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林冲の絵といえば、手槍にヒョウタンを吊るした姿が多いのですが、李雲中画伯は、鎧兜の戦装束で蛇矛を持った姿を描いています。鋭い目つきに角ばったヒゲ、たしかに張飛っぽい感じもします。
昨年の10月に、神田の中国書籍専門店で新しい画集を購入しました。中国画線描《水滸伝》人物百図(李雲中・絵)です。思わず塗り絵にしたくなるような、繊細な線描の好漢たちを紹介していきます。まずは表紙から。第八回「魯智深大いに野猪林を閙がす」おなじみの名場面です。(あぐらのまま飛び上がっているような不思議な足さばきですが、ロッチーなら、これでもいける気がします)作者のこだわりなのか、描いた順だったのか、なぜか宿星順には並んでいません。天罡星の好漢がずっと後の方で出
「かつて梁山泊(りょうざんぱく)に林冲(りんちゅう)という男がいた。彼は宋(そう)江(こう)を追い詰めていた宋軍三万を、五百騎で駆け抜け、潰走させたという。奇襲のような形で精強な騎馬隊が現れると、大軍が逆に仇となり、混乱の収拾がつかなくなるものだ。もし王(おう)祥(しょう)が玄(げん)旗隊(きたい)の力量を正確に理解していれば、結果は違っていただろう」王祥の憮然とした表情は、変わらなかった。その時、兵が一人丘を駆けあがってきて言った。「殿、陛下より御使者です」「承知した。丁重にご案
梁山泊(りょうざんぱく)の軍人たちは、死に憧憬(しょうけい)の念を抱くものが多かった。雄々しく死にたい、どうせ死ぬなら官軍や役人に一泡吹かせたい。梁山泊の創成期は、人々は世の腐敗に喘ぎ、絶望していた。梁山泊に入山したものは、この反乱が宋を倒し、新しい国ができるなど、夢にも思わなかった者も多かっただろう。いずれは鎮圧され命を落とす。それならば、暴れるだけ暴れて死んでいこうというのだ。しかし、同じ死への憧憬でも、愛する者を失ったものは、もっと根が、暗い。明らかに死ぬために敵に突っ込んで
本日は、南座に澤瀉屋さんの九月花形歌舞伎新•水滸伝(すいこでん)を観劇して参りました😄。先月は、歌舞伎座夜の部でやっておられたようです。恥ずかしながら、南座で、今、何をやっているのかな〜🙄⁉️と調べてこの公演をやっていると知りました。どうやら、面白いらしいので🤭🎶、観劇することに致しました。ポスターの映り込みが多いので、ネット検索であらすじを予習しましたが、登場人物の漢字が読めず😵💦、悪戦苦闘😵💫🎶。一人一人調べながら読み進めましたが、登場人物が多
「それにしても梁山泊(りょうざんぱく)騎馬隊の強さと速さには、いつも舌を巻きます。赤(せき)騎兵(きへい)も、俺は恐怖を押し殺して突撃していました」「梁山泊騎馬隊は林冲(りんちゅう)殿が作り上げた伝統だ。林冲殿は三万の官軍を、たった五百騎で潰走させた伝説もある」「三万を五百騎で」「林冲殿が今の俺たちを見たら、きっとどやされるだろうな」秦(しん)容(よう)が笑いながら言った。「いつも思うのですが梁山泊とは、不思議な存在です」「今や梁山泊は無くなっちまったが、俺や呼延凌(こえんりょう)
カードの6枚目は、水滸伝の中でも1,2をあらそう人気好漢、豹子頭林冲です。天罡・・天雄星職位・・五虎大将の右軍大将武器・・寒星冷月槍必殺技・・寒星奪魄刺、冷月索命舞、憂郁飛花悲劇のヒーロー林教頭だけあって、武器や必殺技も、「寒星」に「冷月」、「憂郁」(憂鬱な、の意)と、さみしげなネーミングばかりです。(人物略歴)東京八十万禁軍の教頭である。高俅の息子である高衙内が、かれの妻に目をつけた。そのため、高俅は陸謙を手先にして策略をめぐらし、林冲があやまっ
