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「娘・妻・母」★★★娘・妻・母Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}1960年5月21日公開/カラーシネスコ/122分/東宝/製作藤本真澄脚本井手俊郎・松山善三監督成瀬巳喜男撮影安本淳美術中古智音楽斎藤一郎出演-原節子・高峰秀子・森雅之・宝田明・淡路恵子・団令子・三益愛子・仲代達矢・草笛光子・小泉博・杉村春子・中北千枝子・加東大介・上原謙・太刀川寛前作「女が階段を上る時」から4ヶ月後に公開された成瀬監
本日、4月5日は実は私の66回目の誕生日です。家族には夕餉に、すき焼きと“新ビール”で祝ってもらいました。有難いことです。この場を借りてお礼申し上げます。若い頃は同じ誕生日の有名人として、まずフォーク歌手の吉田拓郎の名を挙げていました。生年は1946年でちょうど一回り上です。音楽活動は休止されましたが、今もお元気なのでしょうかネットで改めて4月5日が誕生日の著名人を一覧すると、ベティ・デイヴィス(女優)やカラヤン(指揮者)もこの日の生まれ。生年はいずれも1908
ランクBの中~Bの上大正期に、ハワイへ移民した日系一世の苦難の歴史を映画化した作品です。題名は、中国・唐時代の詩人・杜甫の「春望」の最初の句からです。「国破れて山河あり」安禄山の乱で、荒廃した長安を眺めて詠んだ詩です。貧しい小作農の次男三男は海外移民をして、人生を切り開こうとしました。また、日本政府も、人口増を解消すべく棄民?政策をとって海外移民を推進しました。この映画は、大正期の移民先であるハワイが
松山善三さん松山善三(まつやまぜんぞう)1925年4月3日生まれ、2016年8月27日、91歳没。兵庫県神戸市生まれ、神奈川県横浜市育ちの映画監督、脚本家。妻:高峰秀子(2010年死別)1944年、横浜第三中学校(現・神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校)卒業。1956年9月15日公開、日本(松竹)・フランス合作の恋愛映画『忘れえぬ慕情』(TyphonsurNagasaki)長崎を舞台にした日仏スター共演による悲恋物語。監督:イヴ・シャンピ脚本:松山善三、ジャン=
「名もなく貧しく美しく」(1961)戦後まもない東京を生きる誠実な夫婦の物語をWOWOWオンデマンドで観ました。初見。監督はこれがデビュー作となる松山善三。予告編はコチラ。東京大空襲で逃げ回る人の中に、お寺の家に嫁いだ秋子(高峰秀子)がいました。焼野原で彷徨っているところを保護したみなしごのアキラの面倒を見てたのに、秋子の留守中に孤児の施設に預けられてしまって離れ離れに。幼い頃に聴覚を失った自分を迎え入れてくれた嫁ぎ先でしたが、終戦後に夫と死別すると実家に帰されてしまいます
旧ソビエト連邦で知らない人は居ないと言われた曲「百万本のバラ」は、バルト3国の「ラトビア」で作られた作品。「マーラが与えた人生」の「プリエディス」による詞をロシア語訳、ホズネセンスキーが曲を書き、ロック・シンガーとして人気があったアーラ・プガチョワが歌った。日本発売された唯一のLP。貧しい画家のピロスマニが「街中の花を全部買った」のは事実ではなく(もしそうなら、運搬料が莫大となる)自宅の庭(百万本は実際の本数でない)一面にバラの苗木を植えて女優を招待しようとしたけれど実現しな
今年、2024年は日本映画史に数々の名作・傑作を残された名女優・高峰秀子さんの生誕100年にあたります。5歳で子役として映画デビュー、その後デコちゃんという愛称で親しまれ、55歳で俳優業を引退されるまでの半世紀もの間、常にトップスターとして俳優の王道を歩いてこられました。300本以上の出演作を残した俳優としての功績、そして文筆家としての活躍に限らず、人として、女性としての生き方、美学、何を大事にし、何を失ったのかなどを、現代の若い世代にも知ってもらいたいとの想いから、「高峰秀子生
