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<松下通信を支えた50人:都丸喜成>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン埴生は続いて松下通信を支えた50人として次に都丸喜成を上げた。「昭和50年代に情報化はINS、OAがキーワードになりました。松下通信ではOA開発担当役員として電電公社横須賀電気通信研究所で所長を務めた都丸喜成を招きました。1980年に松下通信に入社後、すぐ技術本部内にオフィスシステム開発センターを設置して所長となり、端末、ネットワーク、システムの開発を進めました。それまではオフィスシステムの開発とい
松下幸之助翁事業を始めて十五年ほどたったころある場所へ連れて行って貰い衝撃を受けたそうです。。。そこには素晴らしい建築物が見事に立ち並んでいたのです松下幸之助翁は驚きました。そして考えましたこんなスゴイの建てちゃってるけどどこからお金を持ってきたの?財源はどこにあったの?と・・・問題にぶつかると解決するまで考えつめるのが松下さんの癖だったそうで電車の中でもうちに帰っても考えて考えて考え抜いて、答えが出ました「あれはなんでもない。大勢の人を喜ばせたのだ。喜んだ人が大
<松下通信を支えた50人:河原滋>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「中松さんは松下電器が大型コンピュータの開発をしていたのはご存じですね」「有名な話ですから」「その経緯を少し話させてもらって、それから河原滋の話をさせていただきます」「お願いします」「昭和30年代に電機各社が大型コンピュータの開発を進めていた中で松下電器もその1社でした。担当は松下通信で、苦戦しながらも電子計算機事業部を立ち上げ事業化の段階までこぎつけました。ところが米国の銀行の助言を受けた松下幸之助会長の
<松下通信を支えた50人:田中裕>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン埴生は次に田中裕の話を始めた。「3本柱の一つAVシステム事業は何度か事業部名を変えており、当初は音響事業部として、次に視聴覚機器事業部に、そしてAVシステム事業部に変わりました。田中裕は、視聴覚機器事業部の時代に事業を育てました。役員としては1976年から取締役4年、常務2年、専務4年を務めて後に社長となる石澤命孝にバトンタッチしました」「社長を育てた大物ということになりますね」「彼はサウンド事業を牽
自宅に有る昭和のポータブルラジオをAIで調べました。AI回答松下電器産業(現Panasonic)がNationalブランドとPanasonicブランドを併記していた時代の製品。昭和らしい特徴です。MODELNo.R-1018MadeinJapan単3電池2本使用内部にトランジスタ回路・バリコン式チューナー搭載→IC主体になる前の設計思想です。年代推定シリアルラベルに78-09-Aとあるため、かなり高い確率で1978年9月製造(昭和53年)と思われま
<松下通信を支えた50人:中尾大>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「今日は中尾大、田中裕、河原滋、都丸喜成の4人の話をさせてもらいます。まずは有線通信事業を牽引した中尾大。彼は通信事業部でビジネスホン、ホームテレホン、インターホンなどの事業を育てました。電波事業部を目標にしてさらにユニークで高度な技術者集団を目指しました。特にビジネスホンはシステム化を重視し、PBXや大規模電子交換機の開発へと広げました。グループ内では九州松下との社内競合が激しくなり社内で勝てねば他社には
<松下通信を支えた50人:山田兼敏>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン続いて埴生は、製造部門の代表として山田兼敏の話を始めた。松下通信の役員の人となりは様々で、飛び切りの人格者もいれば多くの社員が恐れる強面の役員も毎年一人二人はいた。山田はそんな強面の代表格とも言える人物だった。「山田兼敏は1974年から取締役4年、常務4年、監査役2年を務めました。いつも恐い顔をして事業はヒト、モノ、カネと口癖のように話し、製造部門の整理整頓を何より重視しました。自分が担当していない
