ブログ記事49件
10月。神奈川の弟から父の妹(叔母)が亡くなった連絡が来た。22日お通夜23日葬儀。場所は三重県すぐに浮かんだのが。。。般若心経入れてあげたい。あーこんな時に唱えるご詠歌を習っておきたいなぁ。ん?待てよ〰️〰️〰️お家はお宮さんやったよなおじさんは元神主さん。おじさんの妹は元神楽女さん。どちらも伏見稲荷大社。いとこ達も階位を持ってるので神職です。神式やないかーい神道さんのお葬儀知らんがなGoogleで調べまくり
松山猛withちゃんちゃこカンパニーは、来る8月31日日曜日、代官山「晴れたら空に豆まいて」にて戦後80年の平和の祈りを込めて、「平和の歌」ライブを開催させて頂きます。今年2月には、沖縄2.24音楽祭に松山さんのお供でカンパニーの小ユニットにて参加させていただきました。その時感じた、まだ戦後が続いている沖縄の平和への願いを踏襲して、この夏は戦争と平和をテーマに歌わせて頂きます。PPMの反戦火歌から何気ない日常を過ごせる有難さにも触れてゆきます。どうぞ皆様お誘いあわせのうえお越し下さい。お
記憶に残っている学校の先生は?昨年の今日書いたのですが、同じ「Y先生」ですね。これだけではあまりに寂しいので、Y先生が初回リリース時に手に入れたレコードで聞かせてくれた曲をYoutubeから借りましょう。イムジン河は最初、ザ・フォーク・クルセダーズのお三方が「詠み人知らずの朝鮮の歌」だと誤解して録音・リリースしたのですが、すぐに朝鮮では高名な高宗漢氏の作品だと判明したことから発売を止めたと言ういわくつきの商品でした。Y先生が私たち生徒にレコードを聞かせてくれたのは、そ
るそんべえです。サディスティック・ミカ・バンドのセカンド・アルバム「黒船」。プロデューサーには、ピンク・フロイドを手掛けていたクリス・トーマスを招いています。5人目のビートルズといわれたプロデューサーのジョージ・マーティンの影響を受けたクリスは、7人目のミカ・バンドとして取り組み、曲構成、アレンジ、レコーディングテクニックまで手を伸ばし日本のミュージックシーンに大きな影響を与えたようです。バンド・メンバーもキーボードの今井裕が参加し、加藤和彦、ミカ、高中正義、高橋幸宏、小原礼という超
るそんべえです。1971年にサディスティック・ミカ・バンドを結成した加藤和彦。1973年には、ソロ名義で「家をつくるなら」のシングルを発表しています。この曲は、ナショナル住宅建材のCMとして使われました。我々世代の人間は、誰でも知っているそして、誰でもそらで歌える曲だと思います。作詞は、フォーク・クルセダーズ時代からの盟友松山猛が担当しています。ボーカルとギターは勿論、加藤和彦。フラットマンドリンは、五つの赤い風船のリーダー西岡たかし。ベースは、成毛滋グループにいた石川恵樹
るそんべえです。加藤和彦の呼びかけで結成したフォーク・クルセダーズ。アマチュア時代に作ったアルバム「ハレンチ」にも入っている曲「イムジン河」。プロになり、デビュー曲「帰って来たヨッパライ」の次のシングルとして発売されました。この曲、もともとは朝鮮民主主義人民共和国の楽曲です。「帰って来たヨッパライ」の作詞もした松山猛が、訳詞及び追加作詞して完成させました。内容としては、南北に分断された挑戦半島により故郷への想いを歌った歌です。本国の北朝鮮では聞かれなくなっていたこの曲が韓国、日
るそんべえです。音楽家加藤和彦は、ザ・フォーク・クルセダーズでデビューしました。ボブ・ディランの影響を受けた加藤和彦は、大学時代に雑誌でメンバー募集をします。そこで、知り合った北山修らと共に、ザ・フォーク・クルセダーズを結成します。しかし、加藤はプロ願望はなく、大学を卒業したら仏師だった祖父の後をつもりだったようです。ということで、1967年に解散の記念として自主製作アルバム「ハレンチ」を制作します。その中の曲「帰って来たヨッパライ」が神戸のラジオで頻繁に流されるようになったそう
