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松浦理英子が好き。同志に会ったことがなく、誰とも語り合えたことがないけども。そもそも本好きな知り合いは大学時代以外は出会えていない。大学時代の友達も読書系統が違ったりして、読書の趣味が同じ人に出会ったことがない。そんなややこしい趣味でもないと思うから、そもそも知り合いが少ないからだろう。団体行動は嫌いだからサークルやコミュニティには参加しない、当たり障りない会話も嫌い(仕事や職場ではやります)、プライベートでは嫌いなことはしたくない、誰でも。でも気の合う友人の少しは欲しいと思ってしまうのは贅沢
松浦理英子さんヒカリ文集学生恋愛の物語。引き込まれ、投影できるのではないだろうか。こんな思いもしたなぁとか経験あるなぁと感じながら読めると思いますよ。
本来なら、自分なりに限界を超えて仕事をやり切ってきてたまたま子育てにハマって、子供たちの未来に全力をかけてそれなりに、本人たちの実力に見合った就職ができて「やっと、これから自分たちの人生の時間だ」という夫婦で、穏やかで平安でマイペースな楽しみの時間になるハズが気が狂った実の姉(〇ノ〇ヨ〇コ)のお門違いの妄想による家庭の破壊、親族や知人友人や職場へのでたらめな誹謗中傷で何の楽しみもないような独り者になってしまいました。とは言え、人間ですから何らかを楽しみながら過ごし
皆さんこんちは先日、松浦理英子さんの『親指Pの修業時代』を読みました。上下の2冊セットなのですが、上しか読めませんでした。大学時代、先生が授業の中でこの本の紹介をしていたので借りてみました。少しストーリーが難しくて。。。。いつかリベンジします。
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「神戸ニニンガ日誌」(第3,274号)○私は左足の小指。医学的には「小趾」というらしい。ホラ「外反母趾」っていうよね。母趾が親指で、小趾が小指なのよ。○私は数ある骨、指の中で最も虐げられている。先日もスチール棚の角で嫌というほどブツけた。うっすら出血もした。○日中は靴下で巻かれ、靴のガワで締め付けられるというSM的拷問を受ける。靴の構造上かも知らぬが、あのカーブは小指のことを何も考えていない。先にいく程に何故スボまるのか。○なので私は靴のカーブに合わせて変形しておる。爪も
重曹をふりかけ、密封して4日間置いた結果。匂いの薄かった2冊は消臭成功。まだ香水臭のする2冊は新聞紙を各ページに挟んでから、さらに新聞紙で包んで密封して、1週間おいてみることにする。結果楽しみ。リュウジさんの動画を最近知って、よく見る。私も昔からお酒飲みながら料理するので、リュウジさんの動画はとても楽しい。サイゼリヤで飲んでる動画には、こゆきさんというとてもかわいらしい方と出演されていて、なごむ。美しいって正義。若くかわいらしい女性の魅力って、すごい力があるなあとしみ
ナチュラル・ウーマン20102010年4月17日(土)公開松浦理英子の小説『ナチュラル・ウーマン』を映画化。女性同士の禁断の恋を、圧倒的な映像美で濃密に描き出すラブ・ストーリー。あらすじ村田容子は、商品撮影専門のフォトグラファーだった。ある日容子は取引先で、出版社に勤める編集者の森沢由梨子と出会う。不思議な雰囲気のある容子のことが気になった由梨子は、恋人などの人物の写真は撮らないのかと容子に尋ねる。容子は、学生時代に激しい恋に落ちた諸凪花世と別れてから、人と深く関わることができなか
皆産こんにちは。先日、家族とサイゼリヤに行ってガーリックのパンをはじめて食べました。胃もたれしてしまいましたが、パンがカリカリでとってもおいしかったです。また食べたいな(^○^)ではここからは読書記録を書きたいと思います。今回は松浦理英子さん『葬儀の日』です。大学の授業でクィア論を習ったとき、松浦さんの小説が紹介されており、気になったので借りて読んでみました。この本には「葬儀の日」「乾く夏」「肥満体恐怖症」の三篇が収録されています。松浦さんの小説は、私にとってお話の読み解きが難しい