( ̄_ ̄;)「まだ……」この⬇️ポスト、書き込み中6回消されました。創価が松下電器を乗っ取りPanasonicに変更した象徴的な出来事を知られたくないようです。https://t.co/tieqVBUMf2—一輪車のアキレス(@LflQLDvTxBaQxds)April20,2026まだ「X」の中でも書き込みを消せる力があるんですね。◆書籍【あなたを簡単に【浄化】すれば後は【自動で】上手くいきます。】のPDF販売もしております。お求めは下記
昭和天皇は千九百三十年六月二十六日にイギリス王室から名誉元帥(HonoraryFieldMarshal)に任命されました。これは第一次世界大戦後の日英関係強化のための外交儀礼的称号であり、実際にイギリス軍の指揮(しき)を執(と)るわけではありませんでした。しかし、イギリスの政治的影響下に在ることを表していると考えるのが自然です。解りやすく表現すると、明治維新以後日本は大英帝国(イギリス)の植民地でしたが、千九百三十年のロンドン海軍軍縮会議の後に、昭和天皇は将来の米英連合国と
□1925年(大正14年)日本でラジオ放送が開始されました。松下幸之助さん率いる「松下電器(パナソニック)」は、その5年後(1930年)新しくラジオの分野に進出しました。ところが、このころ特許魔といわれる発明家がいて、アメリカの特許を先に読みとっては日本で登録し、それを売るというようなことをしていた人がいたそうです。ラジオを作るには、どうしてもその特許の部分が必要だったため、多くのメーカーさんが悩んでいました。その時、松下幸之助さんは動きました。発明家の所へいき、当時の松下電器(パナ
<松下通信を支えた50人:唐津一>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン次に埴生が上げたのは唐津一だった。松下電器が旧通産省を主管としていたのに対して、松下通信は旧郵政省との関りが強く、その結果として旧電電公社やNTTから人材を入れることが少なくなかった。唐津はそうした人材の中でとりわけ傑出した人物だった。「旧逓信省、旧電電公社を経て松下通信に入社した唐津一は、担当役員として品質管理や技術開発の向上に貢献しました。誰とも隔てなく接し、自身の見解を説明される際にはいつも笑顔
毎日、時代劇『水戸黄門』の再放送を観ている。『水戸黄門』?という世代もいるかもしれないが、アラフィフ世代の人なら、誰でも知っているだろう。なぜ毎日、『水戸黄門』を観ているのか?とその前に、私の住む地域では、地デジで、東野英治郎さんが水戸黄門を演じる番組が再放送され、BSで、西村晃さんが水戸黄門を演じる番組が再放送されているので、2つとも録画して観ている。話を戻そう。なぜ毎日、『水戸黄門』を観ているのか。ストレスを感じる、嫌なことがある、辛いことがある。正義
<松下通信を支えた50人:黒岩幸衛>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン埴生は次に経理部門の代表者黒岩幸衛を取り上げた。松下通信が急成長を続けた背景として経理部門が果たした役割も大きかった。「経理業務での功労者は黒岩幸衛です。彼の役員期間は小蒲元社長の役員就任から社長退任までの期間とほぼ同じです。小蒲体制の中にあって今でいうCFOの役割を果たしたはずです。1969年から3年間取締役、6年間常務、さらに6年間専務、そして2年間、監査役を務めました」「小蒲体制のCFO黒岩幸
<松下通信を支えた50人:新屋純之輔>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「今日は8人目からになります。新屋純之輔、黒岩幸衛、唐津一、山田兼敏の4人をあげさせてもらいます」「お願いします」「まず自動車機器事業を初期の段階で育てた新屋純之輔から。新屋は、1962年発足の自動車ラジオ事業部、その後の自動車機器事業部で事業部次長、事業部長としてこの事業を成長させました。3本柱の一つに育ったのは彼の力量の賜物です。役員としては1968年から10年間、取締役に就任されました」「自動車