(写真左から)保科好宏、高橋健太郎、今井裕、寺尾紗穂、松山猛、久保田麻琴この日を待ち望んでいた。6月20日(木)に東京・渋谷「LOFTNINESHIBUYA」で「サエキけんぞうのコアトークvol.104『サディスティック・ミカ・バンドの全て』」に出演、7月12日(金)に渋谷「渋谷duoMUSICEXCANGE」で千年COMETSの復活ライブにゲスト出演、10月4日(金)には大阪・福島「THIRDSTONE福島店」で二人パール兄弟(サエキけんぞう+窪田晴男)のライブに飛び入り出
昨日は、代官山で「松山猛withチャンチャコ」のライブがありました。いつもお世話になっている松山さんと、子供の頃に好きだったチャンチャコが一緒にライブをするというのですから、行くしか無いですね。皆さんはチャンチャコを知ってますか?「空飛ぶクジラ」という曲が、私が小学生の頃に流行ったのですが、これがとてもいい曲なのです。そして、そんなチャンチャコがニューアルバムを出し、そのアルバムに松山さんが曲や詞を提供し、さらには歌っているという、スペシャルな1枚となっているのです。
こんばんは、ねこあしです(*・∀・*)ノ本日ご紹介させて頂くのは、1960年代から1990年代にかけて日本の音楽シーンを牽引し、「帰って来たヨッパライ」などの名曲を生んだ「ザ・フォーク・クルセダーズ」結成秘話や「ヨーロッパ三部作」と呼ばれるアルバムに纏わるエピソードなどが、関係者の証言などを通じ、音楽家・加藤和彦の軌跡を辿るドキュメンタリー「トノバン音楽家加藤和彦とその時代」時代を先取りした音楽性で日本の音楽シーンをリードし、「トノバン」の愛称で親しまれた音楽家・加藤和彦。フォークバン
1969年、12月発売1stアルバム収録。1969年、9月ソロ2ndシングル。ふざけた歌なのかー、と思ったら違うので戸惑い、、ソロシングル3枚は売り上げが芳しく無く、アルバムも本人の意思とは違うタイトル、内容になってしまったとか、、ぼくのそばにおいでよAmazon(アマゾン)
1973年、1stアルバムに収録。オリジナルは森山良子だけど、アグネスの方が合っているような、、松山猛/加藤和彦作品!当時、レコードは初めての地声での歌唱だとか言っていた記憶がーひなげしの花(+3)Amazon(アマゾン)しかし、オリジナルがシングル2曲だけでアルバムを出すってねーま、邦楽洋楽カバーが聞きたくて、紙ジャケ復刻CDを買ってたのですが、、「ローズガーデン」は、南沙織1stアルバム収録の方が良いです~
2ndシングルです。この曲で松山猛氏を意識する様になったとー花のように星のように(+11)Amazon(アマゾン)
先日、作詞者の松山猛氏がゲストでFM番組に出ていて、加藤和彦さんに関する曲が次々とー当時聞いた時は、あまりお気に入りの曲ではなかったけど、よくよく聞くと深い歌です。「家をつくるなら」「不思議な日」は好きな歌でした!4曲入りミニアルバムを買っていました。CDは数年前?ソロアルバムは1971年2ndだったとースーパー・ガスAmazon(アマゾン)
あの素晴らしい歌をもう一度〜コンサート2024〜だいぶ前に決まっていたライブ出演者も坂崎さん以外知らないまま…昨日参戦してきました〜到着遅れまして…オーブニング〜えっ〜きたやまさんも松山猛さんそれに高田漣君もいるじゃないですか〜なんとなく杉田さんは出演されると思ってました〜さださんも出演されると思っていたら…会場違い〜フェスティバルホールでしたね…初めての林部智史さん…そしてきたやまさんと坂崎さんトークいよいよ神登場ってどなた…っ
昨日は、フランソワ・ペルゴのお墓参りの後に、ジラール・ペルゴ横浜ナイトをホテル・ニューグランドで開催しました。本当に沢山のジラール・ペルゴオーナーの方に集まっていただけたことに感謝します。最初は一人で初めた命日のお墓参りですが、今年は今までに経験したことがないくらいの多くの方に来ていただけました。GPナイトでは、ジャズトランペッターの黒田さんのライブや、松山猛さん、柴田充さん、ウォッチ情熱応援団の団長とのトークショーもやらせて頂きました。関西や福岡などの遠方からのGPファ
