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「匿名の情熱」か「強かな謀略」か。佐藤栄作と鄧小平の「予言」[2026・2・3・火曜日]和田純氏の『匿名への情熱政治と知的世界をつないだブレーン』(吉田書店)を読みました。元サンケイ新聞記者でもあった楠田實氏は、佐藤栄作首相の主席秘書官に転身。その過程で、ジョンソン大統領の特別補佐官を務めていた『ワシントンの権力』(弘文堂)の著者であるダグラス・カーターと面談。「どうしてこういう仕事(特別補佐官)に入ったのか、今はどういう心境か」と尋ねたところ、彼は「匿名への情熱(Passi
国鉄戦線の動力車労組(動労)において松崎明がおこなった実践を、黒田寛一は、一九六〇年代初頭に次のように理論化した。「運動のただなかで噴出する既成指導部への反撥や批判、その官僚主義・日和見主義・改良主義などにたいする下部の圧力、あるいは公認指導部への絶望からうまれた虚無感や焦燥感などは、極左的行動への流動化や、組織ニヒリズムやアナルコ・サンディカリズムへの逸脱などへねじまげられてはならない。労働戦線におけるそのような激動や動揺を物質的基礎としながら、社民ダラ幹やスターリニスト官僚の裏切り
黒田寛一は、ナショナリズム、宗教、そして組合主義には、イデオロギー闘争では太刀打ちできない、と考えていたわが探究派組織のなかで育ってきた同志とは異なって、黒田寛一が指導していた組織のなかで育ってきた同志は、労働者を変革するためのイデオロギー闘争の絶大な威力について確信と自信を十全にはもちえていない、といわなければならない。われわれはこのことを省みて突破しなければならない。というのは、黒田寛一その人は、ナショナリズム、宗教、そして労働者がもっている組合主義的な意識には、イデオロギー闘争
黒田寛一が「日本人」主義におちいったのは、明治政府による日本人形成の理論的把握の欠如を根拠とするのかわが仲間は、自分をふりかえった。「黒田寛一が「日本人」主義におちいったのは、明治政府が古事記などをもちだして天皇制を基礎づけ、天皇制のもとにある日本人というものをつくりだしたことの理論的把握がはっきりしていないことを根拠とする、と自分は思っていた」、と。私は、「いや、そういう理論的把握の欠陥というような問題じゃないよ」、と言って論議した。この論議で、私が、こういう問題だよ、と言
黒田寛一は『日本の反スターリン主義運動2』(こぶし書房、1968年刊)で次のように書いた。1965年に「合理化反対闘争が動力車労組によってたたかわれた。たとえこれらの闘いは挫折したとはいえ、この反合理化闘争のただなかでわれわれが提起した闘争目標と闘争内容の質的高さは記録されなければならない。「一人乗務反対!ロング・ラン反対!」のスローガンをもってたたかわれたこの反合理化闘争」(113頁)、と。黒田の内面には、「米・ソ核実験反対」のスローガンにたいしてそう感じたのと同様に、「一人乗務
黒田寛一の『組織論序説』(こぶし書房、1961年刊)での次の文章をもう一度見よう。「現代におけるプロレタリア階級闘争の推進母胎をなす前衛組織は、まさにそれゆえに、たんなる政治組織につきるわけではない。それは、既成諸組織の内部における分派闘争と不断の階級闘争を通じてプロレタリア党を創造してゆく実体的基礎であるばかりでなく、いやそうであるがゆえに同時に、自己の物化に無自覚な賃労働者が自己実存の本質を、その世界史的使命を階級的に自覚した革命的プロレタリアとして主体的自己形成をなしとげ、さらに共産
黒田寛一は『組織論序説』(こぶし書房、1961年刊)では、「大衆運動」という用語を否定的な展開の脈絡でつかっていた。次のように、である。「大衆運動のつみかさねや階級闘争の激化などによって革命的情勢がうまれるであろうと考えるのは、大衆運動一辺倒主義者の幻想にすぎない。」(294頁)これに反して、実践の理論化を積極的におこなうときには、彼は、「プロレタリア階級闘争」という概念をつかっていたのである。したがって、彼は、ほとんどすべてを、この概念をつかって論述していたのである。次のように、であ
