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『戦後の子供たち:田沼武能写真集』(新潮社)立派な雑誌が私の机にのっている。この一冊の中に生きている、戦後の日本中の子ども達。白黒の写真を突き抜けて飛び出してくるようだ。大人たちは敗戦でしょんぼりしていたが、私達は元気で飛び回っていた。この写真集の98ページに、私がいる。キャプションにはこう書いてある。"小学校の卒業式、中央左は松島トモ子(東京・目黒区東根小学校、1958)”まぎれもなく子役スターだった私が緊張の面持ちで座っている。でも、私達には輝く未来があった。そん
※※↑再生ボタンを押すと、動画を閲覧できます。※※友から電話。「今、佐良直美さんとミッツ・マングローブさんが、YouTubeであなたのことを話してる。観て!」大きなミッツさんと、小柄な佐良さんが映っている。何か不思議な映像。時空を超えてというか、あり得ないものが目の前に現れている感じ。ふたりは、のんびり話している。昨年、佐良さんのYouTubeで私がライオンとヒョウの話をしているのを、ミッツさんがたまたま観たらしい。私(松島)「ライオンに襲われてギャッと悲鳴をあげたら、ガ
新幹線に乗って『Wedge』という雑誌を読んでいた。今月の特集は、孤独・孤立社会の果て、だそうだ。この雑誌はグリーン車に置いてある。無料だ。こんなことが書いてあった。「自立とは、依存先を増やすこと」これは東京大学先端科学技術研究センター教授で、自身も脳性まひの障害がある熊谷晋一郎さんの言葉で、あるインタビューでこう語っている。「『自立』とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。『依存先を増やしていくこと』こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわら
此の題は永六輔の提供ロケでライオンにかまれてそれから何日か後にヒョウにかまれてヒョウにかまれたのはもう一歩間違えば死んでたか不随になっていたと⚡花束を抱きしめて2024-09-2012:01:40松島トモ子Amebaオフィシャル女優部門プロフィールピグの部屋職業柄、お花をいただくことがとても多い。コンサート、お芝居、パーティ、誕生日、クリスマス……母も私もお花が大好きで、今、母の部屋はお花畑のようでとても綺麗。遺影もニッコリ
私の手元に1枚の写真がある。この日が母幸福、最後の日でした。2016年5月26日、95歳のお誕生日会で全国から母の親しい方だけ13名、集ってくださった。思い出話も盛り上がり、母の大好きな中国料理の宴の中で、突如認知症が発症しました。その時の母の大失態の様子は、ここでは書きません。私の頭の中が真っ白になり、その場をどう取り繕ったのか、覚えていません。母をかばうこともできず、消えてしまいたい、そのことばかりを願っていました。その後、写真を撮ったのですが、記憶にありません。それから地
昭和57(1982)年10月。江利チエミの急逝(2月13日=享年45)を受けて、CMタレントの変更をアナウンスする石垣食品(現・株式会社ウェルディッシュ)の新聞広告。日本国民ならば誰でも歌えるCMソング「♪ミネラ~ル麦茶」は“ライオンの餌”を自称する松島トモ子でおなじみだが、それ以前は江利チエミがCMに登場していた。江利チエミの急逝から10か月後、この広告によって松島トモ子(当時37歳)の起用が告知されたわけだが、その理由が東宝系映画版『サザエさん』(昭和31~36年)でも姉妹役
「トモ子さん、ため息つくと、幸せ逃げちゃうよ」と、美容師さん。「女のため息は色っぽいものですが、男はいけませんや」と、運転手さん。私は自分がため息をついていることなど、全く気がつかなかった。約9年間の私は激動の日々を送っていた。よく乗り切って来たものだと、改めてスケジュールを見てみる。緊急事態の発生ばかりで、私のメモは真っ赤になっていた。友達、そして優秀なプロが助けてくれたが、あまりに苦しい部分は、全ての記憶が抜けているところもある。禍福は糾(あざな)える縄のご
