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加納石人の書黄粱一炊夢とは…盧生(ろせい)という青年が邯鄲(かんたん)で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年を送る夢を見たが目覚めてみると、炊きかけの黄粱(大粟)もまだ炊き上がっていない、わずかな時間であった……という故事。人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえようこそ!随風社加納朱美です。前回に引き続き《黄梁一炊夢》です。『こうりょういっすいのゆめ』と読みます。出典は「枕中紀」
1/20の金曜日。今日はフルタイムで仕事。月締めの業務がいくつか下りてきたので、1月も終わりかけていることに気づく。そんなにたくさん1月を生きた気がしないのに、もう1月が終わってしまうのか……なんて思う。まあ、でも、1月が終わってくれれば三か月分の傷病手当金が入るし、別にそこまで嫌がる必要はない。むしろ「待ってました!」と喜ぶべきなのかもしれない。だが、なんとなく感無量。時の過ぎるのは速いものだと思う。光陰矢の如し。timeflies.維持透析も40回を超えたが、何百回もや
加納石人の書月加納石人の書の世界へお越し下さり、ありがとうございます。今宵、中秋の名月それにちなんで…本日の作品は、月「月」という一文字の作品は、手元には一点だけです。私が個人的に、『満月』の印象を受ける作品もご紹介します。うたたねのゆめには長し五十ねん黄梁一炊夢枕中記この大きなまるが、満月と重なるんです。黄梁一炊の夢作品の詳細な解説を見つけました。よろしければ、ご確認ください深いな〜漢文の授業は品詞分解と書き下文にする事に必死でしたが…書家の解釈と
加納石人の書うたたねのゆめには長し五十ねん黄粱一炊夢枕中記15.5㎝×17.5㎝加納石人の書の世界へお越し下さり、ありがとうございます。本日の石人覚書は、小品展(企画展)のためのことばです。案内葉書の文と、会場でのチラシの文かと思われます。原稿の書き留めです。企画展小品展のためのことば【案内はがき】ほっと一息入れた折ふし何とはなしに気ままに書いた歌や句ーなどなどこれも又いいもんだと思う年ごろになりました
GTranslators_1@GTranslator_1GTranslators_1GETTRisabrandnewsocialmediaplatformfoundedontheprinciplesoffreespeech,independentthoughtandrejectingpoliticalcensorshipand“cancelculture.”Withbestinclass…gettr.com◇邯鄲の夢の意味と
昨日の産経新聞朝刊。読者の秀逸なエッセイを毎日掲載する「朝晴れエッセー」の欄に掲載されたエッセイがとりわけ良かったのでシェアします。戦前と戦後。公務員と農村。我々日本人にかけがえのない稲。農村に目を背ける大学生。死者と生者。仏壇。嫁と姑。その人情。亡夫、義母の記憶に時代の流れが重なり合って、万感こもって余りある風景。この短い文章に、古いものと新しいものとの分水嶺が見え、一人の人生が時代の大河に合流する様が映し出されるように感じられました。こうした市井
○寒山詩を読んでいる。前回は第22回として、『有一餐霞子(022)』を読んだ。今回が第23回で『妾在邯鄲住(023)』になる。原則、項楚著「寒山詩註」(中華書局2000年刊)に従って、訳していきたい。【原文】妾在邯鄲住(023)妾在邯鄲住歌聲亦抑揚賴我安居處此曲舊來長既酔莫言歸留連日未央兒家寝宿處繡被満銀牀【書き下し文】妾は邯鄲に在りて住し、歌聲は亦た抑揚あり。我が賴るは安居
15.5㎝×17.5㎝うたたねのゆめには長し五十ねん黄梁一炊夢枕中記加納石人の書の世界へお越し下さり、ありがとうございます。一昨日の中秋の名月と昨晩の満月を眺めていて…この作品の円(○)を思い出しました。ことわざの解説を見つけました黄粱(こうりょう)一炊(いっすい)の夢(ゆめ)簡潔にまとめられています。さすが、三省堂編修所!!『うたたねのゆめには長し五十ねん』は、『武玉川』という江戸時代中期の雑俳集から!だと思います。ずっと、この二つの題材は満月
11㎝×24㎝うたたねの夢には長し五十年黄梁一炊夢枕中記原典かんたんのゆめ【邯鄲の夢】出世を望んで邯鄲に来た青年盧生(ろせい)は、栄華が思いのままになるという枕を道士から借りて仮寝をし、栄枯盛衰の五〇年の人生を夢に見たが、覚めれば注文した黄粱の粥かゆがまだ炊き上がらぬ束の間の事であったという「枕中記」の故事より大辞林😴加納石人の書の世界にお越し下さり、ありがとうございます。さまざまな出来事が次から次に起こり、心穏やかざる日々が続いています。そんな今
初出:2017.6.834.5㎝×10.5㎝今日の作品の枕中記とは…盧生(ろせい)という青年が、邯鄲(かんたん)で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年を送る夢を見たが目覚めてみると、炊きかけの黄梁(大粟)もまだ炊き上がっていない、わずかな時間であった……という故事。人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえです。おはようございます😃お越しくださり、ありがとうございます😊文字がたくさんなんだか…ムズカシクテ…ツマンナイと、感じる頃かも今
うたたねのゆめには長し五十ねん黄梁一炊夢枕中記以下、http://www.bashouan.com/俳聖松尾芭蕉・生涯データベースから、引用させて頂きました三代の栄耀一睡の中にして「三代の栄耀」は、奥州藤原清衡(1056~1128)、基衡(生没年未詳。通説では没年1157)、秀衡(没年1187)の三代にわたる栄華。「一睡の中にして」の「一睡」は「一炊」で、人生の富貴栄華のはかなさに例えられる沈既済「枕中記」の故事「一炊の夢(邯鄲の夢)」に触れたもの。その要旨は次の通り。
うたたねのゆめには長し五十年24×11cm制作年不明今日の作品の枕中記とは…盧生(ろせい)という青年が、邯鄲(かんたん)で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年を送る夢を見たが目覚めてみると、炊きかけの黄梁(大粟)もまだ炊き上がっていない、わずかな時間であった……という故事。人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ同じモチーフの作品を2017.6.72017.6.8に、紹介しています宜しければ、遡ってご覧になって下さいませおはようございます😃