かつてわれわれ(当時の革マル派)は、国鉄の合理化にたいして「合理化絶対反対!」という方針(闘争=組織戦術)をうちだしていた。「絶対」とは「一切の条件主義的歪曲をゆるさずたたかおう!」という意味である。松崎明は言った。「絶対反対とはならないんだよ」、と。これは、「階級情勢および国鉄当局と国労(国鉄労働組合)・動労(動力車労働組合)との力関係からしてそうはいかない」という意味であった、と思われる。いまから考えるとこういうことであったのではないか。わが党は、「国労・動労の戦闘的および革命的労
先に見たように、黒田寛一は、われわれが既成の労働運動・大衆闘争をのりこえていくという大衆闘争論的立場にたつこと、また、われわれが・腐敗した党派を直接的に革命的に解体するという党派闘争論的立場にたつこと、さらに、ソビエトたるわれわれが・現存する国家権力を打倒するという革命闘争論的立場にたつこと、こういったことを解明した。われわれが立脚すべきものとして明らかにされた立場は、すべて、われわれがわれわれの外に在るものを変革するという立場である。われわれはわれわれが創造し推進しているプロレタリア階級闘争
いろいろと諸組織会議で論議してくることをとおして、私は、黒田寛一が、常任メンバーとは「労働者自身によって担われている基本組織」、「かかる党組織の横にいてサポートする者」なのだ、と言ったときには、自分自身をこの「党組織の横にいてサポートする者」に位置づけていたのではないか、という気がしてきた。『組織論序説』の展開が気になってきたからである。その展開を順番に見ていく。前衛党組織本質論的展開の冒頭で次のように論述されている。「……もって人間の人間的解放を実現せんとする共産主義者のこの現実
松代秀樹・桑名正雄編著『ナショナリズムの超克晩年の黒田寛一はどうなってしまったのか』がプラズマ出版から発刊された。全国の書店で一斉発売中。みなさん!読んでください。ロシアのウクライナ侵略は、あらゆる人びとを試練にかけた。ブルジョア民族主義に転落するのか、それとも、「労働者は祖国をもたない」というマルクスのプロレタリア・インターナショナリズムをつらぬくのか、と。われわれは、自分自身の思想をうち鍛えよう!晩年の黒田寛一はいったいどうなってしまったのか。気力がなえてしまっ
ずうーっと昔に、黒田寛一は私に言った。「松崎明の政治技術は天下一品だ」、と。そうであることは間違いない。だが、今日から考えると、私は「うーん。しかし、……」という気になってくるのである。松崎明の現場管理者との闘争、そして彼の国鉄当局者たちとの闘争を、黒田寛一は、彼の政治技術とみていたのではないか、と私には思えてくるのである。すなわち、黒田は、それを、松崎のすぐれた政治技術とみて、彼のそのすぐれた実践を自分が理論化しなければならない、それは自分がなお理論化しえていない部面だ、とは夢にも思
まだ革マル派がいまのようには変質していなかった頃、黒田寛一は組織建設のために、組織成員の資質を変革することを重んじた。それは、組織成員の疎関係というような、組織成員としての資質を問題とすることを出発点とするものであったが、これを出発点として、これを規定している人間的資質そのもの、すなわち、無感動・無感情・無口・無作法といった五無人間(五無人間は「無感動・無関心・無責任・無気力・無作法」)であるというような人間的土台そのものへ、そして赤ん坊から幼少のころへと親に育てられた育てられ方・躾られ方とい
親サボテンの体の途中にできた子どものサボテンは、自分で降りていくのだ、ということを発見した。子どものサボテンは、大きくなるにつれて次第に下のほうへ降りていき、地面に直接根を下ろし、自分の体の大きさの分ずつ親サボテンから離れていくようなのだ。子どものサボテンをとって植え替えてやらないと窮屈になっていびつになってしまうだろうな、と思っていたら、自分で親から離れていった。たいしたものだ。亡くなった〈二人の巨人〉の霊を神様として崇め奉っていないことには自分の精神をささえることはできない
黒田寛一は、『日本の反スターリン主義運動2』において、みずからが『組織論序説』で追求したところのものを次のようにとらえかえす。「二〇世紀現代のかかる事態を根底からくつがえすためには、社会民主主義者やスターリニストの諸政党によってその自己解放がおしとどめられている労働者階級への、その「外部」に存在する「職業革命家集団」としての党による働きかけにふまえつつも、同時にこの党そのものをまさに「前衛=革命的プロレタリア」の党として、つまり社共両党から完全に分離し独立した革命的労働者党として創造する
