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テスターの電池が切れたので、買ってきました。今はこういうパッケージなんですね、時代を感じます。電池はやはりパナソニック/松下電器ですね。GSスタンドで、お金・お札を機械に居れたら、2回とも返されました。ややピン札で問題無いのに、、、懲りずにそのお札を入れたら、機械はお札を受付してくれました・・WHY??ご覧いただきありがとうございます。
お盆期間中、実家で自分の部屋の整理をちょとだけしました。この際に出て来たのが中学時代に使っていた松下電器(現:パナソニック)製の3バンド(AM/短波/FM)のBCLラジオです。ざっと50年近く前の製品ですね~~この「COUGAR/クーガーNo.7」と言うラジオは、通常本体に固定されている中波用のアンテナがボタン操作で本体上部に飛び出して手で回転できる仕組みになっており、大ヒットした機種です。プッシュボタンを押すと、固定されていたアンテナが本体上部に飛び出します。飛び出した状態でアンテナ
35年前の本日1991年(平成3年)8月18日、住友金属(現鹿島アントラーズ)ジーコ、JSLカップ三菱自動車(現浦和レッズ)戦で日本デビュー※。1ゴール1アシスト。※トヨタカップに出場してはいたが。同日松下電器(現ガンバ大阪)釜本邦茂監督デビュー。東京ガス(現FC東京)から白星。
🐱おやじはSONYファンで、ラジオの多くはSONY製品です。BCLラジオと呼ぶラジオが発売される前後から松下電器(昔の社名)とSONYはライバル関係でした。SONYが先駆け、松下電器が真似した製品を販売していた。🐱ライバルライバル関係であった松下電器のBCLラジオは、初号機のクーガNo.7しか知らないです。インターネットでは画像を見かけた事はあるが手に取った事はないのです。クーガNo.7RF-877純正のクーガNo.7のフロントパネルは若干緑かかっていますが、上の画像は少し違ってい
おはようございます。気温は24,5℃、天気は晴れです。世の言われているカリスマ経営者、皆さんは誰を思いますか。私なりに考えてみました。誰もが思い描くのが、パナソニック(当時は松下電器)の松下幸之助さん。小さな町工場を巨大家電メーカーにしました。この人は販売に強いと言われていました。ホンダの本田宗一郎さんは、経営者というより技術者です。ホンダと言う自動車メーカーが飛躍したのは、右側の藤沢秀夫という専務の力も大きいようです。スズキの鈴木修さんは、婿養子で入った会社
*松下幸之助と桑田佳祐**経営の神様といわれた松下電器の創業者松下幸之助さんは気配りの達人でもあったようです工場建設予定地の検分のため神奈川県湘南地区を訪れるときに幸之助は、その日案内してくれる人たちの分も含めて5人分のお弁当を新橋のお寿司屋さんに頼んでいました無事に視察がすんだのが昼の12時過ぎどうせなら浜辺で食べようということになり稲村ヶ崎の海岸に行って、ござを敷きみんなで食べることになりましたお弁当を配ろうとした秘書に対して幸之助はこう指示しました「きみ
【日本発の国産OS「トロン」、王者・米国の対抗軸に…】「未来の社会インフラに」異例の無料公開で動いた松下電器[R8/8/06](2)☆※自演防止@jien1:■忍【LV42,しんりゅう,JK】第13艦隊◆IpxlQ2BXrcdb:26/08/06(木)10:41:57ID:???マイクロソフトのパソコン向け基本ソフト(OS)が世界を席巻し始めた1980年代、一人の日本人がOSを開発し、世界のメーカーに無料で公開する一大プロジェクトを始めた。OSの名は「TRON(トロン)」。当
