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【2025年9月13日】No2246自然豊かな秋田県北部の大館市で断熱等級6+床下暖房の家の設計と施工をやっている直洋建設の砂川です今日もblogを見に来くれてありがとうございますはじめて見に来てくれた方ありがとうございます今日、明日は家づくりのお話はおやすみです。とある酒蔵の見学竹の露さん古い酒蔵を移築したという威風堂々凄いです❗️貫禄満点💯建築としての目線で興味津々父親が山形の米沢出身ですから山形の気質というものを少しは知ってるつ
≪新潟~山形ドライブ≫2日目加茂水族館を出て、この日のホテルに向かう前に、一軒寄り道。旅館に置いてあったガラスの作品が気になり、宿の人に工房を伺うと、こちらだという。マツガオカクラフトパーク(松ヶ岡開墾記念館?)広い敷地内に、いくつか建物があり、どこだかわからず、とりあえず入ってみたのはシルクミライ館。資料館的なもの1F奥には、シルクを扱ったショップもあり。で、他の建物も覗いてみたら、いた!お蚕様が!!写真とかでは
山形県鶴岡市にある出羽三山神社を後にしチェックインまで時間があったので松ヶ岡開墾場を訪ねてみました刀を鍬に持ち替え広大な土地を開拓した3000人もの旧庄内藩士たちの歴史を伝える松ヶ岡開墾場日本遺産「サムライゆかりのシルク日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」の構成文化財です鶴岡には3つの日本遺産があるのか凄いぞ鶴岡シルクミライ館前回同様インバウンドはおろか日本人観光客もおらず貸切りでしたよこんなに立派な建物群なのに使
旅館近くのレトロなお土産屋兼酒屋、ぱろす湯田川にて地酒購入。重いぱろす湯田川を出たところで、小振りの御神輿が通り過ぎたのですよ。「え?お祭り?」と気持ちが沸き立ちましたが、お祭りワッショイ☆感がなく地元の消防団の方々が慎重に持ち運んでいる様子。その先の温泉会館に入っていきました~。(神社から移動しただけ?)奥に見える階段が、梅林公園宿の庭に花びらがヒラヒラ舞ってたのね。どうやら裏の梅林公園から飛来していたようで。4月中旬だって
2025.4.12の桜の思い出を記憶します羽黒橋を渡り…赤川堤へ右折月山に向けて走り…松ヶ岡へ松ヶ岡開墾場着蚕室の間の桜並木の風情がなんともいえません大正10年.開墾50年を祝い植樹されました。樹齢100余年明治維新後…旧庄内藩士3,000人と徴集された地元民により明治5年(1872)から開墾され…明治8年(1875)から2年の間に10棟の大蚕室が完成しましたうち5棟が現存しています五番蚕室蚕室の構造をパネルや表示で解説していますコンサート会場になることもあります…時計
萬国屋に泊まって、朝風呂に入って、お楽しみの朝食。鯛めし、鯛の刺身、鯛の煮付けと鯛尽くし。最後にだし汁をかけて鯛茶漬け。帰りに記念写真、恥ずかしかったけど、恥ずかしい年でもないから(笑)橋の上で再度お互い記念写真。温海川沿いの桜を」映しこんでパチリ。次はお目当て三瀬の「琴平荘」で中華そばをいただこうと、車を飛ばす。強風で波が大荒れに荒れていたのを見ながら駐車場へ駐車
2024.4.14の記録です羽黒町貴船神社を通り…松ヶ岡へ手前に見えるのはハマダイコンの花美しいお花…食べられるんですね!クレソンとハマダイコンのサラダ・ゴマドレby福井のおじじ「クレソンとハマダイコンのサラダ・ゴマドレ」の作り方。春の野辺で野草を摘んでサラダにして食べましょ!!BBQにも簡単調理。野生のお味です(^^)材料:クレソン、ハマダイコン、ゴマドレッシングcookpad.comハマダイコンの切り干し大根by0円農業「ハマダイコンの切り干し大根」の作り方。切っ