<松下通信を支えた50人:川田隆資>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン埴生は松田社長に続いて川田隆資社長の話を始めた。「松田社長は後任に川田隆資専務を第6代社長に指名しました。松下通信を支えた50人の代表とも言える人物です。1993年に御成門のホテルでマスコミ関係者に対して社長就任披露が行われました。会場で経歴や人となりを聞いた記者がこの説明が本当なら凄い社長と驚嘆していました」「川田社長の華々しい登場ですね」「社長就任後はまさに記者が驚いた通りでした。社員には常に若
<松下通信を支えた50人:松田章>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「石澤社長は松下通信内部からの昇格でしたが松田社長は松下電器役員からの就任です。谷井社長はまだ健在でしたのでこの人事はいささか疑問が残ります。本社にどういう事情があったのかよくわかりません」「確かに」「松田章は松下電器の常務を退任して1989年に第5代社長に就任しました。常務と言っても家電分野の担当で松下通信にはその人となりを知る人はほとんどいませんでした。軋轢が生じてもおかしくない状況でしたが、心優
「松下幸之助という人」松下幸之助という人は、何も持っていない人だった。まったくない。まず、金がない。父親が、米相場で失敗して無一文になってしまった。一家は離散し、両親、兄弟を早くになくしています。親譲りの財産も、自分のたくわえもない、まったくの無一文。だからゼロから事業をはじめなければならなかった。元手なんてものがないから、手堅い上にも手堅くやらなければならない。自分のために保証人になってくれる人なんていない。そういう厳しい環境で事業をはじめた。自宅の土間で、ソケットを作る
<松下通信を支えた50人:石澤命孝>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾンそして再び松下通信を支えた50人の話が始まった。中松は音声レコーダをセットし埴生から渡された今回のメモを確認した。「今回は石澤命孝、松田章、川田隆資の3人です」「松下通信の歴代社長ですね」「次回からは分野毎に選びますので今日は3人で」「それではどうぞお願いします」「4代目の社長には石澤命孝が就任しました。前小蒲社長が無線事業出身でこの分野に最も力を入れていたことから、ビデオ・音響事業を牽引して役員経
【1991年シングルヒット曲ランキング】1位ラブ・ストーリーは突然に小田和正254.2万2位SAYYESCHAGE&ASKA250.4万3位愛は勝つKAN186.3万4位どんなときも。槇原敬之116.4万5位はじまりはいつも雨ASKA107.1万6位あなたに会えてよかった小泉今日子100.7万7位LADYNAVIGATION
<松下通信を支えた50人:小蒲秋定>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「それでは4人目に移ります」「4人目は小蒲第3代社長」「彼は松下通信を支えた50人の大本命です。歴代社長7名の内、初代社長は別格として最も実力のあった社長は小蒲秋定、中興の祖と言えます。第3代社長としての威厳とカリスマ性は十分でリーダーシップは卓越していました。彼の牽引で無線通信事業が大きく育ち、世間でも一目置かれるいわゆる一流企業の仲間入りが出来ました」「松下通信を語る上で避けられない人物ということは理
<松下通信を支えた50人:松下正治>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「それでは3人目、松下正治の話を進めます」「創業者の娘婿で松下電器の社長、会長をつとめた人物ですね」「松下通信ではどの経営者よりも長く経営に関わりを持っていた人物、と言ったほうが相応しいかも知れません」「そうなんですか」「設立から12年は取締役として、続いて16年は会長として、さらに1年取締役に就かれた後、松下通信の役員としては退任されました。しかしその後も毎月の取締役会にはオブザーバーとして
