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今年は松平氏の話を新聞記事で取り上げることを決めていたので去年から松平郷に通っていたお盆にもいかなくては前々からそう思っていたが急激に行きたい衝動に駆られたため台風が来る前にいく事にしたまずは高月院の前に在原家のお墓へご挨拶に行くするとさすがお盆駐車場から雰囲気がすごいわらわらわらわら沸き立っている・・・・・
■奥三河探訪其之肆松平郷里山の夏に
■奥三河探訪其之肆
■奥三河探訪其之弐
■奥三河探訪其之壱
6月終わりの日曜日〜月曜日。月曜日は夫も休みをとって愛知県の茶臼山高原に一泊してきました。茶臼山高原に行く途中、豊田市の松平郷に寄り道こちら、徳川家康につながる松平氏発祥の地です。http://www.matsudairagou.jp/松平郷www.matsudairagou.jp松平東照宮と高月院を中心に綺麗に整備されていました。かなり前に松平東照宮は行ったんだけど、こんなんだっけ??車を駐車場に置いて、まずは松平東照宮に参拝。豊田市といっても山の中なので、緑に囲まれた神聖な
今回は豊田市ですまだ「どうする家康」も始まっていなくて、むしろ別の大河ドラマ館に行っていた頃(笑)行ってきました松平郷↓↓↓一番下?の駐車場に車を停め、歩きます。暑い日だったのでワンさんカートと歩きと場所によって分けて移動。鳥居見えました⛩恋がいっぱい。東照宮内はワンさん入れないのでお連れ様と交代で入ります。参拝はワンさんも出来ます!(建物内はNG)東照宮、めっちゃ派手ですよね(笑)でも岡崎にある「滝山寺東照宮」は歴史を感じる風貌になってます!!この奥まで歩いていくと家康が生
家康公の故郷松平郷を訪ねて松平郷案内看板あつた朔日市から🚘で1時間30分🈚🅿️に🚘を止めまずは東照宮②ヘその前に🏆は松平東照宮ヘ鳥居前の堀には沢山の鯉が扁額下で一礼し境内ヘ左手に手水舎が清水が空でお清めは❌境内の様子社務所前に茅の輪が参拝者多そうで社務所ヘ御朱印帳を預けたところ拝殿天井画の拝観🎫(🈚)を頂きました社額下で参拝を拝殿へは本殿右から親氏(ちかうじ)公六百年祭の額が拝殿内へ108枚の天井画が本殿壁には牡丹の絵が並ぶ拝殿から眺める境内と
大久保忠世は、源頼朝に仕えた下野国宇都宮氏の三代当主・朝綱の子孫といわれます。宇都宮氏は、近江国の石山寺の座主だったという藤原宗円を祖とし、代々、宇都宮二荒山神社の社務を統括する最高責任者を務めていました。南北朝期、朝綱の子孫・宇都宮泰藤は新田義貞に仕え、越前国で義貞が戦死すると三河国に移り住んだのだといいます。そして、泰藤の孫の泰道は宇都宮から宇津に姓を改め、宇津泰道の孫の昌忠が松平氏三代当主の信光に仕えたのだとか。そして、昌忠の孫の忠茂または曾孫の忠員が大久保を名乗ったらしい。忠員
両家の顔合わせが延期になって一月が経過。間が開いたことで、次女は、親以外の大人(職場の上司や友達などなど)から話を聞く機会ができ、いろんなことを学んで…私が同じことを言った時はピンとこなかったことも、一つ一つわかってきた様です。先日2人でランチした時に、次女ったら、「この先わかってくる内容によっては2人のこれからを考え直さなければいけないかも…」なんて言い出した…「相手の親や家族って調べることできるのかな〜?」どうやら相手のお家の経済事情まで気になってきてしまったらしいうーん
高月院は、戦国大名松平氏の始祖・松平親氏の菩提寺。親氏の岳父・在原信重(松平信重)が創建しました。開山は足助氏の一族・見誉寛立。参考までに、足助氏の祖重長(加茂重長)の娘は、鎌倉幕府二代将軍源頼家の正室となっています。中央が松平氏の始祖である親氏、右が二代泰親・左が四代親忠夫人の墓塔。親忠夫人(閑照院)は、七代住持の存牛(そんぎゅう)の実母。高月院
松平東照宮は、戦国大名松平氏の始祖・松平親氏が松平郷の館内に八幡宮を勧請したことに始まる神社。産湯の井戸岡崎城で徳川家康が誕生した際には早馬でこの水を運んだのだとか。松平親氏は、徳川氏発祥の地といわれる上野国新田荘から松平郷に流れ着いたのだといわれています。松平東照宮