筆者は世紀末生まれなのだが、筆者が物心つく頃には既に島耕作シリーズという漫画の存在は知っていた。流石に作者の名は知らなかったが、それでも中学高校ぐらいになると「弘兼憲史」という漢字四文字を見かけて「島耕作シリーズの作者かな」というような連想は出来るようになっていた。2015年ごろ雑誌『SAPIO』を開いていると弘兼憲史氏が書いたコラムが載っており、「育児に熱心な男は出世しない」という内容が書かれていた。また、このあたりの時期に、恐らく弘兼氏が書いていたものだと思うのだが、「イクメンなどを持
松下幸之助さんの言葉「失敗の原因を素直に認め、それを糧にする者が最終的に成功する」年齢を重ねていくほど、「あのとき、ああしておけば」と悔やみたくなる失敗は増えていくものである。しかし、経営の神様と呼ばれた人が、まず口にするのが「失敗」の話であるところに、この言葉の重みがある。松下幸之助さんは、丁稚奉公から身を起こし、一代で世界企業を築いた人物である。決して順風満帆ではなく、むしろ失敗の連続であったという。だからこそ、うまくいかなかったときに環境や運のせいにせ
感謝です。松下電器、パナソニック、・・・
「松下纪念馆」があるのは知っていた。正直言うと、行ってもいいし行かなくてもいいとずっと思っていた。場所も798のほうだと知っていた。その近くに住んでいる人と会うことになって、私が指定した。10時に記念館の中。予約不要と予習もした。地下鉄14号線「望京南」駅から1.3km、徒歩で20分。歩きたくない。自転車も漕ぎたくない。バスを見たらほぼ歩かなくていい路線がある。ところが20分待ち。ええええ!アタシ、タダなのに!(そっちかい)泣く泣く自転車に乗る。北京民生现代美术馆。来たことある!その
ネット際の白い悪魔――K先輩から受け継いだ「究極の知略」前回の記事では、K先輩の驚異的な「ハタキジャンプ」という肉体的な技術について触れた。しかし、彼が「上手い」を超えて「凄い」と言わしめた理由は、その卓越した身体能力だけではない。ルールを極限まで熟知し、緊迫した場面でそれを瞬時に実行に移せる、恐ろしいほどの「頭脳」と「勝負度胸」にこそ、彼の真の凄みがあった。それはK先輩が4年生のときに出場した全日本選手権での一幕である。試合は息の詰まるようなシーソーゲーム。1点を争う
昭和34(1959)年6月18日(木曜)、夜8時から1時間45分にわたり放送されるナショナル木曜観劇会(フジテレビ)の番宣広告と当日テレビ欄。ナショナルこと松下電器では同時期に日曜昼間に、KRテレビ(現・TBS)でも同様のナショナル日曜観劇会を放送中。当時はプロレス、野球、大相撲などスポーツ中継こそがテレビジョン販売を促進する起爆剤となっていたようだが、ナショナルでは自宅にいながらテレビで観劇が楽しめることをウリにしていたようだ。この日の演目は大阪・道頓堀の中座から
444444😸おやじがラジオ小僧だった頃から働きおじさんになるまでのラジオを紹介します。初期のラジオは知っていますが、その後の化け物の様なラジオが販売されていました。古き良きアナログラジオです。少年が欲しがる物−四次元ポケットとおやつ😸少年はスマートなデザインに憧れて次を買ってもらった。このラジオより前も格好いいラジオがあったが、ねだって買ってもらう程ではなかった。SONYICF-5500SONYICF-5500のカタログこのラジオの愛称はスカイセンサで、後続機にも継承されてい
去年にアイリスオーヤマ製のフライパンセットを買ったんですよ。焦げ付きにくいみたいなことをアピールしてたんですが、一か月持たずに焦げ付きだして奥さんはアイリスオーヤマって微妙だねって話してたんです。僕はたまたまハズレを引いたんじゃない?って言ってたんですがね。で、先日に買ったサーキュレーターが(僕が選びました)アイリスオーヤマ製だったんです。届いて箱から出したら、前面のカバーがゆるゆるなんです。何度もしっかり占めようとしたけど、ちゃんと止まってなきゃいけない部分がゆるゆるではめられな
