ブログ記事125件
日本は国土の7割が山岳地帯なので山間を抜ける道路や鉄道には沢山の峠が存在します。奥羽本線の福島・山形の県境付近にも板谷峠があり、そこにはそのものずばり「峠」という名前の駅があります。山形新幹線が開業する以前はEF71やED78が牽く客レが本線からスイッチバックした奥にある駅に出入りしていました。小生が訪れた時は既に無人駅でしたが、長いホームが2面あって立派な造りです。手前が米沢方面、奥が福島方面用です。駅前には「峠の力餅」を名物にしている茶店があって、列車が着くと立ち売り
昭和43年9月東北本線の全線交流電化に合わせて奥羽本線・福島~米沢の板谷峠の区間が直流電化から交流へと切り替えになりました。米沢~羽前千歳間も同時に交流電化されさらに仙台~羽前千歳間の仙山線も全線が交流電化となって登場したのが亜幹線勾配線区向けのED78です。ED78は仙山線と奥羽本線共通で使えるように仙山線の線路規格に合わせた仕様となりD形ながら勾配線区専用機器の増加から中間台車を装備した大形車体となっています。奥羽本線の板谷峠と仙山線の作並トンネルの急勾配に対応し兄弟機のEF
整理中の自室から発掘しました。KATO3079-1EF711次形です。奥羽本線は東北本線から分岐し福島を出発するとすぐさま東北地方の脊梁山脈である奥羽山脈を越える第一関門の板谷(いたや)峠に挑みます。33.3‰という急勾配が連続する板谷峠は国内屈指の勾配線区でした。昭和43年に東北本線の全線交流電化に合わせて米沢までの板谷峠の区間も直流から交流へと切替えられました。同時に複線化されて輸送上の隘路となっていた板谷峠は大きく改善されることとなりこの奥羽本線の専用機として登場し
昨日も書いたけど、約40年前にTOMIXの14系座席車3両を購入したんだけど、なぜだか3両とも緩急車ばかりなので、編成を組んでも不自然でカッコ悪いために、昨年Nゲージを再開してからもほとんど走らせていない状態だったしかし先日メ◯カリでTOMIX14系座席車ばかり11両をまとめ売りされていた方にお願いをして、オハ14のみを3両お安くお譲り頂き、昨日入線したKATOの2両を合わせて8両となったんだけど、よく見たら、KATOのオハ14はKATOカプラー付き台車を履いていて、しかも台車ネジがバカにな
特急「やまばと」号は上野と山形を結んでいた在来線特急で東北新幹線・山形新幹線開業に伴ってその役目を終えて廃止されました。私のハンドルネームであるやまばと6号は父方祖父母の家があった米沢を18時過ぎに出て、上野に2230頃に着く列車で奥羽線からの直通上野行きの最終便。小学生が自然に触れた思い出満載の夏休み。夕暮れの米沢のホームから列車のヘッドライトが見えると感じたばあちゃんやイトコたちと別れるさみしさや列車に乗り込み、落ち着いた後に夕食代わりに食べる牛肉弁当
1899年(明治32)5月15日官営鉄道として福島駅~米沢駅が開業した「奥羽南線」。その12年前の1887年(明治20)12月15日に、日本鉄道の郡山~塩竃間が開業。それに合わせて「福島機関庫(現・福島総合運輸区)」が開業しました。それから100年後の1999年(平成11)5月に「奥羽本線福島~米沢100年記念」としてJR東日本仙台支社からシリーズでオレンジカードが発売されました。その2年前の1997年(平成9)12月に「福島運輸区110年記念」としてJR東日本
本日の【鉄道模型】CRW撮影シリーズは板谷峠の歴史の19回目E3系700番台R18編成「とれいゆづばさ」です。2013年(平成25)から秋田新幹線の特急「こまち」がE6系に入替をする事になりました。運用を離脱するE3系0番台の中でも2003年投入と比較的新しいR18編成を改造し、新幹線では初めての700番台の観光列車(ジョイフルトレイン)「とれいゆつばさ」として生まれ変わる事になりました。「とれいゆつばさ」の名称は「トレイン(列車)」と「ソレイユ(フランス語で太陽)」を
