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今回は、松平五代松平長親の墓参りです。松平長親とは文明5年生まれ。松平親忠の3男。三河安城城主として西三河をおさめる。東三河をおさめていた今川氏親の将北条早雲に永正3年・5年の2度攻められたがよくまもった。庶子は福釜・桜井・東条・藤井の各松平家の祖。天文13年8月死去。72歳。初名は忠次。厭離穢土欣求浄土
2023年大河『どうする家康』を楽しむために、小手伸也さんの演じる大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書いた『三河物語』を読んでいこうと思います。第6回は「五代目松平長親」松平家五代目、北条早雲(伊勢新九郎)の来攻を阻む松平長親墓(大樹寺)先祖代々お慈悲、ご武芸がすぐれていた。お命が危ないにお会いになったことでは右にでるかたはないだろうとのことその理由は、北条早雲(伊勢新九郎)の西三河侵攻伊勢宗瑞像(小田原城所蔵)この伊勢新九郎長氏(北条早雲)が、今川氏親の名代として、駿河・遠江
徳川家の先祖は?今回は、松平長親です。松平長親(まつだいらながちか)は戦国時代の武将で、松平親忠の三男です。徳川家康の高祖父です。明応5年(1496年)、安祥城主、安祥松平家として分家しました。この頃、隣国駿河国の今川氏親からの攻撃を受けるようになり、本家の岩津松平家をはじめ、鼠算式に各地に分家した一族は苦戦を強いられていました。氏親の家臣であった伊勢盛時(北条早雲)と戦ったこともあります。また、連歌などの教養にも秀でていたと伝わります。出典:松平長親、フリー百科事典『ウィキペ
前回まではこちら⬇️目次私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。駿河国の今川氏親(いまがわうじちか)殿の諱(いみな)を頂いた兄・伊豆千代丸(いずちよまる)は伊勢氏綱(いせうじつな)と名乗り元服しました。氏親さんの氏の字を頂いたんだね。早雲「氏親殿、ありがとうございます。」氏親「なんの。氏綱、精進するのだぞ。」氏綱「はい。ありがとうございます。」氏親「ところで叔父上にお願いがあるのですが…。」早雲「いかがされた?」氏親「今川は三河国を攻めるのですが、叔父上