1967年7月公開の映画「その人は昔」を観た。監督は、松山善三。小学生時代、「愛と誠」という漫画を熱中して読んでいたのだがその作者のながやす巧が描いた漫画「その人は昔」が発売されて買って読んだ。当時、僕は、小学6年生であったが、その美しい絵と物語に強烈なショックを受けるくらい感動した。自分の人生において「その人は昔」以前以後と言えるくらい重要で模倣した漫画まで自分で描いた。その漫画が映画を漫画化したものであると書いてあったので、その映画が観たくて堪らなかった。が、当時はビデオも存在
今日は広島平和記念日。1945年8月6日午前8時15分。広島に原爆が落とされて78年。この日の重さが最近軽くなっている気がするのは私だけではないはずだ。『一本の鉛筆』松山善三詩佐藤勝曲あなたに聞いてもらいたいあなたに読んでもらいたいあなたに歌ってもらいたいあなたに信じてもらいたい一本の鉛筆があれば私はあなたへの愛を書く一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書くあなたに愛をおくりたいあなたに夢をおくりたいあなたに春をおくりたいあなた
このところの当ブログで、『あなた買います』(1956小林正樹監督)について書きました。この作品は、ドラフト制度ができる前の「自由競争」時代の選手獲得の凄まじい実態を描いたもので、クセの強い役者たちの演技も楽しめます。小林監督の演出もドキュメンタリー・タッチで見事でした。小林正樹監督は1996年10月4日、80歳で亡くなりました。僕は2016年9月14日、京王線・芦花公園駅から徒歩5分の「世田谷文学館」で「生誕100年映画監督・小林正樹展」を見に行きました。小林さんは『あなた買います』の
おはようございます。昨日銀座MIKIMOTOへ。エレベーターの7階ギャラリーホールへ。ここへは「ようこそ、ボンボニエールの世界へ―皇室からのかわいい贈りもの―」展以来かしら。受付の方にここに来たのは2019年のボンボニエール展以来かもと話すとこの催しは三年間開催できなかったと話されていましたよ。真珠のようなひと女優高峰秀子の言葉と暮らし高峰秀子さんのことは、女優というよりエッセイストの存在として知っていました。ホール内では旧き良き時代の主演映画が流れていました。こちらは代表
一本の鉛筆広島の原爆投下のことを歌った歌♪♪♪なんだあ。本当に考えさせられる。「ざら紙」という言葉も久し振りに聞いた。私は、「ざら紙」より「わら半紙」という言葉の方がなじみ深いけど━━。
「お前は軍隊の命脈を根本から冒涜しておるのだ!」by中隊長以下の文章もいつもながらのネタバレ・オンパレードです。本作品を未鑑賞の方は、どうぞご注意ください!第3部「望郷篇」DVDの収録時間は101分です。工人逃亡の責任を押し付けられた梶は、憲兵隊の拷問を受け、そこから釈放されると臨時召集されてしまいます。厳寒の北満州に送られた梶(仲代達矢)たち初年兵は、関東軍の一部隊に配属されて、連日厳しい訓練を受けるだけでなく、訓練が終わった後も兵舎の中で古参兵の「しごきを受け
舟木一夫芸能生活60周年記念コンサートそれは、(国際フォーラムA)から始まった。5,012人の客席正直あの大きな会場の動員数を心配した。そんな心配はすぐに吹き飛んだ。会場には満員御礼の旗がたなびいていたたくさんの花が飾られていた。ソーシャル・ディスタンスを取りながら、コロナを心配しながらの開催の中全国各地から舟木さんの歌声を聴きたい人々が集合したのでした。この日・舟木さんは60周年初日から驚かせた。あの、40分越えの「その人は昔ー東京の空
今日は「その人は昔」の放送があり、何度も見ているので、スルーしようかと思ったが、冒頭に舟木さんのインタビューがあり、儲けもの(笑)見て良かった。いつもは自室にある32インチのテレビを間近に見るのだが、今日はイマにある55インチのテレビで見る事にした。カミサンは、きっと見た事が無いと思っていたら、やはり見た事がなく、黙って最後まで見ていた。テレビが大きくなっても、シネサイズと、テレビ画面のサイズが合わないから、どうしても上下に黒部分が出る。テレビ画面に合わせようとすると、左右のサイ