仕事へ行けば、賑やかで元気な子たちばかりなので、それ以上に声を張り上げる。「しずかにしなさーーい!!」なんだかんだで結局仕事して元気になれる。現実の世界では甘い感傷に酔ってられない。だからこの場では厭世観ある世界にしっとり浸りたいと思います。ということで、『女性作家が選ぶ太宰治』続きですっ!全集と共に。今をときめく女性作家の方々が太宰作品を選びます。今回は、桐野さんと松浦さんいきます!桐野夏生→『思い出』黄昏のころ私は叔母と並んで門口に
(1)幸福追求権保守的な考えを持つ方は、昨今の風潮を快く思っていないのではないか?LGBTの権利尊重や、性におけるダイバーシティ&インクルージョンの考えについてである。内心ではむしろ、「間違っている」とか、「不自然だ」とか、「怖い」とすら思っているのではないか?私には、その気持ちがわかる気がする。たとえば信仰心から、LGBTを許容できない方がいる。多くの宗教は、同性愛を厳しく禁じている。旧約聖書に、有名なソドムとゴモラの町が出てくる。この二つの町は、神の怒りを買って全滅させられた。神が
先日、誕生日を迎えました。43歳になりました。どうしても夕飯は作りたくありませんでした。ほんの少し淡い期待を抱いて帰宅しましたが、そもそも夫は私のバースデーには気づいてすらいません。自ら買い物に赴き、寿司と酒を調達しました。愛する友からプレゼントが送られてきたのを見て、ようやくハッとしたようでした。おめでとうございますと言われました。小さく、ありがとうございますと答えました。さすがに寂しいので、汁物や副菜を用意しましたが、一切手助けはありませんでした。苦味を感じたのは気のせいで
この投稿をInstagramで見るMay(読書)(@hon.ga.suki)がシェアした投稿ヒカリ文集[松浦理英子]楽天市場1,870円ヒカリ文集【電子書籍】[松浦理英子]楽天市場1,771円ヒカリ文集Amazon(アマゾン)1,771円
20220316夕作家・松浦理英子氏を賞賛するコラム動画です。↓をクリックして下さい。本松浦理英子最愛説(「最愛の子ども」を軸に)2022年3月16日藤谷蓮次郎・製作ここで触れている文章の出だしは、↓をクリックして下さい。#松浦理英子#最愛の子ども#ナチュラルウーマンyoutu.be藤谷蓮次郎2022年3月16日
川上弘美さんです。基本的に作家とは辛い商売だと思います。ご当人も、書かなければ死んでしまう、業のようなものを背負って書いているのだと思います。柄谷さんは、書くことは生き恥を晒すことと言っていますが、それでも書かざるを得ない業ですね。また生き恥を晒すことを恐れないというのは、作家の倫理ですね。真摯さです。川上弘美さんは、真性の作家ですね。真摯です。真鶴(文春文庫)Amazon(アマゾン)680円※昨年の本日の日めくりから松浦理英子さんも真性の作家ですね。
今日、月曜日、ようやくコロナワクチンの接種です。周りは自治体によって接種率の進行の度合いが違うようで、二回目がとうの前に終わっているひとから未だに予約もできていないひとまで様々です。会うひと会うひとに挨拶のようにワクチン接種の話題がでますよね。ところでみなさん注射って好きですか。逆に好きなひとがいるのか?と突っ込まれそうですが、とりわけ私は苦手です。ひと頃ニュースで接種の映像がこれでもかと言われるほど執拗に流れていた時期がありました。筋肉注射のせいか思いのほか深く注射針が刺される映像に戦