こんなタイトルを記事に付けると、『何と過激な…』『ああ、恐ろしい』と勘違いをされてしまうかもしれない。東京・京橋の『国立映画アーカイブ』で上映されている『日本の女性映画人(1)~無声映画期から1960年代まで』という特集の一環で、『かんけまり』という奇妙なペン・ネーム(?)で活動をしていた『文化・教育映画やPR映画などの監督、脚本、編集に携わ』っていた人を取り上げたプログラムがあった。『かんけまり』さんて、一体、誰なのだろうか?と思いながら、3日・19時からの上映を見に出掛けた
六実存的危機においてほとばしり出たもの黒田寛一は、『実践と場所第一巻』で、「精神的風土」について次のように書いている。「この地球の曲がった大地の種々の地域において、先史時代から永きにわたって、それぞれの地域の環境的自然との交互作用関係をつうじて、もろもろのエスニック集団は形成され成長し変化してきたのであり、まさにこのゆえに、エスニシティは、風土的特殊性をもその内在的契機としてもつことになったといえる。エスニシティの契機となった風土的なもの、これを精神的風土と呼ぶ。これは、ブ
「革マル派」古参官僚の前原茂雄は、政治集会で次のようにしゃべったという(「解放」最新号=第2749号2022年12月19日付)。「黒田の〈場所の哲学〉をわがものとすべく、ともに努力しようではありませんか。」と。これは、自分自身が黒田の〈場所の哲学〉を投げ捨て踏みにじっていることを隠蔽するための言辞なのである。前原茂雄は、JR戦線の革マル派組織が脱落し崩壊したという冷厳な現実をおおい隠すためにのみ、この特別報告をおこなったのである。もしも、黒田の〈場所の哲学〉をわがものとし自己に貫徹
『日本の反スターリン主義運動2』において、黒田寛一は、1965年の9・20反合理化闘争のスローガンをめぐっての内部論議における松崎明の欠陥を「内部思想闘争における日和見主義」というように切開している。次の展開がそれである。「たえざる学習と研究がなされていない場合には、自信をもって理論闘争ができないだけでなく、さらに自分自身の方針・路線・理論のほうが正しいと確信していたとしても、これを組織内全体に貫徹するための理論闘争を組織的に実現することにおける日和見主義さえもがうみだされることにも
JR戦線のわが革マル派組織が壊滅した、という現時点から過去の論議を捉えかえし省察するならば、1960年代の松崎明の諸活動への「ケルン主義」という黒田寛一の批判は、彼松崎明の実践を十全につかんだものとは言えないのではないか、と私は考えるのである。黒田寛一は、1968年に執筆した『日本の反スターリン主義運動2』において、松崎明を先頭とする国鉄委員会の同志たちが「ケルン主義」という傾向におちいったとして、それを次のように切開している。「ケルン主義には二つのモメントが、労働運動の左翼的展開お
デマ宣伝連載をとおして「革マル派」中央官僚派がついに対応できなかったものは何か——黒田寛一の松崎明へのこの批判は正しいか「革マル派」中央官僚派はわが探究派へのデマ宣伝を8回も重ねてきたのであった。だが、彼らは、われわれが革マル派組織建設の挫折の根拠として明らかにしたことに何一つ自己の見解を表明することができなかった。その一つは、松崎明への黒田寛一の次の批判は正しいのか、ということである。黒田寛一『組織現実論の開拓第二巻運動=組織論の開拓』(あかね図書販売)に、黒田が一九六四年
われわれは、革共同第四次分裂の勝利の地平をうちかためた。われわれは、現在の変質した労働組合運動の内部において、これを左翼的にのりこえていくための確固とした組織的および大衆的の基盤をつくりだしてきた。また、労働組合のない職場において、職場闘争を果敢に展開し、わが組織の担い手を創造するための基盤を創造してきた。われわれは、これらの闘いの指針および諸活動を解明するために、黒田寛一が創造しわれわれが主体化してきた組織現実論(大衆闘争論・運動=組織論・党組織建設論を主要な構成部分とするそれ)を適