筆者のEF64はこれと66号機のみ,列車としても模型ならではですが,実車を見たことがない筆者にとって,この記事のための画像はこれしか用意はできません.さて,KATOからEF6401次型がリニューアル再生産されます.KATOのEF640は21世紀生まれですが,あまり評価が高い模型とは言い難かったようで,20年も待たずにフルリニューアルとなりました.このEF64,様々な遊び方が考えられます.多くの車両が出ていますが,製品化とは一切関係なく,「wikipediaなどにはこのようなことが書か
本日の【鉄道模型】CRW撮影シリーズは板谷峠の歴史を振り返るの18回目E3系2000番台電車特急「つばさ」です。2008年(平成20)から2010年(平成22)にかけて400系電車を置換える形でE3系2000番台7連が特急「つばさ」に12編成(L61~L72)投入されました。「こまち」に使用された0番台やL41~L53編成の1000番台との変更点はヘッドライトの形状や11・17号車のフルアクティブサスペンション、12~16号車のセミアクティブサスペンションの採用など
本日の【鉄道模型】CRW撮影シリーズは、板谷峠の歴史を振り返るの17回目新幹線400系電車特急「つばさ」です。1992年(平成4)7月1日、特急「つばさ」は400系新幹線電車となって板谷峠へ戻ってきました。6両編成のシルバーメタリックで窓下のグリーンラインが東北新幹線の仲間であることを主張しているようです。11・13・15号車のデッキ近くには「400」を図案化したロゴで400系を強調しました。山形新幹線開業と同時に14往復が東京(1往復のみ上野)~山形間を結ぶようになり
本日の【鉄道模型】CRW撮影シリーズは板谷峠の歴史を振り返るの16回目485系電車特急「つばさ」です。1975年(昭和45)11月25日に奥羽本線全線電化完成で特急「つばさ」も電車化。その日から485系200番台12輌による運行が始まりました。本来は最初から北海道向けの1500番台を参考に耐寒耐雪を強化した1000番台が投入される予定でしたが完成が遅れ、たまたま長崎本線・佐世保線電化を待っていた200番台が「つばさ」に駆り出されました。翌1976年(昭和51)3月末に4
本日の【鉄道模型】CRW撮影シリーズは板谷峠の歴史の15回目EF71交流電気機関車+キハ181系特急「つばさ」です。1972年(昭和47)夏のエンジン不具合の発生で「EF71形電機」の力を借りて板谷峠を超える事になった、キハ181系特急「つばさ」。10月からは正式に福島~米沢間はEF71形電機を補助機関車として協調運転する事に改められました。500馬力の強力型エンジンでも板谷峠の登攀は厳しかったようですが、それ以上に120km/h運転の東北本線で485系電車と同じスピードで
1970年2月、特急「つばさ」はキハ82系からキハ181系への置き換えがありました。本日の【鉄道模型】CRW撮影シリーズは板谷峠の歴史シリーズの14回目キハ181系特急「つばさ」の自力登攀です。1970年(昭和45)2月、1968年(昭和43)10月の「ヨン・サン・トオ」で特急「しなの」に投入されたキハ181系が特急「つばさ」にも投入される事となりました。181系が投入された最大の目的は、①板谷峠の自力登攀②東北本線での120km/h運転の実現でした。キハ1
昨日はEF71+キハ81系特急「つばさ」でしたが、本日の【鉄道模型】CRW撮影シリーズ板谷峠の歴史の13回目はEF71形交流電気機関車+キハ82系特急「つばさ」です。1968年(昭和43)10月(ヨン・サン・トオ)白紙ダイヤ改正で板谷峠が交流化された事と特急「つばさ」1往復(2号…下り3D、上り4D)に特急「はつかり」電車化に伴う玉突きで、81系が特急「つばさ」の運用に回されたのでしたが、1往復(1号…下り1D、上り2D)はヨン・サン・トオ以前からと同じ82系で運行されました。
本日の【鉄道模型】CRW撮影シリーズは板谷峠の歴史を振り返る12回目で、EF71交流電気機関車+キハ81系特急「つばさ」です。板谷峠は1968年(昭和43)10月〔ヨン・サン・トオ〕、米沢~山形間の交流電化に合わせ交流化に。中川信号所での電気機関車の連結・開放は終了し、福島駅で連結・開放を実施する事となりました。ヨン・サン・トオは東北本線の全線複線電化完成によるダイヤ白紙改正で、今までキハ81系で運行されていた特急「はつかり」が電車化され、583系で運行されることとなり