さて本日は毎月29日の肉の日。お肉半額セールです笑。才媛松浦理英子さんです。この小説はぶっ飛んでますね。素晴らしい。親指Pの修業時代上(河出文庫)Amazon(アマゾン)79〜3,200円親指Pの修業時代下(河出文庫)Amazon(アマゾン)55〜2,793円※一粒で二度美味しい笑昨年の今日の日めくりから。『謹製日めくり恋の言葉昨景色のおまけ付8/29』恋に狂った人の言葉でしょうか。「唇を許す」というのは、その背景の精神的受容が、嬉しいのでしょうね。
松浦理英子『最愛の子ども』論~~官能的な心の鍛え方~~結散種としての最愛一つの「時」が産み、その「時」を超えていく存在。いわば父母殺しのように。――我々の〈心〉を奪う芸術とは、また、批評するに値する芸術とは、まさにそのようなものである。近代芸術の鬼子(とはいえ、このレッテルも現在では古びたものと言わざるをえないが)としての小説もまた同じである。それは、作家の意図の完全な現れによってではなく、不完全で不如意な実現であることに、本質的な生命力を持つ。しかし、それはただの偶然などでは
松浦理英子『最愛の子ども』論~~官能的な心の鍛え方~~Ⅲ―3これは躍りではない普遍(に見える)価値による〈支配―被支配〉の関係への弑逆を企図するこの作家にあって、幾人かのキャラクターが踊り出すのは、精神を上位に置いた心身二元論への批判であると、まずは考えられよう。例えば、『親指Pの修業時代』の〈フラワー・ショー〉、『裏バージョン』(二○○○年十月)の創作内キャラクター・「トリスティーン」など、そのキャラクターたちは、時に踊り出す。『最愛の子ども』でも、序盤ですでに「けがれなき
松浦理英子『最愛の子ども』論~~官能的な心の鍛え方~~Ⅲ―2「わたしたち」の歌『最愛の子ども』で描かれる「わたしたちのファミリー」の中心は、空穂である。彼女は、日夏や真汐のような自己省察に富んだ存在ではない。多くの出来事は、心の志向性を内向させるベクトルを持たない空穂を囲んで起こる。彼女は構造の中空をなして周囲のせめぎ合いを誘発し、一篇を成り立たせている。作家が彼女に付与した能力として、二つの特徴がある。一つはすでに述べたように、高い攻撃誘発性である。さらにもう一つ。優れた歌唱力
松浦理英子『最愛の子ども』論~~官能的な心の鍛え方~Ⅲ―1多情な名前たちの戯れ描写に淫することを否定するこの作家。その一方で、淫らな態度を見せる面もある。固有名の設定である。例えば、『セバスチャン』の背理、『親指Pの修業時代』の真野一実、『犬身』の朱尾献…。この作家の作品には、その節度ある文章から感じる理性を打ち壊しかねない、あからさまに小説中の己の機能を表した存在たちが現れる。「名詮自称」の現代における復活とさえ言い得るかもしれない。それは客観性を重んじる近代小説の話法へ
松浦理英子『最愛の子ども』論~~官能的な心の鍛え方~~Ⅲケア/ホスピタリティ能う限り深く掘り下げて行われる価値への問いかけと、それゆえ常に懐胎された不均衡。その湧出たる恐慌への畏怖に貫かれた『最愛の子ども』。しかし、そのような本質性を持ちながら、この一篇が十分に快活で魅力的なのは、何故だろう。――それは、作家が己と読者に強いた本質的な思考による。それがまた、読者に対する慰撫ともなり、歓待ともなるような苛烈さ。読者をケアする何か、ホスピタリティとなる何かが、ここにあるのだ。
松浦理英子『最愛の子ども』論~~官能的な心の鍛え方~~Ⅱ―2被教育者としての親価値形態論の第一形態的な意識に陣取るこの作家の世界では、親子の関係性も不安定な動揺を湛え続ける。子どもではなく親の方が、本質的に不安定な立場となるのだ。親が子を否定し、うち捨てる行為は、現代社会の承認を容易に得られるものではない。対して、子が親を否定する態度を取ることや、これから逃れようとする行為は、一概に非難されるものではない。この両者のどちらがXであり、Yであるにしても、お互いの関係性は、「教師―生徒