好評放映中!――。昭和44(1969)年6月2日(月曜)、布施明主演のラブコメディ、月曜夜8時からのナショナルカラー劇場枠で放送されていたS・Hは恋のイニシァル(TBS)の番宣広告。この夜に放送の「飛び入り“斬られ役”の巻」と、翌週(6月9日)放送の「家族勝抜き歌合戦の巻」を一挙に宣伝してしまうという、かなり珍しいパターンの番宣広告だ。主演こそ布施明だが、松木ひろしの脚本で、石立鉄男や大坂志郎も出演しているとなれば、どうしても2年後に放送スタートするおひかえあそばせ(日
5月30日は「掃除機の日」です。掃除機の日とは?・1986年に日本電機工業会が「お掃除の日」を制定、1997年に「掃除機の日」に改称する。今年の掃除機の日は、巨大ヒーローが登場する掃除機のCMです。という事で、巨大ヒーローが登場する掃除機のCMを紹介しようと思います。■関連記事も合わせてどうぞ■『【5月30日は掃除機の日】掃除機がモチーフの悪玉メカ』5月30日は「掃除機の日」です。掃除機の日とは?・1986年に日本電機工業会が「お掃除の日」を制定、1997年に
松下5AR4が到着中々にいい状態のビンテージ管球が揃って感じたのは、ドラゴンボールに近い感覚配線優先で組んだら、まったくロゴ見えなくて哀しみ本線日本海orz
経営陣の駄目さが浮かぶ。事業を切って人を切って黒字でも、産業衰退を物語っている黒字だからです。各部門の精鋭化が出来て、人も切らず黒字ならば本当の本物なのに。これからは衰退一色たんの縮小経営に成り下がってしまった。とても残念です。『人を育て(基礎技術の習得教育)(人間の頭脳の増強教育)(先輩が後輩を育てる)高級な見た目(デザイン)と繊細な技術(確かな技術設計)と最先端技術の採用(特許等の採用で業界の先頭を歩く)がこれまでの松下電器の真髄でした。』Panasoni
何年かぶりで浅草寺へ行ってみました。やはり外国人が多かった。仲見世は意外と人が少なく、普通に歩くことができました。金龍山浅草寺は日本三大観音宝蔵門本堂五重塔なかなか立派でした。札所等:坂東三十三観音第13番
<松下通信を支えた50人:堀龍之、三浦孝文、小菅文夫、谷村忠昭、三浦裕、村田栄一郎、柴田和彦、脇治、浮穴浩二、村林宏>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「松下通信を支えた50人の話は先月で40人が終わりましたので今日準備した10人で最後です。最後は松下通信らしく技術者が中心です」「よろしくお願いします」「まずは電波事業部出身の堀龍之、警察無線コンクールやポケベルの開発リーダーとなり無線端末の小型化技術確立の先陣を切りました。この小型化技術は携帯電話開発にも反映され世界
昨日たまたま近くを通りかかってパナソニックミュージアム松下幸之助歴史館中は松下幸之助さんの苦労話しや松下電器の歴史KONな古い家電も入場無料(駐車場も)オススメです!==============公式ラインアカウント@kz0668460708YouTubeキィーズチャンネル@Kz-cv9vnキィーズWEBサイトインスタグラム@kz_fish0708メール:info@kz-fish.jp
<松下通信を支えた50人:藤原經史、増田治美、能勢規弘、萬田武志、和田守政、沖田孝雄、横田洋二、本間光一、倉本實、桂靖雄>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「これまで30人の話をさせていただいたはずです。今日は10人まとめて紹介させていただきます。細かいところは後でメモを見ていただくということでよろしいですね」「私も一人一人の業績は都度調べ直しています」。「営業部門の人物については松下電器の営業部門に委ねているところも大きいので選びませんでした。ただ松下通信の直轄営
あなたの好きな言葉は?▼本日限定!ブログスタンプ「日に新た(ひにあらた)」松下幸之助さんの言葉毎日、昨日よりも今日、今日よりも明日と、日ごとに成長・進歩していくこと。松下幸之助さん(1894-1989)は、日本を代表するエレクトロニクスメーカー、パナソニック株式会社の創業者です。1918年、松下幸之助さんは23歳の時、パナソニックの前身である松下電器(松下電気器具製作所)を興しました。和歌山県海草郡和佐村出身今朝のブログに貼った公園の写真。この公園の近くが松下幸之助さん生誕の地