さっそくですが今日紹介するのはコレ【水滸英雄伝】腕が立ち実直で人望もある宋の帝を守る近衛兵80万の師範"林冲"そんな林冲を邪魔に思って貶めて罠にかけ排除しようと暗躍する帝に仕える太尉の"高俅"は林冲の妻にうり二つの石像を作らせて帝が病弱なのは妖石が原因この妖女を処刑するべきと訴え。。。(あんまり強そうじゃない林冲w)(高俅は悪い顔してますw)しかし林冲が機転を利かし石像の顔の部分を破壊して計画は失敗すると高俅は配下の法師に河から妖石が再び出現する
内容紹介(「BOOK」データベースより)十二世紀の中国、北宋末期。重税と暴政のために国は乱れ、民は困窮していた。その腐敗した政府を倒そうと、立ち上がった者たちがいたー。世直しへの強い志を胸に、漢たちは圧倒的な官軍に挑んでいく。地位を捨て、愛する者を失い、そして自らの命を懸けて闘う。彼らの熱き生きざまを刻む壮大な物語が、いま幕を開ける。第九回司馬遼太郎賞を受賞した世紀の傑作、待望の文庫版刊行開始。三国志に続いて10年ぶりの水滸伝です。出だしから大きく完治がしていたことに気づきます。
大きな尻を上に向けて、盛大にひっくり返っています(笑)。林冲の「撥草尋蛇」の技をくらって、身体はくるりと一回転、むこう脛を薙ぎ払われて、どっと倒れた場面(第九回)です。(寄せ書き)知己不知彼、一跤摔到底。(おのれを知ってはいたが、彼を知らなかったばっかりに、あっという間につまずいて、どん底にころげ落ちた)
あけましておめでとうございます。公私ともにトラブルが続いたため、昨年12月からブログを休止していました。今年こそは良い1年になるよう、希望をこめて心機一転、また始めたいと思います。どうぞよろしくお願いします。ドク・ホリディ拝(画像は、年画の林冲です。気合のある好漢からパワーをもらうぞ!)
「林教頭風雪に山神廟へ陸虞侯草料場を火焼す」(第十回)の場面です。(寄せ書き)自幼相交、今日倒来害我、怎不干你事?幼いころからの付き合いなのに今日はどうして俺を殺しに来たのかお前には何の関係もないはずだ
陳情令を語るのに絶対外せないのはドラマの後ろで流れるOST大事ですよね、音楽が世界観をぐーんと盛り上げるのは間違いないその旋律を聴いたら頭に数々のシーンが浮かんできてそれだけでもジワるってものオープニング曲陳情令超カッコいい!わずか2分だけどドラマの世界観みんな詰まってる出来ることなら40分くらいの組曲にしてもらい大きなホールでもってフルオーケストラで演奏して欲しい〜〜!林海先生お願いします〜〜ここから少しほっこりしたおはなしお友達のご主人が中国出身の方で。それまではご挨拶しかし
豹子頭林冲之白虎堂(豹子头林冲之白虎堂)宋の時代。八十万禁軍教頭の林冲は、大尉高俅の覚えもめでたかった。その日、京城の五岳廟で祭があり、林冲は妻の貞娘と侍女の錦児の三人で出かけた。出店や大道芸でにぎやかな通りの向こうで、武芸を見せている酔っぱらった和尚がいた。林冲が和尚を見に行っているあいだに、貞娘と錦児はお参りを済ませることにする。林冲が出会ったのは、優れた腕前を持つ相国寺の和尚、魯智深であった。意気投合したふたりは酒を酌み交わし、手合わせする。そのとき錦児が
帰宅してすぐ描いても、upできるのはこの時間、、、、、うーむ、リアル絵画はいつ描くのか。悩む執事画家だが、楽しいのは楽しいニャン「求不得苦」求めても得られない苦しみもまた、聖なる真理。割と古い白鳳時代の仏、當麻寺金堂四天王像の持国天像の写真を見ながら、仏像イラストを描いていたら、1973年制作のドラマ「水滸伝」の林冲=中村敦夫を思い出してしまい、仏ではなくてイケメンオジサンに、なってしまったと思う執事画家。あの主題歌、大好きだった、、、げ、原作は横山光輝!!!も