本日の【鉄道模型】CRW撮影シリーズは板谷峠の歴史を振り返る11回目で、EF64形直流電気機関車+キハ82系特急「つばさ」です。1965年(昭和40)10月から、板谷峠を行き来する機関車はEF16から12両投入されたEF64入れ替えられました。それに合わせ、キハ82系特急「つばさ」と協調運転する補助機関車もEF64に変更されました。当時、「つばさ」とともに山形まではやはりキハ82系で特急「やまばと」が運行されており、「やまばと」もやはりEF64の力を借りて板谷峠越
わが福島県は6月1日から6道府県を除き移動自粛が解除されます。それに伴い「#家で過ごそう」も題目から外しましたが、すぐに出かける事も出来ないので、CRWの撮影を撮りためたものを順次公開して行こうと考えております。本日からは、板谷峠とは切っても切れない関係にある“特急つばさ”の話題を取り上げ、誕生から~新幹線電車E3系まで、板谷峠を超える”特急つばさ”を再現してまいります。今回は【鉄道模型】CRW撮影シリーズ板谷峠の歴史を振り返る10回目EF16形直流電機+キハ82系特
緊急時代宣言が解除になりましたが、当県では「今月いっぱいは県をまたぐ移動の自粛、来月1日から5都道県(東京・埼玉・千葉・神奈川・北海道)以外は移動可能に、19日からは5都道県への移動自粛も解除になり、交流が本格化するようになります。でもすぐには撮影という訳にも行かず、私はいま当分撮りためた【鉄道模型】板谷峠の歴史シリーズを続けてまいります。ご了承ください。今回までは、「#家で過ごそう」を付けますが、次回より外す予定です。本日の「#家で過ごそう」【鉄道模型】CRW撮影シリーズは
本日の「#家で過ごそう」CRW【鉄道模型】撮影シリーズは板谷峠の歴史を振り返る8回目“EF71交流電気機関車快速かもしか”です。1968年(昭和43)に交流化された板谷峠では、貨物列車も多く、勾配などで影響を受ける連結器の強度などを考え牽引定数は650tと決められていました。しかしD形交流電機のED78は定格出力300tで重連でも600tの確保しかできない事。連続回生ブレーキでも熱容量不足する事などでF形機が求められることになり誕生したのがEF71です。最初は板谷峠区間
電車は、見るものではなく、乗るものなのだが乗ってしまうと、電車がどんな状態で走っているのかがとても気になる。だから、子供の頃は電車に乗るといつも電車の窓から顔を出して車体を見ていた。しかし、今の電車はほとんど窓が開かない。たとえ窓が開いたとしてもこの歳で窓から顔を出していたら、とっても怪しまれてしまう。だからおとなしく電車に乗る。だが、たまに電車の走りを間近で見たくなる。今回の3駅は、新幹線が通過するローカル駅だが素晴らしいことが一つある。それは
本日からの【鉄道模型】CRW撮影シリーズは板谷峠の歴史の7~9回目で、交流電機・ED78・EF71・ED78+EF71重連を取り上げます。本日はED78形交流電気機関車牽引普通列車です。1968年(昭和43)、奥羽本線米沢山形間が交流電化され、それに合わせ直流電化されていた、奥羽本線・福島~米沢間、仙山線・山形~作並間も交流化されることになりました。そこで交流電気機関車の投入になるのですが、①33‰以上の連続勾配が続く板谷峠区間であること。②仙山線は路盤が
本日の「#家で過ごそう」【鉄道模型】CRW撮影シリーズは板谷峠の歴史の6回目、EF64形直流電気機関車重連貨物列車です。EF16の時代は牽引定数300tで、貨物の場合重連運転で600tで運行されていました。1965年(昭和40)にEF64が投入されると牽引定数は380tで重連では650tの確保が可能になり、牽引に余裕が出ました。板谷峠では引き続いて貨物はEF64が重連総括制御での運行が実施され、交流電化される1968年(昭和43)まで運行されました。機関車の付け替え
