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急遽行くことになった小田原。高速ドライブもひさしぶりだし、散策も久しぶり。いけるところをサーチすると松永記念館が目に入る。松永耳庵通信美大のレポートで取り上げた松永耳庵茶道具のコレクターとして寄付したものが国立博物館にある。茶室も設置されている。さらに九州の電力王として名をはせた人。そして、何しろ所沢にゆかりがあるのでレポート対象とした人なんだけれどなんだかご縁があった。毎年母と秋に訪れる平林寺に夫婦の墓がありさらに昨年は耳庵の茶室のある
小田原市郷土文化館分館松永記念館℡)0465-22-3635往訪日:2025年1月11日所在地:神奈川県小田原市城内板橋941-1開館:9時~17時(年末年始のみ・臨休あり)料金:見学無料アクセス:箱根登山線・箱根板橋駅より10分駐車場:無料(20台)《見応えのある資料だった》松永記念館の偉人篇である。まずは耳庵の経歴から。松永安左ヱ門(1875-1971)。長崎県・壱岐の豪商の長男に生まれる。福沢諭吉に憧れて慶應義塾に進学。のちに戦前の電力会社ガリバー
名建築シリーズ183老欅荘(松永記念館)℡)0465-22-3635往訪日:2025年1月11日所在地:神奈川県小田原市城内板橋941-1開館:9時~17時(年末年始のみ・臨休あり)料金:見学無料アクセス:箱根登山線・箱根板橋駅より10分駐車場:無料(20台)■竣工:1946年(老欅荘)■棟梁:古谷善造・古谷孝太郎■登録有形文化財(2000年)《十能瓦が特徴の門》小田原文学館のあと、もう一箇所、日が暮れる前に行きたい場所があった。松永記念館だ。戦後の電力業界
上板橋バス停下車、箱根登山鉄道高架下茅ヶ崎駅―小田原駅―上板橋バス停・・徒歩香林寺門前古稀庵【小田原城街歩きガイド】中河与一のお宅が有った山形有朋別荘の庭園は日曜日のみの公開松永記念館別館展示室小田原市|郷土文化館分館松永記念館中河与一コレクションについて調べる為に初めて伺った。今回の展示ではこの一点だけだったが中河先生のお好みに激しく共感した。中河与一コレクション松永耳庵については、昔(茶の湯三昧)の日々を思い出しなが
ことしの紅葉🍁病院帰りの平林寺。母の術後はじめて訪れてから3度目の訪問。昨年は時期が合わずに行かなかったらなんだか落ち着かなかった。2年ぶりに行こうとすると3時間越えの病院待ち時間に思案する。長い待ち時間の間にネット検索で見つけた睡足軒の森平林寺のはすむかいにあり平林寺の一部になる。国立博物館に茶器を寄贈した九州電力王の松永耳庵の茶室があることを知る。(レポートで取り上げてかってに親しみを、感じている方)しかも無料。
昨日は箱根板橋の松永記念館の呈茶に伺いました。月に一度呈茶が行われています。素敵な床の間。竹霰たけあられ、と読みます。書いたのは野崎幻庵。益田鈍翁、松永耳庵と並ぶ、実業家でありながら茶道に造詣の深かった小田原三茶人の一人。隣には移築された幻庵の茶室も公開されていました。花は半夏生。解説お借りしました↓竹の葉にあられふるなりさらさらに独りは寝べき心地こそせね和泉式部の一首からの言葉です。いとしい人を思ってねむれない夜、霰が降って、竹の葉がさらさら音を立て、更にさらに眠
数寄者とは、所詮こう言う者と言うこと道具自慢の一言。
この前、東京国立博物館で見た、印象深い茶碗。今日の1枚のアート(←勝手に名付けた)1枚じゃないけど、、、●《無地刷毛目茶碗銘村雲》朝鮮朝鮮時代16世紀白化粧された、器の肌がとても綺麗な茶碗。真ん中に階段のようなデザインがあるのがとても印象的。雨漏と呼ばれるシミのような景色があることから、村雲という銘がついたそうです。▼横から下の方に黒い色