昭和49年に発行された単行本の漫画ちょうど私が高校3年生の時に買い求めた漫画多くの漫画は処分しているけどこれだけは手元にずっと置いてあった漫画を描いたのはながやすたくみまだ十代であった松山善三のこの作品は映画上映されながやすたくみはその映画に涙しなんとしても漫画にして残したいと映画のヒロインは内藤洋子その頃は人気の清純派女優だったこの漫画を多感な高校生のころ読んで正直感動したのを覚えているどう生きるのか模索し葛藤して
2020/1/20報知新聞舟木一夫芸能生活60周年記念コンサート東京国際フォーラム組曲「その人は昔」を大々的に取り上げての記事が出た。よっぽど舟木一夫の事を知っている人でなければ、この曲の事を取り上げる事はなかっただろうと思う。コンサートは行かれないと諦めていた事故後、何とか回復に向かった事で、国際フォーラムに行かれた事は、本当にラッキーだった。そのラッキーは「その人は昔」を聴かれた事に集約される。だから昨日から、コンサート全般の事よりも、「その人は昔」の事を書きたくて仕方なか
【Q17386】サリドマイドの薬害で両腕がない状態で生まれた女性・辻典子が高校卒業後、熊本市役所に勤務し明るく生きる姿を本人の主演でドキュメンタリータッチで描いた、1981年公開の松山善三監督の映画は何?【典子は、今】【Q17387】葉の色が瓜に似ているため「瓜菜(うりな)」が訛ったものといわれる、ワラビやフキノトウなどと共に春の山菜の一つとして知られる、オオバギボウシの若芽を何という?【うるい】【Q17388】1919年に設立されたエジンバラ大学の動物遺伝学研究所を起源とする、現在地に
今から50年以上も前たかが漫画だけど中学生の自分にとってとても感銘をうけた漫画松山善三の原作をまだ10代であったながやす巧が漫画で表した北海道の寂れた漁村で育った二人の男女東京にでて働きながら勉強をするがいつしか大切なものを見失っていく「その人は昔」今でも家の本棚に残してあるどう生きるのか何が幸せなのか未熟ながらも悩んでいた当時が懐かしい
忘れていました…今さらですが…今月は…舟木さんも…夏休みでしょうか…⁉️8月のコンサートは…🔴8/20(金)14:00YCC県民文化ホール(山梨)🔴8/24(火)14:30神奈川県民ホールまで…おあずけです…緊急事態宣言が…少し…気になりますが…7/20inTACHIKAWASTAGEGARDEN(立川ステージガーデン)にてのコンサート…また…同じようですが…第2部…幕が上がると…10段の階段の真ん中に…舟木さん!赤い織り柄のタキシード…中は…四つボタンの
高峰秀子が、作家、評論家、学者、漫画家、映画監督、俳優、脚本家など、各界の男ばかり12人を相手にした対談集です。猛者たちとの対談の中から、高峰の当意即妙の受け答えができる頭の回転の速さ、知識のみに頼らない本物の知性と教養が垣間見えます。「細雪」の世界―谷崎潤一郎(作家)・阿部豊(映画監督)『婦人公論』’50年3月号映画「細雪」のクランクイン前に原作者と監督を交えた鼎談になっています。ここでは田崎潤の芸名の由来が、谷崎潤一郎の崎と潤を、田村泰次郎の田を頂いて改名したという話が初耳でし
「名もなく貧しく美しく」「名もなく貧しく美しく」プレビュー1961年1月15日公開。松山善三の初監督作品。ろう者同士の夫婦の貧しくも美しい人生を描くヒット作。配給収入:2億5154万円監督・脚本:松山善三出演者:高峰秀子、小林桂樹、北大路欣也、原泉、草笛光子、加山雄三、加東大介、乙羽信子、内藤洋子、大空眞弓、田村亮、沼田曜一あらすじ:竜光寺真悦の嫁・秋子(高峰秀子)は聾(ろう)女性である。秋子は幼い頃に病気で聴覚を失っていたが、ろう学校で
ランクAの中~Aの下大人のよろめき、純情映画です。ラストにすべてが集約されています。松山善三の脚本ですがほんまに性根が悪い脚本家です!(いい意味で!)こんな終わり方でいいのか・・・嗚呼。(脚本家を目指す方は、必見の映画です!)ラストシーンまで、しっかりと是非観て下さい!何となく、まあ、在り来たりのラブストーリーだなあと観ていたらとんでもないです。秘めた二人の恋路ですが、ラストの衝