6月20日(火)☀☁21→28℃晴れ時々曇りNHK大河ドラマ「どうする家康」…、毎週楽しく拝見しています、丁度「長篠・設楽原」の戦いが終り、「瀬名&信康公事件」が近くなりました、前回23回「瀬名覚醒」から、処断に至る背景が描かれつつありますね、悲しきかな歴史の事実、この後の展開が楽しみであり、寂しくもあり、…さて23回終了後に流れた「どうする家康ツアーズ」では、「大樹寺」「松平東照宮」「高月院」が紹介されました、今朝は私も度々訪れている三寺院、改めて紹介したく思います、…先ずは、家康公の
帯状疱疹のお話が間に入ってしまいましたが、今回は義母90歳のお誕生日会の続きです。中華料理屋さんでの会食が終わり、今度は実家はみんなで移動。いつもなら余裕の応接間ですが、14人となるとぎゅうぎゅう詰め。義父の仏壇にかわるがわるご挨拶して…新しい家族が増えたことをきっと義父も喜んでくれていると思います。本当はもっとしっかりと胸を張ってお婿さんですと紹介できたらよかったな〜って思ったけど…まだ、顔合わせもしてないし、籍も入れてないから複雑な感じなんですよね…ケーキを囲んで、いろんな
高月院|松平郷www.matsudairagou.jp
松平東照宮松平郷にある松平東照宮は、徳川家康と、松平氏の始祖・松平親氏を祀る神社。家康公も産湯として用いたと言われる「産湯の井戸」は不老長寿や安産に御利益があるとされ、御神水として参拝者に授与されています。www.nishimikawanavi.jp
今日はお休み(・∀・)梅雨だけど曇りなので単車でお出かけやっほーい(゚∀゚)今日は松平郷の見学へ(*'ω'*)いつ雨降ってもいーよに近場にしといたってのもあるけど覇王の家(司馬遼太郎)読んでたら興味もったので突撃したった(゚∀゚)場所は今まで何度も通ってたR301を曲がってスグのところ(・∀・)こんなところにあったのねー興味がない時は素通りしちゃうのねーパーキングは無料(*'ω'*)25℃になるからってメッシュレザージャケット着てきたけど失敗(*´Д`*)お腹寒いちょっとア
後世の徳川氏の主張では、松平郷の領主となった、松平親氏は、郷敷城を築き、嫡子の泰親と協力して、「中山七名」と呼ばれる、近隣の領主たちを滅ぼすと、勢力を拡大して、戦国大名の松平氏の基礎を築いたとされる。しかし、実際は、武力ではなく、買得により、土地を獲得したとの説が、有力視されている。松平親氏には、広親、泰親、信広、信光の四人の息子がいたとされる。しかし、泰親は、世代的に、親氏の嫡子ではなく、親氏の弟、即ち、得川有親の息子との説が、有力である。親氏及び、泰氏は、共に、生没年不詳の
5月13日そろそろかな?と思い松平郷の高月院へ行って見ました空いていたので上の駐車場まで🐶もお供です~ツアー客?らしい集団が帰ったら閑散としています水芭蕉が大きくなっていましたヤマボウシも綺麗に咲いています見渡す限り・・・なんては言えませんが👅まぁこれくらい咲いていれば十分ですアヤメなのか菖蒲なのか、はたまた杜若なのか?良く判りません💦紅葉の花も咲いていましたよく見れば不思議な形をしていますでも綺麗な色松平家ゆかりの寺院ですので僕も来たの
令和5年4月23日(日)~24日(月)奥三河・湯谷温泉旅行1日目①23日(日)4:00自宅発明るくなる前に自宅を出発。すぐに高速には乗らずに、下道・名阪国道を使って亀山ICから高速に。日曜日出発なので、深夜割引を気にしないですんでいます。御在所SAトイレ休憩。青空で良い天気~!7:20朝食・すき家豊田美里店旅行時の朝食はかなりの確率で「すき家」になります。私は、おしゃれなカフェでモーニングが良いんですが、旦那の一存で「すき家
週末土日2連休だった旦那さん職場を変わってからこういうことも増えたかな土曜日久しぶりにちょっとだけ足を伸ばしておでかけ見事な快晴で気持ちのいい空風も心地よくてその風にのってウグイスの鳴き声がきこえてくる自然の中にいる感じがしてすごくいい!初めて行く場所だったけどとっても素敵なところそこにあるお店でランチお蕎麦を食べる!って決めてたんだよねかき揚げの下にたっぷりお蕎麦が入ってたボクのは?ねぇ、ボクのは?って待ってたばうむクンには持参のササミごは