※この記事は旧ブログからの転載です#今回はこちらの話からの続きになります#蚕虫(幼虫)の画像が含まれますので虫の苦手な方はお気を付けください仁賀保→鶴岡の約一時間は「豪華」だの「日本一」だの「神」だのと言われるこんなシートを利用そうは言っても、表向きはただのグリーン車なのだが・・・改造車ゆえに普通席2列分8席分のスペースにグリーン席は3席しか配置されていないので、空間的ゆとりは相当なものJR九州で言うところのDXグリーン車並のスペースで、他の人との距離があって
2017年5月発刊江戸時代の終わりの庄内藩(現在は山形県鶴岡市)の、「薩摩藩邸焼き打ち事件(1868年1月19日)」から「戊辰戦争(1869年)」「松ヶ岡開墾(1872年)」までの波乱の歴史を小説仕立てで記した一冊。小説仕立てになっているので、実在した人物の他に「本間助三郎」「石原主水」「服部小作」という三名の架空の人物を登場させ、藩と本間様の関係、庄内藩としての考え方などを代弁させている。著者の宇田川敬介氏は鶴岡市とは全く縁もゆかりもない人なのだが、どのようなことがきっかけでこの
国指定史跡松ヶ岡開墾場。明治維新以降に旧庄内藩士たち3000人が刀を鍬に変えて開墾した場所。満開のさくら5番蚕室、松ヶ岡本陣では、手仕事展が開催。庄内藩主となった酒井家第三代忠勝公は、元和8年に入部し、直ちに仮殿を建ててこれに住み、居住の拡張整備をはじめた。明治5年松ヶ岡開墾事業の始まるにおよび現在地に移築、集会所兼事務所とし、本陣と称して今日に至る。こっちも綺麗。一番蚕室松ヶ岡開墾場記念館では、開墾、農業、蚕糸の資料をみたり、土人形をみたり、久しぶりに行っ
*12月10日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回は近現代史のしらたま教授との歴史トークで、テーマは幕末の庄内藩。本日がシリーズ最終回、庄内藩始末のおはなしです。あんみつ「しらたま先生、九月八日に改元が成され、慶応四年(1868)は明治元年になりました。仙台、米沢に続いて九月二十三日、会津藩降伏。これを受けて二十五日に庄内藩も停戦します。奥羽越列藩同盟の戊辰戦争は終結しました」しらたま「幕臣の抗戦は、
仙台から山形に移動する際、山を越えるので、頂上付近の紅葉が少し見れました【月山湖】大噴水の時間に間に合ったので、見ることが出来ました【松ケ岡開墾場】建物を見るのが好きなので、良かったですイタリアンフレンチのレストラン「ワイナリーピノ・コッリーナ松ケ岡」さんもあって、お土産にワインジャムだけ購入し、今回、食事はしませんでしたが、機会があれば、お邪魔してみたいお店です
下山添八幡神社さまから松ヶ岡へ…田では稲刈りが進んでいました。松ヶ岡着ほろけ祭り…キッチンカーが並んでいます。はたらくくるまも。お子さんははたらくくるまが好き?家でも子が小さい頃、「ごみちゅうちゅうちゃ」と、目をキラキラさせて見ていました。夕に向かう淡い日差しこの日Jazzの夕べに来ました。会場は五番蚕室早い時間に到着スタンバイ済みのベース…五番蚕室は駐車場のそばにあります。お隣のクラフトショップ「こうでらいね」とお向かいの四番蚕室こちらは反対側の柿畑です戸が開
急激に気温が下がり朝晩は半袖では寒いです昨夜は毛布を出しました1週間前に36℃でふぇ〜ってなってたのが嘘みたいですがまだ暑い日があるみたいなので油断はできませんさて今週末は山形県鶴岡市の松ヶ岡開墾場は国指定史跡の素敵なところです明治維新戊辰戦争に破れた庄内藩士が新しい産業をおこすため開墾して養蚕を始めた場所当時の建物が整然と建ち並びシルク製品のショップや展示場になっていますクラフトフェス以外も見どころ満載なのでどうぞ遊びにいら