今回のお茶会は、もう12月も近いという時期なので、薄茶器は金輪寺が多かった。(写真はネットより借用)お客様のなかに「今日は金輪寺の棗が多いんですが、どうして」と質問された方がいらして、この質問は答えにくい。これは困った質問で、私には、季節のお道具としか、すぐには答えられない。ただ、金輪寺は格の高いお道具とされていて、それは、そのお道具のもつ、いわれがあって、御醍醐天皇が吉野で,衆僧に茶を賜ったときの容器とされたという伝承があるからかもしれない。そのため、年の改まる
松永記念館の今回のお茶会は、「益田鈍翁八五年忌追善茶会」と銘がつけられていた。この茶会の趣旨として「近代数寄茶道の興隆の中心に在って、これを牽引しながら・・三井コンツェルンを世界最大の財閥に育てるなど、日本の経済発展に多大な貢献をした益田孝鈍翁は、本年早くも八五回の忌日を迎えようとしています。・・・追善に三渓原富太郎描く鈍翁画像を架けて茶など捧げ・・茶会を催したく」とされている。今回の茶会は、鈍翁耳庵追善茶会実行委員会の主催とされている。松永耳庵と益田
今日は、松永記念館でお茶会でした。この茶会は、松永耳庵と益田鈍翁が生前親しくされていたことから、「益田鈍翁八五年忌追善茶会」と銘がつけられていた。6つの席がだされていたが、益田鈍翁の筆のお軸や、手捻りの茶碗などがだされて、いい雰囲気のお茶会出されていたものの写真はSNSでは出さないようにということだったので、お見せできないのが残念松永記念館は、ようやく紅葉が始まったところで、見上げると、紅葉も美しかった。お席の様子は、少し整理が必要なので明日から
今日は小田原箱根板橋にある松永記念館でお茶会お知り合いの先生がお茶会を開かれるらしく、友人からご一緒にとお誘いいただいた。耳庵の茶室は、TVで取り上げられていたこともあって、一度行ってみたかったので、参加させていただくことになった。場所は松永記念館の老欅荘(ろうきょそう)ここは昭和の電力界の中心的存在で、電力王とも言われたとされる松永安左ヱ門氏の晩年の住居でお茶の世界では「耳庵」という号で知られている。晩年は「日々、是茶」という生活だったらしい。老
10月も終わりになり、来月のお稽古の準備を始めなければ・・・と思っていたら、お知り合いのお茶人から、お茶会のお話が今度は小田原箱根板橋にある松永記念館で、お知り合いの先生がお茶会を開かれるらしく、それにご一緒に・・とお誘いいただいた。場所は松永記念館の老欅荘(ろうきょそう)ここは昭和の電力界の中心的存在で、電力王とも言われたとされる松永安左ヱ門氏の晩年の住居でお茶の世界では「耳庵」という号で知られ、老欅荘で茶会を開いては、当時の著名な茶人、政治家、学者、建築家、画家
●福岡・太宰府天満宮御用達梅園菓子処「宝満山ジンジャー」●京都・宇治三星園上林三入本店「石州公御好銘『千代の寿』」※写真のみ
老欅荘ようやく老欅荘にお邪魔します。お邪魔しました。松永コレクション播磨国国分寺塔心礎松永コレクション不退寺礎石小田原城の桜と共に小田原板橋の紅葉はお気に入りの場所です。身長が止まった時期は?中学二年の頃かな?身長は変わらないけど体重は10キロ増えましたけどね▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
老欅荘へ続く階段を上る前に…近代小田原三茶人の茶室三井財閥の益田孝(鈍翁)⬆️『青天を衝け』にも出ていましたよね。三越百貨店社長などを歴任した野崎廣太(幻庵)そして電力界の大御所松永安左ヱ門(耳庵)は実業家として活躍する一方で茶の湯を趣味とし数寄者として近代における茶の湯の交流に大きな役割を果たしたそうです。彼らが小田原に構えた茶室は数寄者たちが集う交流の舞台となりました。松永記念館には松永耳庵の「老欅荘」及び「無住庵」野崎幻庵の「葉雨庵」があり益田鈍翁の「掃雲