清水市→静岡市→浜松市と家康所縁の地を巡ってきた最後は、生誕の地の岡崎です。まずは岡崎城へ。家康が生まれた場所で、今川氏の人質から解放されて三河を平定した頃の拠点です。戦国武将としてスタートした場所といえます。城内の資料展示を見て、天守閣上の展望台に登ると、岡崎の街を見渡せます。この後で訪問する大樹寺も見えます。岡崎城公園内には、家康の立派な像もありますが、おもしろいのがしかみ像もあること。しかみ像は、浜松時代に武田軍と戦い、大敗した家康が、自戒の念を忘れることのな
心の迷宮に迷い込むよりも!歴史の迷宮に入り込む方が面白いし健全だ!なので過去のパンフレットを出して(いい加減整理しないとなぁ、ちょうどよいファイルが見つからーん!)さてさてどの迷宮に入ろうかなぁ楽しい時間よぅ♪先日行った松平東照宮を改めて調べてみようかな水女(みずひめ)の墓所にもお参りできたし徳川家康の祖である松平親氏は松平郷の在原家の婿になるでも、後に家康が名乗るのは在原でもなく、松平でもなく徳川にしたのはなぜ?松平親氏はなぜ松平郷にある六
15世紀初頭豊田市の松平郷にて、勢力を伸ばしていた松平家二代目泰親(やすちか)は三代目信広、信光を伴い岩津に進出すべく、岩津の大膳城を目指したそして、大膳城の城主中根大膳を討ち滅ぼしたというその大膳の霊を祀る「塚」円福寺境内に、残されているというそれが稲荷社なのだそうだ今まで、何度も円福寺を訪ねているけれど稲荷社なんて、あったかなぁ・・・記憶をたどりながら確認に行くすると
6.【米河内村】岡崎には米河内町(よなごうちちょう)という旧額田郡米河内村があります。ここが河内と関係あるのではないかとコメントをいただき、調べてみました。山の方ではありますが、中世には既に道が開かれていたそうです。岡崎城から家康公の先祖・松平家のある豊田の松平郷・高月院へ詣でるため、家康も5.6回通った殿様街道と呼ばれていた松平道です。また、岡崎城の石垣に使われていると思われる宇寿石は、岡崎の滝町から米河内町にかけて採れる石。特に米河内町には採石場が多
史跡めぐりの記事です。今回は、愛知県豊田市松平にある松平城です。松平氏発祥の地にある松平氏の最初の山城です。松平城(まつだいら)松平親氏によって築かれた城です。山麓にある松平氏館の詰めの城として築かれました。親氏が、2代泰親、三男、信光とともに岩津城へ移ってからは、次男の信広の居城となりました。信広は松平郷松平家(松平太郎左衛門家)の祖となり、子孫は松平郷にとどまって442石の交替寄合旗本となり存続しました。(1)城址碑、(2)城の入口にある案内、(3)一の曲輪
前回の記事をご覧いただきありがとうございました。まだご覧になっていない方は、こちらからどうぞ。https://ameblo.jp/kyochan-mama-enikki/entry-12774373298.html『松平東照宮〜松平郷の里大河ドラマ⭐︎どうする家康』2023年大河ドラマ「どうする家康」☆松平郷松平郷2018年10月28日と、11月18日。2020年11月14日に松平郷に伺ったようです。そして久しぶりに今…ameblo.jp宇宙元旦とされる春分の日、今年は3月21日です。
2023年大河『どうする家康』を楽しむために、小手伸也さんの演じる大久保忠世の弟の彦左衛門忠教が書いた『三河物語』を読んでいこうと思います。第2回は「初代松平親氏」松平家初代、親氏西三河松平郷に興る松平郷園地にある松平親氏銅像(愛知県豊田市松平町)新田義重から代を重ねて、松平氏の初代親氏が登場します。三河物語によると、新田義貞に従い、新田郡の徳河の郷にいき、そこで徳河殿となったが、新田義貞が足利尊氏に敗れたことに伴い、徳河郷を出て、10代の間各地をさまよわれた(かなりの年数
ブログご来訪ありがとうございます。「そうだ!松平郷に行こう!」新東名で3時間半で着くじゃないの!(ただし渋滞がなければね•••)休馬日で乗馬レッスン休みの3/21に超弾丸日帰りで、松平郷を訪れました。馬と無関係の記事ですが、お読み頂ければ幸いです。松平郷愛知県豊田市松平町徳川家康の本貫の地。松平氏発祥の地。豊田市街から10km、山間部にあります。朝6時に出発🚗新東名ではJRAの2台の馬運車を見たのでこれは幸先良い!と勝手に思う事に車体にはキタサンブラックとヒカルイ