「革マル派」中央官僚が、ツイッターに、あたかも実在するかのような氏名を名のって、「政府や体制を批判する本を買うと、きっとビデオが警察にまわるね。いやだねー」などと右翼・ネトウヨと見まがうばかりの投稿をして、下部組織成員と労働者・学生・知識人たちに買いに行かせたくなかった本は、いったい何なのか。それは、松代秀樹編著『松崎明と黒田寛一、その挫折の深層』(プラズマ出版)なのである。彼らがこのような焚書を策したのは、「解放」紙上で、デマ宣伝を8回もやったのに、「カチカチ山」事件はエピソードだったん
「革マル派」中央官僚がわが探究派に「反革命」のレッテルを張ったのはなぜなのか。それは、彼ら中央官僚が、「あいつらは反革命だから、あいつらの本を見るな」といって、下部組織成員の目をふさぐためである。彼ら中央官僚が、何としても隠蔽したかったのは、JR戦線の革マル派組織が総体として「革マル派」本体から離反し離脱したという事実であり、その根拠である。この離反の根源を探るためには、1966年初頭のかの「カチカチ山」事件を直視し、それを反省することが不可欠なのである。彼ら中央官僚が下部組織成員の目
「革マル派」中央官僚派は、わが仲間にたいして、「ロシアを拠点に暗躍している」「某国の諜報員です。」「この諜報員に、町内会から出て行ってもらいましょう。」と中傷する郵便物を、偽名で町内の各家に送りつけた。怪文書の送付というこの妄動は、町内の人たちの「これは右翼?」という反応によって粉砕された。さらに、彼ら中央官僚は、わが探究派の本を下部組織成員・労働者・学生・知識人に書店で買わせないようにするために、偽名でツイッターに、「政府や体制を批判する本を買うと、きっとビデオが警察にまわるね。いやだね
ツイッターにいろいろな個人名を語らって投稿している「革マル派」中央官僚を規定しているものは、わが探究派の本への憎しみである。この人物の内面に渦巻いている怨念はすさまじい。この人物は、われわれの彼ら中央官僚派への批判に何一つ反論することができないので、われわれの見解が書かれている本を憎んでいるというわけなのである。ブルジョア的人間は貨幣を崇め奉る。貨幣物神崇拝である。これにたいして、この人物は本を憎む。この両者の違いは、物を崇め奉るのか、それとも物を憎み排斥するのか、ということにある。後
革マル派の労働者的本質を破壊したことを隠蔽するための詐術前原茂雄は「わが同盟の労働者的本質はいかにつくりだされたか」と称して言う。「マルクス、レーニン、トロツキーが開拓すべくして開拓しえなかった未踏の領域——組織的実践を実践論的に解明した。まさしく世界に冠たる理論を開拓したのが、同志黒田である。」「まさしく創成期の反スタ運動を、松崎氏は「副議長・倉川篤」として、黒田議長とともに最先頭で切り拓き牽引したのだ。」まさにそうである。だが、革マル派のこの労働者的本質を破壊し踏
前原茂雄は下部組織成員や「解放」読者をだますために見えすいた嘘をつく。彼は、嘘は大胆にとばかりに架空の物語をこしらえあげ、それらしい雰囲気を漂わせるのをこととしているのである。前原は私に向かって言う。「おまえはかつて国鉄戦線の労働者の会議に何度か参加したことがあるが、そもそも発言したことがあるのか。とりわけ古参労働者の前で。いや、彼らと個別の対話をしたことがあるのか。いつも〝借りてきた猫〟のようにちんまりと緊張してかしこまって黙っていただけではないか。」と。このような言辞は、198
前原茂雄は、1966年初頭の事件について次のように書いている。「同志黒田は、本庄と一部の青年部活動家たちが松崎氏の自宅に押しかけるたというこの事件の一報を、森茂書記長から聞いた。同志黒田は瞬時に、「彼と論議をするのなら、なぜ一人か二人で行かないのか」と同志森を詰問した。そして直ちに打開にのりだした。」と。組織とその諸成員の実践のこの再生産は、きわめておかしげなものである。ここには、種々のごまかしがある。まず、「一部の青年部活動家たち」と書いているのであるが、これでは、あたかも同盟員
松崎明宅に森茂書記長を先頭として大勢で押しかけたことを、たいしたことではないのだ、と言いくるめることに必死――「解放」最新号の前原茂雄デマ宣伝「第8回」で、前原茂雄は、1966年初頭に、森茂書記長を先頭にして大勢で松崎明宅に押しかけ、「出てこい」などと叫んだことを、単なる「エピソード」だ、と言いくるめることに必死であり、内部の動揺をしずめることに大わらわである。「第8回」は、これのために書いたものなのである。だが、革マル派副議長の倉川篤である松崎明の家に、書記長の森茂を先頭にして