「パナソニック解体」のススメ/"潜在株式価値9兆円"の実現には会社分割も1つの選択肢「パナソニック解体」のススメ/"潜在株式価値9兆円"の実現には会社分割も1つの選択肢「グループとしてのポートフォリオ方針はさまざまに検討しており、2026年度の早い段階でお伝えできるようにしたい」。パナソニックホールディングス(HD)の楠見雄規社長は、構造改革の規模が小さいとの投資家か…toyokeizai.netパナソニックHD「覆面座談会」/5人の現役&元社員が赤裸々に語った構造改革前後の社内事情パナ
<松下通信を支えた50人:山口三津男>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン「記念すべき1人目のお話、有難うございました。2人目は山口・・・」「山口三津男です。松下通信設立時に最も重要な役割を果たした人物です。50人の中で私が唯一会ったことがない人物になるかも知れません。正確に言えば昭和49年に半年ほど勤務が重なっているようですが、お会いする機会はなかったように思います」「もしかするとすれ違いぐらいはしていたかも知れませんね」中松は笑いながら軽口をたたいた。「山口は
松下幸之助の言葉「人の長所が多く目につく人は、幸せである」松下幸之助は、実業家であり、パナソニック(旧・松下電器産業)の創業者である。明治27年生まれ。丁稚奉公から身を起こし、世界的企業を築いた「経営の神様」と呼ばれる人物である。その成功の根底には、常に人を大切にする温かな哲学があった。この言葉は、松下の人生観をよく表している。人はつい、他人の欠点や至らなさに目がいきがちである。だが、相手の短所ばかりを見つめていれば、心はいつも不満で満たされてしまう。逆に、長
<松下通信を支えた50人:松下幸之助>※出典:小説「パルテノンの葛藤」BYアマゾン中松は脱いだばかりのコートを手に持ち埴生の顔を見ると滑稽なほどに深く頭を下げた。二人はソファーに座り、中松は音声レコーダを取り出してテーブルに置き、埴生はテーブルに置いたメモを手に持って松下通信を支えた50人の話が始まった。「早速ですが松下通信を支えた50人として今日は4人取り上げさせていただきます」「お願いいたします」「松下幸之助、山口三津男、松下正治、小蒲秋定の4人です。いずれも大物です」
※ときには昔の社歌が心地よいノスタルジア。「愛と光と夢で」宮澤章二作詞平井康三郎作曲明るい心あふれるいのち豊かに結ぶ松下電器時は流れつつ青春日に新た愛と光と夢でつつもう花咲く世界をみどりの国を互いの力信じて和して幸せつくる松下電器生きる喜びを隈なく世に捧げ愛と光と夢で満たそう生み出す未来をかがやく朝を---------------
『松下電器』も、孫正義に乗っ取られた可能性大。その後、『National』から『Panasonic』へと社名変更し、中華系の集団ストーカー企業へと変質。https://t.co/7TKVeiZvmWhttps://t.co/2lRcss3trZhttps://t.co/JTap3BGsXu—時計仕掛けのオレンジ(@9n7eWQtutsamatw)2026年3月11日
■松下通信の消滅平成15年1月1日付の事業再編、新体制への移行に伴い、合計5ドメインに分割され、松下通信工業株式会社の名前はこの日をもって消滅した。再編後は、パナソニックモバイルコミュニケーション株式会社を法的な存続会社として新たな出発を図ることとなった。-平成15年1月1日付けの再編概略-(※はその後の経緯)<松下通信の継承会社として>■パナソニックモバイルコミュニケーションズ株式会社(PMC)社長桂靖雄副社長倉本實構成:松下通信のモバイルコミ
さとうみつろう『松下幸之助の「不眠症」を治した脳科学者』↑この本を書いた、志賀先生。こんど鳴海さんに紹介してもらう事になったのですが、松下幸之助さんの「不眠」を治したことで有名だそうです。当時、松下電器の松下社長は…ameblo.jp
■630名の早期退職経営環境の急変により厳しい決算が予想される中、松下グループとしての雇用構造改革の一環であるライフプラン制度を松下通信においても実施。平成14年3月末までに630名が早期退職することになった。■初めての赤字決算欧州市場における携帯電話の急速な減退や国内携帯電話の品質問題などにより、平成14年3月の決算は、松下通信設立以来、初めての赤字決算となった。連結売上高は、前年度比36%減の7,838億円、連結利益は432億円の赤字となった。■松下電器の完全子会社化へ平成14年1