された方々の碑や、実利師のお父さまの墓石や、孔雀明王のお堂などがあります。こちらは神変教会。出家前に御修行されていたといわれています。御嶽
つづきです〜。だいぶ遅くなってしましたお行中はブログ書く時間もないので溜まってしまいます前回の3連休の3日目。熊野修験のホーム那智山。青岸渡寺の朝のお勤めに参座。毎日5時からどなたでも参座できます。師匠がご祈願したいことがありそのままお護摩祈願にご一緒させていただき一緒にお祈りさせていただきました。終わるころにはもう明るくなっていました。青岸渡寺のご本尊さまは如意輪観音さま。皆さまご存知かと思いますが西国三十三霊所巡礼の一番札所。印度の僧裸形上人が那智の大瀧で修行さ
つづく〜。行者堂にて勤行し出発。この時期はヤマビル天国の道を進み峠のお地蔵さまの前で勤行。約1時間でつきました。沢登りのメッカにもなっているのですが、ここは神聖な神の宿る場所。そしてここは行場です。しめ縄はってほしいわ〜と心底思います。6月中旬過ぎではありますがまだ水は冷たく心してお行させていただきました。※先達山伏のもとで安全にさせていただいております。透き通った浄らかな水の中は神の世界。般若心経とご真言をお唱えしその中に入らせていただき一体となる感覚。自分の中に
岐阜県の地理に疎いのは、反面、無茶苦茶なリクエストを平気でしてしまう、という利点?(;゜∀゜)ができます(^o^;)解ってたらしてまへん(^_^;)中津川市から一気に関市へワープ((ノ∀`)・゚・。Mさん、ごめんなさいね岐阜県が生んだ二大行者のもうひとり、円空さん縁の場所へ向かいます。最初に訪れたのは、円空最後の地、長良川河畔の関市池尻弥勒寺へ。いきなりですが、円空入定塚にお詣りしました。元禄八年(1695)7月15日にこの場所で入禅定されました。お塚の上は藤棚になっていて、
つづきです〜。この日は大峯山二代行者林実利師のご命日。那智の大瀧へご入定された日です。幕末から明治時代中期にかけて活躍された行者で、庶民だけではなく宮家からも信仰されるようになり、大峯山二代行者実利師という名号を賜ったそうです。二代というのは、神変大菩薩(役行者の尊称)に次ぐ行者と言う意味だそうです。最後には那智の大瀧の頂から座禅を組んだまま滝壺に入定。入定して数日後に滝壺より引き上げられ、座禅姿のままであったとのことです。こちらのサイトに詳しく書かれていま
平成31年4月21日(日)平成も後10日を切りましたね。この日は平成最後の遠征に出かけました(´▽`)岐阜県!に遠征です。あるSNSで知り合い、寺社関係、鉄道関係(^o^;)にも造詣が深く、様々な事をお教えくださる、岐阜県在住のMさんのご好意に甘えて、車で岐阜県を縦断してまいりました。岐阜県の地理に疎いもので、超無茶振りをしてしまいまして(^_^;)呆れられるも、Mさんもマニアック?な寺社詣でが好きな方なので、今回の私の参拝リクエストを受け入れて下さいました。感謝です(^▽^)午前
ぽかぽか陽気な一日でした。今日は長距離移動となりましたが、とても充実した一日になりました。今日お世話になったMさんに、感謝しかありません。また日記に書きますね。┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉今年のGW、私の業界は10連休ですが、それでは生活が厳しいので(^o^;)そこそこ仕事しないと(´▽`)と言うことで、今年の奥駈は5月4日~6日の3日間になりました。初日は吉野駅から山上ヶ岳まで。龍泉寺参籠所で参籠します。2日目は山上ヶ岳から八経ヶ岳まで。弥山小屋にて泊
もう4月も半ばを過ぎ、もうすぐ大峰奥駈道、大峯山上ヶ岳月参り、石鎚山、剣山、金剛山など、お山のシーズンに入ります。この時期、佐藤貫道師や伊冨喜秀明師を思い出しますが、このおふたりも思い出されます。現代社会ではもう現れないかもしれない、美濃国、現在の岐阜県が生んだ二大行者。その名は林実利と円空です。円空は「円空仏」が有名ですが、その仏師としての一面しか知られていないように思いますし、林実利師に至っては、一般的にはほぼ無名ですね。昭和にも偉大な行者、佐藤貫道師や伊冨喜秀明師が現れましたが
寺務所にて御朱印をいただき、寺務員の方と暫く談笑して、奥之院を目指します。その前に、ご紹介してなかったお堂を(^ー^)熊野三宝荒神社。紀州藩初代藩主・徳川頼宣公が勧請。厨子には葵の紋がありますよ(^-^)また、木造の三宝荒神像なんだそうです。因みに、神倉神社にも三宝荒神が祀られていますが、そちらは立里荒神さんからの勧請だそうです。納骨堂。妙法山のお髪上げが有名です。奥之院登拝口の手前に釈迦如来像が。奥之院のご本尊は釈迦如来。かけぬけ道よりはタフな急坂です。ただ、よく整備され
週末のつづきです。奥駈けの翌日。疲れが残っていて足も痛かったのですが、頑張って4時起きして青岸渡寺の5時からの勤行に参加。勤行が終わってから、導師より衣躰着用の儀を取りはからっていただきました。奥駈けでは鈴懸は着用しておりましたが、鈴懸と梵天を加持していただきまして改めて熊野修験の行者となりました私は自分で修験をやりたいと思ったわけではありませんでした。ただ、自然豊かな熊野が好きでお詣りに行ってたら、いつも間にかなっちゃったという感じなのです。崇高