昨日は、お世話になっている松阿彌さんの還暦祝いのライブがクロコダイルでありました。ゲストに松山猛さんや山下マヌーさんも参加するという楽しみ満載のライブでした。そして、いつもながら松山さんが書いた「イムジン河」と「タイムマシンにお願い」を松山さん自らが歌うという贅沢感が、たまりませんでした。
遺伝とは親の特徴が子へ受け継がれる現象です。遺伝は遺伝子を使い、子へ特徴を伝える現象であり、遺伝子はヒトのあらゆる特徴を記録した情報です。たとえば、顔の形を決める遺伝子など、ヒトの遺伝子は25,000種類以上あります。遺伝子はDNAが集まったものです。引用しました。と。いきなりですが😅糸黒猫ですけどね。ボンベイネコという純血腫があるらしいのです遺伝してるのかぁ〜?黒豹のようにスラッと筋肉質。しっぽも長く先に行くほど細い。鼻の頭肉球まで真っ黒。目の色も銅色。
ひとつ前の当ブログに続いて再録です。当ブログ2022年1月19日に書いた「音楽は人種、民族や言葉を越える力を持つことを示した映画」です。***ひとつ前の当ブログで、『パッチギ!』(2005井筒和幸監督)を取り上げました。この映画の音楽担当をつとめたのが加藤和彦さんとあって、エンディングには『あの素晴らしい愛をもう一度』が流れます。劇中にはオダギリジョーさんが唄う『悲しくてやりきれない』も流れます。ふたつ前の当ブログで書いたように、『悲しくてやりきれない
続いて、当ブログ2022年1月19日に書いたものを再録します。タイトルは「1968年の京都が舞台の『パッチギ!』で歌われる『イムジン河』」です。2月10日(金)にNHKから放送された『アナザーストーリー選』「イムジン河の奇跡発売中止となった名曲その数奇な運命」に登場された松山猛さんが『イムジン河』を初めて聴いたときのことを語っていますが、これをモチーフにした映画『パッチギ!』(2004井筒和幸監督)についてです。***ひとつ前の当ブログで、フォー
このところの当ブログで、2月10日(金)にNHKから放送された『アナザーストーリー選』です。「イムジン河の奇跡発売中止となった名曲その数奇な運命」のことを書いています。『イムジン河』が発売中止になってしまい、フォーク・クルセダーズの面々も大変悔しい思いをします。その悔しさと悲しみをこめて加藤和彦さんが作ったのが『悲しくてやりきれない』だということも番組の中で触れられます。この件に関しては、当ブログ2022年1月19日に書いていますので再録します。タイトルは「フォーク・クルセダーズ、幻のセカ
ひとつ前の当ブログで、2月10日(金)にNHKから放送された『アナザーストーリー選』の「イムジン河の奇跡発売中止となった名曲その数奇な運命」に、高嶋弘之さんが証言者として登場していたことを書きました。ビートルズを担当した洋楽担当から、当時は邦楽担当になっていた高嶋弘之さんは「フォーク・クルセダーズ」の『帰って来たヨッパライ』の次のシングル盤に『イムジン河』を用意していました。「絶対にヒットする」と思っていたそうです。松山猛さんが高校生時代にで京都朝鮮高に行ったとき、偶然耳にした『イムジン
ひとつ前の当ブログで、ビートルズの「武道館公演」をめぐるドキュメンタリー映画『ミスター・ムーンライト1966ザ・ビートルズ武道館公演みんなで見た夢』(2023東考育監督)に、高嶋弘之さんが証言者のひとりとして出ていたことを書きました。僕がこの映画を観たのが1月29日(日)ですが、続けざまに今度はテレビで高嶋弘之さんを観ました。2月10日(金)にNHKから放送された『アナザーストーリー選』です。「イムジン河の奇跡発売中止となった名曲その数奇な運命」と題されていて、かつて「フォーク・クル