ファンの方から、こんなお知らせが届いた。毎日新聞の「女の気持ち」という欄に載っていた投稿のことだ。1つ目は、「カンナの花の歌」というタイトル。戦後の娯楽が少なかった時代、私が出演していた映画『赤いカンナの花咲けば』で、私が歌っていたカンナの花の歌をとても大切な思い出として書いてくださっている文章だ。そして2つ目は、この投稿を読んですぐ、また同じ欄に別の方から「戦争を知る花」というタイトルで投稿されたものだ。カンナの花は戦後の貧しい時代を共に生き抜いた花で、戦争を知っている花である…
職業柄、お花をいただくことがとても多い。コンサート、お芝居、パーティ、誕生日、クリスマス……母も私もお花が大好きで、今、母の部屋はお花畑のようでとても綺麗。遺影もニッコリ微笑んでいるように見えてくる。何十年も前の、ある場面をハッキリ覚えている。1982年は「国際障害者年」だった。これは、障害の有無にかかわらず、人格と個性を尊重し、共生する社会を目指すのがテーマだった。日本では「われら人間コンサート」が開催された。主催者は、秋山ちえ子さん(評論家)、井深大さん(ソニー創業者のひ
パリパラリンピックは、オリンピックとはまた違った想いを込めてテレビで魅入っていた。かつて私は選手であり、車椅子ダンスを正式種目としてパラリンピックに認可してもらおうと、障がい者の方達と世界各国の競技会を転戦してまわっていた。約10年、夢は叶わなかったが、若かりし頃の大きなチャレンジだった。パリ五輪の柔道で金メダルを獲得したフランス人の英雄、テディ・リネール選手の発言から議論が始まった。「パラアスリートは、スーパーヒーローだ」リネール選手の言葉は、開幕が近づくパラリンピックへの尊敬と
生きづらさを感じたことはありませんか?我が友達から、2回目のコロナにかかったとメールがきた。2、2回目?彼女は、手洗い、うがい、マスク、ワクチンなど、人一倍気をつけている人だ。1回目は昨年だった。今年の彼女は多忙だったので「その疲れがどっと出たのでは?」「免疫が落ちていたのでは?」と問う私に「そうじゃないわよ。神様が私に与えてくださったご褒美。チョット、体を休めなさいというシグナルよ。私に落ち度はないわよ」なんという前向きな発言。私だったら仕事を休んで迷惑をかけた、どっか人
母が倒れてからの8年間、怒涛の日々であった。どうやって乗り切ってきたのか……自慢の母が95歳の時、認知症になり、私の目の前で崩壊していく日々。自宅介護をし、最後は私の腕の中で亡くなった。100歳と8ヶ月、人には大往生と言われた。通夜、告別式と泣いている暇もない。仕事もある。先延ばしをしていた足の手術を決行。住み慣れた我が家に帰って来ても、母のいない家は空っぽ、廃墟同然だった。膝を抱えてうずくまっていても何も始まらない。77歳の時、初めてのお引越しを経験する。大きな土地と家
マジンガーZ2002年11月21日DVD発売チラシ1972年より放映され全国の子どもたちを熱狂の渦に巻き込んだ、永井豪原作によるスーパーロボットアニメの元祖。BOXセット第1弾は第1~46話を8枚に収録。あらすじ天才科学者兜十蔵の孫兜甲児は、死に際の祖父から巨大ロボットマジンガーZを託された。時を同じくして、世界征服を目論むドクター・地獄配下のあしゅら男爵が操る機械獣が駿河湾に上陸、街を破壊し始める。マジンガーZを駆使して機械獣を撃破した甲児は、次々に送り込まれる機械獣軍団との
猛暑の中、目下執筆中の身ではあるが、オリンピックが素晴らしい。ついつい手を止め見入ってしまう。鉄棒の時は、こちらまで息を止め、着地でホッと息をつき、拍手喝采。日本中そういう人が沢山いるだろう。若者達の躍動感、肉体の美しさ、それだけでも心が躍る。柔道の阿部詩選手の試合後の号泣が話題になった。私はあの時、自分の心を素直に表現できる彼女の振る舞いに、羨ましさを感じた。立場は全く違うが、私なら隠れて泣いたでしょう。友達にオリンピックの経験者がいた。結果は残せなかったが、オリンピック
