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今日は日置市方面の山城跡巡り大手道が分からず近くのお宅に聞き込みに伺ったら「自分の家の裏山が松尾城跡だよ」と、教えてくださいました地元の方や鹿児島市内からもよく訪ねてみえるそうです許可を得て裏山に登らせていただきました
昨日は湧水町へ🛻💨💨💨笹峰城跡所在地湧水町木場笹峯立地台地端現況山林規模300×400×2残存度良存続期間戦国時代別名上古城・古城見当をつけて行った先は入口が網で塞がれていて進入が出来ず、近くで榾木のこま打ち作業をされていらした方に下の田圃への進入口を尋ねたら、作業の手を止められて「自分の山からだと入ってはいけるけれど…」と田圃の所まで案内してくださいましたが目的地の山を指差しながら「此方側から登るのは危いので山に通じる
久しぶりの山城跡巡り今日はさつま町の久富木城跡・松尾城跡・平城跡・折小野城跡に行って来ました久富木城跡は再訪です松尾城跡平城跡折小野(おりこの)城跡ランチは蕎麦定食メンチカツを頂きました
明日は雪模様との予防で今日は頑張って6城巡って来ました薩摩川内市宮之城町界隈船木古城跡古城(ふっじょう)跡松尾城跡虎居城跡白尾川城跡穴城跡最後の穴城跡は地元の方に教えて頂いた山を目指したのですが( ̄ー ̄?).....??ありゃ??どうやら違う山に登ってしまったらしい(p′︵‵。)「行き止まりから登って行ったら良い」との情報を頂いて…急傾斜の崖をよじ登って尾根伝いを🚶🏼🚶🏻♀️何の石?何だか違う様な気が(*-゙-)ゔ~ん?自宅に帰ってよくよく確かめて
羽黒橋を渡ってすぐ右折。松ヶ岡へ行く途中に貴船神社があります。こんもりとした森の中。松尾城址も境内にあります。松尾城来歴要するに、武藤氏6代目長盛の弟・師氏がこの地を分け与えられて松尾城を築いたものの、長盛が後継ぎがないまま早逝したので師氏が7代目当主となった。城主不在となった松尾城はこのときに廃城となった、ということですね。※当時の武藤(大宝寺)氏当主の城の大梵字城=大宝寺城で、鶴ヶ岡城(鶴岡城)の前身ともいえる城館です。(下記サイトより転載しました)↓羽前松
湯田城跡薩摩川内市湯田町高城立地山頂現況山林規模・形状300×300複残存度不良存続期間戦国末期在城者神崎氏・東郷氏・島津氏川内宮司簡易郵便局の隣の筋から入ります菅原道真公腰掛け石🪨松尾城跡薩摩川内市湯田町字松ノ尾立地山頂現況山林規模・形状100×150単残存度不良せごどん《西郷隆盛》とツンの像萩《ハゲ》城跡薩摩川内市湯田町行人平立地山頂現況山林規模・形状
4月2日の栗野駅からのJRウォーキング。丸池湧水の桜マルシェを後に、最初の目的地城山運動公園目指して歩きます。道の途中には桜だけではなく田んぼにはれんげ草。しだれ桜かなと思って近づくとしだれ梅?桃?しばらく進むと坂道が見えます。城山運動公園入り口です。が、気になるのは猫の祠のぼり口。上がってみるとここ城山運動公園は戦国島津として知られる島津義弘公の居城松尾城跡です。義弘公は朝鮮出兵の際、時を知るために7匹の猫を連れていったそうで、そのうち2匹だけが鹿児島に帰って来られたそうで
2023年春編の駅長おすすめのJR九州ウォーキングに参加。姶良郡湧水町の栗野駅発着の約6㎞の「湧水散策ウォーク」。出発~松尾城跡🏯鶯などのさえずり聴きながら歩く~川内川沿い今回ウォークは自治体の飲み物などのおもてなしがあちこち。ボランティアガイドも各所にいて案内説明してもらいよりおもしかった。(人''▽`)ありがとう☆勝栗神社せせらぎの道丸池湧水ゴール湧水町キャラの「水の妖精ゆうたん
4月1日。愛媛県・東伊予にある翠波峰(すいはみね)に行ってきました♪翠波峰(標高889.7m)コースタイム・・「愛媛の山」山と渓谷より登山口~20分~松尾城跡~30分~二の鳥居~30分~アヤメ池~25分~翠波権現翠波権現~10分~翠波峰東峰計2時間5分(翠波峰東峰~10分~西峰展望台~45分~翠波峰高原入口)・・今回は車で移動。****************************************
20日地元に戻り菩提寺である善照寺にお参りに行きました。善照寺には移築された益富城の大手門がありますご先祖様をお迎えした後、実家を出て近場を巡ってみました。まず町内にある鮭を祀った珍しい神社⛩鮭神社⛩を参拝それから今朝テレビに出てたジャンボンヨークでハムを買い隣町の東峰村へ移動黒田六端城の一つ松尾城跡🏯を見に行く道の駅小石原で買い物をしてから夜明側へ下り夜明ダム筑後川の山田堰を見学山田堰の後ろにある恵蘇八幡宮を参拝帰りに近くの林檎と葡萄の樹でアップルパイを買って帰って来
案内板は充実しています。翠波峰登山道を通ります。ただ、最終の所で、行き着けない人も居るようです。訪問者は、多くないと思います。
2016年10月訪問【長谷寺豆知識】・真田幸隆、昌幸のお墓がある珍しい鳥居?ちゃんと六文銭が刻まれます。こちらにも六文銭★本堂横には。。。なぜに馬に。。お墓を見るためには頭上注意を確かくぐってからGOします。そーすると。。。抹茶みたいな池そしてなによりびっくりは。。。リーゼント風の木お墓がみえてきました。φ(`д´)メモメモ...お悔やみ申し上げます注目ポイントは。。。お金が六文銭でしっかりとおかれてます。六文銭の意味は。。。伊豆?だったかな?極
今日は高速側道を東方面。こちらはアップダウンが少なく楽なのですが、頭のネジが飛んでいる運転手が多数走るので、危険が伴います。24時間、365日稼動の製紙会社。紙産業を支える工業用水。山の向こう側のダムから流れてきています。まず最初は、東宮山。こんな雅な場所が、四国中央市にあったとは・・。安政時代だって!宮内庁の立札。愛媛新聞を購読してなかったら、この地を知らないままだったと思うわ。ジョウビタキこれって発祥という言葉が正しいの?この石碑に、なんの意味があるのか理解不能。まあどうで
いつも当ブログの歴史連載「俺らは義満の子」をご覧になって頂き、誠にありがとうございます。こちらが目次⬇️俺らは義満の子・目次「俺らは義満の子」も後、山場は3つくらいを考えていて終わりを迎える予定です。山場がまだ3つかぁ~オイラも頑張らなくっちゃ。そろそろ次回は何にしようか、考えいます。必ずやろうと思う題材は新居浜市にまつわることで「天正の陣」と「別子銅山」のことです。あー、寺社・史跡巡りの中で「天正の陣」に関するところによく言ってるもんね~。ただ、まだまだ連載にするまでには至らな