三番蚕室の向かいに見えた…ピノ・コッリーナ松ヶ岡レストランとワインのお店です。レストランからぶどう畑を見渡せます…。繭をイメージしたお洒落な白い建物。猛暑…酷暑です…車で向かいました。イタリア語でピノは松…コッリーナは岡レストランは満席でした…✳️ランチタイム11:30~14:30(L.O14:30)✳️カフェタイム14:30~16:00(L.O16:00)昼のコースは2000円(税別)からカフェタイムも、話題のワインプリンなど気になるメニューがあります…
シルクミライ館から出て…クイズラリーをしながら散策答え合わせの二番蚕室を目指しました道の向こうの経塚丘や松ヶ岡本陣まで行ってみたかったのですが…暑さに断念…五番蚕室を過ぎると…寄宿舎(酒井家旧蚕室)だった建物今は、くらふとショップの…『くらふと松ヶ岡こぅでらいね』ワークショップも開催されています。✳️こぅでらいね…庄内弁。サイコーという感じです。三番蚕室…おカイコさまの蔵左手奥にピノ・コッリーナ松ヶ岡…三番蚕室では…蚕の飼育を公開しています。(6月、9月のみ)向か
松ヶ岡開墾場に来ています。新徴屋敷で案内をしていただき、五番蚕室で蚕室の構造を見学しました。次に向かうのは向かい側の四番蚕室シルクミライ館ですkibisoショップもあります館内に入るとエアコンの効いた涼しい空間別世界でした…パネルで年代を追っての紹介パネルに続くプロローグエリア右手のガラス戸から見える体験エリア奥に機織り機。左にシアターが見えます2階への階段の上には様々なシルクの布地館内マップさっそくプロローグエリアから見学一反の絹織物は、1kgの生糸から1
松ヶ岡開墾場に来ました。蚕室は10棟ありました。5棟現存しています。近い順に五番蚕室から回ることにしました。すぐ右手の蚕室です。賑やかな声が聞こえていました。少しだけ紫陽花の花が咲いていました。ブルーの紫陽花…涼やかです。開け放たれた戸入ると土間に説明のパネルが並んでいました。沢山の親子の姿…陶芸教室が開かれていました。室内にも説明のパネルがありました。2階の床下暖房風通しの窓棟梁により異なる柱1・2・4蚕室は四角形…名匠高橋兼吉3・5蚕室は八角形…
松ヶ岡開墾場に行きました。明治の過渡期に約3000人の庄内藩士が開墾し、桑畑を拓いた絹産業の発祥の地です。駐車場に隣接する建物から…「よかったらパンフレットをどうぞ。」と、お声かけくださいました。こちらは開墾士の方々が住んでいた、新徴屋敷を移築した建物です。かつては庄内藩が江戸取締りの任務に就いており、その組織が新徴組でした。やがて明治になり、庄内に移住。鶴岡市の大宝寺や道形(駅付近)に建てた137棟の住宅を新徴屋敷と呼びました。その後、組小屋として約30棟が松ヶ岡に移築。開
松ヶ岡開墾場。レトロな蚕室に桜が似合います。五番蚕室シルクミライ館シルクミライ館は四番蚕室です。桜のトンネルへ…。心地よい散策です。三番蚕室の前に大きな桜の木。写真に収まらないです。向かい側の…木洩れ日の道の先にはぶどう畑&ワイナリー。素敵なロケーション…。繭をイメージした建物だそうです。振り向くと、さきほどの大きな桜。全体を撮ることができました。桜の道は一番蚕室で終わります。松ヶ岡開墾記念館です。通りの向こうのかわいい小山。経塚丘です。経塚丘の麓に松ヶ岡本陣
桜の記憶を書き留めています…。2022.4.19羽黒町松ヶ岡に行きました。松ヶ岡開墾場の桜並木です。松ヶ岡開墾場は、明治維新後旧庄内藩士など3000人が養蚕のために荒れ地を開墾し絹産業を興した土地です。大正時代に開墾50年を記念して桜を植樹されたそうです。樹齢100年を越える約60本のソメイヨシノの並木道…。駐車場の方から散策しました…すぐ右手に5番蚕室2階の屋根の上に、風を通す越屋根があります。屋根瓦には取り壊された鶴岡城の瓦が使われています。10棟あった蚕室は5棟現存し