緊急時代宣言は解除になりましたが、私はまだまだ出かける事は出来そうもありません。そこで本日も「#家で過ごそう」【鉄道模型】CRW撮影シリーズを続けます。「鉄道模型で振り返る板谷峠の歴史」の5回目“EF64形直流電気機関車”です。1950年代~1960年代前半の板谷峠では、EF16が順調に回生運転を行っていましたが、同区間の輸送力強化の必要性から機関車の増強が計画されました。そのために板谷峠や電化が計画されていた中央東・西線の25~35‰程度の勾配線区用に新しい勾配線用
本日の「#家で過ごそう」【鉄道模型】CRW撮影シリーズは板谷峠の歴史の4回目“EF16形直流電気機関車重連貨物列車”です。1951年(昭和26)にEF15に回生ブレーキを装備し誕生したEF16形直流電気機関車。誕生の時からの奥羽本線板谷峠は貨物の需要も多く、多くの貨物列車が設定されていました。蒸気機関車の時代には福島第二機関区脇に設置された「中川信号所」まではD50やD51等の大型蒸気牽引で向かい、中川信号所でEF16重連に付け替えられました。1960年(昭和35)
自転車で周る奥羽本線3つのスイッチバック駅。晴れの日曜、気温もほどほど、湿度は低め。こんな日は、自転車に乗らないわけには行かない。非常事態は解除されたが三密を避けて、山密を求めて、いざ出発。まずは、起点となる関根駅に到着。ここまで30分、体調はすこぶる良。よく見ると、奥羽本線時代のホーム(手前)は、山形新幹線のホーム(奥)より低いのだ。車両の長さも現在は短い。この作りから察すると、車両は永遠に長くはならないようだ。ちなみに今の在来線は2両編成、、、悲しい。
本日の「#家で過ごそう」CRW撮影シリーズは【鉄道模型】で板谷峠の歴史を振り返る3回目“EF16形直流電気機関車牽引普通列車”です。1949年(昭和24)板谷峠は直流電化されEF15形直流電機が投入されました。しかし平均33‰が連続する板谷峠では、下り勾配で踏面ブレーキ多用に伴い車輪が摩擦熱で膨張、緩むトラブルが続発しました。車輪冷却のため、臨時停車をしたり、屋根上に水タンクを設置して散水する対応が取られたが、抜本的解決にはなりませんでした。そこで板谷峠区間で運行さ
本日は、「#家で過ごそう」CRW撮影シリーズ板谷峠の歴史02“E10形蒸気機関車牽引普通列車”です。4110形蒸気機関車は長年の使用で老朽化が進み、戦争中の酷使や戦後の燃料事情悪化から、牽引力や輸送需要の増大に応えることが難しくなり、新たなE型タンク機関車が計画されました。そこで登場したのが、軸配置1E2の軸配置にD52と比べ長さは短いものの同じ太さのボイラーを装備した大型のタンク機関車「E10」で、1948年(昭和23)に誕生しました。しかし、当時の奥羽本線板
我が家の田植えもすべて終了して、1週間ぶりの更新になります。新型コロナも徐々に沈静化に向かっていますが、まだまだ油断は禁物です。本日も「#家で過ごそう」【鉄道模型】CRW撮影シリーズです。田植えのためにブログを休んでいる合間を縫って、CRWで「奥羽本線・板谷峠の歴史」を制作していました。板谷峠は、平均33‰が連続する、日本有数の急勾配区間です。それゆえに昔からいろいろ特殊な機関車によって山を越えてきました。その歴史を振り返る企画です。その第1回目は
今となっては貴重なので。ED78に前補機EF71で板谷峠を下ります。この後、ロクな腕もないうえに、雪の日に、大俯瞰に臨んだ、どうしようもない写真です。しかしおそらく大した乗車率でない旧客4両に機関車2両とは贅沢な運用です。
2019年8月13日(火)べリンツォーナの世界文化遺産に登録されとる3大古城の一つ、サッソ・コルバロ城のへりから、素晴らしい風景を拝んできてね。すぐ下を湖が美しいルガーノへ向かう振り子特急電車が走行中対向のティーロとすれ違いまるで巨大なジオラマを見てるような風景だけろっこの駅(ジュビャ-スコ)でミラノ方面とマッジョーレ湖畔ロカルノ方面とに分岐するんだけろ、、特急電車はここで左へ急カーブしていきなり急こう配区間へ向かいその向こうに2020年開業予