『時代に翻弄された歌イムジン河』((NHK総合1・東京2月10日(金)午後10:00~午後10:45初回放送日:2021年2月22日の再放送のようです)1968年2月、ザ・フォーク・クルセダーズが歌う「イムジン河」が発売中止となりました。朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)で生まれた曲ですが、京都の朝鮮学校で耳にした作詞家の松山猛氏が作者不詳の朝鮮民謡と思い、日本語の歌詞をつけました。しかし発売直前に朝鮮総連から抗議が入り、レコード会社が発売中止を決定。それでも歌は枯れることなく、その後、
1974年リリースアルバム「黒船」の先行リリース作詞松山猛作曲加藤和彦カバー、タイアップ多数大寒波到来昨日の朝の最低気温−7℃❄️本日朝の予想最低気温−6℃❄️水道管もガス給湯器も今のところ大丈夫😊ひとまずピークかなぁ...みなさんお気をつけ下さいね。で2月にNHKで高橋幸宏さんの特番が放送されます⬇️NHKMUSICSPECIAL高橋幸宏創造の軌跡総合2023年2月16日(木)午後10:00~10:45惜しまれつつ亡くな
「オールナイトニッポン55周年記念あの素晴しい歌をもう一度コンサート2022」を観に、東京国際フォーラムでした。国際フォーラムホールAは、藤井フミヤ先生35周年以来、4年振り。先日のコウタローさんではないですが、本当に観たい人、聴きたい人は、観られるときに観ておかないと後悔するので・・・出演者も年代があがっているわけで・・・。平日の午後3時開演というのも、明らかにシニア対象ということでしょうか?客層は確かに私よりも年上の方がほとんどのようでした。閑話休題。
さてさて、色々な大人の事情により(?)中断していた「コモンタイムチャンネル」の撮影が再開されました。何と2年弱ぶりです。今回も松山猛さん、柴田充さんをお迎えして、私が大好きなグラスヒュッテ・オリジナルについて語って頂いきました。お二人は、時計以外にも車やカメラなどにもお詳しいので、同じドイツ製品であるポルシェやライカなどと比較しての話など、とても面白い話が聞けました。是非楽しみにしていてください。
7月13日(水)雨模様で走らない日々が続いている。これも休養と割り切ってのんびり過ごす。そんな中、懐かしいメロディーを耳にした。栃木県小山市にある白鷗大学のWEBフォーラムで……。10代のころ、つまり西暦1970年前後。フォークソングという音楽が若者の心をつかんでいた。ギター片手にカジュアルスタイルで歌う。その象徴が京都で生まれた三人グループ。ザ・フォーククルセダーズ(通称フォークル)。イムジン河は、彼らの代表曲の一つ。南北に分断された南北朝鮮を舞台とした。そのメ
ひとつ前の当ブログで書いたように、『パッチギ!』(2005井筒和幸監督)にはプロデューサーの李鳳宇さんの京都朝鮮高校時代に周囲で起きた事柄が反映されています。李さんは1960年生まれなので『パッチギ!』の背景となった1968年という時代とはズレますが、李さんが高校生だった1970年代でも「壁」を感じることはいろいろあったそうです。著書「パッチギ!的」(李鳳宇・著/岩波書店)の中で書かれておりますが、朝鮮高校でサッカー部だった李さんは当時、「各種学校」の扱いで「国体」や「全国高校選手権」に参加
ふたつ前の当ブログで書いたように、映画『パッチギ!』(2005井筒和幸監督)のモチーフとなったのは、「帰って来たヨッパライ」の作詞者・松山猛さんの書かれた「少年Mのイムジン河」という本です。この本の帯には「イムジン河はいかにしてアジアのイマジンになったのか」という文が書かれていました。この本を読んで感銘を受けた李鳳宇さんは旧知の井筒和幸監督にも勧めたのが、映画『パッチギ!』の始まりとなりました。李さんは映画製作・配給会社「シネカノン」の代表をつとめたプロデューサーで、在日朝鮮人のタクシー運転