7月19日(金)のコンサート、われながら上手くいったと自画自賛しています。(^^)こんなこと、今まで言ったことない。少々お年かな?でも舞台はハプニングがつきもの。何が起こるかわからない。スタッフ・キャストの心がひとつになるなんて、奇跡の出来事だ!「今日はお客様、満席です。チケットも完売です」舞台監督の声。何度聞いても嬉しい言葉だ。開演5分前、舞台袖に立つと、客席が静かだ。何かおかしい!ザワザワ聞こえない。客席を確認するモニターは見えるが、お客様の後姿だけだ。関係者に聞く
昔と今でだいぶ変わったと思うものは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう地上波アナログ放送は7月24日正午に通常番組が終了。翌25日午前0時までにアナログ電波は停止しました。アナログ放送は1953年のテレビ放送以来、58年の歴史に幕を閉じました。12日以降のアナログテレビは砂嵐しか映らなくなりました私たちも仕方がなくデジタルテレビに買い換えましたヤマダ電機のテレビ売り場前は購入申し込み者が行列を作って順番待ちそれまで
まむしプロダクションはぶ三太郎(千葉社長)お誘い頂き松島トモ子さんコンサート成城ホールに伺いました😊ミネラル麦茶とライオンに噛まれた松島トモ子さんしか知らない年代ですが…3歳から名子役として活躍して、昔の良き時代のスターさんとして活躍しており芸能生活70年を超え益々円熟してまだまだお元気でした。そして元ヂュークエイセスの大須賀ひできさん・岩田元さん、そしてシャンソン界の若手のホープ・小川景司さんをゲストに迎えてのコンサートで心温まるトーク&コンサートでした🙌終演後ははぶ
みなさま、昨日の「松島トモ子コンサートvol.20」へお越しいただきまして誠にありがとうございました!みなさまと楽しい時間を過ごせましたこと、心より御礼申し上げます!
松島トモ子さん松島トモ子(まつしまともこ)本名:松島奉子本名の奉子(ともこ)とは生誕地の奉天(現瀋陽)に帰する。1945年7月10日生まれ、79歳。満州国(現中国東北部)奉天生まれ。東京都目黒区育ちの元子役、歌手、童謡歌手、女優、タレント。3歳から石井漠舞踊研究所に入門、バレエを始める。映画館の劇場ニュースにて、石井漠門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」としてとりあげられたところ、そこに映っていた松島トモ子を阪東妻三郎がスカウト。1949年、芸能界デビュー。
◆スイカやカキ氷が美味しい季節◆●トレーディングカード『ウルトラマンカードゲーム』始動日米中韓含む世界15の国と地域で展開。第一弾は、10月25日(金)に発売。●にじさんじ甲子園2024開催決定!ーーーーーーーーヤッター野球の時間だーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!過去に参加3名+初参加5名の8名!病気療養中だった舞元啓介も主催として帰ってきた!お帰りなさい!●デフォルメスタイルの合金フィギュア「太陽の使者鉄人28号」7月発売。「ES
7月19日(金)、第20回恒例の松島トモ子コンサートが成城ホールで行われます!アフリカ、セネガルでも50度をこえる灼熱の太陽のもと、びくともせずテレビ撮影をこなしていた私でも、東京のこの暑さ、脳みそが煮えたぎる有様。思考力ほとんどゼロの状態です。冷房の中、長時間スタジオで稽古していると、目の前を黒い点々が飛ぶ。お年のせいばかりじゃないのではないかしら……私達出演者は歌ったり、踊ったり、語ったり、気は紛れるが、スタッフの人達は椅子に座って見守っているのだから、大変だと思う。何とか成