~2021年12月5日(日)in小田原~「老欅荘」のお隣に「無住庵」がありました。埼玉県にあった築200年になる民家の一部を用いて、1955年(昭和30年)に老欅荘の裏手に移築していた田舎家風茶室です。2020年(令和2年)に松永記念館敷地内に移築、復元されたそうです。無住庵の中には入れませんでした。外から見るだけ。無住庵の周りには…九重塔益田孝(鈍翁)ゆかりの九重塔。益田邸掃雲台の春雨庵にあったものだそうです。
~2021年11月5日(日)in小田原~松永記念館「老欅荘」お庭の紅葉を楽しんだ後は室内へ入ってみます。出入口から入り時計周りに見ていきます。三畳茶室(寄付)床のお花がとても素敵。クリスマスだー。とても素敵な天井とライト。天井は網代編み。おしゃれなライトは細く割った竹を使ったもの。現在は使われていませんが…本玄関です。この飾り窓は松永(耳庵)が自らデザインしたものなんだとか。何をイメージしたのかわ
~2021年12月5日(日)in小田原~念願だった熱海の花火を見に行ってきました。初日は小田原観光。名古屋から小田原へ向かいます。小田原駅に到着を荷物をロッカーに預けてタクシーで「松永記念館」へ向かいました。🚖「松永記念館」正式には「小田原市郷土文化館分館松永記念館」電力王であり、小田原三茶人の一人、松永安左ヱ門(耳庵)が、収集した古美術品を一般に公開するため、1959年(昭和34年)に財団法人を創立し、自宅の敷地内に建設した施設です。現在は
山縣有朋、邸園の凝った仕様を三箇所残している。京都南禅寺の無鄰菴、都内の椿山荘、そして小田原に古稀庵。土曜日だからだめだったが日曜は公開。実際の建物は現存しないが庭は滝まで作って水流を巡らした、実に凝ったものらしい。洋館を移築し、某損保の保養所になっているとか。塀の外から目を凝らすと、洋館が見えるが撮るのは難しい。案内板に従って筋向かいの「竹の小道」を行く。ひらけた先にお寺さん(大きい!)、と松永記念館。電力王として電力供給に奔走、還暦から益田鈍翁に誘われて茶を学び、近代数奇者の三
呈茶を楽しみ再び老欅荘へ今度は中の見学ですここはお茶を始めた耳庵さんが晩年別邸を建て年々増築して今の形になったそうですここは腰掛待合になっています切り取られた空間が茶壺の形ですここに腰掛け障子も継ぎ目が見えるお茶室用の貼り方まずは三畳の茶室へ床の花が茶花にしては・・・烏薬亭の蔦を入れた方と同じ方が入れたのかな?大胆です網代の天上「松下亭」という茶室ができてからはこちらは待合に使われたそうですまた夫人が亡くなってからは仏間とし
新宿から快速急行で一時間半ほど、小田原には新幹線も止まる。新宿ー小田原間は小田急線の始点終点、株主優待乗車券を安く買えれば片道350円ほど、もっと安くなることも。急ぐなら特急ロマンスカーの特急券購入、新宿ー小田原間なら910円だったか?廉価でのんびり、が良ければそれも不要。土曜27日は初の小田原探訪。『初の小田原邸園探訪』株主優待乗車券、というものがある。チケット店で各私鉄会社ごとに区切られた小箱に並べられ、数百円の値が付いている。始点から終点まで、その一枚で一回限り。期限は1…ame
コロナが小康状態の今久しぶりに関東の友人と会うことになりました彼女の生まれ故郷小田原で待ち合わせです箱根の山が見えてきました!小田原駅西口で待ち合わせ駅前には北条早雲さまの銅像があります小田原といえば小田原城かまぼこ北条早雲くらいしか知識がありません今日は彼女がどんな小田原を見せてくれるのかすごく楽しみです(全部おまかせです)時間になって車の窓を叩いた彼女は元気そうで着物姿!早速助手席に乗り込んでもらいました「本日のコースでござ