松浦理英子『最愛の子ども』論~~官能的な心の鍛え方~~Ⅱ―1教師と官能(感応)価値形態論における第一形態への停留を意志するこの作家。その小説にあって、何かを他者とともにあって行おうとする者は、俗なる日常へ頽落しかけながらも、巧妙にここから距離を置き続けようとする。男根中心主義による性器結合型性愛の絶対化・普遍化を退け、そこから改めて「どうしたら」と問われる他者との「結合」。その不安定さに留まろうとする魂の揺らぎ。これこそ、この作家の最大にして最も鋭利な魅力であることは疑い得ない。
松浦理英子『最愛の子ども』論~~官能的な心の鍛え方~~Ⅱ教育普遍的、支配的な価値の一元化――異性愛、性器結合、男根中心のような――への抗いを展開するそのテクスト。そこには、作家が自称する「快楽主義者」(『おカルトお毒味定食』序)であることが倫理的な存在でもあることと両立する姿があった。それは価値形態論の第一形態に止まる姿勢から発せられていた。『最愛の子ども』は、その快楽的かつ倫理的な分裂―共存が、一般的な読者にも見えやすい。十代の女子高校生である「わたしたち」が語り、描かれるた
官能的な心の鍛え方――松浦理英子『最愛の子ども』論Ⅰ―3「権現」としての文体図式的に言えば、『セバスチャン』や『ナチュラル・ウーマン』、そして『最愛の子ども』。そこでは、攻撃誘発性の高いキャラクターたち(麻希子、容子、空穂)に対して、攻撃を加える者(背理、花世、日夏)たちが、対処の仕方の分からぬ不安に悩み、あるいは世間の非難を浴び、やがてその楽園を出て行くことになる小説である。言い換えれば、攻撃誘発性の高いキャラクターたちが被支配者の仮面を被って、支配者として実効支配を行うのだ
官能的な心の鍛え方――松浦理英子『最愛の子ども』論Ⅰー2価値論の根源にこの作家の作品では、その現象形態とは逆に、心理的には、被虐者こそが加虐者を虜にする。ドゥルーズが指摘するサディスト―マゾヒストの見かけの相補性を食い破る関係性を作中人物たちがまずは無自覚的に演じ始め、やがて自覚的に自分たちの行為―欲望として捉え始めるのだ。それも『葬儀の日』から『ナチュラル・ウーマン』を通過しやがて『親指Pの修業時代』(一九九三年十一月)、『犬身』(二○○七年十月)を経て『最愛の子ども』に至るまで
官能的な心の鍛え方――松浦理英子『最愛の子ども』論Ⅰ―1〈顔〉への倫理『最愛の子ども』には、倫理がある。それは、次のような部分に顕在化する感性をなす――。真汐がほんとうにこうした観光地の顔出しパネルが嫌いで、垢抜けない愉快な絵の一部になるのを苦痛に感じるたちだということを、わたしたちは知っていた。けれども、空穂がまわりに目配せをしてから真汐の肩と腕をがっちりとつかみ顔出しパネルの方へと押した時、いたずら心が暴発し、その場にいた者たちはいっせいに真汐に飛びかかって、素子
官能的な心の鍛え方--松浦理英子『最愛の子ども』Ⅰ価値形態論的思考闘う価値のないものとは闘わない。――そう薦められてとりあえず日本を去る一人を見送りながら、読者は思う。では、闘うに値しない人物とは、反対にそれに値する人物とは、どのような存在なのか。ここで言われている価値とは何か。――こういった問いが十分な強度をもって読者に届くことこそこの作家の強みだと、まずは誰もが認めるだろう。その倫理的な思考とは、一篇が依拠している価値論的思考の磁場を示す。この作家にあっては、本篇だけでなく
官能的な心の鍛え方――松浦理英子『最愛の子ども』論序(作家の、そして我々の)矜持(「序」の三つのうち三つ目のパート。序の最後)この試行に際して、我々が留意しておくことが二点ある。一点目に、この作家の作品で描かれる「なぜだか分からず=どうしようもなく」離れていく関係への理解は、ジェンダーやセクシュアリティといった一般社会構造への批判に単純に還元できないこと。現在までこの作家を取り上げた数少ない批評のほとんどがそのような側面からのアプローチに終始しているのは、作