それはまだシジュウカラが巣立ちを始める3時間ほど前朝の散歩から戻り出窓で一息ついた時にふと地元の歴史書の講釈にでも浸ってみようか、と”さわやかな朝を迎えるために”先ずは”ブリタ”のろ過水150㏄を松下電器社製の2400MHz高周波発生装置出力700Wで100秒間照射させたディープなお湯で今日はマグなんてベビーな気分じゃないペーパーライトな気分だぜ!と当然ハードボイルドは甘くない(カフェオレはハードボイルドなのか?まぁいい)澄んだ朝の光の中、揺ら
<松下通信を支えた50人:土井亨、脇野征一>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「松下通信は松下電器から多くの人材を受け入れてきましたが、川田社長就任時に松下電器が送り込んだ土井亨、脇野征一はとりわけ最強の転入者と言える人物でした。今回この二人を紹介することにします」「最強の転入者、土井亨、脇野征一」「松下電器から受け入れたほとんどの人材は様子を見ながら徐々にという感じでしたが、この二人は最初から松下通信の舵取りに加わりました。土井は直前まで松下電器の経営企画部長を務め
<松下通信を支えた50人:大石光洋、黒川憲一、秋山正樹>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「電波事業部は最強の事業部でした。今日は電波事業部出身ながら電波事業部外でも活躍した大石光洋、黒川憲一、秋山正樹の3名を紹介します」「電波事業部からまた3人。人材が豊富ですね」「大石光洋は、明るく包容力があり常に前向きな人物でした。1980年代に事業部の技術行政を担当し多くの技術者から頼られる存在でした。技術部門が業務集中で苦しんだ際に設計CAD導入チームを編成し早期導入を実現し
amazonへのリンクはこちら評価(4点/5点満点)松下電器で2000年から7年間CFOを務めた川上徹也さんが、創業者・松下幸之助の経営的資質を再確認しつつ、その経営の叡智を開示しています。<B/S(バランスシート)思考>P138P/L(損益計算書)から「改善」は生まれますが、経営の革新にはどうしてもB/Sが起点になるのです。課長以下の責務を果たすなら、P/L思考でもやっていけるでしょう。否、P/L思考に徹して部分最適を重視したほうが、売上だけ見れば短期的に大きな成果を生み出
<松下通信を支えた50人:小杉健一、唐川良一、室田俊彦>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「今日は事業部の業績を飛躍的に伸ばした小杉健一、唐川良一、室田俊彦の3人です」「お願いします」「小杉健一は電子計測事業を牽引しました。電子計測事業部ではオシロスコープ、発振器、XYレコーダが中心でしたが、彼が担当してから自動計測システム、デジタル計測機器、超音波応用機器といった分野に力が入りました。新規事業の医療用超音波診断装置は松下技研の技術支援も受けて市場をリードする商品に育てま
<松下通信を支えた50人:外山和彦、渡部厚平、石原進>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン埴生は大杉の話はここまでにして次に3人の人事責任者の話を進めた。「次はそれぞれ重要な役割を果たした人事責任者を紹介します。外山和彦、渡部厚平、石原進の3人です。外山は松下通信生え抜きの人事部長で、豪快で愛嬌もある人柄から多くの社員から慕われました。厳しいながらも温かい会社といった独特の風土は外山の貢献が大きいはずです。1979年から取締役5年を務めた後、松下電器に異動して役員となり東京支