11月21日(日)まで福岡市美術館で開かれている没後50年電力王・松永安左エ門の茶を見てきました。実は没後30年に特別展が開かれたそうでその時は「松永耳庵コレクション展」だったので、ひたすらモノがドーン!という王道のコレクション展示だったそうです。そこで今回は、耳庵さんの福岡時代の功績やら、茶会エピソードを交えて色んな視点から紹介するというコンセプト先月関連の講演会もあったので聞いてみると耳庵さんはお茶会開催回数がダントツ多く戦後も100回以上?!開いたそうです。
本(もと)と末(すえ)の事であります。本来の幹であったりするものと、枝先等の先端であったりする訳です。本があるからこそ末があるのです。最近特によく使われる「本末転倒」という言葉。大事な事と比較的些細な事が逆転してしまう、本来の物が失われ、どうでもいいことの方を大切にされてしまう、そんな事です。批評や評論家の方々は特にこの言葉を使用なさりますが、連日連日、政治にしても、このCOVID19における対応や対策にしても、転倒しているのは一体誰なのでしょうか。何が転倒して
松永耳庵さんと言えば今のFUKUOKAの街の原形を作り経済界の基礎を作った福岡の恩人!なのですが福岡市美術館には、うれしいことに松永耳庵さんの茶道具コレクションがあるので、常設展で見ることができます。茶室を再現した小さなコーナーに季節毎に趣向を変えて展示されるのですがコロナでしばらく行けなくなった後やっと!行けるようになった!と意気込んで6月のアタマに行ったところ「春の名品展」で筒茶碗が見に行った自分自身が半そでで、暑い・・・・筒茶碗と言うより平茶
コロナ騒動、長引きそうです。三渓園の休園もしばらく続きそうですね。ちょっとばかり前の話になります。昨年の暮ころだったでしょうか、三渓園のあちこち、樹木の手入れがされていました。裏山の枯れ枝が落とされ、落葉が掃き集められていました。そんなすっきりとした状況で、春草廬の裏山に変なものを見つけました。落葉が取り除かれた山の中腹に、細い階段状に石が並んで見えるのです。「山の上の鐘楼」その疑問、前回お話しした友人「蹲踞」さんが、解いてくれました。戦前、三溪の時代、ここには
おはようございます。今週末までのギュスターヴモロー展に行ってきました。義母から「とても良かったから、いってらっしゃい」とチケットをもらい、ひとりサクッと行ってきました。音声ガイドを聞きながら、進みます。インパクトが有り、1つ1つに意味があり…その紐解く経緯と個人の解釈が重なったところに想いが見出せるのでは…と興味深く鑑賞しました。24日今週末まで。また、同時開催の仙厓-小西コレクション福岡の愛されるべきキャラクター仙厓さん。そのコレクションを見ているとあらゆる面を持ち、感性豊か
すこし前ですが、お稽古終わりにテレビをつけますと、BSの「百年名家」という番組がやっていて、近代数寄者、松永耳庵の別荘の回でした。これは、と思い、見ていると、さすが近代数寄者、別荘にもしっかりと、茶室も作られていました。2畳台目の、小間の、「久木庵」という茶室です。この、別荘に設けられた、小さな茶室で、数寄者仲間や、仕事の関係者なども呼ばれたでしょう、どのような密な時間が過ごされていただろうかと、想像力が掻き立てられます。
最近日本近代史の勉強をしていますが知らないことばかりでため息をついたり焦りを感じたり。でもどうしていいか分からない。戦争といえば太平洋戦争ばかりイメージしていましたが日本が無謀な太平洋戦争に突き進んだのはわたしはもっと以前の日露戦争も大きな要因だと解釈しました。誰が正しくて誰が間違っている誰が良くて誰が悪いそんな二択の世界に生きることは全然本質ではない。かつての歴史を振り返り今の日本の平和を全身で受け止めてでは自分に何ができるのか?そん