(※写真:浅丘ルリ子さんと)女優の木野花さんが『徹子の部屋』で私の話をしてくださったことを聞いた。子どもの時に私のファンで、青森の畑でマネしてバレエ「白鳥の湖」ごっこをしていたら、「何してんだべ?」と言われたとのこと。初対面の時、木野花さんは「アワワワワ、ファンです!」が第一声。その日のお芝居は『さるすべり』。渡辺えりさん、高畑淳子さんのW主演。舞台も華やかだったが、客席も超豪華だった。映画の大女優さん、新派の大女優さん。そのまんま芝居ができそう。新派の大女優さんに「
「初心者ですが、いいですか?」タクシーのドアが開く。真っ赤な顔、汗だくの若者。「私、道わかるから大丈夫よ」と言っているのに、行先を告げるとスマホを取り出し、音声で違う所を指示している。正しい道を教えると、「すみません。緊張して」今日が初日で、私が3人目の客だそうだ。「朝8時から走っているのですが……」ただ今11時、もう3時間も経っている。「ねえ、大丈夫なの?」と私。「日本料理の調理師からタクシーに転職して……」ワァー大変そう。「明日もこの辺走るので乗ってください」「
「あなたのためだけに歌います」と誓ったコンサート。彼女の友達のはからいもあり、5月31日に行われた。逗子のさざなみホール、小さいけれどとても美しい。若い時から病気がちではあったけれど、病の原因をとことん究明し、たたかってきた彼女が昨年、とうとう余命宣告を受けた。夜遅く電話をかけてくるが、逆に私を笑わせてくれる、楽しい話ばかり。「私の最後の夢はね、お世話になっている逗子でトモ子さんのコンサートを開くこと。5月31日にホールが空いているから、歌ってくれない?」と彼女。「あのね、私
(写真提供:三喜プロモーション)マジが死んダ!衝撃で目の前が霞む。永六輔さんの死も母の死も、耐えがたいものだったが、ある程度の覚悟はあった。徐々に弱っていく姿を目にしていたからだ。でも、今度は……ボディブローのように哀しみが効いてくる。いつも会っている仲ではなかったが、長い付き合いだった。「マジ!」「トモ子!」私と真島茂樹さんは、そう呼び合っていた。最初の出逢いは思い出せないが、日劇の舞台で男性陣の中で華やかに踊っている姿が目に焼き付いている。何度も日劇で一緒になった。
5月27日月曜日〜その28時から9時45分まで二度寝。神楽坂甘酒ゆずを飲み『中山千夏議員ノート1980年度』を読む。P32では、6月10日に選挙中の福岡のホテルニューオータニで、永六輔さんと松島トモ子さんが駆け付けた事が記されている。(写真)菊水丸コレクションの松島トモ子さんのシングル盤『こどもの眼』。
「探しものはなんですか?見つけにくいものですか?カバンの中もつくえの中も探したけれど見つからないのにまだまだ探す気ですか」(引用出典:井上陽水『夢の中へ』)井上陽水さんの歌を私は一日に何度歌っているでしょうか?ハナ歌に著作権料がかかるとしたら破産ですね。スマホがない。スケジュール帳がない。カギ、お財布、カード、台本、譜面……そのたびに私は我を失いそうになる!最悪の場面を予想してしまうのダ。もしも出てこなかった場合……だから、ハナ歌といえども冷や汗をかきな
前に#熱中症対策でも記しましたけど…ライオンさんにジャレられた松島トモ子さんでおなじみの…『ミネラル麦茶』ですにゃ!氷といっしょにポットの中に、ぽんっ!寝る前の水分補給…ってんで…ごくごくっ!でも、夜中ときどき、おぴっこに起きちゃうのはご愛嬌!
7月19日(金)、私の恒例「松島トモ子コンサート」を開催します。初めてのスタッフ・キャストの顔合わせがありました。元デューク・エイセスの大須賀ひできさん、岩田元さん、何回かご出演いただいたバリトンの小川景司さん、ピアノの清水玲子さん、演出・振り付けは元宝塚の室町あかねさんなどなど、メンバーは一新され、vol.20での新しいスタートです。いつもこの瞬間がワクワク、ドキドキ緊張感の中にも大きな楽しさが存在します。サテ、この座組みで上手くいくのか……怪我人が出ないか……一応私がリーダ
武内俊子さんの作詞は本当に童心に帰らせてくれますね4曲選んでみました「赤い帽子白い帽子」歌は松島トモ子さんアメブロにも書いていますよ「りんごのひとりごと」八百屋さんの店頭を思い出します「かもめの水兵さん」「船頭さん」昔は「60才」で、もうお爺さんだったんですね