高峰秀子という女優がいる。キネマ旬報が2014年に発表した「オールタイム・ベスト10」の日本の女優部門で、堂々の第1位である。彼女は、“デコちゃん”の愛称で親しまれた天才子役から、日本映画の黄金期を彩る大女優へと大成。確かな演技力で巨匠監督とのコンビ作も多い。高峰秀子の出自と経歴をたどる。高峰秀子(1924.3.27‐2010.12.28)北海道函館市生まれ。4歳の時に母が結核で亡くなり、かねてから秀子を養女にと望み、名付け親にもなった父の妹・志げの養
成瀬巳喜男監督が高峰秀子主演で描く1964年公開の人間ドラマです。戦時中、静岡県清水の森田屋酒店の長男の嫁として嫁いだ礼子。しかし、夫は戦死しその後も礼子は店を切り盛りしていた。やがて次男の幸司が東京の仕事を辞めて帰郷し、店を手伝うようになり、礼子は森田家を出ることになるが…幸司役の加山雄三は当時27歳(役の設定は25歳)で1961年から若大将シリーズに出演していたので、この作品当時は東宝の人気スターです。礼子役の高峰秀子は当時40歳。夫の松山善三がこの作品の脚本を担当しています。下町商店
天気が良かったので散歩しました。って、きょうび散歩しかすることないじゃん!まずは、大大大ファン高峰秀子さん松山善三夫妻が生前暮らした永坂の家あたりまで歩く。これを見ずして一生を終えたら大損ですよ〜。リアルタイムで見てたわけではないのに「二十四の瞳」(これは親のすすめ)以降、オフの生き方まで全て憧れた。理想の夫妻が生前暮らした家。ブログに上げていいのかと思われるでしょうけどネットに、既にこの写真よりモロが出まくっている。道中、東麻布界隈をブラブラ歩く。下町育ちの私には心和むエ
この記事の続きである。URL『わたしの渡世日記』というのは、『週刊朝日』の昭和50年5月23日号~11月14日号に掲載された。西暦で言うと1975年であって、高峰秀子(1924年~2010年)が51歳の時である。(ちなみに、彼女は2010年に86歳で亡くなった。当時、私はこの『わたしの渡世日記』を既に文庫本で読んでいたので、高峰秀子の訃報を知って、カミさんに対して『高峰秀子が亡くなったよ』と騒いだと思う。)この『わたしの渡世日記』というのは、前回、少し引用した個性的な文章で、彼女の人柄
一昨日(7日)、ようやく高峰秀子の『私の渡世日記』(下巻)を読み終えた。この本を読み通すのは、おそらく2回目である。最初は、私とカミさんとで、中国(当初は北京、その後は、上海近郊で)に住み始めたころあたりではなかったかと思う。私とカミさんとどちらが、最初にこの本が面白いと言い出したのか、よく覚えていないが、やがてもう一方も同意した。ともかく、気風が良いというか、痛快な文章である。こんな感じの文だ。以下は、文庫版前書きとして収録されているものの、最初の部分から。『週刊朝日』の扇谷編集
作家が偶然入った映画館で、美しさと感動で、何度も映画館に足を運んだ。18歳の時だそうだ。そして自分の手でこの作品を描いてみたいと、資料を集めて3年掛けてコツコツと描いて来たと言う。さすらいは、始めて聴いたアルバムに感動し、その後の映画化で、ビジュアルな思い出としても今も残る。作家が描かれていた頃は、ビデオ化もされていたかどうかという時期だ。映画館で見た感動を、漫画家として描きたいと思ったのも納得のいく作品だった。今また蘇るコミック本としての「その人は昔」読まれて見るのも良いの
心のステレオ「その人は昔」から映画になり、いくつかの曲が追加されてはいっている。じわじわと人気が出て、ヒット曲となった内藤洋子「白馬のルンナ」牧場で舟木さんと洋子ちゃんが歌った「恋のホロッポ」デートの約束をして待ち遠しい思いの「今度の日曜日」ピンクの傘を持って歌う「雨の日には」一夫と、その人、洋子の悲しい結末。テーマ曲「その人は昔」を改めて聴き直す。悲し気な「その人」への思いが伝わってくる。メルヘンチックなポエムのような映画に水を差すようだが(笑)ちょっと一言。内藤