こざっぱりしたイメージの前回の絵からはがらりと変わって、無精ひげが伸びた顔、手に持った鎗にはひょうたん。第十回のあの有名なシーンです。(寄せ書き)少年子弟江湖老、多少青山白了頭。まだ年若い青年も世の中に出て年老いていく緑ゆたかな山の頂にもやがて白く雪がつもるように
棒ではなく長鎗を振っています。「八十万禁軍の鎗棒の教頭」(第七回)と呼ばれているので、どちらを遣っても名人であることは間違いないですが。(寄せ書き)看紅櫻翻芳草不負朝露夕陽却怎知来年禁軍八十万教頭軽白虎堂(かぐわしい草のなかでゆれる赤いハスの花も)(朝露から夕暮れまでのたった一日しか知らない)(どうやって来年のことを知ることができるだろう)(禁軍八十万の師範すら白虎堂に思いがいたらなかったように)
豹子頭林冲之野猪林(豹子头林冲之野猪林)林冲の妻、張貞娘を、時の太尉高俅の息子、高衙内が見初めた。強引に妻を奪おうとする高衙内を、林冲は街なかで恥をかかせてしまう。それがもとで高俅に陥れられた林冲は、滄州へ送られることになった。同行する官差の董超と薛覇は、高俅が提示した金と地位を見返りに、林冲殺害に応じる。道中、林冲の身を案じた魯智深があらわれるが、林冲はかれを妻の元へ走らせた。何度も襲われている林冲はふたりが小物であることを見抜いていて、命の危険は感じなか
林冲之風雪山神廟(林冲之风雪山神庙)北宋初年、天帝は三十六の天罡と七十二の地煞を伏魔殿のいしぶみの下に封じることで、人間界に平安をもたらした。時は過ぎ、仁宗年間。洪太尉があやまって無字碑を壊したことで、百八の凶星が人間界に飛び出した。天雄星の林冲はそのうちのひとりである。禁軍教頭の林冲は、来月、選武部校尉に昇進する予定であった。ところが妻の貞娘と義兄弟の陸謙と一緒に訪れた廟で、高俅の息子、高衙内が幼い物乞いの少女を買うところを目撃し、懲らしめるために追いかけた。池に
次の駅、城端線の林駅へと到着しました。林がつく苗字で有名人・・・「いつやるの?今でしょう!」の林修先生か・・・やっぱりウチ的には豹子頭・林冲です。入口の様子。踏切横から入って行く形でした。新しい待合室がつくられていました。現在の待合室の中の様子。ここもある程度みたので、次の所へと向かうのでした。【城端線:二塚駅←林駅→戸出駅】【リンク:二塚駅】『【駅探訪】城端線二塚駅』まだ夜が明けていない朝5時半、スパ・アルプス前の道を西へ西へと走って行きました。原付爺ちゃん号
智深伝2(智深传2)北宋年間。八十禁軍教頭の林冲が高俅に陥れられ、滄州へ送られることになった。道中、役人から虐待を受け、林冲は歩くことすらままならなくなる。林冲が動けないと見た役人は、かれを殺そうとする。役人たちは高俅に家人を人質にとられ、脅されていたのだ。観念する林冲。へっぴり腰の役人から林冲を救ったのは、かれの義兄弟である魯智深だ。直後、手練れの刺客に襲われる。魯智深は刺客を叩きのめす。それを見ていて肝をつぶした役人は、林冲の道中の安全を魯智深に誓った。とこ
蛇矛・・・刃の部分が蛇のようにうねっている矛。「だぼう」「じゃぼう」と呼びます。「三国志演義」で、蜀の張飛が使用している武器です。また、「水滸伝」では梁山泊第六位の林冲が同じ武器を使用しています。ただ・・・「三国志演義」の舞台である三国時代や、「水滸伝」の舞台である北宋の時代には、実際には蛇のようにくねった蛇矛は発生してなかったようで・・・「三国志演義」「水滸伝」といった小説が成立した明の時代の頃に発生した武器のようです。張飛が蛇矛を使用していたというのは