酒田旅はまだ続く。来年の参考にでもしていただき、もうちょっと、お付き合いください。2022年4月17日(日)遊佐から鶴岡に向かう。ここは、毎年行っていた赤川の花火大会の会場だ。花火会場の桜は初めて見る。いつもこの桜の下のカメラマン席で撮影していたなぁ。車中からなのが残念。2019年を最後に、開催されていない。懐かしい。『夏の東北旅②(山形・2019赤川花火大会)』2019年8月17日(土)酒田をあとにし、鶴岡に。赤川の花火大会のカメラマン席を旦那さんがいつもとってく
2018夏の旅新潟北部~山形中西部(8/9~18)その27松ヶ岡開墾場28/14(水)②庄内映画村資料館から出てみると、さっき閉まっていたお店が営業を始めていた。お隣のクラフトショップは、10数人の作家さんの作品を扱っているというが、入ってすぐにあるカラフルな繭玉が美しい。写真を撮ろうとすると、撮影禁止といわれてしまい、店の雰囲気だけならということで、お店の全体像を写真に収めた。アクセサリー、雑貨小物、陶器、服飾等さまざまなものを扱っているが、特に欲しいと思うものは見当たらず。
2021年11月28日(日)気ままな旅。今日は、ダンさんのリクエストで鶴岡市の歴史のひとつのここ。松ヶ岡開墾場松ヶ岡開墾場は、明治維新後、庄内藩士たちが拓いた緑豊かな大地。瓦葺上州島村式三階建の蚕室が五棟現存し、一棟が修復されて松ケ岡開墾記念館となっている。記念館周辺には、食事処や庄内の米造り用具収蔵庫などもあります。蚕室。これが5棟あって、1つは記念館、1つは本当に蚕を作っているらしく、6月、9月に見学が可能なんだって。ここはさくらがキレイな名所でもある
おはようございます!先日、松ヶ岡開墾場で開催されている「kibiso」の展示会に行ってきました。キビソは、乾燥してできた繭の表面を熱湯で柔らかくして、稲穂ででできたブラシにより、もつれた糸を引き出し、生糸の糸口を探すときの、その時のもつれた糸が「キビソ」なんだそうです良く晴れた日に訪ねました。周りは田園風景が広がり・・・静かな場所に「製糸工場」の歴史がありました今まで、なかなか行くことがなかったところ
EVEです。色々溜まったネタを放出中でありましてこれは夏休みの備忘録ネタでして現在の話ではありませんのでご了承ください。m(__)mさて、地元の新聞を読んでいたら、おっ!?こんなニュースが!!旧庄内藩士による松ケ岡開墾150年を記念して、先日丸ポストが場内に設置されたとのこと、これは行かねばなるまいて!同じ山形県内なれどコロナ対策をバッチリにしていざ出陣!月山道を山越えします。しかし途中で何カ所か工事中で大渋滞。(>_<)まあ、この時期は工事が多いから仕方な
松ヶ岡開墾場明治維新後庄内藩士たちは刀を鍬に持ち替えてこの地を開墾しました。そして桑を植えカイコを飼ったのです。サムライシルクの始まりです。ここの桜の大木どれだけの歴史を見てきたのでしょうか。話せるモノならちょっと伺いたい昔のこと。三階建ての養蚕棟が五棟現存しています。諸般の事情からすべての棟が閉じています。残念な春です。本陣
2019年10月03日(木)10時21分国指定遺跡、松ヶ岡本陣の看板がありました。この日は公開日、早速拝見させていただきます。(^_^)/松ヶ岡本陣の門柱。本陣向かいに小高い丘の公園です。農業構造改善事業竣工記念の碑。ここは経塚山。庄内藩第3代酒井忠勝が1622(元和8)年庄内入部の際、居城鶴岡城の整備のため仮殿「高畑御殿」を建てました。1686(貞享3)年、この高畑御殿の1棟を藤島下町(現鶴岡市西川原ー旧藤島町)に移し、藩主が江戸往復の際の「御茶屋」または「藤島本陣」と称し