5月13日の高知新聞夕刊に中村敦夫さんの記事が載りました。中村敦夫さんといえば、「木枯し紋次郎」、「水滸伝の林冲」、「中村敦夫の地球発22時」、などなど・・・水滸伝は毎週楽しみにしていました。内容はほとんど覚えていませんが、九紋竜史進が、あおい輝彦さんだったこと、梁山泊で時の権力に反抗し・・・オープニングの心高鳴りそうなメロディーを少々記憶し・・・というくらいですが・・・さて、記事をみましょうか・・・中村敦夫さん原発と闘う公憤と義憤動機に朗読劇公演で来高「政治は平気で
林冲らぶ22000気品13000第1章4話①怯えて後ずさる+1②林冲を助ける+5③そのまま見守る+38話500らぶ10話①そんな人だったんですか?+1②何するんですかっ!+3③………+514話①やっぱり、なんでもない+1②質問してもいいですか?+5③大丈夫ですか?+315話プレミアムルートスチル有第2章3話①違います+5②すみません+1③わかりません+36話①ショックでした+1②優しいですね+3③林冲さんがわからな
こんばんは。今日の大河ドラマでは西郷隆盛公が征韓論に敗れ野に下っていく話だったのでしょうか?鹿児島では大久保利通公は西郷どんと呼ばれる西郷隆盛公の敵として認識されていたようです。話は変わり、お隣中国の四大奇書の1つ水滸伝では三国志の関羽の子孫ということで関勝という好漢が登場します。関羽の子孫ということだけでなく、容姿も似ており、同じく青龍偃月刀を用い、学問や兵法にも通じており、また義にも厚いという三国志(演義)で描かれる関羽の生き写しの人物です。登場は遅いものの梁山泊では早くから武将とし
2017年7月訪問【姥湯温泉豆知識】・2016年8月に滑川温泉と姥湯温泉へ通じる道が土砂崩れでふさがり52人が孤立した場所。(去年は7月訪問でセーフ(-ω-;))・標高1300mにある温泉・混浴・日本秘湯の会前回。。朝早く来すぎて行けなかったために今回は滑川大滝で時間調整しての訪問。初めてみた看板。。。。これ。。。わざわざ看板にしなくても曲がれなかったらするような。。。(-ω-;)そして見えてきました。。。(;゚Д゚)。。。。一言でいえば。。。。梁山泊!土砂崩れがあった
次に訪れたのは日本でも有名な「清明上河図」の世界を再現したテーマパーク清明上河園なりぃ~~~宋時代の雰囲気いっぱい歩くの疲れたから船に乗りました^^;このテーマパークのスタッフは皆宋時代(風)の服装をしています。訳も分からず乗り込んだけど、おっちゃんがいろいろと説明してくれておまけに一緒に乗った他のお客さんたちもフレンドリーでめっちゃ楽しかった~一応、救命胴衣を着けて乗っていますよ^^古めかしい船なんとも落ち着いた佇まい虹橋船が通るときに係りの人が
三国志の英雄『呂布』と水滸伝の英雄『林冲』ですが、実は私のバイクと深い関係があるんです。前回も書きましたが、バイクどころかメカ全般に興味の無かった私。バイクを選ぶにあたって「黒がいいなぁ~」ってくらいしか思ってなかったのは、前回お話したとおり。では、何故『黒』にこだわったのか。理由は呂布と林冲なんです。私の大好きなハードボイルド作家『北方謙三』先生。彼の作品に『三国志』と『水滸伝』があります。作中、呂布も林冲もムチャクチャ強くてカッコイイ!しかも、
「いいね」、「リブログ」、「ペタ」大歓迎です(`ー´)ノバンコク在住のじゅーざです。虫一さんのブログで取り上げていたテレビドラマ『水滸伝』(1973年)のオープニング。以前にも探したんだけど、新しい中国のドラマのビデオが多くてオレも中々見つけられなかったビデオだたんですよね。1973年当時オレは小学生でしたが、当時かよっていた私塾の図書館に水滸伝の本があったそれを読み、その後当時の岩波文庫の水滸伝が家にあったのでずっと読んでました